下御霊神社のお祭

お祭りのこと

2023年06月22日

下御霊神社お祭り

先月のことになりますが、地元の氏神様、下御霊神社のお祭りが行われました。

ここ寺町に店を開いて以来、私にとってこのお祭りは一年一年欠くことのできない大切な行事。このブログにも、そのときどきの思いを書いてきました。(ブログ鳳凰様 ブログ下御霊神社 ブログ夢見通りの人々 ブログお祭りの夜に

それがコロナ禍の間、どこのお祭りもそうであったように、関係者の方のみで神事は行われるも、一般の私たちの目に触れることはなく。通りに吊られたお祭り提灯を眺めながら、寂しい思いで過ごしたここ数年でした。

今年は何年振りでしょう。ようやく一連の行事が従来通りに執り行われ、お祭りに欠かせない屋台もずらりと並び。

これこれ! この眺め、この匂い。やっぱりお祭りはこうでなくっちゃ! と、久しぶりに心躍る思いでした。

そして迎えた最終日の夕刻。神様が乗っておられる御神輿が、日焼けした担ぎ手さんたちにより、長い巡幸を終え戻ってくると、お祭りも最高潮。

クライマックスは神社前で繰り返される差し上げです。渾身の力で御神輿が高く掲げられるや、「ホイット、ホイット」の掛け声と共に、屋根に鎮座された鳳凰の尾羽がカシャカシャと鳴り。

まるで御神輿の中で喜んでおられる神様の高らかな笑い声のよう。この音を聞くと、いつも身震いしてしまう私です。

開店から11年。さらにここ数年のコロナ禍。10年ひと昔とはよく言いますが、世の中はいつにも増して大きく様変わりしました。

世の中の変化と共に、私たちもまた、いつにも増してたくさんの選択を余儀なくされてきたように思います。日々の小さな選択から、時に運命を左右する大きな選択まで。

それらを積み重ね、積み重ね、そうして迎えた今日のお祭り。

 

神様はなぜ、この地に店を与えてくださったのだろう。

どうして今日まで店を続けさせてくださったのだろう。

 

この間のさまざまなことが心を巡り、胸がいっぱいになってしまいました。

果たして自分たちのしてきた選択の一つ一つが、正しかったのか、間違っていたのか。検証できるはずもありせん。

ただ確かなことは、開店の年と同じように、今、ここで、御神輿を見上げている私がいる、ということ。

自分のしてきた選択を、正解と思える人生にしたい…。

高らかに鳴るカシャカシャという音を聞きながら、そんなことを思った今年のお祭り。神様、また一年、よろしくお願いします!

鷹山

お祭りのこと

2022年08月08日

粽

今年の夏はこれを書かないわけにはいきません。先月、3年ぶりに行われた祇園祭です。

コロナ禍で中止を余儀なくされていた間も、関係者の方たちで神事はしめやかに行われていたようです。けれど祇園祭と言えば、やはり17日と24日の山鉾巡行。そして、それぞれの夜に行われる御輿渡御がメイン。

一般の私たちはそれなくしては祇園祭を感じる機会がありません。この2年間はぽっかり穴が開いたような寂しい夏でした。

京都に生まれ育ちながらも、長年、どこか遠いものに感じていた祇園祭。それが店を始めて以来、私にも身近なお祭りになっていたんだなぁ。そう実感した2年間でもありました。(ブログ私が苦手だったもの 京都)(ブログ祇園祭

今年は山鉾巡行の復活と共に、196年振りの鷹山の復興が大きな話題でした。江戸時代の大雨で懸装品を傷めてしまい、以来、休み山となっていた曳山(ひきやま)です。

無事だったご神体の一部はお町内で大切に保管されていたとのこと。復興の願いは脈々と受け継がれていたのでしょう。それが長い準備期間を経て少しずつ具体化し、ようやく結実した今年…。

関係各位、そのまた周りの方たちのご苦労は、私などにはとても想像のつかないことと思います。

困難を一つ一つ乗り越え、巡行当日に向けて完成した山を見上げられた時の、皆さんの感慨はいかばかりだったでしょう。

今回、有り難くもその鷹山に上がらせていただくことができました。真新しい白木の香り。間近で聴く囃子方さんたちの演奏…。

時に、目の前の思いをつなぐことすら難しく感じることがあります。それが196年という長い長い時を経てなお、思いがつながるなんて。あまりに壮大過ぎて、すぐには信じ難い思いです。

