青春の詩

アートなこと

2021年11月14日

青春

今回はなんだか青臭いタイトルになりました(笑)。少しお付き合いください。

いよいよコロナ禍が始まろうという2020年2月、神戸県立美術館にゴッホ展を観に行った時のことを以前のブログで書きました。(ブログ ゴッホ展

その鑑賞後のことが最近しきりに思い出され、続きを書いてみたくなった次第です。

あの日、ゴッホの絵に興奮冷めやらぬ私に、友人が見せたいものがあると言って、屋外に誘い出してくれました。すぐ外が海べりで気持ちのいいこと。そこに突如、巨大な青いリンゴが現れました。

アメリカの詩人サミュエル・ウルマンが70代で書いたという「青春の詩」から、建築家、安藤忠雄氏がオブジェを着想したとのこと。そばにその詩が添えてあり、これを私に読んでほしかったのだと彼女。

青春とは人生のある時期を言うのではなく 心のありようを言うのだ

こんな書き出しで始まる長い詩は、これでもかと言うほどの手厳しい言葉の羅列。難しい漢字や、聞いたことのない言葉もあり難解でした。

分かりやすい部分の一部を抜粋すると…。

 

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

 

友人というのは写真をやっている一恵ちゃん。このブログでも何度も書いていますが、真に自分が表現したいものを追及する姿には、いつも驚きと尊敬を感じている私です(ブログ一恵ちゃん2)。

エネルギーほとばしる詩を読みながら、彼女はこんな心もちで写真に対峙しているのだなぁと想像しました。

そんな思いを私と共有したいと、誘い出してくれたのでしょう。彼女の気持ちはとてもうれしかったのですが、正直なところ、詩のあまりの激しさに縮み上がってしまいました。ふがいない友人で申し訳ない。

そんな名カメラマンに、失礼にも私のスマホを渡して、記念に撮ってもらったのが上記の写真です。

「青空だったらもっと綺麗な写真になったのにね」と残念そうな私に…。

「ただ綺麗なだけの写真なら青空の方がいいかもしれないけれど、この空にはこの空だからこそ生まれる味わいがある」と彼女。

改めて見てみると、なるほど、確かに、確かに。陰鬱そうな雲の向こうに覗く晴れ間。そんな空の下に置かれた、いかにも酸っぱそうな巨大な青リンゴ…。

スリリングなドラマを暗示するようで、なかなかに味わい深い(笑)。

さすが写真をやっている彼女ならではの視点。その感性に改めて感心してしまいました。そして、ちょっと残念だった写真が、たちまちお気に入りの一枚に!

ところで、私自身のいわゆる青春時代を思い返してみると…。大きな挫折や失敗もなかったかわりに、なにかに打ち込み、達成したということもないような。

サミュエル・ウルマンの詩によるなら、とうてい青春とは言えないかもしれません。

それが一転、店を始めてからというもの、ひたすら運営に打ち込む毎日。うまくいくこともあれば、いかないことも数知れず。今なお模索ばかりで、いったい私はなにをやっているんだかと途方に暮れることも。

それでも、いつも心に浮かぶのは「明日、店を開けなくっちゃ!」という思いでした。

オブジェに寄せて安藤忠雄氏はこう語っています。

 

目指すは甘く実った赤いリンゴではない

未熟で酸っぱくとも 明日への希望へ

満ち溢れた青リンゴの精神

 

こんな私だけれど、今こそ青春? まさに青春? 店を始めてからの日々が、私にとって遅ればせながらの青春かもしれません。

二人の巨匠の言葉に刺激を受けた一日でしたが、実のところ私の心に一番残っているのは…。

この空にはこの空だからこそ生まれる味わいがある

そう言ってくれた一恵ちゃんの言葉でした。

雲と晴れ間が織りなす空を味わいながら、これからも進んでいこう。未熟で酸っぱい青りんごを携えて。改めて写真を眺めながら、そんなことを思うこのごろです。

彼女の撮ってくれる写真は、私の内奥が映し出され、時に予言的なものを感じることがあります(ブログ竹中大工道具館)。今回もやっぱりそうだったもようです。

詩の全文は以下からご覧ください。

Microsoft Word - 青春の詩.doc (waseda.jp)

