鳳凰様

お祭りのこと

2016年05月30日

去る5月22日、店近くの氏神様、下御霊神社のお祭りが今年も盛大に行われました。寺町に店を構えて四年。開店からの年数を数えながら、そのときどきの思いも蘇る一日。私にとって、お祭りはとても大切な節目の日となりました(ブログお祭りの夜に 夢見通りの人々)。 その日は、朝から夏を思わせる厳しい暑さでした。長い距離を巡幸し、夕刻、神社に戻ってきた御神輿。男衆さんたちの日焼けした顔に、道中の大変さが忍ばれます。それでも皆さん、晴れやかな笑顔。お祭りの高揚感が伝わります。 神社前まで来ると、いよいよクライマックス。宮入前の差し上げです。御神輿の上には黄金の鳳凰が載せられています。御神輿に合わせて、尾羽がカシャカシャと音を立てて揺れ、今にも飛び立ちそう。 実は店を始める前、とても信頼を寄せている方から、私のガイドをしてくれるのは鳳凰だと聞かされたことがあります。困った時には、鳳凰にお願いするといいとのこと。そのあと鳳凰の置物を高額で売りつけられた、なんてことは、もちろんありません。念のため(笑)。 鳳凰と聞いてまず浮かぶのは、宇治の平等院でしょうか。空を背景に浮かぶ、鳳凰堂の屋根のシルエットは、あまりに美しい。鳳凰が私のガイドって…。不思議な気持ちですが、以来、私の中で鳳凰は特別なものになりました。 絵でも写真でも、なにか身近に持っていたいと思っていたところ、毎月、東寺で開かれる弘法市で、偶然にも鳳凰の香炉を見つけました。迷わず買い求め、開店以来、店に置いています。いつも守ってもらっているよう。閉店後、ありがとうございますと、お腹のあたりを撫でて帰るのが毎日の習慣です。 ある日、こんな夢を見ました。見上げるときれいな青空。一面に白いうろこ雲。見る間に、細かな雲が羽を広げた鳳凰を形作っていきました。よく見ると、雲で描かれた鳳凰が、右に左に、上に下に、何羽も折り重なるように、空一面を覆い尽くしています。この世のものとは思えない美しさ、神々しさに、ただただ見とれる私。 夢はたちまち忘れるものですが、この夢は今も鮮明に覚えています。アートのような映像も、その時の心の震えも。 もともと空を眺めるのが大好きな私。店でも暇な時間、外に出ては空を見上げることがよくあります。詰めていた息が、ふぅっと解かれるよう。その空に、夢で見た鳳凰が浮かびます。しばし目を閉じて、心の中で手を合わせることも。いつからか鳳凰様と呼んで、祈る対象になりました。 神社前で、いよいよ最後の差し上げの時。空高く掲げられる御神輿を眺めながら、私の中に感動と共に、あるひらめきが浮かびました。 私は鳳凰様に導かれ、この地にやってきたんだ。鳳凰様に守られ、今日まで店を続けてこられたんだ。私のガイドをしてくれていたのは、あぁ、確かに鳳凰様だったんだ。 鳳凰様は私の神様…。 去年のお祭りの日に漠然と感じた思いが、今年、確信に変わりました(ブログ下御霊神社)。 来年もこの場所で、お祭りを楽しんでいる私がいますように。また一年、がんばります。だから、鳳凰様もどうか私を守っていてください。畏れ多くも、鳳凰様とそんな約束を交わした今年のお祭りでした。

