ベニシアさんのこと

素敵な女性

2019年09月22日

先日、素敵な展覧会に出かけてきました。「ベニシアさんの手づくり暮らし展」です。

ベニシア・スタンリー・スミスさんという女性をご存じでしょうか? ご実家は本物のお城という、イギリス貴族の家系のお生まれ。けれど19歳で貴族社会を離れ、インド滞在を経て日本へ。やがて京都大原の地にたどり着かれます。

大原というのは京都の北の方。市内中心部からみると、とてものどかな地域です。そんな自然の中に建つ築100年の古民家を買い取り、日本人のご主人と共に自分たちで手直しをして住まわれるように。

ハーブを中心に、食や手仕事、周囲の方たちとの交流を大切に、それはそれは素敵な暮らしをされているご様子は、NHKの「猫のしっぽ カエルの手」でお馴染みで、私もその番組を見てべニシアさんを知った次第です。

会場では実物を使って、ご自宅のキッチンやお庭が再現されています。一つ一つ選び抜かれた調度品は、やはり貴族の生まれという環境の中で育まれた審美眼によるものなのでしょう。えもいわれぬ存在感のあるものばかりです。

広大なお庭は、エリアごとにストーリーをもって作られ、まるで絵本に出てくるおとぎの国のよう。

日本人が忘れてしまっているような日本の伝統的なものと、ヨーロッパの香り漂うものとをうまく融合させ、オリジナルの世界観が広がるお住まい。そしてライフスタイル…。東洋と西洋がやさしく調和した様は、まさにベニシアさんそのものに思えます。

ひとはそれまでの人生で培ってきたもので出来ているんだなぁ。そう思わずにはいられません。

会場ではご主人である山岳写真家、梶山 正さんによる写真も多数展示されていました。大原の美しい自然と、それを慈しむようなベニシアさんの表情を捉えた写真の数々。そして傍らに添えられたベニシアさんの詩的なメッセージ…。

自然の移ろいに心を寄せ、敬虔な思いと感謝の気持ちで暮らしておられることが、シンプルな言葉から伝わってきます。なかでも心に響いた一文を書き出してみます。

秋は実りの季節。木の葉が落ちて枯れていくと、

人生について考えてしまいます。

私たちは、日々の悩みや心配事で頭がいっぱいになり、

身の周りの自然の美しさに気づかないことがよくあります。

真っ青な空に浮かぶ傘のような雲や、

秋の可憐なコスモスの上を軽やかに舞う二匹の蝶。

こんな何気ない美しさを、私たちは見逃してしまいがちです。

太陽は毎日、みんなのために輝き、

驚くほど美しい日の出と夕映えを見せてくれます。

なのに私たちは、果てしない考え事で

太陽を雲のように覆ってしまいます。

せめて時々は考えることを止めて、思い出しましょう。

人生は舞台稽古ではなく、美しく生きる機会なのだと。

なんか泣きそうになってしまった私…。

自然に寄り添うことは、自分の心に寄り添うことなんだなぁ。毎日が舞台稽古のような暮らしの中で、いつの間にかパサついてしまっていた心に、慈雨がしみ込んでいくようでした。

数奇な運命に翻弄されることもあったかとお察しするベニシアさんの人生。紆余曲折ありながらも、その時々にご自分の心に正直であられたからこそ、唯一無二な、こんな素敵な暮しにたどり着かれたのだと思います。

展覧会で買い求めた画集は、ベニシアさんのこんなメッセージで締めくくられています。

日本の女性はとても賢い。

疲れていても、悲しくても、いつも微笑み、笑っているから。

私は、日本の女性から「和」と「柔」という英知を学びました。

子供の頃は、人生の意味についてよく考えました。

どうして私たちは生きているのか。

ある日、その答えに気づきました。「幸せになるため」だと。

物事をどう見るかで、幸せは決まります。

知恵と優しさと笑いの心を持って、人生を受け入れましょう。

この境地に至るにはまだまだです。それでも、べニシアさんのメッセージの一つにあるように、日に一度でも空を見上げる時間を持ちながら、自分の幸せを見失わないように生きていきたいものだと思います。

