平袋
店のこと
2024年08月10日
もう手に取ってくださった方もおられるでしょうか? このたび平袋をリニューアルいたしました。
従来の平袋は、開店の際に、もともとあった包装紙の絵柄をアレンジして作ったものです。
ちょうど着物の小紋のようなイメージで「京都らしくていいね」と仰っていただくことも多く。私もとても気に入って使ってきました。
そんな慣れ親しんだ平袋をリニューアルするというのはかなり勇気のいることでしたが、実は私の中に温めていた夢がありました。
数年前まで、店の近くに銅駝美術工芸高校という美術系の高校があり、2年生が課題としてパッケージを作りに来てくれるのが恒例となっていました。
それぞれに瑞々しい感性で取り組み、その完成までの工程を眺めるのはとても楽しいものでした。
ある年、珍しいことに試作品をくれた女の子がいました。素晴らしい出来栄えに思わず褒めちぎったのですが、当の本人はひょうひょうとしていたのを覚えています。
私はそれを大切に引き出しにしまい、時々取り出しては惚れ惚れと眺め。いつかうちの平袋にできないかと夢見るように。
今年は開店から12周年。いわゆる一巡という節目に、思い切ってこの夢を実現させよう! そう思い立った次第です。
早速かつての資料を引っ張り出すも、高校は移転してしまい。校名も変わり。私自身の記憶もおぼろげで。
果たして彼女にたどり着けるものやら。たどり着けたとして、そんな申し出を受け入れてもらえるものやら。
雲をつかむような話ですが、この素敵なデザインで、ほかのどこにもないパッケージを作りたい! その一念でした。
あれこれ手を尽くすなか、ダメもとで送ったメールが思いがけず本人に届き。返信をもらった時は飛び上がる思いでした。
その女の子というのは深谷はるのちゃん。幸いなことに今も京都在住で、早速、店に来てくれました。
6年ぶりの再会、当時の面影を残しつつも、すっかり大人になっていたのは当然のことでしょうか。
今では本物のデザイナーになっていて、彼女がパッケージをデザインした商品が有名なショップに並んでいるとのこと。
高校生の時の夢をしっかり実現させていることに驚くと共に、先見の明のあった自分に感心したりなんかして(笑)。
というわけで、行方知らずだったデータを探し出すや、印刷までの作業をスラスラとこなしてくれました。
そうして完成したのが写真の3種類の平袋です。繊細なタッチ、うまく伝わっているでしょうか?
和風の落ち着きと、ヨーロッパ調の軽やかでお洒落な雰囲気が絶妙のバランス…。
高校生とはとても思えない大人びたデザインは、1枚ずつでも素敵ですが、並べるとさらに素敵です。
お蔭様でお客様にも好評のようで、なにより私自身が平袋を見てはとても幸せな気持ちになっています。
店は人なり。よく言われることです。
ならば、店を自分が素敵と思うもので満たしてみる。
それこそが魅力ある店作りというものなんじゃないか。
新しい平袋を眺めながら、そんなことを思うこのごろです。。
完成までにご尽力くださった皆様、私の夢を叶えてくれた深谷はるのちゃん、本当にありがとうございました!
