ふ る さ と
店のこと
2013年12月31日
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大晦日です。「しののめ寺町」はきのうで一年の営業を終了させていただきました。
年末に向かうにつれ、帰省の手土産にとお買い求めいただくお客様が増えていきました。家族のたってのリクエストで、と仰る方も多く、ありがたいことでした。帰られる先は、皆さん西へ東へと様々ですが、表情は一様にうれしそう。心は早、ふるさとに飛んでいるようです。
私はというと、もう実家はなく、親戚が集まる習慣もなくなってしまいました。皆さんを見送りながら、帰られた先々の様子を想像しては急に泣きたくなったりして。どうも人恋しくなる季節です。
京都に生まれ、学校も、就職も、結婚も地元で済ませてしまった(笑)私、「帰省」というものにとても憧れがあるようです。お盆や年末になると決まって、帰省客で混み合う駅の光景が報じられます。今でも見るたびに、大変そうと思う反面、一度でいいから経験してみたいとも思います。
古い日本家屋、襖を取り払った座敷に長いお膳を二つほどつなぎ、その上には鉢や大皿に盛られた手料理がずらり。そのまわりで親戚一同が酒を酌み交わし、子供たちは走り回っては叱られて…。なんて妄想を何度したことでしょう。
今でもあるのでしょうか、「レンタル家族」というサービスが話題になったことがあります。事情や希望に合わせて、無名の役者さんが家族を演じてくれるとか。どこか田舎の古民家を借りて、この光景を再現してほしい、なんて考えたことも。突拍子もない夢ですが(笑)。
実のところ、私がほしいと思っているのは「ふるさと」そのものというより、こうしたイメージに象徴される「心のふるさと」なのかもしれません。ここでは安心して羽を休められる、この人の前では素の自分でいられる、子供のように…。そうした場所や人がほしいのかも。
生まれながらの「ふるさと」をもつことはもう叶いませんが、私なりの「ふるさと」を見つけることは今からでも出来るかもしれません。地縁血縁を越えた「第三のふるさと」…。大それたことでなくてもいいから、馴染みのごはん屋さんを探してみるとか、新しいネットワークに顔を出してみるとか、そんなことから始めてみようか。そんなことを思う年の瀬です。
「ふるさと」探しに心を砕く私を尻目に、うちのじゃこ山椒と塩昆布たちは、今頃、各地の「ふるさと」に着いた頃でしょうか。たくさんの「おかえり」の声に迎えられている頃でしょうか。私になり代わり、「ふるさと」の温かい空気をたっぷり味わってきて、いっぱい愛されてきて、と願うばかりです
一年間、私たち家族、ケガなく、病気せず、無事に過ごすことができました。「しののめ寺町」を滞ることなく開けることが出来ました。ひとえに多くの皆様の、ご愛顧ご支援のお陰です。本当にありがとうございました。
どうぞ良いお年を、そして来年も何卒よろしくお願いします。
マッチ売りの少女
季節のこと
2013年12月23日
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クリスマス間近、各地でイルミネーションがきらめきます。年の瀬の賑わいと共に、心踊る季節です。
なんて、常套句を書いてしまいましたが、天邪鬼な私はちょっと違った思いでこの季節を過ごしています。去年12月のブログ「クリスマスだから考える」でも書きましたが、イルミネーションがきらびやかであればあるほど、その向こうの闇が気になります。
「しののめ寺町」開店前、夜にウォーキングをしていたことがあります。自宅は賀茂川の上流、北山橋の西側の住宅街ですが、橋を東に渡ると大通りをはさんでお洒落な店が立ち並びます。
夜でも明るく、ウィンドウを眺めながら歩くのはいい気分転換になります。朝のような爽やかさはありませんが、陽焼けの心配もなく、一日に溜まった澱(おり)を流せる爽快感も気に入っていました。
ファストフードから高級そうなフレンチまで様々な飲食店が並び、いい匂いと共に窓越しに楽しそうに食事する人の姿が見えます。ブティックのショウウィンドウではカラフルな洋服を着たマネキンがポーズをとり、雑貨屋さんでは夢いっぱいの部屋が設えられています。ウェディングホールがいくつかあり、披露宴を終えたばかりの新郎新婦がお客様を見送る場面に遭遇することも。
このあたり、クリスマスの時期になると競うようにイルミネーションが施され、まばゆいばかりの通りを、カップルや家族連れなど多くの人が行き交います。
そんななかをウォーキングしていると、不思議な感覚に陥ることがありました。この世の中、皆が皆、とっても幸せな人ばかりなんじゃないか。私一人、ひととは違う次元にいて、まわりからは私の姿は見えていないんじゃないか、なんて。不安になって、まわりの人の反応を伺ってみたりして。
ふと思い出されるのが、幼い日に呼んだ童話「マッチ売りの少女」でした。クリスマスの夜、マッチ売りの少女はこんな気持ちで街を歩いていたのかなと、ちょっと悲劇のヒロイン気分に浸ったり。