Listen to your heart

自分の心の声に耳を傾けて

たくさんのヒントを与えていただいた展覧会でした。

堀文子さんの言葉4

素敵な女性

2019年05月13日

私が敬愛する女性の一人、堀文子さんが今年2月、100歳でお亡くなりになりました。「群れない」「慣れない」「頼らない」をモットーに、絶えず新たな画風を切り拓いてこられた孤高の画家です。

 

訃報は残念ではありましたが、天寿を全うされたというにふさわしい見事な人生。お疲れ様でしたとご冥福をお祈りするばかりでした。

 

そんな折、京都高島屋で堀文子展が催されるというニュースが届きました。生誕100年展が、巡回中に追悼展になったとのこと。これもまた見事な巡り合わせに思えます。

 

堀文子さんを知ったのは、ずいぶん前に放送された教育テレビ「日曜美術館」でのことです。ご本人が、自身の創作活動をそれはそれは楽しそうに話されるのが印象的でした。司会の壇ふみさんがまぶしそうに向けられていた視線が、私の視線そのもののように感じたのを覚えています。(ブログ画家 堀文子さんのこと

 

それからだいぶ経った数年前、とあるブックカフェで偶然に堀文子さんのエッセーに出会いました。楽し気に創作活動を語られていた、その笑顔の向こうにある孤独と厳しさ…。以来、心から敬愛するようになりました。(ブログ堀文子さんの言葉3

 

とはいえ作品を観るのは、テレビや著書のなかの写真でばかりでした。今回、初期の作品から絶筆まで一堂に会されるとのこと。矢も盾もたまらず出かけて行きました。

 

会場はテーマに沿ってコーナーが設けられていました。角を曲がるごとに現れる新しい画風の絵に、驚きと感動の連続。その多彩さは、いったい何人の画家の手によるものかと思うくらいです。

 

なかでも今回、一番楽しみにしていた作品があります。「幻の花 ブルーポピー」。標高5000メートルのヒマラヤに、この世ならぬような青色の花が咲くと知り、82歳でヘリコプターに乗り、酸素マスクをつけ、岩場を上り下りし、命がけで探し当て、スケッチされたという花の絵です。

 

会場後半でいよいよ対面できた「幻の花 ブルーポピー」。花は可憐だけれど、外敵から身を守るためなのでしょう、根元にはこれでもかというほどの鋭利な棘。その絶対的な存在感に驚かされました。

 

過酷な環境で、誰の目に留まることなく、ましてや褒められることもない。それなのに、一体なんのためにと思うほど美しく、逞しく咲く花。気高いその姿は、まさに堀文子さんが愛された「孤高」を体現したかのようです。

 

やっと出逢えた憧れの絵でしたが、うれしさよりも戸惑いの方が大きかったかもしれません。心地良い美しさとは全く違う、痛みを伴う美しさ、とでもいうのでしょうか。それは生まれて初めての感覚。出逢ったことのない「美」でした。

 

「美」は私が思っているより、もっと多様なものなのかもしれない。

 

「花の画家」とも称される堀文子さん。最晩年のコーナーに向かうと、描かれる花や木々も、終焉をイメージさせるものが増えていきます。

 

けれど決して寂しげでも、はかなげでもありません。虫食いだらけだけれど、フィナーレを飾るにふさわしい鮮やかな色彩の落葉。凄みすら感じられる、枯れ果てたひまわりの立ち姿。絶筆の紅梅の赤は、私には命ほとばしる鮮血の色に見えました。

 

「美」は生き様そのものなんだなぁ。

 

