ドキュメント72時間

店のこと

2018年11月18日

もうずいぶん前からになりますが、あまりテレビを見なくなりました。今は時間がないせいもありますが、そもそも見たいと思う番組が見当たらないような。なので話題のドラマも、人気のアイドルもさっぱりわからず、知人との会話についていけないことしばしばです。そんな私ですが、最近、気に入っている番組があります。NHKの「ドキュメント72時間」です。

店を始めてから、金曜の夜は仕事終わりにヨガに出かけるのが日課となりました(ブログアロマキャンドルヨガ)。帰ってから、遅い夕食を軽く取り、お風呂から上がると、11時前。なんとなくテレビをつけ、たまたま見つけた番組です。

毎回、違ったある場所で三日間、つまり72時間、定点観察をするというもの。デパートの化粧品フロアだったり、東京湾の海釣り公園だったり、函館のハンバーガーショップだったり…。そこを訪れる人を映しながら、許可を得られればインタビューを。なぜここに来たのか、よく来るのか。

初めて見た回は、京都の私設図書館だったかと記憶します。ずいぶん以前に存在を知り、ぜひ行ってみたいと思いながら行けずじまい。その場所に興味をそそられ、最後まで見てしまいました。不思議な空気感の番組だなぁというのが、最初の感想です。ドラマのようにストーリーがあるわけではないので、途中から見ても、見逃す週があっても、一向に差し支えないのも好都合。以来、金曜の夜のお風呂上りは、「ドキュメント72時間」タイムとなりました。

登場人物はまったくの一般の人々。皆さん、カメラの前で話すなど、おそらく初めての経験だと思うのですが、聞き手のお人柄なのでしょうか。とつとつと語られる口調は、知り合いに話しかけるように自然です。ほんのわずかな会話から、その方の暮らしぶりや、人となりが垣間見られるよう。思わず知らず、人生観や美学がにじむことも。

恵まれた状況を想像させる方もあれば、逆の場合も。時には、カメラの前で話すには勇気が要ったろうと思う方も。それでも皆さんのお話には、一様になにかしらの幸福感が漂っているように感じます。どんな状況であれ、その方なりの幸せの見つけ方を知っておられる。それが「ドキュメント72時間」に登場される方の共通点のように思います。

たまたまそこにいる人が、ありのままの事情や思いを語る。ただそれだけのことなのですが、見ていてとても心地よく、いつからか、見終わったあと、えもいわれぬ充足感を味わっている自分に気づくようになりました。静かな感動、と言ってもいいような。

11月2日放送の「東京駅”銀の鈴”で会いましょう」の回では、とりわけ印象深い方がありました。言わずと知れた待ち合わせの場所「銀の鈴」前で、人待ち顔の高齢の男性。ご友人と、時々、この場所で待ち合わせをされるとのこと。そのご友人は病気がちで、ここまで来るのも大変で、会食はいつも駅構内の店なのだとか。

携帯電話を駆使される世代ではないのでしょう。時間を過ぎても来ない友人に、今日は体調が悪いのかと諦めて帰りかけるも、諦めきれずにまた戻り。そうこうするうちに、おぼつかない足取りのご友人が現れ、喜びの対面。見ている私も、思わず心の中で拍手。そのご友人が満面の笑みを浮かべて言われた言葉…。「幸せだねぇ」。

やられたぁ、って思いました。

まだ1ヶ月ありますが、開店から6年目の今年は、大きな転換点だったように思います。いろいろな問題が浮き彫りになり、その対応に追われるなか、「幸せ」についてよく考えるようになりました。私の思い描いていた「幸せ」って、一体どんなものだったんだろう。私にとっての本当の「幸せ」って、どんなものなんだろう…。

「絵に描いたような幸せ」という言葉があります。テレビコマーシャルのワンシーンみたいなイメージでしょうか。そういうものを遠目に見ながら、いつも自分と対比している私がいます。自分には備わっていないもの、自分には手に入れられないもの。そんなものばかりを欲しがって、いつも誰かを羨んでいる私が…。