祇園祭

お祭りのこと

2015年08月09日

店を始めて増えた楽しみは山ほどありますが、その一つが祇園祭です。 自宅は鉾や山が建てられる四条通界隈から、地下鉄で北に5駅ほど。すぐといえばすぐなのですが、あまり出かけて行ったことがありません。というのも暑いさなか、ただならぬ雑踏です。さらに祇園祭というと街の中心部の格式高い会社やおうちの方たちのお祭り、という印象が私にはありました。どこか近寄り難いような。(ブログ私が苦手だったもの 京都) クライマックスの17日の山鉾巡行。それを前に縁日で賑わう宵山、宵々山。この三日間あたりがお祭りのメイン。長年、そう思っていました。 そんな認識が、寺町に店を構えてから一変することに。お客様の中には、鉾町にお住まいの方も多くいらっしゃいます。あるいは囃子方さんや、鉾や山の引き手さん。御神輿の担ぎ手さん。浴衣姿で厄除けの粽(ちまき)の売り子をするという小さな女の子も。 7月の一ヶ月を通して様々な行事があり、様々な方が関わっておられること。決して街中の一部の方だけでなく、京都各地から、あるいは他府県から、外国からと門戸が広く開けられていること。自分が随分間違った認識をしていたと気づかされることが、たくさんありました。 そうした皆さん、祇園祭への思い入れは強く、口々に熱く語られる、語られる。決してお祭り騒ぎのノリではなく、神事としての厳かさを湛えられていて、こちらも神妙な面持ちで聞き入ってしまいます。 鉾立て、曳き初め、神楽、今様、…。興味を持ってみると、毎日どこかでなにかが行われていることがわかり、それだけで心浮き立ちます。最近ではフェイスブックなどで、知人たちが各所の様子を画像や動画つきで伝えてくれるので、店に居ながらにして雰囲気を味わえるのは有り難いことです。 7月17日は台風の影響で大雨。山鉾の巡行が危ぶまれましたが、決行の英断。小雨になることを祈りながら、仕事の合間にテレビ中継を見ていましたが、雨は激しくなるばかり。あいにくの天候ではありましたが、むしろ京都の町衆の心意気が伝わり、いつにない感動を覚えました。 その夜の御神輿が練り歩く神幸祭に、今年は初めて出かけてみました。夜になっても衰えを見せない大雨。朝の雅な山鉾巡行とは打って変わり、勇壮な御神輿巡行には、そんな大雨もまた似合うようでした。 御神輿に神様が乗っておられ、街中を旅しながら人々の様子をご覧になるのだとか。祇園祭のクライマックスはむしろこちら。朝の山鉾巡行は、神様の来訪に先駆けてのお清めの意味があるのだと知り驚きました。 大雨の中、雑踏の中、神様、私を見つけてよ。私を見守っていてよ。心でそう祈りながら、御神輿のあとを付いて歩きました。 店の近く、下御霊神社のお祭りの時もそうですが、お祭りの夜にはいつも、なにかしら心が感じやすく、涙もろくなってしまいます。きっと神様が近くにいらっしゃるんだなぁ。その日も、そう思わないではいられない夜でした(ブログ下御霊神社)。 山鉾巡行では先頭の長刀鉾にお稚児さんが乗っておられます。就任時のインタビューで無邪気な様子を見せていた小学生が、この日はまるで別人。まさに神様の使い。神様が宿ったかと思われるほど神々しい姿に、いつも息を呑んでしまいます。上の写真は神幸祭のお稚児さんですが、こちらもまた神々しい。 思えば、ひとは誰もが神性というものをもって生まれてくるのではないかと思います。赤ん坊の顔はあどけないようでいて、ときに神々しい表情にハッとさせられることがあります。残念ながら、年齢を重ねるごとに忘れていってしまうようですが。 お祭りの日、誰もが童心に返るのは、神様が近くに来てくださることで、眠っていた神性が目を覚ますからではないでしょうか。お祭りの夜、私の魂も幼い頃の無垢な、神性を宿した女の子に返ったのだと思います。久し振りに浴衣を着てみたくなったのは、そんな女の子の願いだったかも。 店を始めて4度目の祇園祭。蒸し暑い夏の京都に住まう贅沢を、初めて実感した7月でした。遅ればせではありますが、これからも一年一年、祇園祭を楽しんでいきたいと思います。