かもめ食堂2

アートなこと

2021年10月10日

かもめ食堂2

これまで観た映画のなかで一番好きなものは? と聞かれたら、迷わずに答えるのが「かもめ食堂」です。

2006年ですからもうずいぶん前になりますが、映画館に二度足を運び、原作とDVDまで買ったのは、あとにも先にもこの作品だけです。(ブログかもめ食堂

このDVD、ふだんは棚にしまい込んだままですが、時々ふっと観たくなることがあります。ちょっと行き詰まった時が多いでしょうか。先日の休み、無性に観たくなり取り出してみました。

小林聡美さん演じる主人公サチエが、フィンランドで日本食の食堂を始めるというお話。そうとう大それた計画だと思うのですが、当の本人はいたって自然体です。

サチエの好みなのでしょう。北欧デザインの設えが素敵な店内。棚に整然と並ぶ使い勝手良さそうな鍋や皿。通りに馴染んだ外観がとてもお洒落で、日本食と言いながら日本ぽいものはまったくありません。

開店以来、一向に客が来ないけれど、サチエはキッチンで一人、ガラスのコップをひたすら磨きながら、なんだか楽しそう。

そんなゆるい時間の流れのなかで起こる日々の出来事が、それはそれは魅力的に描かれていて、同じ場面でクスッとしたり、しんみりしたり。何度観ても飽きることがありません。

なかでもサチエのセリフは一つ一つがとてもシンプルで、心にすっと入ってきます。私にとってサチエは世界で一番やさしく哲学を説いてくれる人です。

展開もセリフももう覚えてしまっているのに、毎回、なにかしら新しい発見があります。観ている私の方が変化しているのでしょうか。

今回はいつにも増してしみじみ見入ってしまい、どうしたことか随所で涙まで出たりなんかして。どう考えても泣くような映画じゃないんですけれど(笑)。

とりわけ印象的な場面があります。ひょんなことから店を手伝うようになった片桐はいりさん演じるミドリが、暇な店を案じて、サチエに進言するシーン。

ガイドブックに載せて日本人観光客を誘致しようと言うミドリに、サチエは「そういうのは、この店の匂いと違う気がする」と、自分の描く「食堂」のイメージを語ります。

そして「それでもダメなら、その時はその時、やめちゃいます!」と、さらりと言ってのけたあと…。「でも、大丈夫!」と、きっぱり。

そこには悲壮感など微塵もなく、爽やかですらあります。

サチエは飄々としているようで、芯に強いものを持っているんだなぁ。芯に強いものを持っているから、飄々としていられるってことかぁ。なんて、いつもながらに感心しつつ、ハッとしました。

サチエはどうやったら客に来てもらえるかじゃなくて、これでもって客に来てもらいたい。そういうものをしっかりと持っているんだ。

看板メニューの「おにぎり」にこだわる子供の頃の思い出。自分がやりたいこと、やりたくないこと。フィンランドのこの食堂で叶えたい夢…。すべてはサチエの心が出発点です。

私はといえば、いつもまわりを見回しては右往左往するばかり。出発点が定まりません。そんな私の心のベクトルを、大きく舵を切るように、ぐいっと鼻先に向けられた気がしました。

「わかっているようで、わかっていないことって、よくあるんですよねぇ」って、ミドリの口癖。そのまんま自分に当てはまることに気づき、たじたじ…。

やがて「かもめ食堂」に客がやってくるようになります。脂ののった焼き鮭、照りのいい豚の生姜焼き、さくさくの豚カツ…。

食後はシナモンロールに、美味しくなるおまじないをかけて淹れたコーヒー。

おいしそうに食べる客たちを、キッチンからうれしそうに眺めるサチエ。ある日、気づきます。「かもめ食堂」が初めて満席になったことに。

その夜、プールで一人、水にぷかぷか浮かびながら見せる、サチエのえもいわれぬ満足そうな表情。私も心の中で思わず大喝采! 何回も観てるのに(笑)。

「かもめ食堂」をいつも遠巻きに眺め、トラブルの果てに馴染み客になった女性が、サチエに言います。

「この店、あなたにとても似合っているわ」

そりゃあ、そうでしょう。サチエの店なんですから! って、画面のこちらからツッコミを入れる私(笑)。とにかく素敵な映画です。

アンテナを張り巡らし、多くの新しい情報をキャッチすること。いろいろな声に耳を傾けること。大切です。

けれど、まずは自分。もっと自分の内に目を向けて。もっと自分の心に耳を傾けて。もっと自分を感じて…。

そしてその奥底にあるものを見つけたい。今一度、初心に戻って。

今の私に一番必要なことを気づかせてくれた、今回の「かもめ食堂」。皆様にはこれからも寛容に見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