その鷹山に、今、私はいる…。とても不思議な気持ちでした。

そのまわりでは鷹山復興を我が事のように喜び、祝福する人たちの絶えない輪と歓声。

胸つぶれる思いのニュースばかり目にするこのごろです。が、こうした光景に、人は決して捨てたもんじゃないんだよ、そう教えてもらった気がします。

今年の巡行は日曜日。営業日のため、テレビで鑑賞することとなりました。この時間帯に来られるお客様はほとんどなく、ゆっくりと見ることができました。

青空を背景に連なって進む山鉾の壮麗な姿。当たり前と思っていたこの眺めが、決して当たり前でないことを知った今年の祇園祭。美しさがひときわ心に染みました。

ところで京都では、祇園祭で買い求めた粽を厄除けとして玄関に吊るす風習があります。「しののめ寺町」では、毎年、北観音山と鷹山の粽を店内に置いています。お客様の中にそれぞれ縁(ゆかり)の方がおられ、開店間もない頃から頂戴しているものです。

なんでも今回の鷹山復興をけん引されたのは、北観音山で囃子方をされていた方だったとか。

奇遇に改めて驚きながら、「しののめ寺町」もまたご縁にあやかり、今日まで思いをつないでこられたのだなぁ。今年も二つ並んだ真新しい粽を眺めながら、感謝の思いを新たにしているところです。

疫病退散の祈りが一日も早く届きますように。そして誰もが幸せで平和な世の中になりますように。人は決して捨てたものじゃないことを信じて、また一年、進んでいこう。そんなことを思う今年の夏です。

鳳凰様

お祭りのこと

2016年05月30日

去る5月22日、店近くの氏神様、下御霊神社のお祭りが今年も盛大に行われました。寺町に店を構えて四年。開店からの年数を数えながら、そのときどきの思いも蘇る一日。私にとって、お祭りはとても大切な節目の日となりました(ブログお祭りの夜に 夢見通りの人々)。

その日は、朝から夏を思わせる厳しい暑さでした。長い距離を巡幸し、夕刻、神社に戻ってきた御神輿。男衆さんたちの日焼けした顔に、道中の大変さが忍ばれます。それでも皆さん、晴れやかな笑顔。お祭りの高揚感が伝わります。

神社前まで来ると、いよいよクライマックス。宮入前の差し上げです。御神輿の上には黄金の鳳凰が載せられています。御神輿に合わせて、尾羽がカシャカシャと音を立てて揺れ、今にも飛び立ちそう。

実は店を始める前、とても信頼を寄せている方から、私のガイドをしてくれるのは鳳凰だと聞かされたことがあります。困った時には、鳳凰にお願いするといいとのこと。そのあと鳳凰の置物を高額で売りつけられた、なんてことは、もちろんありません。念のため(笑)。

鳳凰と聞いてまず浮かぶのは、宇治の平等院でしょうか。空を背景に浮かぶ、鳳凰堂の屋根のシルエットは、あまりに美しい。鳳凰が私のガイドって…。不思議な気持ちですが、以来、私の中で鳳凰は特別なものになりました。

絵でも写真でも、なにか身近に持っていたいと思っていたところ、毎月、東寺で開かれる弘法市で、偶然にも鳳凰の香炉を見つけました。迷わず買い求め、開店以来、店に置いています。いつも守ってもらっているよう。閉店後、ありがとうございますと、お腹のあたりを撫でて帰るのが毎日の習慣です。

ある日、こんな夢を見ました。見上げるときれいな青空。一面に白いうろこ雲。見る間に、細かな雲が羽を広げた鳳凰を形作っていきました。よく見ると、雲で描かれた鳳凰が、右に左に、上に下に、何羽も折り重なるように、空一面を覆い尽くしています。この世のものとは思えない美しさ、神々しさに、ただただ見とれる私。 夢はたちまち忘れるものですが、この夢は今も鮮明に覚えています。アートのような映像も、その時の心の震えも。

もともと空を眺めるのが大好きな私。店でも暇な時間、外に出ては空を見上げることがよくあります。詰めていた息が、ふぅっと解かれるよう。その空に、夢で見た鳳凰が浮かびます。しばし目を閉じて、心の中で手を合わせることも。いつからか鳳凰様と呼んで、祈る対象になりました。