下御霊神社

お祭りのこと

2015年05月29日

5月はお祭りシーズン。ここ寺町でも5月の最終日曜日、地元の氏神様、下御霊神社のお祭りが盛大に行われました。歴史あるお祭りも、私にとっては「しののめ寺町」開店以来の4度目です。(ブログお祭りの夜に、夢見通りの人々) 下御霊神社は店からほど近く、店でお出ししているお茶はここでいただいた井戸水でいれています。ペットボトルを携え、2、3日に一度汲みに行き、そのあとお参りをして帰るのが恒例になっています。 店も一段落の夕方に行くことが多いでしょうか。鳥居をくぐると、なにかしらほっとした気持ちに。本殿の屋根越しに見る空は、神社の外で見る空とは少し違っているような。時に季節の花が咲き、そこで改めて季節を感じることも。古びてはいるけれど、地元の人たちに愛されている様子がそこここに感じられる風情ある神社です。 先客と譲り合いながら、水を汲み、そのあと奥の本殿へ。なんであれご縁があるようにと毎回5円に決めているお賽銭を入れ、神様によく聞こえるようにと鈴を大きく鳴らすのが私流です。そして二拝二拍手。目を閉じて、合わせた両てのひらに力を込めて、渾身の思いで願い事を。 どうぞお守りください…だったり。 どうぞお導きください…だったり。 そして一拝。鳥居前で最後に一礼をして外に出ると、いつもすがしい気持ちになっています。下御霊神社は、いつからか私の心休まる場所、なくてはならない場所になりました。 5月初旬、通りに各店の提燈が吊られます。もちろん「しののめ寺町」の提燈も。夕刻に明かりが灯り、店名が薄闇に浮かび上がるのを見ると、あぁ今年もこの季節がやってきたんだなぁと思います。5月は大好きなこの街が、ますます大好きになる季節です。 心躍らせながら待つお祭りの日。宵宮の土曜日、通りにずらりと縁日が並ぶと、今年もこの光景を見られた喜びを感じます。夜が更けるにつれ賑わいをみせる通りを「ほいっと、ほいっと」と、掛け声もかわいい子供神輿が練り歩きます。 大人も子供も愛がいっぱいの表情。見ている私にも愛があふれてくるような。お祭りの夜には、神様が近くにいらっしゃる気がしてなりません。 翌日は本番、男衆による御神輿巡幸です。朝に出発した御神輿が夕刻に戻ってくると、クライマックス、神社前での差し上げです。最後の力を振り絞って高く掲げられる御神輿、祭りは最高潮。やがて終了の掛け声と共に、興奮の余韻を残しつつ神社へと帰っていきます。名残惜しげに鳥居をくぐっていくうしろ姿を見送りながら、ふと、湧き上がる思いがありました。 私の神様…。 下御霊神社の神様が、私の神様になってくださった。そんな気がしたのです。お参りを始めてたった3年。わずかばかりのお賽銭。それでも心優しい神様は、寺町で店を構え、ここで生きる私を見守ってくださっている。そう感じた瞬間でした。 古くからの氏子さんたちからはお叱りを受けるかもしれません。信心深い方たちからは不謹慎とおとがめを受けるかもしれません。自分でも申し訳ないなぁと思うのですが、感じたことなので、どうかお許しください。 神様はきっと私のことを守っていてくださる。 そう信じて、また一年がんばろう。そして来年も、この街で店を開いていられますように。来年も、うれしそうに御神輿のあとをついて歩く私がいますように。そう願ってやまないお祭りの夜でした。

私が苦手だったもの 京都

お祭りのこと

2014年08月04日

苦手だったものが開店を機に苦手でなくなった…。うれしいことに、そういうものがいくつかあります。

ずいぶん以前のブログ私が苦手だったもの 春で、「春」を一番に取り上げました。次は「京都」と決めていたのですが、すっかり間が空いてしまいました。京都が苦手だったとカミングアウトするのは相当に勇気のいることだったようです(笑)。

京都で生まれ、以来ずっと京都で過ごしてきました。他府県の方には京都は憧れの街のよう。そうとわかるや、熱く語り始める方がおられます。皆さん、とにかくお詳しい。

私はというと、名だたる神社仏閣を挙げられても、必ずしも行ったことがあるとは限らず。むしろ行っていないことの方が多いかも。有名料亭はお高くてとうてい行けず。名物、名菓、名所…、いずれもあり過ぎて把握しきれず。「はぁ、そうですかぁ」と相づちを打つばかり。どちらが京都の人間やらわからない有様です。

京都に住んでいるからといって、雅なものが好みとは限りません。私はむしろ野趣味のあるものが好き。作り込まれた美より、あるがままの様に心惹かれます。例えばですが、京都の観光寺院の仏像より、滋賀の湖北にひっそりと佇む観音様が好き、てな具合です。(ブログ天狗おじいさん)

ひとしきり京都を褒められたあと、ついてまわるのが京都の人間の気質の話です。表と裏があってなにを考えているかわからないのだとか。女性のイケズ話は必須(笑)で「お茶漬け」のたとえ話まで出てきたひにゃあ、ひっくり返りそうになります。こうした個性って、どこの都道府県でもあることちゃうんかなぁ、と心で呟きながらも、しばし気配を消すことに決めています。

京都って、なにやら面倒くさい…。

店を開き、さまざまなお客様にお越しいただくようになりました。半数近くは他府県からの方でしょうか。京都をこよなく愛し、足繁く通われる方も少なくありません。なかには京都好きが高じて移り住んでこられた方も。