卵を割らなければ、オムレツは食べられない

素敵な女性

2021年09月09日

卵を割らなければ、オムレツは食べられない

先月のこと、行きつけの美容院で雑誌を読んでいて、あるページに書かれた文字に目が留まりました。

卵を割らなければ、オムレツは食べられない

女優の岸惠子さんが最近、自伝を出版されたようで、それはそのタイトルでした。

見た目の美しさはもとより、ご自分の言葉ではっきりとものを仰るところが素敵だなぁと、かねてより敬愛していた女優さんです

その岸惠子さんが自伝のタイトルに選ばれたこの言葉。フランスの格言とのこと。フランス人はこうした例えまでお洒落なんだなぁと感心しつつ、その意味するところの厳しさに衝撃を受けてしまいました。

これって、まさに今の私に必要な言葉じゃないか…。

不思議なことに、必要な時に、必要な言葉に出逢う。それも本を通して…。ということが私にはよくあります。このブログでもずいぶんたくさん書いてきました。(ブログ画家 堀文子さんのこと ブログ自分の中に毒を持て…)

この言葉もまたそうした出逢いに思えてならず、早速、本を購入しました。

割れた鏡に映るような、美しくも険しい表情の著者の写真。そこに添えられた、卵を割らなければ、オムレツは食べられない という言葉。

なにか挑発されているみたいな緊張感の漂う表紙です。これは腰を据えて一気に読みたいと思い、しばしお預けに。先だっての夏休みに読み上げることができました。

類まれな美貌と才能、際立つ個性。戦争体験はじめ、いくたの危機を果敢に乗り越えてこられた精神力と行動力。いったい何人分かと思うくらい波乱万丈の人生です。

私などには想像もつかないことですが、それでも想像するに…。その原動力となったのは覚悟だったのではないでしょうか。覚悟の決まった人の持つ、揺るぎない強さが、全編に貫かれているように思いました。

実はその時、私は覚悟が定まらないまま、ちょっと混乱の中にいました。

岸惠子さんはどうして、かくも強い覚悟を決めてこられたのか。興味深く読みながら感じたのは、どのページにも溢れる自信でした。

日本人にありがちな無用な謙遜など一切せず、ご自身を常に正当に評価されています。気持ちいいくらいに。自分の力を信じられる人が、覚悟を決められる…。

私が覚悟を決められないわけがわかりました。私は、ずっと自分を信じられずにいました。いつも心をかすめるのは、自分はダメなんじゃないか、おかしいんじゃないか、そんな自信のないことばかり。これでは覚悟を決められるはずがありません。

私は自分で作ったオムレツを食べてみたいと思っています。不格好でも、たどたどしくても、ほかの誰でもない、自分で作ったオムレツを食べてみたい。

そのためにはまず自分を信じなければいけないと気づかされました。ちょっと妙ちくりんな私だけれど、そんな自分を信じられた時に、初めて卵を割る勇気が湧いてくるのだと。

卵を割らなければ、オムレツは食べられない

最初にこの言葉を見た時、「おまえに覚悟はあるか?」と問われた気がしました。鋭いなにかを突き付けられたような迫力で。読み終えて、まさに核心を突かれていたんだと驚いています。

覚悟が決まったのかどうか、まだまだ危なっかしいところですが、混乱からは抜け出せたもよう。ちょっと新境地の気分も…。

はてさて、この先の人生、店作りにどう反映していきますか。これまで同様おおらかに見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