知人で洋画家の野見山暁治さんが、こんな追悼文を寄せておられます。堀文子さんはよくお酒を召し上がる方だったそうですが、酔うと「あたしはね、今まで流した涙の量だけ飲むのよ」と漏らされることがあったとか。そして、自分で言ってきまり悪くなると、少しばかり不機嫌になったりされると。(京都新聞 2月21日掲載)

 

孤独の空間と 時間は 何よりの 糧である。

 

堀文子さんの言葉です。この言葉の向こうに、どんな人生があったんだろう。人知れず、どれだけの涙を流してこられたんだろう。想像も及びませんが、堀文子さんの人間臭い一面を垣間見させてもらった気がするエピソードです。

 

「なんで、そんなことをばらすのよ!」と、天上で苦笑いしておられる堀文子さんのお顔が浮かぶようです(笑)。

 

追悼文はこう結ばれています。あれだけ日本画で新しい世界をつくり、多くの人を魅了しながら、ついに国からは何の栄誉も与えられなかったことを、ぼくは堀さんの素晴らしい勲章だと思っている、と。

 

自由で革新的なグループを活動の場とし、最後はどこにも属することなく、全く自由な創作に徹せられたとのこと。勲章を与えられなかったことは意外で、あれこれ憶測をしてしまいます。が、堀文子さんの前では、そんなこともつまらぬことに思えてきます。まさに「幻の花 ブルーポピー」の如し。

 

私もいつか「幻の花 ブルーポピー」としっかり向き合えるようになりたい…。

 

堀文子さんから宿題をいただいたような気がする展覧会でした。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

佐藤初女さんのこと5

素敵な女性

2018年12月27日

先月末のことになりますが、素敵な催しに出かけてきました。青森県弘前市、岩木山の麓に建つ「森のイスキア」。そこで「食は命」の信念のもと、全国からの来客をもてなされてきた佐藤初女さん…。その最晩年をカメラに収められたカメラマン、オザキマサキさんの写真展です。

写真展を拝見するのは二度目なのですが(ブログ佐藤初女さんのこと4)、今回は初女さんの遺志を引き継ぐ方たちによるワークショップ「お結びの会」という、素敵なおまけ付きです。まずはオザキマサキさんのトークショーからスタート。スクリーンに「森のイスキア」の風景や在りし日の初女さんのお姿が、スライドショーとなって映し出されます。撮影時のエピソードを交えながら、その時々に感じてこられたことを語られました。

初女さんが、髪を垂らして横たわる女性の横顔のようだと例えられた、岩木山の優美な稜線。「森のイスキア」の台所や各部屋の設え。初女さんが野菜を切ったり、ごはんをよそわれる時の佇まい。初女さんのまわりで、かいがいしく立ち働かれるスタッフの皆さんの表情や声。旬の食材のあれこれ。そこにたゆたう空気感…。

9年前のことになりますが、「森のイスキア」を訪ね、初女さんの心づくしの手料理ともてなしを受ける幸運に恵まれた私(ブログ佐藤初女さんのこと2)。写真を見ながら、トークを聴きながら、その時のことが鮮明に思い出され、心の中で「そうそう!」と何度も叫んでいました。

あぁ、体験するというのはこういうことか、と思いました。

繊細な感性をお持ちのオザキマサキさんのお話は、それはそれは素晴らしいものでした。「森のイスキア」に出かけたことのない方たちの心にも、十分に伝わったと思います。それでもやはり、そこにいたかのような臨場感で伝わる思いは、行ったことがある者だからこそ、だったのではないでしょうか。

私が森のイスキアまで出かけたと知ると、皆さんよく「行きたかったけど、遠くて…」と言われます。私も調べた時、確かに遠いし不便な場所だなぁと思いました。でも、同時に思ったのです。遠いけれど、不便だけれど、行こうと思えば行ける、と。