この平袋が一人でも多くのお客様の手元に届きますように。どうぞよろしくお願いします。
Woman‘‘Wの悲劇‘‘より
アートなこと
2024年07月04日
前回のブログで薬師丸ひろ子さんのファンになったことを書きました。(ブログ薬師丸ひろ子さんのこと)
改めてCDを聴いてみると、聴き覚えのある曲ばかり。これも? これも?という感じで驚いてしまいます。演技と歌、まさに二刀流で第一線を駆け抜けてこられた方だったんですね。
なかでもひときわ心惹かれる曲があります。
「Woman‘‘Wの悲劇‘‘より」
松本隆さん作詞、松任谷由実さん作曲による、映画「Wの悲劇」のテーマ曲です。まずは歌詞を紹介します。
もう行かないで そばにいて
窓のそばで腕を組んで
雪のような星が降るわ
素敵ね
もう愛せないと言うのなら
友だちでもかまわないわ
強がってもふるえるのよ
声が…
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に
降りつもるわ星の破片(かけら)
もう一瞬で燃え尽きて
あとは灰になってもいい
わがままだと叱らないで
今は…
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
やさしい眼で見つめ返す
二人きりの星降る町
行かないで そばにいて
おとなしくしてるから
せめて朝の陽が射すまで
ここにいて 眠り顔を
見ていたいの
美しくも怖い情景がありありと浮かびます。
女性としてはなかなかに切ない状況ながら、惨めさがまったく感じられず。もはや愛憎を超越したかのような、静かな精神世界…。
聴くほどにに引き込まれていきます。
ここは地上なのか、天上なのか。
女性は聖女なのか、悪女なのか。
女性が朝の陽が射すまで見ていたいと願う男性の顔は、本当にただ眠っているだけなのか。
もしや…。
女性は雪か氷の化身だったりして。
いろんな想像が膨らみます。
なかでも驚いてしまった一節があります。
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
諦観、というのでしょうか。まるで悟りの境地のよう。
私はいつもオールを両手でしっかと握りしめ、流れに乗ったり、抗ったり。非力ながらも自分なりに懸命にオールをさばきながら生きてきたと思っていました。
そのオールがない、って。
愕然としながらも、改めて振り返ってみると…。
握りしめていたと思っていたオールは、実は私の手の中になどなく。
自分で操作していたと思っていた河の流れに、ただ流されていただけだったのかも。
なんて思えてきたりして。
私もそろそろ幻のオールを投げ捨てて、潔く流れに身を任せてみようかな。
この短い一節で、いろんな思いが巡ります。
薬師丸ひろ子さん自身、何度歌っても、納得のいくことのない難しい曲と話されています。その時々の解釈で真摯に向き合われてきたのでしょう。
さらに年齢を重ねるごとに、どんな風に歌っていかれるのか。70歳になられた薬師丸ひろ子さんが歌われる「Womann"Wの悲劇”より」を聴いてみたいものです。
そしてそれを聴いた私はまたどんな風に思うのか。自分のことながら興味深い…。
作詞家、作曲家、歌手、お三人の才能が結集した名曲。皆様も改めてお聴きになられてはいかがでしょう。
薬師丸ひろ子さんのこと
素敵な女性
2024年05月23日
以前は特に気に留めなかったのに、最近になって好きになり始めた芸能人…。って、皆さん、おありではないでしょうか?
若い頃とはまた違った魅力が際立ってこられたとか。自分も年齢を重ねて、魅力を感じる部分が変わってきたとか。おもしろいものだなぁと思うのですが…。
私はただ今、薬師丸ひろ子さんがそういう存在です!
10代の頃から第一線を走り続けておられる大女優さんであり、ヒット曲をたくさんお持ちの歌手でもあり。今さら失礼千万なことですが。
きっかけは少し前に観た映画「川っぺりムコリッタ」だったかもしれません。「かもめ食堂」以来ファンの荻上直子監督の作品は毎回観ることにしているのですが、これもその一つでした。(ブログかもめ食堂 かもめ食堂2)
その中にとても印象深いシーンがあります。
松山ケンイチさん演じる不遇な生い立ちの主人公の青年が、幼い頃に生き別れ、孤独死した父親の遺品として携帯電話を引き取ります。