今の私に必要な言葉をもたらしてくれた今回の一冊。著者の岸惠子さんに心から感謝です。

やゑのさんのこと

素敵な女性

2021年08月09日

やゑのおばあさん

いつか書けるかな、書けたらいいな、と思っていたこと。書いてみます。

私は京都の中心部、その中でも下町の雰囲気漂うあたりで生まれました。苗字はたいていは父方の実家と同じ、でなければ母方の実家と同じだと思うのですが。うちは父方とも、母方とも違っていて、子供の頃、それがとても不思議でした。

自宅の仏壇には、高齢の女性の遺影が置かれていました。かつて一緒に住んでいて、私が幼い頃に亡くなったおばあさんです。そのひとの苗字を名乗っているんだろうとまでは想像がつきますが、なぜ、そのひとなのか…。

知りたければ両親に聞けばいいのに、触れてはいけないことのような気がして聞けない。私はそんな子供でした。

ほどなくその家から引っ越し、成長して新しい実家からも独立し、長い間すっかり忘れていました。

自分のルーツを知りたくなる年齢というのがあるのでしょうか。相当おとなになってから、このおばあさんのことがとても気にかかるようになりました。

彼女が亡くなったのは、どうやら私が3歳の時のよう。なので、ほとんど記憶がありません。それでも記憶を辿ると、その底の底に浮かぶ映像があります。

夏の夜、おばあさんとふたり、蚊帳のなか。そこで交わした言葉も、その声も鮮明に覚えています。

それが現実だったのか、私のイメージの中で作り替えられたものなのか。確かめる術もありませんが、大切にしている記憶です。

もう一度会いたい。会って、幼い日のようにそのかいなに抱かれたい。そんな思いが膨らみ、幽霊でもいいから出てきてほしい、なんて願うほどになりました。

そして、子供の頃に聞けなかったことを、やっと父に尋ねてみることにしました。

名前はやゑのさん。子供がなく、ご主人に先立たれてからは、自宅で小さな下駄屋を営みながら一人暮らしをしていたとのこと。子だくさんが当たり前の時代、さぞや寂しかったろうと思うのですが…。

おおらかで、世話好きな性格だったのでしょう。地域のひとたちとの交流も多く、民生委員もしていたとのこと。たくさんの人に慕われ、自宅が若い人たちの溜まり場になることもあったとか。

まだ独身だった父も、そんな一人として出入りするようになったようです。当時としては婚期を過ぎていた父の身を案じ、縁談を持ちかけ、よければうちの二階に住みなさいとまで提案し。その縁談の相手というのが母でした。

そんな人柄に、両親の親たちも信頼を寄せ、次男だった父は、結婚を機に夫婦で養子に入るということに相成ったようです。

そこに兄が生まれ、私が生まれ…。人目にはふつうの三世代同居に見えたことでしょう。

まさか晩年にこんな暮らしが待っているとは思ってもいなかったはず。実の祖母以上に、私たちを可愛がってくれたのではと思います。なのに申し訳なくも、私は彼女のことをなんて呼んでいたかも覚えていません。

なので、私の中では「やゑのさん」…。

やゑのさんのことをもっと知りたくなり、3歳上の兄にも尋ねてみたことがあります。するとこんな話をしてくれました。

やゑのさんが亡くなった通夜の日、私たちきょうだいは二階で寝かされていました。幼い私はすぐに寝てしまったようですが、兄はなかなか寝つけずにいたとのこと。

というのも、階下で多くの人が出入りし、そして歌い踊るような気配が夜遅くまで続いたというのです。兄はその時はわからなかったけれど、のちにその歌が朝鮮民謡「アリラン」だったと知ることに。

やゑのおばあさんは愛知が出自の日本人ですが、当時、私たちが住んでいたあたりには在日の方も多かったようです。ご近所さんとして、あるいは民生委員としてお世話するなかで、親しくなるひともいたのでしょう。

「アリラン」は確か中学の音楽で習いました。初めて聴いた時、なんともいえない郷愁を感じたことを覚えています。

「アリラン」が通夜の席で歌われる歌なのか、私にはわかりません。が、その切ない調べは、愛しい人の死を悼み、あの世に送るのにふさわしい歌のように思います。

やゑのさんを慕う在日の方たちが、思いを込めて歌ってくださったのでしょう。私自身は見ても聴いてもいないのに、映画のワンシーンのようにありありと浮かぶ光景…。今でも思い出すたびに、胸がきゅうっと締め付けられる思いがします。

