西日本豪雨のこと

店のこと

2018年08月04日

やはり、このことについて書かないわけにはいきません。7月上旬に西日本を襲った豪雨のこと…。

京都では7月6日の金曜日、強い雨が降り続いておりました。仕事の合間に見るテレビからは、尋常でない雨であることが伝えられています。嵐山を流れる桂川、街中を流れる鴨川。増水の様子が映し出されます。

寺町界隈も早じまいされるお店があったようですが、閉店間際のご予約が入っていたこともあり、通常通り6時まで営業することにしました。そんな大雨のなかでも「開いててよかった」と駆け込まれるお客様もあり、ありがたいやら、申し訳ないやら。

地下鉄で帰宅すると、京都中いたるところに出されている避難勧告の知らせが、テレビのテロップで流れます。自宅は該当しませんでしたが、すぐ隣の学区にまで及び、これまで経験したことのない恐怖を覚えました。

身の危険と共に案じられたのは、やはり仕事のこと。道路の寸断や交通網の乱れは、たちまち物流を止めてしまいます。折しもお中元のさなか。この先、発送予定の荷物は届けられるだろうか。昨年の台風の影響で、不漁と価格高騰が続くちりめんじゃこに、さらなる打撃はないだろうか。

不安だらけの一夜でしたが、明けてみると、京都市内では幸いに大きな被害は出なかったようです。一方で、京都府北部や他府県での広範囲にわたる被害の甚大さには、言葉を失ってしまいました。

当然のことながら物流にも影響が。なかでもクール便は許容量が限られるのでしょう。クロネコヤマトさんのホームページでは、受け付け停止地域が刻々と更新されていきます。

ふだん当たり前に思っていることが、なんと有り難いことか。先が案じられましたが、翌日にはずいぶん復旧しました。物流に関わる皆さんの努力の賜物でしょう。安堵と感謝で、集荷に来られたクロネコさんのお顔を見るなり、思わず抱きついて泣いてしまいました。その日の担当は女性でしたので。念のため(笑)。

その後も、報じられるのは広がり続ける被害の状況。自然の恐ろしさを痛感するとともに、これが首都圏近くであったなら、政府の対応は、マスコミの取り上げ方は、同じものだっただろうか。悔しさもこみ上げます。

お恥ずかしいことですが、店を始めるまでは、遠くで起こることは、あくまで遠くの出来事。自分とは縁遠いことと感じていたように思います。店を始めて、決してそうではないことを知りました。

四国や九州の漁場で獲れるちりめんじゃこ。奈良県吉野の実山椒。北海道利尻の昆布。大分の原木椎茸…。「しののめ寺町」は、京都から遥かに離れた場所の自然の恵みをいただいて成り立っています。

箱やビニール袋などの包装資材は、どこのどんな原料で作られているのか把握していませんが、値上げのお知らせの折に、思いもかけない国の影響を受けているのだと知ることがあります。

そうした物たちが、網の目につながる空路や陸路に乗って運ばれます。遠い場所の悪天候やアクシデントにも、無関心ではいられません。

そして…「しののめ寺町」をご愛顧くださっているお客様は全国に。なかには外国にお住いの方も。台風や地震、テロ…。ニュースで聞く県名や国名に、あの方、この方、お顔が浮かびます。

あらゆることが、直接に間接につながり合って、私たちの日々の暮らしが成り立っているんだなぁ。たとえ店をやっていなくても、この世の中で起こることで、自分とまったく無縁のことなど、ひとつもないんじゃないか。そう思うようになりました。

そう思うあまり、様々なニュースを見聞きするたびに、過敏に反応して疲れてしまう、ということも。今回も、被災地の映像を見ていると、自分自身の抱える不安と相まって、さらに不安が増幅していくよう。見るに堪えず、チャネルを変えることが増えていきました。

大阪を震源とする地震に驚いたのも束の間、西日本での豪雨、続く猛暑。前例のない動きを見せる台風…。日本は、地球は、どこに向かおうとしているのか。想像を超えた事態の連続に、夏バテだけではない疲れを感じています。

上の写真は、7月17日の鴨川です。京都はちょうど祇園祭のさなか。朝には山鉾巡行が行われ、夜には御神輿が市中を駆け巡った日。その勇壮な御神輿を見たあとの、四条大橋からの眺めです。

あんなに増水していた川も、すっかりいつもの表情に戻り、風物詩の一つである、等間隔で座るカップルの姿も健在です。あぁ、鴨川はこうでなくっちゃあ。見慣れたはずの光景が、あまりに美しく、思わずカメラにおさめました次第です。