「幸せ」と「不幸せ」は表裏一体。七夕の短冊のように、表と裏を絶えず翻しながら、私たちのまわりでひらひらと舞っているものかもしれない。同じ状況であっても、どちらの面が見えるかは、私たちの視点次第…。「ドキュメント72時間」を見ていて、ふと、そんなことを思いました。

今、あまりに作り物過ぎるもので溢れかえっている気がします。もはや、どれが本物で、どれが作り物か、その判断もつかないくらいに。私が思っていた「絵に描いたような幸せ」も、そうした作り物の一つに過ぎなかったのでしょう。人の数だけ人生があり、人の数だけ「幸せの絵」がある。「幸せの絵」は自分の手で描いていくもの。それが「本物の幸せ」。そんな当たり前のことに、ようやく気づいたこのごろです。

はてさて「しののめ寺町」で「ドキュメント72時間」をやったらどんな感じでしょうか。お客様にとって、私たちにとって、それぞれに幸せを感じられる場所でありたいと願います。

価格とは

店のこと

2018年10月03日

先般よりお知らせしていましたが、9月14日より価格の改定をさせていただきました。既に新価格でご購入いただいたお客様はいらっしゃるでしょうか。どのような感想を持たれたか、気になるところです。

開店から6年半。この間に、原材料、包装資材など、諸々のものが値上がりしてまいりました。実のところ、価格の見直しは、数年前からいつも頭の片隅にあったことでした。

そんななか、昨年末より、ちりめんじゃこの不漁と価格高騰という事態に。これまでにない深刻な状況に、いよいよ値上げやむなし。との思いを強くし、年頭より今年最大の課題と位置付けた次第です。

とはいえ、価格の改定は大きなリスクを伴います。額はどのくらいが妥当か。時期はいつが適切か。果たしてお客様に受け容れていただけるのか…。慎重にも慎重な検証が必要です。

うちの商品をまじまじと眺めながら、まわりにに溢れる商品やサービスを見渡しながら、頭の中にあるのはいつも「価格」のこと。

ふだん自分はどんな風に買い物をしているんだろう、と考えてもみました。目の前にある物やサービスと、それにつけられた価格を見比べ、納得すれば買うし、納得しなければ買わない。

結果、満足することもあれば、不満に思うこともあり。そうした経験を繰り返し、自分なりの値ごろ感をつかみ、価値観を培い、私流の購買行動が生まれていったんだなぁ、と思います。

店を始めて、価格の仕組みや、からくりなど、少しわかってきました。売る側と、買う側、双方の思いがあり、うまくかみ合うか、かみ合わないか。その駆け引きの妙が、買い物の醍醐味というものなのかもしれない。

なんて偉そうなことを思いつつも、自分の店のこととなると、一向に答えが出ません。そもそも値上げなど、お客様から喜ばれるはずもないこと。答えを出すのが怖い、というのが正直なところかもしれません。

京都には「おじゃこ」を扱われるお店が、数えきれないくらいあります。今回の値上げに当たっても、店頭で、ネットで、他店をいくつか調べてみました。

破格に安価なお店から、破格に高額なお店までさまざまです。各店の価格には、それぞれに意味があり、その意味を求めるお客様で、そのお店は成り立っているのでしょう。

7年前の秋、急に決まった開店でした。物件が見つかるや、短い準備期間のなか、改装や備品の調達などハード面の整備に忙殺される毎日。独立という事情から、価格については踏襲するのが当たり前と考え、改めて見直す余裕もないままのスタートとなりました。

開店から、どれくらいのお客様に来ていただいたでしょう。お一人お一人がご購入の折に、ふと漏らされるご意見やご感想があります。私たちの思いが伝わっていると実感できることもあれば、ズレに気づかされることも。

出来る範囲で改善を繰り返してきましたが、そうしたことでは解消し切れない、もどかしさのようなものが、いつからか私の中から消えないものとなりました。これは一体なになのか…。

それは、自分たちの価値をお客様にきちんと伝えられていない、という歯痒さなのではないか。そう思い至りました。

厳選された上質な素材を使い、秘伝の調味で、毎日、炊き上げるじゃこ山椒(ブログ味2)。風情ある街、寺町で、安心安全な手作りの味を、手から手へ届けること。それが私たちの価値であると考えています。