このエピソード一つで、やゑのさんがどんな生き方をしてきた人なのかわかった気がしました。世の中がまだ貧しく、あからさまな差別もあったであろう時代に、地縁血縁を超えて、誰に対しても分け隔てなく寄り添って生きた一人の女性…。

いつからか、やゑのさんは私の永遠の憧れとなりました。

実は先だって父が亡くなり、遺品整理をするなかで古いアルバムが数冊出てきました。その中にやゑのさんの生前の姿がたくさん収められていました。

ご自身の親族はもとより、私の父方、母方、それぞれの両親とも親密に交流していた様子が写されています。着物に割烹着で、地域のお祭りで立ち働く姿なども。

どの写真もやゑのさんは柔和な笑顔で、そのまわりにはいつも和やかな空気が漂っています。

やゑのさんは、ひとや場をつなぐことが、とても上手な人だったんだなぁ。そして、まわりの幸せを、自分の幸せとして感じられる人だったんだなぁ。

そうやってつながれた縁の一つで、私がこの世に生を受けたんだと、改めて思い知ることとなりました。

もっと長生きしてほしかった。そうすれば、私の人生も少し違うものになっていたのではと残念でなりません。

けれど、3年の間に、やゑのさんは幼い私に自分の持てる全てを注ぎ込んでくれたんだ。今はそう信じたいと思います。

たおやかで、それでいて凛とした強さのある佇まい。私は彼女のようになりたい。時代も環境も違うけれど、彼女のような生き方をお手本としたい。そんな思いを強くした今年の夏。

そのために、私はなにができるだろう…。

やゑのさん、空の上からずっと見守っていてくださいね。

フードコーディネーター紗矢香さん

店のこと

2021年07月08日

大澤紗矢香さん

既にご覧くださっているお客様もいらっしゃるでしょうか? このホームページ内、おじゃこを使ったレシピをリニューアルしております。

大手食品会社の商品のパッケージに「レシピはこちらから」などと書かれたQRコードが印刷されているのを見かけることがあります。 スマホをかざすと、その商品を使った料理の作り方を見ることができる仕組みです。

意外な使い方を提案すれば新たな顧客を開拓でき、買った人も目新しい料理を楽しめる。 売る側にとっても買う側にとってもうれしいことですね。

大きな会社では専門チームがあり、たゆまぬ努力をされているんだろうなぁと想像します。

大それたことはできないけれど、うちでもこんなことができないかと、かねてから考えていました。

おじゃこはあたたかいご飯にかけるのが一番ですが、ほかにも色々な使い方ができます。 そんなレシピを店頭やSNSで発信したい。 

私一人の力ではとても無理だけれど、フードコーディネーターさんがいてくださったら実現できるんじゃないか。 いつからか私の夢となりました。

前回のブログで書きましたが、昨年末から今年はじめにかけて、会員である中小企業家同友会の「実践塾」を受講。経営理念の成文化に取り組みました。 (ブログ経営理念

この夢についても、その過程で何度となく口にし、紙に書き出していました。

言葉にすると叶う。 とはよく言いますが、たちまち叶ってしまった次第。 まさに実践塾マジック! 私自身が一番ビックリしています。

改めましてご紹介します。 フードコーディネーター、大澤紗矢香さん。 SB食品のコンテストで2年連続グランプリを受賞されたという実力者。願ってもないご縁です。

早速に提出いただいたレシピは、初回から驚きの連続でした。 とにかく写真がお上手で、料理がまるでそこにあるかのように美味しそう。 テーブルセッティングもお洒落で、食卓の語らいまで聞こえてくるような。

一眼レフのカメラで撮影されているとのこと。 本格的です。

作り方を見ると、食材も手順も少なく、簡単に作れそうなものばかり。 添えられたコメントには、その料理への愛が感じられ、いつも今夜にも作ってみたい思いに駆られます。

そして作ってみると、本当にどれも美味しい! しかも栄養バランスも優れていてヘルシー。

なにより感心するのは、あくまでも、おじゃこを引き立てる料理であることを第一に考えてくださっていることです。

肉料理、野菜料理、和風、洋風、エスニック…。 バラエティに富んだ味付けながら、どれもおじゃこの持ち味が生かされていて、おじゃこだからこそ生まれた味わいが、しみじみと感じられます。