実際にに行ってみると、本当に遠くて不便な場所でした(笑)。電車に乗り、バスに乗り、最後は徒歩しかありません。合っているかもわからぬまま、不安な思いいっぱいで、半ば後悔しながら、ひとり歩いた一本道。いったい何に突き動かされて、こんなところまで来てしまったのかと…。うしろで引っ張るキャリーバッグの音が、そんな私にぶつくさ言っているようでした(ブログ佐藤初女さんのこと3)。

そうまでして出かけて行った「森のイスキア」。そこで自分の目で見たもの。耳で聞いたこと。自分の手で触れ、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、心で感じたこと…。その時に体験したすべてが、生涯の宝となりました。オザキマサキさんのお話を聴きながら、9年を経た今なお、こんなにも鮮明に蘇ったのは、「体験したこと」の持つ力だったのだと思います。心細く一本道をひとり歩いた、あの時の自分に、よくやった! と声を掛けている、今の自分がいました。

続く「お結び」のワークショップでは、始めにスタッフの方によるデモンストレーションが行われました。心を込めて料理する人の姿は美しいものだなぁと思いながら、初女さんのお姿を重ねて眺めていました。下の写真は、左が「森のイスキア」到着後の昼食に、初女さんが握ってくださったお結び。右が今回の参加者のお結びです。まだまだ修行が足りないのは歴然ですが(笑)、精一杯真似て握ったお結びは、我ながら上出来の美味しさでした!

今年も間もなく終わろうとしています。この一年、いろいろなことがありました。豪雨や台風による二度の臨時休業、値上げや閉店時間の繰り上げなど、お客様にご負担やご不便をおかけし、心苦しいことの多い一年でもありました。寛容なご理解を賜りましたこと、改めて心より感謝申し上げます。一方で至らないことも多く、お叱りをいただきましたことは、真摯に心に留めていきたいと思っております。

いいことであれ、そうでないことであれ、「体験する」というのは貴重なこと。それぞれに意味があり、その時は気づかなくても、自分の力となって蓄えられ、いつかなにかにつながる時が来る。二の足を踏むよりも、勇気をもって一歩を踏み出し、一つでも多くの体験を重ねていきたい。それが年齢を重ねていくことの醍醐味でもあるんじゃないか…。先日の初女さんの催しを思い出しながら、そんなことを思う年の暮れです。

堀文子さんの言葉 3

素敵な女性

2018年02月28日

新しい年が始まったと思ったら、早、2月も終わり。一年の6分の1が過ぎたことになります。ということは…、今年の目標の6分の1が片付いていないといけない、という勘定でしょうか。いやはや、困った。

 

昨年は3月に5周年を迎えるということで、チャレンジの年と位置付け、年初からなにかと慌ただしい毎日でした。なかでも対外的な仕事は、それぞれに厳格な締め切りや決まりごとがあり、否が応でも対応せざるを得ない状況に。

 

慣れないことに四苦八苦しながらも、お尻に火が点くと出来てしまうものだなぁと、人間に備わった底力に感心したものです。ぎっくり腰という、有り難くないおまけつきではありましたが(笑)。

 

そんな新しいこと続きだった昨年から一変。今年は、地に足をつけ、腰を据え、今あることを一つ一つ丁寧に見直す年にしよう。そう目標を掲げました(ブログ場の神様)。

 

開店から間もなく6年。改めて見直してみると、改良しなければいけない点がたくさんあることに気づきます。まるで目の前にあったフィルターを外されたよう。どうして今まで気づかなかったのか、なんと無知なままやってきたのか、呆れるばかりです。

 

それもこれも6年続けてきたからこそわかること。心新たに推し進めていこう、そう考えていました。例年、1月2月は店ものんびりモードとなり、手を付けるには格好の時期です。

 

ところが、いざとなると考えが頭の中で堂々巡りするばかり。一向に行動に移せません。必ずしも、今日、しなくてもいいわけで。むしろ、しない方が、余計な混乱を巻き起こさずに済むわけで。

 