そんなお一人、定年を前に退職し、関東から引っ越してこられた女性がご近所にいらっしゃいます。着物でお出かけになる姿をよく見かけますが、京女(きょうおんな)の風情そのもの。京都での暮らしを心から楽しみ、慈しみ、感謝しておられるご様子です。そんな暮らしぶりを伺うのが、いつからか私の楽しみになりました。

京都って、素晴らしい街なのかも…。

7月に入ると、京都の街はそこらじゅうで祇園囃子のBGMが流れ、一気にお祭ムードに包まれます。今年はいつになく、いてもたってもいられなくなり、宵々山の夜、仕事帰りに出かけていきました。雑踏にもまれながら鉾を見上げ、生の祇園囃子を聴き、厄除けの粽(ちまき)を購入。それだけのことですが、とりあえず気が済んで帰ってきた次第です。

京都の人間ぽくなってきたやん、私…。

今年の祇園祭は49年ぶりに前祭と後祭に分けての巡行となり、後祭では「大船鉾」の150年ぶりの復活が話題となりました。巡行本番を前に行われる「曳き初め」の日は、たくさんの観衆だったようです。その中には先のお客様も。

数分前まで雨模様だったのが直前に晴れ渡り青空に。その下、鉾が動き始めるや一斉に拍手が沸き起こったそうです。その場の感動はいかばかりだったでしょう。「150年の先人の思いね」と、目を輝かせて話してくださるのを聞きながら、私もこみ上げるものが。思わず知らず涙がこぼれました。

京都の先人の血が私のなかにも脈打っている。畏れ多いながら、そう感じた瞬間でした。

京都の空を見上げ、京都の空気を吸い、京都の食材をいただき暮らしてきた日々。街の佇まい、四方に見える山、鴨川の流れ、四季折々の風習、京言葉…。長年にわたり目にし、耳にし、口にしてきたものは、私の中に根付き、今の私を形作っているようです。

私にとって、京都は出かける街でなく、ずっとそこにある街やったんやぁ。

私は私の感性で、京都の街を味わっていこう。やっとそう思えるようになりました。

夢見通りの人々

お祭りのこと

2014年05月25日

店を開いてからはすっかり時間がなくなりましたが、もともと本を読むことが大好き。願わくば日がな一日、本を読んで暮らしたいと思うくらいです。

数年前、宮本輝さんの「泥の河」に感動し、立て続けに何作品か読んだことが。そのなかに「夢見通りの人々」という作品がありました。

夢見通りに住む人々の人情味あふれる暮らし、心の機微があたたかい筆致で描かれています。詳しいストーリーは忘れてしまいましたが、ほのぼのとした読後感がタイトルの「夢見通りの人々」という心地いい音の響きと相まって、今も忘れ難い一冊です。

もう二年半ほど前のことになりますが、店を開くにあたって物件を探して、京都の通りを東西に南北に歩き回りました。そんななか見つけたのが寺町通りの小さな物件です。

程よい広さの車道を譲り合うように行き交う車。両側に青々と茂る街路樹。整備された歩道をそぞろ歩くひと。
味わい深い店が軒を連ねた趣ある商店街。そこに住まうひとの暮らしぶり。観光で訪れるひとの華やぎ。そうしたすべてがうまく融合して、えもいわれぬ風情を醸している通り。なんて素敵な街。

「夢見通りの人々」…、ふと、そんな言葉が心に浮かびました。

一目惚れしたこの物件が、今の店です。あれよあれよという間に契約に至ったのは、なにかのお導きとしか思えない幸運でした。(ブログ2011年11月28日)

改装中に足しげく通ううちにますます好きになり、開店後はさらにさらに好きになり…。好き過ぎて、この通りに店を構えていることが信じられなくなることがあります。長い長い夢を見ているんじゃないかと。

「夢見通りの人々」…、それは私自身かも。

店の前で置き看板を拭いていたりすると、うしろで「こんにちは」の声。振り向くと、近所のお店の方だったり、馴染みのお客様だったり。慌てて「こんにちは」と返事をする私…。あぁ、本当にこの通りに店を構えているんだ、夢じゃないんだ、と実感する瞬間です。

先週末はこのあたりの氏神様、下御霊神社のお祭でした。縁日が並び、多くのひとで賑わう通りを、長い巡行を終えたお神輿が夕方遅く神社に戻ってきました。

「夢見通りの人々」

担ぎ手さんたちのうしろ姿を見送りながら、今年もまた目頭が熱くなった私でした。(ブログお祭りの夜に)

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