その発信履歴に何度か出てくる番号が気にかかるも、本人は携帯電話を所有することも叶わない境遇。そこで公衆電話から恐る恐るかけてみると…。
「いのちの電話です」という女性の声。
戸惑いながらも二言三言交わし。そして、なにかしら腑に落ちるものを感じた様子で、静かに受話器を置く…。
声だけのほんのわずかな出演時間ながら、ただならぬ存在感。一体どなただったんだろうと思っていたところ、エンドロールで薬師丸ひろ子さんのお名前を見つけ、至極、納得したことを覚えています。
その後、NHKの歌番組「SONGS」や「COVERS」で、薬師丸ひろ子さんの特集を見る機会が続き。改めて、透明感のある歌声に魅了されてしまいました。
歌と共に心惹かれたのがインタビューです。背筋をしゃんと伸ばし、終始やさしい微笑みをたたえ、司会の方の質問に一つ一つ言葉を選びながら丁寧に答えられる。その佇まいがとても美しく、誠実に感じられました。
抑揚のある話し声が、歌う時とはまた違って魅力的です。
決して多くを語られるわけではないのに、どんなに真摯な思いでお芝居と歌に取り組んでこられたかが垣間見えるお話しぶり。聡明さと表現力に惹き込まれてしまいました。
ご自分が大切にされていること。その優先順位をきちんと理解されていて、どんな過酷な状況でもブレルことはなく。それはそのまま生きる姿勢のようでもあり。
一連の立ち居振る舞い、声、発せられる言葉…。すべてに薬師丸ひろ子さんの持つ品格が表れているのだと思わずにいられません。美しい人にはちゃんと裏付けがあり、その裏付けが表に表れるということでしょうか。
これぞ「ひととなり」。
芸能界には年齢を重ねてなお綺麗な方はたくさんおられます。そのなかにあって、薬師丸ひろ子さんの自然な、内面から醸し出される美しさは格別ではないでしょうか。
今になって心惹かれるようになったわけは、そんなところにあるように思います。
これらの番組をたまたまビデオに撮っていたのですが、実のところ、もう何度も見ています。
次、どう答えられるか。次、ころころと笑われるぞ。なんてわかっていてもまた見たくなる。夕食後のほっこりした時間が多いのですが、見ているうちに、一日の疲れが取れ、心地いい境地にいる自分を感じます。
思うに、心のこもった声で真実の言葉が語られるのを聞くこと。それ自体にひとを癒す効果があるんじゃないか。
先の映画で、困惑の中にいる主人公が、二言三言の会話から感じ取ったものも、こうしたものだったのではなかったかと推察します。
いのちの電話のみならず、こんな人がそばにいてくれたらいいな。そして…、誰かにとって、こんな人になれたらいいな。なんて思ったりして。
というわけで、今さらながら(!)ファンになり、CDを聴く毎日。これまで出演された映画も、時間を見つけては観ていきたいと思うこのごろです。
セルフケアリング
心と体のこと
2024年04月17日
最近、興味深く読んだコラムがあります。昨年の9月4日から始まった京都新聞の連載「普段づかいのセルフケアリング」です。
執筆者は安達茉莉子さん。可愛らしい絵が添えられていると思ったら、言葉とイラストによる作品を制作される方のようです。
初回からその内容にとても心惹かれ、折に触れ読み返せるようにと、ファイルしていくことに決めました。
セルフケアという言葉はよく耳にします。心身の健康を保つために、自分自身で予防、対処すること、とでもいいましょうか。厚生労働省のホームページでも紹介されていて、広く認知されている言葉のようです。
このコラムではタイトルの通り、普段づかいできるセルフケアの方法が書かれているのですが、私のために書いてくださっているのかと思うことばかり。そんなわけはないでしょうが(笑)。
誰の心の中にもある思い、ということなのかもしれません。私なりの理解ということにはなりますが、ぜひ紹介させていただきたいと思います。
私はセルフケアを普段づかいにしている。それは良い香りの入浴剤を入れたお風呂に浸かったり、マッサージに行ったりするという意味ではない。誰かから預かった小さな子供や猫のように注意を向け、自分のことを大事にしてあげるのだ。(抜粋)
私も心身が疲れた時に部屋でお香を焚いたり、コロナ前にはマッサージにも通ったものです。そうして自分を大事にした気になっていました。