なんて、先送りしているうちに日は過ぎるばかり。自分で自分のお尻に火を点けるのは難しいもの。しまいには、動物も冬眠する季節、寒さや日照時間の短さが、人間の行動力も鈍らせてしまうのかも。なんて、苦しい言い訳をしたりなんかして(笑)。

 

ふがいない自分に呆れながら、この間、しきりに浮かぶ言葉がありました。私が敬愛する女性の一人、画家、堀文子さんのエッセイ「堀文子の言葉」に収められた一節です(ブログ堀文子さんの言葉 堀文子さんの言葉2

 

群れない 慣れない 頼らない 

これが私のモットーです

 

一つの画風を確立すると、もはやそこには留まらず、新たな画風を求めて、新天地を切り拓き続けて来られた、孤高の画家、堀文子さん。自由な発想と、果敢な行動力。なにより、それらを支える強靭な精神力。堀文子さんの言葉には、どれも圧倒されますが、「慣れない」の言葉には、痛いところをキリキリ突かれる思いがします。 

 

正直のところ、今年の目標は、チャレンジの年と位置付けた昨年より、ずっと楽だと思っていました。とんだ見当違い。今あることを見直していくのは、新しいことを始めるよりも、ずっと難しい。

 

慣れたことには、良くも悪くも安心感があり、わざわざそれに手を加えるというのは、とても勇気の要ることです。変えたことに、理由を求められることもあるでしょう。確かな裏付けと自信がないことには出来ません。

 

私がなかなか行動に移せない理由。それは、そもそも知識や経験が絶対的に足りないからではないか。裏付けがないから、自信もない…。

 

なんの知識も経験もないまま飛び込んだ商売の世界。なにがわかっていないのかもわからないまま、ただ夢中でやってきたように思います。ようやく、わからないことが、わかってきたのでしょう。無知なまま行動することが、とても怖いことだと気づきました。

 

堀文子さんは、常に感性を研ぎ澄ませ、日々、研鑽(けんさん)を積んでこられるなか、ひとところに安住し慣れてしまうことを良しとしない。そういう生き方が、身につかれたのだと想像します。慣れない、ということの裏には、たゆまぬ努力が不可欠。成長し続けていることが前提です。

 

改めて、一から勉強だなぁ。

 

学ぶべきことがあまりに膨大で、ちょっと途方に暮れている私でありますが、年頭に掲げた、今あることを一つ一つ丁寧に見直していく、という目標。これは今年に限ったことではなく、ずっと続くテーマです。ならば、焦らずに、できることからやっていこう。そう思うと、少し気が楽になりました。

 

堀文子さんには遠く及びませんが、現状に慣れてしまうことなく、常に新しい「今」を更新していけるよう、たゆまぬ努力を続けていきたいと思います。よりよい店づくり、健全な経営を目指して。

 

年明けから2ヶ月をかけて、ようやく目標達成のためにすべきことが明確になりました。かなりの出遅れ。しかも、かなりの遠回りとなりそうです(汗)。どうぞ気長に見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

瓶の中

素敵な女性

2017年09月12日

大切にしている本があります。女優、高峰秀子さんの随筆集「瓶(びん)の中」。ちょうど一年前、仕事帰りに繁華街をぶらぶらした折、たまたま立ち寄ったデパートの本売り場で見つけました。

作者名とタイトルに惹かれ、思わず手に取り。ぱらぱら拾い読みして、たちまち魅了され。けれど、私にはちょっと高価で、一旦は棚に戻し。でもやっぱり気になって、舞い戻り。実はその時、へこみにへこんでいた私。少しでも慰めになるならと、思い切って買った一冊です。(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく

女優、高峰秀子さんのことを、若い方はご存知でしょうか? 数年前に亡くなられましたが、昭和を代表する映画女優さんです。私も映画を観たたことはないのですが、たまたま彼女について書かれた本を読み、そのひととなりに惹かれてしまいました。

