懸命に生きてます

お友達のこと

2022年02月03日

懸命に生きてます

皆さん、友達って何人ぐらいおられるものなのでしょう? たぶん私は多い方ではないと思うのですが、とてもいい友達に恵まれていると思っています。

そんななかの一人、横浜在住のみさこさん。私より10歳くらい年長の女性です。

十数年前に、東京でひょんなことがきっかけで知り合ったのですが、お互いなにか引き合うものがあったのでしょう。会ったその日に、たちまち意気投合してしまいました。

知り合って数年は、互いに京都と横浜を行き来しながら、一緒に観光を楽しんだものです。なにぶん遠方のこと、回数は数えるほどですが、共に過ごした時間はとても濃密なものだったように思います。

なかでも箱根の富士屋ホテルでのひとときは、忘れ難い思い出です。(ブログ富士屋ホテルの紅葉

ひとり、夢に向かって努力し続ける生活を送る彼女。大変なこともあるかと思うのですが、楽しさの方が勝る様子。なにに対しても好奇心いっぱいで、いつも活き活きとした笑顔を絶やしません。

ものを書くひとなので、言葉をとても大切にしていて、上っ面だけの言葉など決して使うことがなく。私に対しても、時に苦言を呈してくれる厳しさもありました。

ちょうど10年前、彼女が観光で京都に来た時。私が店を始める直前のことでした。

彼女はご友人と一緒だったため、長い時間は取れず。私も開店準備に忙殺されていて、まったく余裕なく。

なんとか調整して、彼女が観光を終えてホテルに戻った夕刻。食事に出かけるまでの小一時間、ロビーで会うことができました。

私は開店準備の忙しさと、噴出する問題に疲弊し切っていて、対面を喜ぶ余裕などなく。限られた時間のこと、募る不安を堰を切ったように話したことを覚えています。

彼女はひと通り聞いたあと、いつもの満面の笑顔でひと言…。

「あなたがやりなさい!」

文句を言っている間に、自分でやりなさい。ということだったのでしょう。あまりに潔いアドバイスに、返す言葉がありませんでした。

以来、折りに触れては思い出し、私を叱咤激励してきてくれたこの言葉。厳しくも、温かい、なによりのはなむけの言葉となりました。

志を立てるや、決して言い訳などせず、自分を律し、自分に責任を持ち、これまで生きてきた彼女。その彼女ならではの言葉だったのだと、今改めて思います。

期せずして、会ったのはそれが最後となりました。以来、お互い旅行もままならない身となり、すっかりご無沙汰に。そんな今も、互いの誕生日にはお祝いのメッセージを贈り合っています。

先だって、1月の彼女の誕生日に送ったラインの返信には、今も夢に向かって勉強の様子がありありと見て取れました。そして、こんな言葉で締めくくられていました。

「ちっとも結果は出ませんが、懸命に生きています」

胸に迫りました。

言葉をとても大切にする、その彼女の言う「懸命」がどんなものか…。きっと私の想像をはるかに超えているんだろう。そう思いながら何度も読み返しました。そして自分に問いかけます。

私は懸命に生きてる?

否! 自分では懸命に生きていると思っていたけれど、彼女のこの言葉の前に、恥ずかしくなってしまいました。懸命に生きる余地が、まだまだいっぱいありそうです。

今度、彼女に会った時、私も懸命に生きてます! そう胸を張って言えるよう、しっかり生きていこう。

そんなことを思った1月も終わり、早2月。気を引き締めているこのごろです。

青春の詩

アートなこと

2021年11月14日

青春

今回はなんだか青臭いタイトルになりました(笑)。少しお付き合いください。

いよいよコロナ禍が始まろうという2020年2月、神戸県立美術館にゴッホ展を観に行った時のことを以前のブログで書きました。(ブログ ゴッホ展

その鑑賞後のことが最近しきりに思い出され、続きを書いてみたくなった次第です。

あの日、ゴッホの絵に興奮冷めやらぬ私に、友人が見せたいものがあると言って、屋外に誘い出してくれました。すぐ外が海べりで気持ちのいいこと。そこに突如、巨大な青いリンゴが現れました。