ところが、真のセルフケアはそんな甘っちょろいものではないと、まずくぎを刺された思いでした。
愛をもって自分自身を注視することを私はセルフケアリングと呼んでいる。どんな自分も丸ごと認め、都合の悪い本音も受け入れる。快・不快・小さな欲求や違和感を、取るに足らないことだと否定しない。自分を、大事にされるべきひとりの存在として扱う。(抜粋)
快、不快、小さな欲求や違和感…。思えば、日常はこうした感情の連続で成り立っているのかもしれません。時に、自分でも受け入れ難く、封じ込めてしまったり。忙しさにかまけて、ないがしろにすることも。
自分の中に沸き立つものは、取りも直さず私自身。決して否定せず、そんな自分を、大事にされるべきひとりの存在として扱う。それこそが真のセルフケアとのこと。まったくもって、目からウロコでした。
安達さんがしんどいと思う時に実践されている方法が、毎回とてもわかりやすく書かれています。例えば…。
寝そべって目をつむり、ダムの水が一滴一滴たまっていくイメージをする。
机の前に座り、ノートを広げ、思い浮かぶ言葉をそのまま書いていく。
自分に向かって優しい言葉を、声を出してかけてみる。
……
全てをお伝えしきれないのが残念ですが、どれもすぐにできそうなことばかりです。
なかでも私がとても興味を惹かれたのが、安達さんがツールとして活用されているという「マインドフルネス」を生かした方法でした。
マインドフルネスは、今、この瞬間、自分が経験していることに対して一切の判断をせず、ただありのままの状態を受け入れることだ。習慣化することで、思考が回り続ける状態を脱し、不安や後悔にとらわれることから解放される効果があるという。(抜粋)
ただありのままの状態を受け入れる…。とても難しいことです。無意識のうちに絶えずなにかしら判断をし、しかも、その判断というのがくせもので。
ああでもない、こうでもないと考え込んでいるうちに思考がぐるぐる回り続け。そこにはたいてい不安や後悔がついてまわり。
そして、考えに考えた挙句、答えが出たかというと…。結局、またスタートラインに立っている自分に気づき愕然! なんてことしばしばです。
そこで、安達さん流マインドフルネスの方法がこちらです。
不安を感じたら、マインドフルネス!と心で唱え、呼吸やその場の香り、目の前のことに意識を戻す。今この瞬間に問題は起こっていない。不安は想像の産物で幻なのだ。(抜粋)
早速やってみると、今、ここにいる自分をただ感じることができ、とても静かな気持ちになれました。
そうそういつも大問題が起こっているわけではなく、どれだけ想像の中の不安にとらわれていたか。無駄に心身を消耗させていたか。そのことに気付かされます。
以来、不安が心をよぎる時、すぐに実践するようにしています。そして、それに合わせて、こんな言葉を自分に掛けてみます。
私は私に愛されていて、どんなに他人からがっかりされても、私だけは私の味方でいる。どんな自分でも、私は私を見捨てない。(抜粋)
このコラムの中で繰り返し出てくる、セルフケアの根幹を成す言葉です。そう自分に言ってみるだけで、根拠なく安心できるから不思議です。
そして、12回にわたるコラムはこんな文章で締めくくられています。
まずは自分で底なしの沼をならし、愛を注いでいく。家に来た子猫にやさしくするように自分にやさしくする。そして溢れたものを周りに与え、支え合っていけばいい。自分と出会うのに、遅すぎることはないのだ。(抜粋)
自分にやさしくできて、周りにもやさしくなれて。そうして、やさしさ溢れる世の中になっていく…。なんて素敵なことでしょう。
私もぜひ実践していきたいと思います。安達茉莉子さん、ありがとうございました!
誤解を生じないよう、京都新聞に掲載された原文の一部を抜粋する形で紹介させていただきました。ご了承のほどよろしくお願いします。
角野栄子さんのこと
素敵な女性
2024年03月08日
少し前のことになりますが、素敵な映画を観ました。「カラフルな魔女」。映画「魔女の宅急便」の原作者として有名な児童文学者、角野栄子さんのドキュメンタリー映画です。
角野栄子さんというお名前を知ってはいましたが、よくは存じ上げませんでした。それが、たまたまつけたテレビのドキュメンタリー番組で初めてお姿を拝見し、驚いてしまいました。
こんな女性、見たことない!