神社前で、いよいよ最後の差し上げの時。空高く掲げられる御神輿を眺めながら、私の中に感動と共に、あるひらめきが浮かびました。 私は鳳凰様に導かれ、この地にやってきたんだ。鳳凰様に守られ、今日まで店を続けてこられたんだ。私のガイドをしてくれていたのは、あぁ、確かに鳳凰様だったんだ。 鳳凰様は私の神様…。

去年のお祭りの日に漠然と感じた思いが、今年、確信に変わりました(ブログ下御霊神社)。 来年もこの場所で、お祭りを楽しんでいる私がいますように。また一年、がんばります。だから、鳳凰様もどうか私を守っていてください。畏れ多くも、鳳凰様とそんな約束を交わした今年のお祭りでした。

祇園祭

お祭りのこと

2015年08月09日

店を始めて増えた楽しみは山ほどありますが、その一つが祇園祭です。

自宅は鉾や山が建てられる四条通界隈から、地下鉄で北に5駅ほど。すぐといえばすぐなのですが、あまり出かけて行ったことがありません。というのも暑いさなか、ただならぬ雑踏です。さらに祇園祭というと街の中心部の格式高い会社やおうちの方たちのお祭り、という印象が私にはありました。どこか近寄り難いような。(ブログ私が苦手だったもの 京都

クライマックスの17日の山鉾巡行。それを前に縁日で賑わう宵山、宵々山。この三日間あたりがお祭りのメイン。長年、そう思っていました。 そんな認識が、寺町に店を構えてから一変することに。

お客様の中には、鉾町にお住まいの方も多くいらっしゃいます。あるいは囃子方さんや、鉾や山の引き手さん。御神輿の担ぎ手さん。浴衣姿で厄除けの粽(ちまき)の売り子をするという小さな女の子も。

7月の一ヶ月を通して様々な行事があり、様々な方が関わっておられること。決して街中の一部の方だけでなく、京都各地から、あるいは他府県から、外国からと門戸が広く開けられていること。自分が随分間違った認識をしていたと気づかされることが、たくさんありました。

そうした皆さん、祇園祭への思い入れは強く、口々に熱く語られる、語られる。決してお祭り騒ぎのノリではなく、神事としての厳かさを湛えられていて、こちらも神妙な面持ちで聞き入ってしまいます。

鉾立て、曳き初め、神楽、今様、…。興味を持ってみると、毎日どこかでなにかが行われていることがわかり、それだけで心浮き立ちます。最近ではフェイスブックなどで、知人たちが各所の様子を画像や動画つきで伝えてくれるので、店に居ながらにして雰囲気を味わえるのは有り難いことです。

7月17日は台風の影響で大雨。山鉾の巡行が危ぶまれましたが、決行の英断。小雨になることを祈りながら、仕事の合間にテレビ中継を見ていましたが、雨は激しくなるばかり。あいにくの天候ではありましたが、むしろ京都の町衆の心意気が伝わり、いつにない感動を覚えました。

その夜の御神輿が練り歩く神幸祭に、今年は初めて出かけてみました。夜になっても衰えを見せない大雨。朝の雅な山鉾巡行とは打って変わり、勇壮な御神輿巡行には、そんな大雨もまた似合うようでした。

御神輿に神様が乗っておられ、街中を旅しながら人々の様子をご覧になるのだとか。祇園祭のクライマックスはむしろこちら。朝の山鉾巡行は、神様の来訪に先駆けてのお清めの意味があるのだと知り驚きました。

大雨の中、雑踏の中、神様、私を見つけてよ。私を見守っていてよ。心でそう祈りながら、御神輿のあとを付いて歩きました。

店の近く、下御霊神社のお祭りの時もそうですが、お祭りの夜にはいつも、なにかしら心が感じやすく、涙もろくなってしまいます。きっと神様が近くにいらっしゃるんだなぁ。その日も、そう思わないではいられない夜でした(ブログ下御霊神社)。

山鉾巡行では先頭の長刀鉾にお稚児さんが乗っておられます。就任時のインタビューで無邪気な様子を見せていた小学生が、この日はまるで別人。まさに神様の使い。神様が宿ったかと思われるほど神々しい姿に、いつも息を呑んでしまいます。