アメリカの詩人サミュエル・ウルマンが70代で書いたという「青春の詩」から、建築家、安藤忠雄氏がオブジェを着想したとのこと。そばにその詩が添えてあり、これを私に読んでほしかったのだと彼女。

青春とは人生のある時期を言うのではなく 心のありようを言うのだ

こんな書き出しで始まる長い詩は、これでもかと言うほどの手厳しい言葉の羅列。難しい漢字や、聞いたことのない言葉もあり難解でした。

分かりやすい部分の一部を抜粋すると…。

 

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

 

友人というのは写真をやっている一恵ちゃん。このブログでも何度も書いていますが、真に自分が表現したいものを追及する姿には、いつも驚きと尊敬を感じている私です(ブログ一恵ちゃん2)。

エネルギーほとばしる詩を読みながら、彼女はこんな心もちで写真に対峙しているのだなぁと想像しました。

そんな思いを私と共有したいと、誘い出してくれたのでしょう。彼女の気持ちはとてもうれしかったのですが、正直なところ、詩のあまりの激しさに縮み上がってしまいました。ふがいない友人で申し訳ない。

そんな名カメラマンに、失礼にも私のスマホを渡して、記念に撮ってもらったのが上記の写真です。

「青空だったらもっと綺麗な写真になったのにね」と残念そうな私に…。

「ただ綺麗なだけの写真なら青空の方がいいかもしれないけれど、この空にはこの空だからこそ生まれる味わいがある」と彼女。

改めて見てみると、なるほど、確かに、確かに。陰鬱そうな雲の向こうに覗く晴れ間。そんな空の下に置かれた、いかにも酸っぱそうな巨大な青リンゴ…。

スリリングなドラマを暗示するようで、なかなかに味わい深い(笑)。

さすが写真をやっている彼女ならではの視点。その感性に改めて感心してしまいました。そして、ちょっと残念だった写真が、たちまちお気に入りの一枚に!

ところで、私自身のいわゆる青春時代を思い返してみると…。大きな挫折や失敗もなかったかわりに、なにかに打ち込み、達成したということもないような。

サミュエル・ウルマンの詩によるなら、とうてい青春とは言えないかもしれません。

それが一転、店を始めてからというもの、ひたすら運営に打ち込む毎日。うまくいくこともあれば、いかないことも数知れず。今なお模索ばかりで、いったい私はなにをやっているんだかと途方に暮れることも。

それでも、いつも心に浮かぶのは「明日、店を開けなくっちゃ!」という思いでした。

オブジェに寄せて安藤忠雄氏はこう語っています。

 

目指すは甘く実った赤いリンゴではない

未熟で酸っぱくとも 明日への希望へ

満ち溢れた青リンゴの精神

 

こんな私だけれど、今こそ青春? まさに青春? 店を始めてからの日々が、私にとって遅ればせながらの青春かもしれません。

二人の巨匠の言葉に刺激を受けた一日でしたが、実のところ私の心に一番残っているのは…。

この空にはこの空だからこそ生まれる味わいがある

そう言ってくれた一恵ちゃんの言葉でした。

雲と晴れ間が織りなす空を味わいながら、これからも進んでいこう。未熟で酸っぱい青りんごを携えて。改めて写真を眺めながら、そんなことを思うこのごろです。

彼女の撮ってくれる写真は、私の内奥が映し出され、時に予言的なものを感じることがあります(ブログ竹中大工道具館)。今回もやっぱりそうだったもようです。

詩の全文は以下からご覧ください。

Microsoft Word - 青春の詩.doc (waseda.jp)

竹中大工道具館

お友達のこと

2021年01月18日

竹中大工道具館

新年の御挨拶がすっかり遅くなりました。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、新しい年が始動しましたが、コロナ禍は収まるどころか、さらに深刻な様相。関東に続き、関西にも緊急事態宣言が出され、まだまだ先は見えそうにありません。

明けない夜はない…。最近よく耳にする言葉です。確かにそうだと思いつつも、未曽有の事態がこうも長引くと、気休めにしか思えないことも。それでもなにかしら希望をつなぎながら、日々を過ごしていきたい。そう願うばかりのこのごろです。