そこに行き着くまでに、どれだけの試行錯誤があったろうとお察ししますが、その過程がまた楽しいと仰る紗矢香さん。 常に研究熱心で、仕事に向かわれる時の謙虚で真摯な姿勢に、いつも頭が下がります。

そのレシピ、料理初心者の方でも迷ったり思い違いが生じないよう、とても丁寧に説明されています。 小説は行間を読むと言いますが、紗矢香さんの文章も然り。 これから作ろうとする人への配慮や思いやりが行間いっぱいに溢れているのが読み取れます。

そんな丁寧な説明も、SNSに載せる際には字数の関係もあり省略してしまうことがあるのが、心苦しいところです。

というわけで、【勝手に命名フードコーディネーター紗矢香さんの素敵☆おじゃこレシピ】と銘打ってインスタグラムやフェイスブックでも発信しています。

これらのお料理、もちろん「しののめ寺町」のじゃこ山椒で作っていただいています。 小ぶりで柔らかく、あっさり薄味のうちのおじゃこだからこそ、いろいろな食材とよく馴染むんだなぁと思います。

うちのおじゃこでレシピ通り忠実に作っていただければ間違いありませんが、必ずしもそうでなくてもいいと思っています。 よそのお気に入りの店のものでも、ご自身で炊かれたものでも。 とりあえず試してくださることが一番です。

ただ、口当たりや味の具合は変わると思いますので、そのあたりはそれぞれに調整されてはと思います。 紗矢香さんのレシピをヒントに、その方だけのオリジナルレシピが生まれるのも、またいいですね。

長年「ほぼ専業主婦」だった私。 手の込んだものもなんのその。 毎日テーブルいっぱいに料理を作ってきました。 それも今は昔。 店を始めてからはとにかく単調な手抜き料理の繰り返し。

姿を消したレパートリーは数え切れない一方で、新しいレパートリーを開拓する気など毛頭なく。

それが紗矢香さんのレシピに出会ってからは、初めての料理にトライするのが楽しくって仕方なくなりました。

ある時、ハンドミキサーが必要なレシピがありました。 お菓子作りなどしなくなって何十年。 道具一式を段ボールに詰めて高い棚のその奥にしまいこんでいたのですが… 。

踏み台に乗って取り出し、久し振りに日の目を見たハンドミキサー。動くかと心配しましたが、ちゃんと動いてくれました。 なんだか誇らしそうなハンドミキサーを眺め、私もうれしい気持ちに。仕上がった料理も、とっても美味しいものでした。

長引くコロナ禍のみならず、なにかと閉塞感いっぱいの今。紗矢香さんのレシピは、私の大きな癒しになっています。クリエイティブなことって、やっぱり楽しい!

こうした思いも一緒に多くの方に届けられたら、と思うのですが。まだまだうまくお伝えし切れていないのが歯がゆいところです。

うちが超有名店なら出版のお話が舞い込んでもおかしくないかも、なんて思ったりします。「〇〇の料理帖」みたいなタイトルで、装丁まで目に浮かぶよう(笑)。

全レシピが、じゃこ山椒を使った料理本って、これまでにあったでしょうか。どのページをめくってもおじゃこ尽くし、なんて本。京都らしくっていいと思うのですが。

家族の団らんでも、一人暮らしの食卓でも、小さなお子様からご高齢の方まで、さまざまな生活場面で活用していただけるおじゃこレシピ満載の一冊。おじゃこの可能性を広げ、食の楽しさを届けられる。そういう本ができたらいいなぁ。

紗矢香さんの素敵なレシピを眺めながら、そんな夢がふくらむこのごろです。

引き出しをいっぱいお持ちの紗矢香さん。まだまだ新しいレシピが生まれていく予定です。一人でも多くの方に知っていただけるよう、私も努めていきたいと思っています。

インスタグラムのアカウントはshinonome_teramatiです。ご覧になれる方は、ぜひフォローをよろしくお願いします!

追記:2022年、オリジナルレシピの提案を中心とする「UTUCIKI」を立ち上げられました。そちらのホームページもぜひご覧ください。

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