そうした価値を表現するもの。それが価格なのではないか。適正につけられた価格は、単なる値段にとどまらず、価値を雄弁に語ってくれるものなのだと気づきました。

お客様に喜んでいただくことは、なにより大切なことです。同時に自分たちが心身ともに健康で、喜びを感じながら商売をできること。不遜ながら、それもまた大切なことだと考えます。

そうして長く店を続けていくことが、ひいてはお客様の喜びにつながる…。そうあれることが願いですが、そのために欠くことができないのが、やはり適正につけられた価格なのでは。

価格について考えることは、店の有り様(ありよう)について、自分たちの人生について、考える良い機会となりました。

一方で、漁の回復を期待してきましたが、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が来るも、その兆しは見えず。これ以上の先延ばしはできないと判断いたしました。熟慮を重ね、最後は他店との比較ではなく、うちとしての適正価格を探り、出したのが今回の価格です。

暴利をむさぼるつもりは毛頭ありません。どんな反応も受ける覚悟ができたところで、日程を9月14日と決め、店頭やホームページでの告知に踏み切りました。ところが…。

価格表の変更など諸々の準備を終え、あとは当日を待つばかりとなった、前日の9月13日。その日は定休日でしたが、私は朝からパニック状態に陥っていました。お客様から非難ごうごう受け、泣きそうになっている自分の姿が、頭から離れません。

気休めでもなんでも、なにかしていないと、緊張と恐怖で圧し潰されそう。足裏マッサージ、岩盤浴、等々…。日頃、時間とお金を割り振りながら受けている心身のメンテナンスを、贅沢にも朝から夕方までフルコース詰め込みました(笑)。

蓋を開けてみると、お客様の反応は思いのほか寛容なものでした。「スーパーで売っているちりめんじゃこも高くなっているわねぇ」なんて、理解を示してくださるお客様も。

私は幻の魔物と、ひとり格闘していたんですね。ここまでプレッシャーに弱い人間だったかと呆れるばかりですが、うれしい肩透かしに、ただただホッとしているところです。

まだ値上げをご存じでないお客様もたくさんいらっしゃいます。ご負担をお掛けすることは心苦しくはありますが、丁寧に説明を続けていこうと思っております。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

西日本豪雨のこと

店のこと

2018年08月04日

やはり、このことについて書かないわけにはいきません。7月上旬に西日本を襲った豪雨のこと…。

京都では7月6日の金曜日、強い雨が降り続いておりました。仕事の合間に見るテレビからは、尋常でない雨であることが伝えられています。嵐山を流れる桂川、街中を流れる鴨川。増水の様子が映し出されます。

寺町界隈も早じまいされるお店があったようですが、閉店間際のご予約が入っていたこともあり、通常通り6時まで営業することにしました。そんな大雨のなかでも「開いててよかった」と駆け込まれるお客様もあり、ありがたいやら、申し訳ないやら。

地下鉄で帰宅すると、京都中いたるところに出されている避難勧告の知らせが、テレビのテロップで流れます。自宅は該当しませんでしたが、すぐ隣の学区にまで及び、これまで経験したことのない恐怖を覚えました。

身の危険と共に案じられたのは、やはり仕事のこと。道路の寸断や交通網の乱れは、たちまち物流を止めてしまいます。折しもお中元のさなか。この先、発送予定の荷物は届けられるだろうか。昨年の台風の影響で、不漁と価格高騰が続くちりめんじゃこに、さらなる打撃はないだろうか。

不安だらけの一夜でしたが、明けてみると、京都市内では幸いに大きな被害は出なかったようです。一方で、京都府北部や他府県での広範囲にわたる被害の甚大さには、言葉を失ってしまいました。

当然のことながら物流にも影響が。なかでもクール便は許容量が限られるのでしょう。クロネコヤマトさんのホームページでは、受け付け停止地域が刻々と更新されていきます。

ふだん当たり前に思っていることが、なんと有り難いことか。先が案じられましたが、翌日にはずいぶん復旧しました。物流に関わる皆さんの努力の賜物でしょう。安堵と感謝で、集荷に来られたクロネコさんのお顔を見るなり、思わず抱きついて泣いてしまいました。その日の担当は女性でしたので。念のため(笑)。