さて、冒頭の写真は私です。新年最初のブログにお恥ずかしい限りですが、敢えて、敢えて、載せました(汗)。といいますのも…。

このブログでも何度か書いている神戸の友人、写真家の一恵ちゃん(ブログ感性 ブログ一恵ちゃん2)。コロナ禍でなかなか会えずにいましたが、第2波が落ち着いてきた昨年11月にやっと会うことができました。

行先をどうしようという話になった時、彼女が一番に挙げたのが神戸にある「竹中大工道具館」でした。竹中工務店さんが建てられたという、日本で唯一の大工道具を展示した博物館とのことです。

「変わってる~」と思いつつ(笑)、彼女の誕生月ということで、私はお付き合いのつもりで出かけて行きました。

思えば、昨年2月にやはり彼女と出かけたゴッホ展以来(ブログゴッホ展)、店と自宅の往復のみの毎日。本当に久しぶりの外出です。

電車に揺られ車窓を眺めながら、この間、いろんなことがあったなぁ。なんて考えていると、急に涙がぽろぽろ流れてきました。どうしたことかと自分にビックリ! 慌ててマスクを外して涙をふくも、マスクをつけた途端にまた涙。また外して、またつけて…。

無我夢中過ぎて自覚していなかったけれど、張り詰めた思いで暮らしていたんだなぁと、しみじみ。

電車が着く頃には涙も止まり、久しぶりの再会にあとは笑顔、笑顔。「竹中大工道具館」では、素晴らしい職人技を目の当たりにして、二人して盛り上がる盛り上がる。やっぱり感性の似ている私たちでした(笑)。

鑑賞後、館内の庭でひと休み。11月とは思えない暖かな日で、置かれた椅子に座っていると、まるで縁側の日向ぼっこのよう。茶室を背景にした木を見上げると、その先にそれはそれは綺麗な青空…。

本当に気持ちよくて、これまでの緊張が一気に解けていくようでした。がんばっていれば、こんな日が来るんだ…。ご褒美をもらったようなうれしさも。そんな私の姿を一恵ちゃんが写真に収めてくれたのでした。

自分の作品では人物は撮らない彼女ですが、贅沢にも友達特典で、一緒に出掛けた時にはよく撮ってもらいます。知らない間に撮ってくれていることもあるのですが、これが、私 ? ! って驚くことがよくあります。

なんていうか、私の知らない私のような。私の内面にいる、もう一人の私のような。

この写真もそうでした。私はなにを見上げているんだろう。うれしそうに笑みを浮かべたりなんかして…。

自分のことなのに、木と空を見上げていることを知っているはずなのに、あれこれ想像をしてしまいます。

この視線の先には、こうありたいと願う未来が実現した、その様を見ているんじゃないか。だからこんなにもうれしそう…。何度見ても、そんな気がしてなりません。

対象の本質を見抜き、一瞬を逃さない写真家ならではの目線と共に、私のことをよくよく知ってくれている彼女だからこそ撮れた写真だったのだと思います。

ありがとう。

必ずや今回のコロナ第3波も収まり、はたまた私の人生の大波小波も収まり、この視線の先にあるような明るい未来がきっと来る! 根拠なくそんな希望が湧いてくる不思議な写真。お気に入りの一枚です。

期待せずに出かけた「竹中大工博物館」。予想外に思い出深い場所となりました。実直な仕事をしてこられた職人さんたちの魂の宿る場所。そんな場所の持つパワーがもたらしてくれた豊かな時間だったのかもしれません。

このあと昼食に出かけた近くのホテルのレストラン街は、閉められている店も多く、たちまち胸ふさぐ思いでした。現実は想像を超えて過酷です。

それでも前に進んでいこう。

一年最初のブログ。かなり無理くりですが、希望を謳ってみました。その心意気に免じて、お恥ずかしい写真もご容赦を。皆様、くれぐれもご用心のうえお過ごしください。

感性

お友達のこと

2019年03月30日

店を始めてよかったと思うことは数えきれないくらいあるのですが、一方で、ちょっと残念に思うことも少しばかり。

その一つが、友人と会う時間を持てなくなったことです。なかでも、遠方の友人や仕事を持っている友人と会うのは特に難しく、つい疎遠になりがちです。

そんな友人の一人が、このブログでも何度か紹介している一恵ちゃん。店に飾っている写真を撮ってくれているカメラマンです(ブログ一恵ちゃん 一恵ちゃん2)。

京都と神戸、近いと言えば近いのですが、休みが合わなかったり、所用が続いたり。いつからか互いの誕生日プレゼントを交換するようになったのですが、渡せるのはいつも何カ月かのち。それでもプレゼントを渡すことが、なんとかして予定を調整する原動力になっています。