被災地の様変わりした映像を思い出すと、申し訳ない思いもあります。が、今、自分の目の前にあるものに感謝して。今、自分の目の前にある困難に向き合って。まずは自分の「今」を生きること。それが一番大切なんじゃないか。

私は、私の、今日を、しっかり生きよう。

犠牲になられた方々のご冥福と、被災された皆様の一刻も早い復旧を祈りながら、そんなことを思った夜でした。

早くから暑かった今年。まだまだ夏は続きます。不安は拭いされませんが、まずは健康に留意して、一日一日を過ごしていきたいと思います。皆様もどうぞご自愛ください。 

京上ル下ル(きょう あがる さがる)

店のこと

2018年07月08日

このたびの大雨では、西日本を中心に大きな被害が出ました。京都でも経験のない事態に、不安な数日を過ごしました。被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

そんななか恐縮ではありますが、今回はちょっと楽しい出来事のご報告を。5月のこと、テレビの突撃取材を受け、その放送が約1か月後の6月半ばにありました。

あまりテレビを見ない私は、ただでさえ疎いうえに、j:comというケーブルテレビとのこと。よくわからないまま了承するや、たちまちカメラがまわり始め…。慣れないことゆえ緊張しましたが、リポーターのお二人はじめ、スタッフの方がうまく誘導してくださり、なんとか無事に撮影を終了することができました。

終わってから番組名を聞くと「京上ル下ル(きょう あがる さがる)」とか。聞き覚えのある名前だなぁと思ったら、知人のケーキ屋さん「リンデンバウム」さんが、以前に出演された番組でした。あいにくうちのテレビでは映らないのですが、ありがたくも「リンデンバウム」さんがCDに録画してくださり、後日、見ることができた次第です。

リポーターのお二人は「かどちゃん」ことミュージシャンの門松良佑さんと、「こころん」こと女優の浅見 心ちゃん。商品を試食していただきながらの楽しいトークは、絶妙の掛け合いで、私も思わず笑ってしまうほど。終始、和やかな撮影でした。

京都の街は言わずと知れた碁盤の目。南北の通り名と、東西の通り名をセットで言えば、おおよその場所がわかります。そこから北に行くなら「上ル(あがる)」。南に行くなら「下ル(さがる)」。東に行くなら「東入ル(ひがしいる)」。西に行くなら「西入ル(にしいる)」。これでピンポイントの位置が割り出せます。

京都の住所は、町名と共に、こうした通り名が併記されていることがよくあります。京都の住所は長いと言われる所以ですが、そのお蔭で超方向音痴の私でも、迷わず辿り着くことができる、ありがたい仕組みです。

「しののめ寺町」も、町名の「久遠院前町(くおんいんまえちょう)」の前に、「寺町通り夷川(えびすがわ)上ル」と明記しています。「寺町通り竹屋町下ル」の方が近いのですが、「下ル」より「上ル」の方が縁起がいいかと、開店時にこちらを採用した次第。夷川からだいぶ歩いたよ、と仰るお客様もあり、ちょっと申し訳ないところです。

そんな縦横に交差した京都の通りは、それぞれに味わいがあります。ふとした思いつきで通りを曲がった途端、違う世界に紛れ込んだような感覚を味わうことも。こんなところに、こんなお店が、なんて発見があったり。ただの民家がとても趣があったり。うちのお客様のなかにも、観光地には行かず、こうした街歩きを楽しみに京都に来られる方が、たくさんいらっしゃいます。

そんな京都の通りを上ル下ルしながら、お店や人との出会い、触れ合いを楽しむ街歩きの番組「京上ル下ル」。まさに京都らしいタイトル、企画だなぁと思います。

今回は「下御霊神社あたり」ということで、出演されたのは、もちろん私も知っているお店さんばかり。皆さん、飾らないお人柄がにじみ出ていて素敵です。道中では、番組ファンだという方が、リポーターのお二人に声を掛けてこられたり。以前に出演された方との偶然の出会いがあったり。突撃取材ならではのライブ感がいっぱいです。

そうしたワンカット、ワンカットを、丁寧に編集して仕上げられた番組。見終わった時には、なんだかほんわかとした気持ちになりました。地元だったせいでしょうか。いえいえ、それだけではないようです。