その後も、報じられるのは広がり続ける被害の状況。自然の恐ろしさを痛感するとともに、これが首都圏近くであったなら、政府の対応は、マスコミの取り上げ方は、同じものだっただろうか。悔しさもこみ上げます。

お恥ずかしいことですが、店を始めるまでは、遠くで起こることは、あくまで遠くの出来事。自分とは縁遠いことと感じていたように思います。店を始めて、決してそうではないことを知りました。

四国や九州の漁場で獲れるちりめんじゃこ。奈良県吉野の実山椒。北海道利尻の昆布。大分の原木椎茸…。「しののめ寺町」は、京都から遥かに離れた場所の自然の恵みをいただいて成り立っています。

箱やビニール袋などの包装資材は、どこのどんな原料で作られているのか把握していませんが、値上げのお知らせの折に、思いもかけない国の影響を受けているのだと知ることがあります。

そうした物たちが、網の目につながる空路や陸路に乗って運ばれます。遠い場所の悪天候やアクシデントにも、無関心ではいられません。

そして…「しののめ寺町」をご愛顧くださっているお客様は全国に。なかには外国にお住いの方も。台風や地震、テロ…。ニュースで聞く県名や国名に、あの方、この方、お顔が浮かびます。

あらゆることが、直接に間接につながり合って、私たちの日々の暮らしが成り立っているんだなぁ。たとえ店をやっていなくても、この世の中で起こることで、自分とまったく無縁のことなど、ひとつもないんじゃないか。そう思うようになりました。

そう思うあまり、様々なニュースを見聞きするたびに、過敏に反応して疲れてしまう、ということも。今回も、被災地の映像を見ていると、自分自身の抱える不安と相まって、さらに不安が増幅していくよう。見るに堪えず、チャネルを変えることが増えていきました。

大阪を震源とする地震に驚いたのも束の間、西日本での豪雨、続く猛暑。前例のない動きを見せる台風…。日本は、地球は、どこに向かおうとしているのか。想像を超えた事態の連続に、夏バテだけではない疲れを感じています。

上の写真は、7月17日の鴨川です。京都はちょうど祇園祭のさなか。朝には山鉾巡行が行われ、夜には御神輿が市中を駆け巡った日。その勇壮な御神輿を見たあとの、四条大橋からの眺めです。

あんなに増水していた川も、すっかりいつもの表情に戻り、風物詩の一つである、等間隔で座るカップルの姿も健在です。あぁ、鴨川はこうでなくっちゃあ。見慣れたはずの光景が、あまりに美しく、思わずカメラにおさめました次第です。

被災地の様変わりした映像を思い出すと、申し訳ない思いもあります。が、今、自分の目の前にあるものに感謝して。今、自分の目の前にある困難に向き合って。まずは自分の「今」を生きること。それが一番大切なんじゃないか。

私は、私の、今日を、しっかり生きよう。

犠牲になられた方々のご冥福と、被災された皆様の一刻も早い復旧を祈りながら、そんなことを思った夜でした。

早くから暑かった今年。まだまだ夏は続きます。不安は拭いされませんが、まずは健康に留意して、一日一日を過ごしていきたいと思います。皆様もどうぞご自愛ください。 

京上ル下ル(きょう あがる さがる)

店のこと

2018年07月08日

このたびの大雨では、西日本を中心に大きな被害が出ました。京都でも経験のない事態に、不安な数日を過ごしました。被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

そんななか恐縮ではありますが、今回はちょっと楽しい出来事のご報告を。5月のこと、テレビの突撃取材を受け、その放送が約1か月後の6月半ばにありました。

あまりテレビを見ない私は、ただでさえ疎いうえに、j:comというケーブルテレビとのこと。よくわからないまま了承するや、たちまちカメラがまわり始め…。慣れないことゆえ緊張しましたが、リポーターのお二人はじめ、スタッフの方がうまく誘導してくださり、なんとか無事に撮影を終了することができました。