私の誕生月は1月。早くプレゼントを渡したい、というラブコールをもらいながら、早3月。3月も既に予定が詰まっていて、これはもう4月に突入か、と思ったある朝…。店に着いてメールを開くと、「今から行くね!」のメッセージが届いていました。

えぇ~!!! 

休みが合わないなら店に直接、と思ってくれたのでしょう。あまりのサプライズに、朝からそわそわ。まもなく現れた彼女に、思わず抱擁の対面となりました。さっそく手渡されたプレゼントを開けてみると…。

現れたのは上の写真。一枚目のマニキュアの絵柄にまず絶叫してしまいました。一枚めくって、また絶叫。さらにめくって、また絶叫。計四枚、10cm角の小皿が組みとなって収められていました。斬新な配色。エキセントリックな構図。なんて刺激的で、魅力的。鳥肌が立つくらい、一目で気に入ってしまいました。

写真をやっている彼女の感性はいつも研ぎ澄まされていて、一緒にいると驚かされることばかりです。その彼女が「ひろみちゃん(私です)のプレゼントはこれしかない!」と一目惚れで選んでくれたのだとか。私の好みをピンポイントで突いてくる、彼女の感性はやっぱり凄かった。

大騒ぎのあと抜け出して一緒にランチ、といけば最高なのですが、そうもいかず。ならばと、前から食べたいと思っていた、ご近所「シェ・ラ・メール」さんの苺サンドを買ってきて、店奥で事務室ランチとなりました。大粒の苺が丸ごと挟まれた、驚きの見た目と美味しさに、これはこれで大盛り上がり。一緒にいると、なにをしていても楽しい二人です。

接客と電話の合間にマシンガントーク。とにもかくにも互いの近況を確認し合って、名残を惜しみながらお別れとなりました。

彼女が帰ったあとも興奮冷めやらず、絵皿を飽かず眺めていました。

彼女とはいつも、思いや好みを素直に語り合い、お互い固有の感性を尊重し合ってきました。だからこそ、私の好みにドンぴしゃのものを選んでくれたのだと思います。だとしたら、このプレゼントはまさに私の感性そのもの…。

ふと、自分の内にある「感性」というものを、彼女が取り出して、形にして見せてくれた気がしました。あなたの感性はこんな感じだよ、ってニコニコして。

自分を俯瞰して眺めているような、不思議な感覚に陥りながら、こんな思いが溢れてきました。

感性って、心の中に誰もが持っている原石のようなものなんじゃないか。生まれた時に、一人に一つずつ、神様があてがってくださるギフト。一人として同じものはなくて、どれもがたった一つの宝物…。

子供の頃から、自分はひとと違っているという感覚がいつもありました。良いことにつけ、悪いことにつけ、人一倍、感じ過ぎてしまうような。ひとから「豊か」と言われることもある自分の感性を、時に持て余しながら付き合ってきた気がします。

絵皿を眺めながら、こういう物を好きな自分、こういう感性の自分っていいな…。初めて、そう思いました。私だけの原石、磨くのは自分自身。輝かせるのも、鈍らせるのも自分次第。大切に守っていかなくちゃ。

絵皿はもとより、そう気づかせてくれたことが、なによりのプレゼントとなりました。彼女には感謝の思いでいっぱいです。

その日はうれし過ぎて、はしゃぎ過ぎて、熱が出そうでした。子供かぁ、って自分にツッコミを入れながら、そんな子供みたいな感性もまた大切にしていきたいな。そんなことを思った夜でした。