放送後にはさっそく「番組を見ました」というお客様がご来店くださるようになりました。皆さん「かどちゃんが…」「こころんが…」と、親しみを込めて話されるのが印象的。多くの視聴者に愛されている番組なんだということが、よく伝わってきます。そんな番組に出させていただけたこと、改めてうれしく思っているところです。

ゆっくりテレビを見る時間のない私。申し訳ないのですが、これからもj:comに加入することはないかと思います。が、厚かましくも、気持ちだけは「京上ル下ル・ファミリー」に加入させていただけたつもりでいます(笑)。

もしこの先どこかの通りで、偶然、撮影隊と遭遇することがあったなら、私も声を掛けていいかなぁ。なんて思ったりして。「あの時の『しののめ寺町』です!」と胸を張って答えられるよう、これからもがんばっていこうと思います。

ご興味のある方は、ぜひ一度「京上ル下ル」の番組をご覧ください。
https://c.myjcom.jp/jch/p/kyoagarusagaru/

ちりめんじゃこ

店のこと

2018年01月30日

京都では野菜の高値が続いています。皆さんのお住まいのあたりでは、いかがでしょうか。冬野菜の美味しい季節、お鍋などでふんだんにいただきたいところですが、つい買い控えてしまうのが実情です。

昨年の相次ぐ台風の影響かと思われますが、野菜以外にもいろいろな方面で影響が出ているもよう。ちりめんじゃこも例外ではありません。海流の変化もあるとか。漁獲高が大幅に減り、深刻な品薄、価格高騰が続いています。

ちりめんじゃこは誰もが好きな食材。じゃこ山椒も、今では京都土産に挙げられるほどの人気商品となりました。扱っておられるお店は数知れず。皆さん、どうしておられるものやら。分け合って、譲り合って、この危機を一緒に乗り切れたら…。なんていうのは夢物語。現実は厳しい競争の世界です。

どうなることかと案じながらの年越しでしたが、幸いにも、なんとか確保できている状況です。ひとえに、仕入れ業者さんのご尽力のおかげ。長年のお付き合いと信頼関係の大切さを痛感した次第です。

ただ、仕入れ価格の値上がりは免れず。当店で販売の商品も、一月より一袋の容量を55gから50gにさせていただいております。少し形の不揃いなちりめんじゃこが紛れていることもあるかもしれませんが、ご容赦のほどお願いします。

これまでにも、自然災害による不作や不漁、それに伴う様々な被害の様子は、ニュースなどで何度も見聞きしてきたところです。丹精込めて作られたお米や野菜、果物が、一日にして無に帰す。自然災害とは少し違いますが、手塩にかけて育てられた家畜が、思いもよらない病気で処分の憂き目に遭う…。

いずれも、どんなに無念なことかと思いを馳せながらも、どこかで遠い世界のことと感じていたように思います。今回、自分の身が危ぶまれる事態になって初めて、決してひとごとではないのだということを思い知った次第。想像力の乏しさに恥じ入るばかりです。

日本の食の豊かさは、今さら言うまでもないこと。まわりには食べ物が溢れかえっています。お金さえ出せば手に入らないものはなく、目新しいものが次々と現れ、飽きることがありません。

もとを辿れば、それらは海や山の自然の恵みであること。動物であれ植物であれ、他の生き物の命をいただいているということ。その有り難さをつい忘れがちになっているように思います。

私が敬愛してやまない佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと4)が、生前、よく口にされていた言葉があります。「命の移し替え」…。自然の恵みをいただき、自分の中にまた生かしていく、ということでしょうか。

春、庭に芽吹いたフキノトウを、小さなナイフでそっと切り取り、収穫されている映像を拝見したことがあります。自然に対する慈しみ、謙虚さがにじみ出たお姿が、とても印象的でした。

野菜でも魚でも、そのものの良さが最大限に生きるよう丁寧に調理され、出来上がった料理を、皆で感謝していただく。そういう活動を長年してこられた初女さん。幸運にも、そんな場をご一緒させていただけた経験は、今でも私のかけがえのない宝物となっています。

上の写真は、炊く前のちりめんじゃこです。小さくて、柔らかくて、触れるとふわふわして、銀色に輝いています。まさに銀(しろがね)。これを鍋で炊くと、黄金(こがね)色に照り返るじゃこ山椒となります。美しいマジックのよう。これもひとつの「命の移し替え」かも。などと思うのは、少々拡大解釈過ぎるでしょうか(笑)。