女優業の傍ら文筆業もされていることを知り、さっそく著書を読んでみました。恵まれた美貌と才能。けれど華やかな表舞台の陰には、過酷な暮らしがあったようです。そんな狭間にあっても、決して自分を見失わない、聡明さと茶目っ気。女優である前に、まず人として素敵な方だなぁと思いました。

ずいぶん以前に、関東に住む友人が、とある喫茶店で、高峰秀子さんを見かけたそうです。入ってこられると、カウンターに腰かけ、しばし過ごして出て行かれたとか。その一連の所作が、それはそれは美しかったと話してくれました。内面は立ち居振る舞いに表れるものなのだと、至極、納得したことを覚えています。 いつからか、高峰秀子さんは私の憧れの女性となりました。

タイトルに惹かれたというのには、こんな訳があります。以前のブログで書きましたが(ブログストック)、私の心の中には一本の瓶がありまして。口が狭くて、背が高くて、半透明。ちょうどワインの瓶のような。中には、なにやら液体が入っています。適量だといいのですが、時に枯渇したり、時に溢れたり。心の状態そのままに増減し、私に伝えてくれます。

私にとって瓶は、なにやら意味深く、謎めいたもの。「瓶の中」なんてあると、覗いてみたくて仕方ありません。ましてやそれが、憧れの高峰秀子さんの「瓶の中」であれば、なおさらです。

この本では「暮らしの楽しみ」という章で、ふだん使われているお気に入りのものが、写真と文章で紹介されています。鏡や時計、文鎮や飾り棚、お香や紅入れ…。日用品というには、あまりに趣のあるものばかり。古い写真のせいでしょうか、色調が時代がかっているところがまた、えもいわれずいい感じです。

それぞれに、手に入れられた時のエピソードなどを記した文章が添えられています。外国で求められたもの、有名な方から贈られたもの。中には高価なものもあるでしょう。けれど、価格や由緒ではなく、ご自身の審美眼と感性に適ったものだけを選ばれていることが、ウィットに富んだ文章から伝わってきます。なににも迎合しない生き方が、そこにも貫かれているようです。

自分の気に入ったものに囲まれ、それらを愛おしみながら丁寧に暮らしてこられた日々の様子が、どのページにも溢れています。そんなご自身の半生を「中身が薄くて粗末で、小さな瓶に入ってしまうほどしかない」と語られ、それがタイトルの由来となったようです。まったくもってご謙遜。そうであるなら、それはあまりに素敵な「瓶の中」です。

いつからか、私の心の中に、もう一つ、瓶が現れました。今度は少し底が広くて、口が大きめ。透明です。中にはクリスタルガラスのようなカラフルな欠片が入っています。私の大切なものたち…、人だったり、物だったり、時間だったり、記憶だったり。そうした一つ一つが、赤や黄、青、緑、とりどりになって輝いています。

お気に入りのものを見つけると、また一つ、瓶の中にカラカラ。楽しいことがあると、また一つカラカラ。瓶の中は少しずつ増え、輝きを増していきます。

そういえば幼い頃、空になったクッキーの缶や箱に、ビーズや千代紙、どこで拾ってきたのか綺麗な石や貝殻を入れては、大事にしまっていたことがあります。ガラクタみたいのものでも、自分にとっては宝物。眺めては、ひとり遊びするのが好きな子供でした。今でもあまり成長していないような(笑)。

私には手に入れられないもの、ひとが持っているものばかりが、輝いて見えることがあります。そんな思いに駆られる夜など、この本を開いてみます。パラパラとページを繰っていると、こんな声が聞こえてくるような。

あなたの「瓶の中」をよく見てごらん。

一人に一つ、心の中に瓶があり、それぞれの彩りと輝きを放っているのかも。ほかの誰でもない、自分の瓶を大切に胸に抱いて暮らしていくこと。それが大事なんだなぁ。そんなことを思うこのごろです。

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