終わってから番組名を聞くと「京上ル下ル(きょう あがる さがる)」とか。聞き覚えのある名前だなぁと思ったら、知人のケーキ屋さん「リンデンバウム」さんが、以前に出演された番組でした。あいにくうちのテレビでは映らないのですが、ありがたくも「リンデンバウム」さんがCDに録画してくださり、後日、見ることができた次第です。

リポーターのお二人は「かどちゃん」ことミュージシャンの門松良佑さんと、「こころん」こと女優の浅見 心ちゃん。商品を試食していただきながらの楽しいトークは、絶妙の掛け合いで、私も思わず笑ってしまうほど。終始、和やかな撮影でした。

京都の街は言わずと知れた碁盤の目。南北の通り名と、東西の通り名をセットで言えば、おおよその場所がわかります。そこから北に行くなら「上ル(あがる)」。南に行くなら「下ル(さがる)」。東に行くなら「東入ル(ひがしいる)」。西に行くなら「西入ル(にしいる)」。これでピンポイントの位置が割り出せます。

京都の住所は、町名と共に、こうした通り名が併記されていることがよくあります。京都の住所は長いと言われる所以ですが、そのお蔭で超方向音痴の私でも、迷わず辿り着くことができる、ありがたい仕組みです。

「しののめ寺町」も、町名の「久遠院前町(くおんいんまえちょう)」の前に、「寺町通り夷川(えびすがわ)上ル」と明記しています。「寺町通り竹屋町下ル」の方が近いのですが、「下ル」より「上ル」の方が縁起がいいかと、開店時にこちらを採用した次第。夷川からだいぶ歩いたよ、と仰るお客様もあり、ちょっと申し訳ないところです。

そんな縦横に交差した京都の通りは、それぞれに味わいがあります。ふとした思いつきで通りを曲がった途端、違う世界に紛れ込んだような感覚を味わうことも。こんなところに、こんなお店が、なんて発見があったり。ただの民家がとても趣があったり。うちのお客様のなかにも、観光地には行かず、こうした街歩きを楽しみに京都に来られる方が、たくさんいらっしゃいます。

そんな京都の通りを上ル下ルしながら、お店や人との出会い、触れ合いを楽しむ街歩きの番組「京上ル下ル」。まさに京都らしいタイトル、企画だなぁと思います。

今回は「下御霊神社あたり」ということで、出演されたのは、もちろん私も知っているお店さんばかり。皆さん、飾らないお人柄がにじみ出ていて素敵です。道中では、番組ファンだという方が、リポーターのお二人に声を掛けてこられたり。以前に出演された方との偶然の出会いがあったり。突撃取材ならではのライブ感がいっぱいです。

そうしたワンカット、ワンカットを、丁寧に編集して仕上げられた番組。見終わった時には、なんだかほんわかとした気持ちになりました。地元だったせいでしょうか。いえいえ、それだけではないようです。

放送後にはさっそく「番組を見ました」というお客様がご来店くださるようになりました。皆さん「かどちゃんが…」「こころんが…」と、親しみを込めて話されるのが印象的。多くの視聴者に愛されている番組なんだということが、よく伝わってきます。そんな番組に出させていただけたこと、改めてうれしく思っているところです。

ゆっくりテレビを見る時間のない私。申し訳ないのですが、これからもj:comに加入することはないかと思います。が、厚かましくも、気持ちだけは「京上ル下ル・ファミリー」に加入させていただけたつもりでいます(笑)。

もしこの先どこかの通りで、偶然、撮影隊と遭遇することがあったなら、私も声を掛けていいかなぁ。なんて思ったりして。「あの時の『しののめ寺町』です!」と胸を張って答えられるよう、これからもがんばっていこうと思います。

ご興味のある方は、ぜひ一度「京上ル下ル」の番組をご覧ください。
https://c.myjcom.jp/jch/p/kyoagarusagaru/

ちりめんじゃこ

店のこと

2018年01月30日

京都では野菜の高値が続いています。皆さんのお住まいのあたりでは、いかがでしょうか。冬野菜の美味しい季節、お鍋などでふんだんにいただきたいところですが、つい買い控えてしまうのが実情です。