上の写真は神幸祭のお稚児さんですが、こちらもまた神々しい。 思えば、ひとは誰もが神性というものをもって生まれてくるのではないかと思います。赤ん坊の顔はあどけないようでいて、ときに神々しい表情にハッとさせられることがあります。残念ながら、年齢を重ねるごとに忘れていってしまうようですが。

お祭りの日、誰もが童心に返るのは、神様が近くに来てくださることで、眠っていた神性が目を覚ますからではないでしょうか。お祭りの夜、私の魂も幼い頃の無垢な、神性を宿した女の子に返ったのだと思います。久し振りに浴衣を着てみたくなったのは、そんな女の子の願いだったかも。

店を始めて4度目の祇園祭。蒸し暑い夏の京都に住まう贅沢を、初めて実感した7月でした。遅ればせではありますが、これからも一年一年、祇園祭を楽しんでいきたいと思います。

下御霊神社

お祭りのこと

2015年05月29日

5月はお祭りシーズン。ここ寺町でも5月の最終日曜日、地元の氏神様、下御霊神社のお祭りが盛大に行われました。歴史あるお祭りも、私にとっては「しののめ寺町」開店以来の4度目です。(ブログお祭りの夜に夢見通りの人々

下御霊神社は店からほど近く、店でお出ししているお茶はここでいただいた井戸水でいれています。ペットボトルを携え、2、3日に一度汲みに行き、そのあとお参りをして帰るのが恒例になっています。

店も一段落の夕方に行くことが多いでしょうか。鳥居をくぐると、なにかしらほっとした気持ちに。本殿の屋根越しに見る空は、神社の外で見る空とは少し違っているような。時に季節の花が咲き、そこで改めて季節を感じることも。古びてはいるけれど、地元の人たちに愛されている様子がそこここに感じられる風情ある神社です。

先客と譲り合いながら、水を汲み、そのあと奥の本殿へ。なんであれご縁があるようにと毎回5円に決めているお賽銭を入れ、神様によく聞こえるようにと鈴を大きく鳴らすのが私流です。

そして二拝二拍手。目を閉じて、合わせた両てのひらに力を込めて、渾身の思いで願い事を。 どうぞお守りください…だったり。 どうぞお導きください…だったり。

そして一拝。鳥居前で最後に一礼をして外に出ると、いつもすがしい気持ちになっています。下御霊神社は、いつからか私の心休まる場所、なくてはならない場所になりました。

5月初旬、通りに各店の提燈が吊られます。もちろん「しののめ寺町」の提燈も。夕刻に明かりが灯り、店名が薄闇に浮かび上がるのを見ると、あぁ今年もこの季節がやってきたんだなぁと思います。5月は大好きなこの街が、ますます大好きになる季節です。

心躍らせながら待つお祭りの日。宵宮の土曜日、通りにずらりと縁日が並ぶと、今年もこの光景を見られた喜びを感じます。

夜が更けるにつれ賑わいをみせる通りを「ほいっと、ほいっと」と、掛け声もかわいい子供神輿が練り歩きます。 大人も子供も愛がいっぱいの表情。見ている私にも愛があふれてくるような。お祭りの夜には、神様が近くにいらっしゃる気がしてなりません。

翌日は本番、男衆による御神輿巡幸です。朝に出発した御神輿が夕刻に戻ってくると、クライマックス、神社前での差し上げです。最後の力を振り絞って高く掲げられる御神輿、祭りは最高潮。やがて終了の掛け声と共に、興奮の余韻を残しつつ神社へと帰っていきます。

名残惜しげに鳥居をくぐっていくうしろ姿を見送りながら、ふと、湧き上がる思いがありました。 私の神様…。 下御霊神社の神様が、私の神様になってくださった。そんな気がしたのです。

お参りを始めてたった3年。わずかばかりのお賽銭。それでも心優しい神様は、寺町で店を構え、ここで生きる私を見守ってくださっている。そう感じた瞬間でした。

古くからの氏子さんたちからはお叱りを受けるかもしれません。信心深い方たちからは不謹慎とおとがめを受けるかもしれません。自分でも申し訳ないなぁと思うのですが、感じたことなので、どうかお許しください。

神様はきっと私のことを守っていてくださる。 そう信じて、また一年がんばろう。そして来年も、この街で店を開いていられますように。来年も、うれしそうに御神輿のあとをついて歩く私がいますように。そう願ってやまないお祭りの夜でした。

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