1月10日に商売繁盛を願って行われる十日えびす。今年は神戸に住む友人の案内で、兵庫県の西宮神社に出かけてきました。恵比寿様は、鯛を抱えておられることから、豊漁の神様でもあられるとか。商売繁盛と共に、一日も早い豊漁を一心に祈願してきました。

当たり前のように仕入れ、調理し、販売している…、と思っていたちりめんじゃこ。それは決して当たり前ではないことを、今回の不漁は教えてくれました。自然の恵みに感謝し、その自然からいただいた命を、自分の中でまた生かせる私でありたい。改めてそんなことを思うこのごろです。

皆様には、ご理解のうえご了承いただけますこと、心よりお願い申し上げます。

場の神様

店のこと

2018年01月16日

1月もはや中旬。新年のご挨拶が遅れました。皆様、どのように新しい年を迎えられましたでしょう。

私はといいますと…。12月は一年で一番忙しい月。店を始めて以来、毎年のことながら、大掃除もお正月の準備もできないままの年越しとなってしまいました。疲れと安堵感から、ちょっと虚脱状態で迎えた新年。午後になって、ようやく自宅近くの大型スーパーへ買い物に。今時は元日から開いている店があり、忙しい身には助かります。

そこで古くからの知人にバッタリ。年末のブログ(ブログよぅ、がんばらはったなぁ)を読んでくださっていたのか、偶然か。会うなり「よぅ、がんばったなぁ」と声を掛けていただきました。その言葉がスッコ~ンと心に落ちたもよう。一年間、張りつめていた気持ちが一気に緩み、とつぜん涙がポロポロ。

通りすがりの方は、なんと思われたことでしょう(笑)。お恥ずかしい限りですが、涙の効能は絶大。なんだか気持ちがスッキリし、にわか仕掛けのお節の準備、大掃除のまね事などをして、たちまちお正月気分にリセットされました。

豪華なことはなにもない我が家ですが、休みと思うだけで味わう解放感は、なによりの贅沢です。最後には、読書の時間も少し持つことができました。なにも起こらない静かな時間…。ふと、あの慌ただしい生活にまた戻れるだのろうか、と不安がよぎったりして。

そんな不安も束の間、営業前日には仕込みやもろもろの準備に、朝早くから店に行かねばなりません。いつも思うことなのですが、長い休みの時は、店も静かに休息しているよう。普段は店も緊張しているんだなぁ。邪魔をしないよう、静かに準備に取り掛かるのが常です。

ところで、店にはたくさんの守り神様に居ていただいています。神棚には各社のお札。店先の植木には小さなお地蔵様。店内には大黒様(ブログ大黒様)に鳳凰様(ブログ鳳凰様)。祇園祭の厄除けの粽(ちまき)に招き猫。飾られた写真や絵画…。

非力な私たち、四方八方から守っていただかないと、と一つずつ自分で買い求めたものもあれば、お客様や知人から贈られたものもあり。その方たちのお気持ちも含めての守り神様だと思っています。

閉店後には、その日の無事に感謝して、それぞれの神様にご挨拶するのが欠かせない習慣です。そして店を出る前、最後に店内を振り返ると、いつからでしょう、天井近くにゆらゆらと、たゆたう気配を感じるようになりました。とても厳かで、畏れ多い。けれど、おおらかな…。思わず手を合わせます。

それは守り神様たちが融合されたもののような。あるいは、どの神様でもない独自のもののような。この土地の上に建つ、この店にのみ宿られる神様。いわば「場の神様」とでもいうのでしょうか。開店から5年を過ぎて、ようやく姿を現してくださったのか。あるいは、ようやく感じられる私になったのか。

何百年と続く老舗店に入った時に感じる、えもいわれぬ空気感があります。それはやはり、そのお店の「場の神様」が、醸(かも)し出されるものなのではないでしょうか。誰の目にも明らかなその風格は、重ねられた年数のたまもの。さすがというしかありません。

この神様、もし私が邪(よこしま)なことを考えたり、したりしたら、たちまち消えてしまわれるに違いない。建物はあっても、もぬけの殻のような、そんな店になり下がり、やがて消えてしまう。そんな気がしています。

節目の5年を過ぎ、6年目となる今年は、これまで無我夢中で気づかなかったこと、そうした一つ一つを丁寧に見直していく年にしたいと考えております。「場の神様」に守られながら、試されながら、最後にまた泣き笑いできるよう、がんばっていく所存です。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