昨年の相次ぐ台風の影響かと思われますが、野菜以外にもいろいろな方面で影響が出ているもよう。ちりめんじゃこも例外ではありません。海流の変化もあるとか。漁獲高が大幅に減り、深刻な品薄、価格高騰が続いています。

ちりめんじゃこは誰もが好きな食材。じゃこ山椒も、今では京都土産に挙げられるほどの人気商品となりました。扱っておられるお店は数知れず。皆さん、どうしておられるものやら。分け合って、譲り合って、この危機を一緒に乗り切れたら…。なんていうのは夢物語。現実は厳しい競争の世界です。

どうなることかと案じながらの年越しでしたが、幸いにも、なんとか確保できている状況です。ひとえに、仕入れ業者さんのご尽力のおかげ。長年のお付き合いと信頼関係の大切さを痛感した次第です。

ただ、仕入れ価格の値上がりは免れず。当店で販売の商品も、一月より一袋の容量を55gから50gにさせていただいております。少し形の不揃いなちりめんじゃこが紛れていることもあるかもしれませんが、ご容赦のほどお願いします。

これまでにも、自然災害による不作や不漁、それに伴う様々な被害の様子は、ニュースなどで何度も見聞きしてきたところです。丹精込めて作られたお米や野菜、果物が、一日にして無に帰す。自然災害とは少し違いますが、手塩にかけて育てられた家畜が、思いもよらない病気で処分の憂き目に遭う…。

いずれも、どんなに無念なことかと思いを馳せながらも、どこかで遠い世界のことと感じていたように思います。今回、自分の身が危ぶまれる事態になって初めて、決してひとごとではないのだということを思い知った次第。想像力の乏しさに恥じ入るばかりです。

日本の食の豊かさは、今さら言うまでもないこと。まわりには食べ物が溢れかえっています。お金さえ出せば手に入らないものはなく、目新しいものが次々と現れ、飽きることがありません。

もとを辿れば、それらは海や山の自然の恵みであること。動物であれ植物であれ、他の生き物の命をいただいているということ。その有り難さをつい忘れがちになっているように思います。

私が敬愛してやまない佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと4)が、生前、よく口にされていた言葉があります。「命の移し替え」…。自然の恵みをいただき、自分の中にまた生かしていく、ということでしょうか。

春、庭に芽吹いたフキノトウを、小さなナイフでそっと切り取り、収穫されている映像を拝見したことがあります。自然に対する慈しみ、謙虚さがにじみ出たお姿が、とても印象的でした。

野菜でも魚でも、そのものの良さが最大限に生きるよう丁寧に調理され、出来上がった料理を、皆で感謝していただく。そういう活動を長年してこられた初女さん。幸運にも、そんな場をご一緒させていただけた経験は、今でも私のかけがえのない宝物となっています。

上の写真は、炊く前のちりめんじゃこです。小さくて、柔らかくて、触れるとふわふわして、銀色に輝いています。まさに銀(しろがね)。これを鍋で炊くと、黄金(こがね)色に照り返るじゃこ山椒となります。美しいマジックのよう。これもひとつの「命の移し替え」かも。などと思うのは、少々拡大解釈過ぎるでしょうか(笑)。

1月10日に商売繁盛を願って行われる十日えびす。今年は神戸に住む友人の案内で、兵庫県の西宮神社に出かけてきました。恵比寿様は、鯛を抱えておられることから、豊漁の神様でもあられるとか。商売繁盛と共に、一日も早い豊漁を一心に祈願してきました。

当たり前のように仕入れ、調理し、販売している…、と思っていたちりめんじゃこ。それは決して当たり前ではないことを、今回の不漁は教えてくれました。自然の恵みに感謝し、その自然からいただいた命を、自分の中でまた生かせる私でありたい。改めてそんなことを思うこのごろです。

皆様には、ご理解のうえご了承いただけますこと、心よりお願い申し上げます。

しののめ寺町 公式オンラインショップ

ONLINE SHOP

お得な平袋から数量限定の季節商品、箱入り贈答用まで 取り扱い

トップへ戻る