そんな妄想も、ウォーキングを終えればおしまい。自宅に帰ると、いつもの日常に戻り、お風呂につかり、あたたかい布団で休みます。マッチ売りの少女とは相当違う結末です(笑)。
毎年、不思議に思うのですが、クリスマスの時期、イルミネーションがきらめく中すれ違う人は誰もが幸せそうに見えるのはなぜでしょう。
それが本当なら、それはそれで素敵なことです。けれど残念ながら、世の中の人が皆が皆、幸せでいるのは難しいことです。幸せな人の隣で、悲しんでいる人がいるかもしれません。
華やかなことが苦手な私、派手なイルミネーションは要らないけれど、、足元をそっと照らしてくれるキャンドルがほしいなぁ、「だいじょうぶだよ」と励ましてくれる灯りがほしいなぁ。冬、寒さと共にさみしさや心細さが身に沁みる帰り道、そんなことを思うこのごろです。
幸せな人はそのまま幸せで。悲しんでいる人は束の間幸せに。クリスマスがそんな一日であればいいなと思います。
主婦が旅をするということ
店のこと
2013年12月16日
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ここ寺町通りは、最近、静かな観光スポットとして人気のよう。「しののめ寺町」にも毎日、全国各地から旅行で来られたお客様が立ち寄ってくださいます。
熟年ご夫婦、ご家族連れ、若いカップル…。皆さん、楽しそうですが、とりわけ楽しそうなのが主婦の方らしきグループ旅行の皆さん。年に何回も、という旅慣れた方もおられますが、やっと来られた、という方も。そうしたお客様の楽しそうな様子は格別です。
お一人がなにか言ったといっては皆で笑い、お一人がなにかしたといっては皆でまた笑い…。若い女の子のことを、箸がこけてもおかしい年頃、なんて言いますが、まさにそんな感じです。私が言うのもなんですが、女性ってかわいいものだなぁと思います。(笑)
私も主婦の身、手に取るようにわかります。帰宅時間を気にすることも、今晩の献立を考えることも必要ない。ただそれだけのことが、どんなに大きな解放感か。そんな貴重な時間を、気の置けない友達と過ごせることが、どんなに大きな喜びか。
皆さんの楽しそうな様子を見ていると、人恋しくなって、私も友達を誘って旅行に行きたいなぁ、なんて思います。すると急に泣きたくなったりして…。私は私で、いくつになっても多感なお年頃です。(笑)
なかでも印象深いのは、今年の桜の頃にお見えになった妙齢のお二人連れ。伺うと、福島から夜行バスで今朝、京都に着かれ、今夜にはまた夜行バスで帰られるとのこと。ニュースでよく耳にする地域の方でした。
早朝から清水寺などを回られ、夕方うちに来られた時には、さすがにお疲れの様子。椅子に腰かけてほっこりされながら、先々での出来事をうれしそうに話してくださいました。強行スケジュール、大変ではあったでしょうが、思い切らなければ味わえなかった経験をたくさんされたご様子でした。
「京都ではおかずとご飯が一緒に出ないんですね」と、お昼に召し上がった京料理のスタイルをとても珍しがられていました。うちの薄味に炊いた塩昆布を気に入ってくださり、「帰ったら、食事の最後にご飯と一緒に出そうと思って、京都風にね」とお買い上げ。「家族はびっくりするでしょうね」と悪戯っぽく笑われていました。
家事は賽の河原で石を積むようなもの、なんて文章を読んだことがあります。家事にはキリもなければ終わりもなく、主婦が家事から解放されるには、物理的に家から離れるしかありません。主婦にとっての旅は、どこかへ行く楽しさとともに、家から離れる気楽さでもあります。
そんな主婦の旅も、最後には家族のためにお土産を買い、食卓に思いを馳せられる。あぁ愛おしきかな、主婦…。皆さん、お幸せなんだなぁと思いながら、いつもお見送りする私であります。
旅好きな私も、開店以来すっかりご無沙汰です。写真のスーツケースも今では店への通勤かばんとなり、行きは店での昼食を詰めて、帰りはスーパーで買った食材を詰めての往復です。(笑)
そろそろ一度「ひろみちゃん」に戻れる時間を作ってあげなければ、箸がこけたと言っては友達と笑い合う女の子に戻してあげなければ、そんなことを思うこのごろです。
紅葉の頃 思うこと
季節のこと
2013年11月30日
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京都の紅葉は、今が見頃のようです。「しののめ寺町」でも紅葉の名所からお帰りのお客様が、口々にその美しさを話してくださいます。嵐山、詩仙堂、実相院…、それぞれの光景を思い浮かべ、パッチワークのようにはぎ合わせて、紅葉スポットを巡った気分を味わわせていただいています。
最近では昼間のみならず、夜、ライトアップされた紅葉を愛でることができるようで、たいそうな人出とか。春、ぼんぼりの下での夜桜見物はいにしえからの風物詩ですが、夜紅葉見物はいつから定着したのでしょうか。観光都市、京都ならではの風習なのでしょうか…。