まるでおもちゃ箱から抜け出たようなカラフルで愛らしい装い。それがよくお似合いで。当時、既に80代になられていたでしょうか。とてもそうは思えない若々しさです。
ファッション、ライフスタイル、人生観…。すべてが素敵で、たちまちファンになってしまいました。
その番組をもとに最新の角野さんの日常を追ったドキュメンタリー映画とのこと。これはもう観ないわけにいきません。
映画が始まるや、画面が切り替わるたびに、色鮮やかな装いで登場する角野さん。タイトルの通り「カラフルな魔女」さながら、まるで絵本のページをめくるよう。
「色」というものが大好きな私は、それだけでもう楽しくてたまらない(ブログ 色)。
ちなみに、イメージカラーのピンクは、角野さん曰く「いちご色」なのだとか。なんて美味しそうな色でしょう。
よく食べ、よく歩き、よく働き、お喋りがまたお茶目でテンポよく。最後にはハッハッハッとご自身で笑ってオチとなる。
例えば、食事の支度が面倒な時の簡単料理の紹介では…。
「冷凍ご飯にバターをのせて醤油をかけて。バタバタっと作っちゃう、これぞバタバタバターライス!」てな具合。
私もつられて考えました。「冷凍ご飯に納豆をのせて、めかぶをかけて。これぞネバネバ、ネバーランドごはん!」。私の定番簡単料理です。いかがでしょう?(笑)
「自分にとって気持ちがいいこと。それが基準」そう話される角野さん。仕事も、プライベートも、ご機嫌で暮らせる秘訣のようです。
6歳の時に太平洋戦争勃発。10歳で迎えられた終戦。その時、自由というものがどんなに素晴らしいものかを体感され、
(これからは、人と違っていていいから自分がなりたい大人になろう)
そう心に誓われたとのこと。
自由な時代に生きているはずの私たち。なのに、なにか不自由で、人と違っていることを恐れてしまいがち。どうしたら角野さんのように自由でいられるのでしょう。
角野さんのデビュー作は35歳の時に書かれた「ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて」です。
結婚後に渡られたブラジルで出会ったルイジンニョ少年。慣れない異国で戸惑う角野さんは、この少年を通して、ブラジルの暮らしや国民性を知っていかれたようです。
忘れられない思い出として、こんなエピソードが紹介されます。
カーニバルの日。人々は音楽に合わせてサンバを踊っています。ルイジンニョ少年が角野さんにも踊れ、踊れと言いますが、角野さんは恥ずかしくて踊れないと首を振る。すると…。
「Eiko、コラソンがあるだろう?」とルイジンニョ少年。『コラソン』とは『心(ハート)』のこと。
「コラソンのビート(音)は僕のもEikoのも同じだろ? だったら、僕が踊れるんだからEikoが踊れないということはない」と。
この時、ハッとされたという角野さん。
2018年に「国際アンデルセン賞 作家賞」を受賞された時のスピーチでも、このエピソードを語られたそうです。
ルイジンニョ少年が角野さんにとってどんなにかけがえのない存在だったか。この言葉をどんなに大切に生きてこられたか。思うだけで胸が熱くなります。
今回の映画のクライマックスは、75歳になったルイジンニョ氏の来日。それまで音信不通だった彼との62年ぶりの再会です。観ている私もドキドキです。
「思い出っていうのは過去のことですよね。でもそれが未来で待っている」
病を克服して来日されたルイジンニョ氏との奇跡とも思える再会を、そんな風に語られる角野さん。
「Eiko、ありがとう。本当にありがとう。また来るよ。本当だよ。また来るから」
別れの時、そう言って、角野さんをハグするルイジンニョ氏。
いつも笑顔の角野さんが思わず涙される姿に、私も涙がこみ上げました。
「魔法とはその人の喜び。喜びを見つけること。だから誰にでもひとつだけは魔法はある」
カラフルな魔女からのメッセージです。
自分を自由にするのも、不自由にするのも、自分次第。ルイジンニョ少年の言葉の通り、コラソン(心)のビートのままに、踊るように生きていきたい。私にひとつだけの魔法を見つけて。
うん、私も魔女になれそうだ!