こんな私でありますが、今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

一恵ちゃん 2

お友達のこと

2017年04月27日

今年の京都は桜の開花が遅く、開花後も肌寒い日が続いたため、例年になく長くお花見を楽しめた春でした。皆様は、どのような春を迎えておられるでしょうか。

「しののめ寺町」の壁に掛けられた写真も、この季節は桜。5年前の開店の年に、友人が自ら撮っては、四季に合わせて贈ってくれたものです。カメラマンは「一恵ちゃん」。アマチュアながら受賞経験豊富な実力者。私と同い年の女性です。モノクロが得意なのですが、店が明るくなるようにと、珍しくカラーで仕上げてくれました(ブログめぐる季節のなかで)。

彼女のグループ展が神戸であるということで、先日、出かけてきました。お互い仕事でなかなか会えず、その日もわずかな時間だけ。それでも、だからこそ、目いっぱい楽しい時間を過ごしてきました。

彼女と初めて会ったのは、もう十数年前、当時、通っていたテニスコートでした。といっても、いつもすれ違い。ある時、ふとしたきっかけで始めた立ち話が、とてつもない長話に(笑)。波長が合うというのは、こういうことなのでしょうか。さっそくランチの約束を。

数日後、気楽なレストランでの初めての会食。まず出てきたオードブルが、カラフルな野菜で彩られた一皿でした。グラスには冷えた水が。よく晴れた昼下がり、たっぷりの光が窓から射しこんでいました。

さぁ食べよう、という時に…。写真に熱中しているという彼女。食べるのはそっちのけで、お皿を傾け、グラスを掲げ、光の当たり具合を私に見せながら、写真には光がどんなに重要かを語り始めました。すると野菜はますます色鮮やかに、グラスについた水滴は煌めきを放って見えてきました。

子育て中だった頃のこと。同じくらいの年齢の女性との話題は、どうしても子供のこと、家庭内のあれこれになりがちでした。こんな話を、こんなにも一生懸命にするひとがいる…。正直なところ、主婦トークがちょっと苦手な私。驚きと感動の入り混じった思いで、目をキラキラと輝かせて語る彼女の顔に見入っていました。

ようやく話が一段落したところで、「こんな話をするひと、初めて!」と吹き出す私に、「こんな話をひとにしたの、初めて!」と吹き出す彼女。二人で大笑いしたあと、やっと食事が始まりました(笑)。

こうして仲良くなった私たち。彼女が出品する写真展には、出来る限り足を運ぶようになりました。「きれい」とか「素敵」とか、そんな言葉では表し切れない彼女の写真。ぞわぞわと掻き立てられるものがあり、見るたびに新境地を拓いていく…。あくまでも一人の鑑賞者として、私はカメラマン「一恵ちゃん」の一番のファンだと自認しています。 

残念ながら、転勤族の彼女は、まもなく京都をあとにし、各地を転々とすることに。何年も会えない時期もありましたが、交友は途切れることなく続き、今日まで、共に年齢を重ねてきました(ブログ一恵ちゃん)。

その間、一貫して写真一筋だった彼女。それに引きかえ、ああでもない、こうでもないと、模索ばかり続けてきた私。「しののめ寺町」開店を機に、遅ればせながら、やっと肩を並べられた気がしています。

もう年だから…、そんな言葉をよく耳にします。店を始め、決してそうではないと思うようになりました。年齢を重ねるごとに積み上げられていく経験は、何歳になっても人を成長させ、豊かにしてくれる。衰えていくものはたくさんあるけれど、それでも人は進化し続けられる。そう信じています。

彼女の写真を見ていると、その思いが間違いでないことを確信します。今回の写真もまた、これまでにはなかった新しい感性が吹き込まれ、新しい世界が拓かれていました。写真の向こうに、進化し続ける彼女が見えます。

名残を惜しみ、飛び乗った帰りの電車の中。今回の写真は、私には相当、刺激的だったのでしょうか。心の昂ぶりを抑えられずにいました。彼女は一体、どこを目指しているんだろう。どこに行きつけば満足するんだろう。そんなことを考えながら…。

きっと、どこまでいっても終わりはなく、いくつになっても、なにかを追い求めているんだろうな。初めてのランチの時みたいに、目をキラキラ輝かせながら。

私も負けないぞぉ。

慌ただしくて、お花見らしいお花見もできなかった今年の春。車窓から、名残の桜を眺めながら、そんなことを思った私でした。

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