夜は暗いもの、日が暮れれば木々は闇の中で眠るもの、そう思う私はどうも馴染めずにいます。夜まで煌々と照明に照らされ、人の視線と嬌声に晒される木々が気の毒に思えてなりません。
美貌と才能に恵まれたばかりに、どんなに疲れていても舞台に立つことを運命付けられた女優さんのよう。美しいけれど、痛々しくて見るのが辛い。
そんなわけで、紅葉のライトアップは未だに出かけたことがない私…、やっぱりちょっと変わっているのかもしれません。(笑)
京都市民がこんなことを書くなんて、とお叱りを受けそうですが、あくまでも個人の感想ですので、なにとぞ寛大な対応をお願いします。m(__)m
ところで今年の紅葉は夏の猛暑の影響で、色づきがいまいちとか。あの暑さには人間だって参ったものです。髪や肌の傷みに、秋になって大慌てでメンテナンスするも、年ごとの衰えは隠せません。
空に向かって立つ木々は、それこそまともにダメージを受けたことでしょう。それでも秋にはこうして自力で身を美しく装うのですから、そのうえ年ごとに風格を増すのですから、樹木はやっぱり大したものです。紅葉の色づきを云々するのは失礼に思えます。
どうも人間よりも樹木寄りの私、きっと前世は樹木だったんじゃないかと思っています。(笑)
自宅近くの京都府立植物園の北側、北山通りの街路樹の銀杏もきれいに色づいています。華やかなものが苦手な私は、燃え立つようなまっ赤な紅葉より、黄葉の方が好き。陽を浴びて黄金色(こがねいろ)に輝く銀杏は本当に美しいと思います。
私の前世が樹木で間違いないなら、きっともみじではなく銀杏だと思います。(笑)
紅葉スポットに出かけなくても、こうした街中の街路樹を眺めているだけで秋を満喫できるものです。忙しくて出かけられずにいる自分への言い訳、でもありますが。
それにしても…、あまりに美しいものを見ると哀しくなるのは私だけでしょうか。そんなことを思う紅葉の頃です。
イリーナ・メジューエワさんのこと
アートなこと
2013年11月24日
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先日、イリーナ・メジューエワさんのピアノ・リサイタルに出かけてきました。京都在住のロシアのピアニストです。
「しののめ寺町」開店当初から、日本人のご主人様と共にご贔屓いただいている大切なお客様です。陶器の人形のように美しく、初めてご来店くださった時、見とれてしまったのを覚えています。しばらくして新聞記事で有名なピアニストと知った次第、ふだんはとても控え目な方です。
初めて出かけるイリーナさんのリサイタル、どんな姿でどんな音色を奏でられるのか、とても楽しみに登場を待ちました。フランス人形のようなドレスを想像していたのですが、現れたのは流れるようなシルエットの黒いシンプルなドレス姿。意外でしたが、むしろイリーナさんの素の美しさを引き立てていて素敵でした。そして演奏開始…、
驚いてしまいました。
素人にも一目瞭然の技術の高さ、華奢な体のどこにこんなパワーが秘められているのかと思う力強さ、ほとばしる熱情…。そこにいるのは、店で会うイリーナさんとは違う、ピアニスト、イリーナ・メジューエワ。一人の芸術家でした。
感動しながら、不思議な感覚も味わっていました。音楽の素養のない私、もともとクラッシックに興味があったわけではありません。そんな私が、今ここにいて、目にしている光景、耳にしている音、感じている思い…。これらは「しののめ寺町」がなければ、そこでのイリーナさんとの出会いがなければ、生まれなかったものだなぁと。
これからもイリーナさんのピアノ・リサイタルがあれば出かけていくでしょう。ひとつ、新しい扉が開いた気がしました。
人は意識の底に、その何倍もの無意識を抱えていると言われています。自分で「私はこれが好き」って思っていることは、実はほんの一部で、気づいていない「好き」、残念にも気づかないまま終わってしまう「好き」を、人はたくさん抱えているのかもしれません。ゆらゆらと起こされ、目覚めの時を待っているたくさんの「好き」が、心の底深くにまだたくさん眠っている。イリーナさんの演奏を聴きながら、そんなことを思いました。
「しののめ寺町」でのさまざまな方との出会いに感謝し、そこから生まれる「好き」を見逃さず、大切に育んでいきたいと思います。「好き」が多ければ多いほど、人生は楽しくなるはずですから。
感動した私、リサイタル終了後、CDを購入してサイン会の列に並んでしまいました。私に気付いたイリーナさん、とても恐縮した様子でした。翌日、さっそくご来店いただいたのには、今度は私の方が恐縮してしまいました。日本人顔負けの律義さです。(笑)
感動を伝えると、消え入りそうな声で「恥ずかしい…」と言って、ご主人の後ろに隠れんばかりに…。舞台上のイリーナさんはもちろん素敵だけれど、いつものイリーナさんもまた素敵で、なんだかホッとしました。
私の中の「好き」をひとつ目覚めさせてくださったイリーナさんに、心から感謝です。