よぅ、がんばらはったなぁ

店のこと

2017年12月31日

今年も残すところあと一日となりました。皆様にとって、どんな一年でしたでしょう。

「しののめ寺町」は今年3月、お蔭様で5周年を迎え、節目の年となりました。うれしいことではありますが、一方で、この先を見据えた時、果たしてこのままで続けていけるのか、という不安も。

伝統を守りながらも、新しい試み、展開が必要なのではと思うのですが、明確なビジョンがあるわけではありません。それを見定めるために、まずは出来そうなことから挑戦をしてみよう。そう心に決めて、今年はチャレンジの年と位置付けました。

昨年末より計画していたことや、外部から舞い込んだお話もあり、チャレンジの年にふさわしい幕開けとなりました。その分、気の重さも大きく、年頭のブログにはただならぬ緊張感が漂います(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)。

年明け早々から準備を重ね、ひとつひとつ実現していきましたが、「山椒まよねーず」が好評のうちにスタートしたことは、今年一番の大きな収穫でした(ブログ山椒まよねーず)、

春は別れと門出の季節。「しののめ寺町」でも、アルバイトさんが念願の職場に復帰されたり、海外に留学されたり。替わりの募集の貼り紙をするも、人手不足の昨今、功を奏せず。初めて求人広告を出すこととなりました。

人を選ぶということの難しさに反省点の多い経験となりましたが、お蔭様で願ってもない方が3人加わってくださることに。歓送迎会では、辞めていかれた方、新しい方、初対面ながら和やかな会となり、「しののめ寺町」のカラーはこんな感じかな。そんなことを思う夜となりました。

秋には季節限定の新商品「九条ねぎおじゃこ」の誕生。ちょっとエキセントリック過ぎないかと不安でしたが、思いのほか好評で、「しののめ寺町」の意外に前衛的な一面を垣間見た気がしました(ブログ九条ねぎおじゃこ)。

そんな小さなチャレンジを重ねた一年の総仕上げ、12月に入ったある日、一人のご婦人が来店くださいました。店内を見回し、「山椒まよねーず」や「九条ねぎおじゃこ」など、ひとつひとつにとても驚いて反応される様は、見ている私まで楽しくなるほどでした。「開店して何年になる?」と聞かれ、「5年が過ぎました」と答えると、こんな言葉を掛けてくださいました。

「よぅ、がんばらはったなぁ」

とても不思議なのですが、初めて聞いた言葉のように思えました。はんなりとした京都弁。時に、本心がわからないと揶揄(やゆ)されることもありますが、その言葉にはとても強い力がこもっているように感じました。

もちろん店に対して掛けてくださった言葉。辞めていかれたアルバイトさんはじめ、家族、仕入れ業者さん、店に関わってくださっているすべての方に対しての言葉だったのだと思います。が、ずど~んと心に響いたこの言葉、不遜ながら、私の労をねぎらってくださっているように思えました。

開店まもなく以来、今回が二度目のご来店とのこと。確かに開店当初は店内の設えも殺風景で、じゃこ山椒と塩昆布が並ぶばかり。5年後にこうした新しい商品が並ぶなどとは、想像もしないことでした。その変化を見ての、先の言葉だったようです。

これまでも「がんばってるねぇ」と声を掛けていただくことはよくありました。有り難いことなのですが、正直のところ、そのたびに歯がゆい思いをしていました。私にとって「がんばっている」というのは、結果を出して初めて口にできる言葉。その言葉にふさわしい自分ではまだないのだ、という思いが常にあるのです。

今回の「よぅ、がんばらはったなぁ」という言葉には、まだ通過点であっても、ここまでのがんばりを認めてもいいんだよ、そんなメッセージが込められているような。

いつも前ばかりを見て、立ち止まることが苦手な私。そういう視点でものを考えたことがありませんでした。初めて聞いた言葉のように思えたのは、そのせいだったのでしょう。目からうろこ。ふっと肩の力が抜けた思いでした。

最後に、さらなる明るい未来を予言して帰って行かれた、このお客様。そのうしろ姿を見送りながら、もしや神様からの使者だったのかも、なんて思ったり。

チャレンジの年と位置付けたこの一年。うまくいったこともあれば、さっぱりいかなかったこともあり。それでも、そのひとつひとつが、貴重なヒントを与えてくれたことは確かです。今も耳に残る、あの言葉。今日は、自分で自分に掛けてやろうと思います。

「よぅ、がんばらはったなぁ」

 この一年、本当にお世話になりました。新年は1月6日(土)より営業いたします。来年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。皆様、良いお年をお迎えください。

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