アロマキャンドルヨガ

心と体のこと

2018年03月24日

以前のブログでも書きましたが、店を始めてから、自宅近くのフィットネススタジオに通うようになりました。夜遅い時間や店の定休日を利用して、ヨガやピラティスといったプログラムに参加しています。(ブログ

店をやっていくためには、なんといっても健康が一番。体のメンテナンスのためにと通い始めたのですが、思いのほか心のケアに役立っていることに驚いています。なかでも金曜日の夜のアロマキャンドルヨガは、心身共にリラックスできる心地いいプログラムです。

週休二日のOLさんたちは、ここで一週間の疲れを癒して、素敵な週末に入っていかれるんだろうなと想像します。水曜と第2、4木曜が定休日の私は、金曜日はまだ始まったばかり。そうはいかないのが、ちょっと辛いところではありますが。

照明を落とし、アロマキャンドルの灯りと香りのなか、まずはヨガマットに横たわり、目を閉じて、力を抜いて、深い呼吸を繰り返すことから始まります。

この時に先生から掛けられる言葉が、心にストンと落ちていくことがあります。まるでその日の私のために用意されていたかのように…。とてもシンプルな言葉なのですが、禅問答のような、哲学のような、神の啓示のような。大袈裟に思われるかもしれませんが、私にとってはそんな感じです。

そうした時々の言葉と心模様を記録しておきたくて、帰宅するなりフェイスブックに投稿することがあります。私にとってフェイスブックは、ネット上の絵日記のようなもの。印象深いことがあった日は、写真を添えて投稿するのが、いい息抜きになっています。振り返ってみたくなり、いくつかピックアップしてみました。

今夜はアロマキャンドルヨガ。目を閉じて、自分の呼吸に意識を向けて。「手放したいものを呼吸にのせて、全部吐き出しましょう。ストレスだったり、傷みだったり…」って、先生。ヨガって、深い。

2014年9月12日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。久し振りに来たら、心も体もこわばっているのがよくわかる。「今日は、ただただ自分の呼吸に意識を向けてみましょう」って、先生。自分勝手はよくないけれど、自分中心はいいのかも。

2014年10月3日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。ここで聞く言葉はいつも心地いい。ネガティブな言葉は全部洗い流して、いい言葉だけ残して、今夜は眠ろう。

2015年11月20日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「日常に起こる小さなアクシデントは、なにかのお知らせかも知れません」って、先生。お知らせだらけの毎日、気づきがいっぱい(笑)。そう思ったら、おもしろい。

2016年3月11日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「自分の動きやリズムに違和感があれば、自分のイメージに変換することができます」って、先生。嫌なことは、嫌なまま残しておかなくていいんやなぁ。って、私流の解釈。

2016年4月1日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。スタジオの窓から満月。「満月の夜は、要らないものを手放しやすい日です。自分の感情のなかで、これは要らないと思うものを、吐く呼吸にのせて手放すことができます」って、先生。なんだか身軽になれた、満月の夜。

2016年4月22日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「ちょっといいかも、って思えることを見つけられると、自分は変われる」って、先生。ここに来ると、あくび連発の私。しかもお構いなし。どんだけリラックスしてるんやろ。こんな緊張感のない私って、ちょっといいかも。

2016年5月27日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。マットに横になって、目を閉じて、深い呼吸をして。「評価しないで、自分を観察してみましょう」って、先生。なんか、涙が出た。

(ブログ評価しない

2016年12月2日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。まるで障害物競走みたいなこのごろ。一つクリアするたびに、息つく間もなく「ほら次、次」って急き立てている私がいて。「自分のペースに合わせて呼吸をしてみましょう」って、先生。それだけのことが、こんなに心地いいなんて。なんか、ほっとした。

2017年4月7日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。手を合わせて、目を閉じて、ただ立つポーズ。体が微妙に揺れるよう。「揺れを止めなくていいですよ。その揺れを味わいましょう」って、先生。わからないこと、決められないこと、だらけの毎日。そんな揺れている今も、大事な時間かも。 2017年10月20日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「自分の中に秘めているもの、出し切れていないもの、そういうものに目を向けてみましょう」って、先生。えぇ~、私の中、そういうものでいっぱいや~ん。

2018年2月23日

今夜はアロマキャンドルヨガ。瞑想の時間。「頭の中を駆け巡るものが出てきたら、そっと眺めてみましょう」って、先生。それは怖いものだったりするけれど、そっと眺めてみる…、その距離感はいいかもしれない。

2017年3月9日

 

こうして読み返してみると、その時々の思いが、手に取るように思い出されます。時に途方にくれていたり、疲れ果てていたり。それでも、いつもいつも心にあったのは「明日、店を開けなくちゃ」という思いでした。

邪念が頭をかすめながらも、ひとつひとつポーズをとっていくうちに、少しずつ体の偏りが修正され、滞っていたものが流れていくのを感じます。連動して、心にも同じ感覚が。

得体のしれない巨大なものと戦い、翻弄されているように思っているけれど、実は自分のありよう次第なのかもしれない。そんなことに気づかされます。

帰宅後、フェイスブックの投稿を済ませ、軽い夕食を取り、お風呂から上がると、たちまち深い眠りに落ちていきます。翌朝の目覚めは、いつもすっきり。こうやって一週間、一週間…。

お蔭様で「しののめ寺町」は3月16日、6周年を迎えることができました。店と向き合ってきた年月は、とりもなおさず自分と向き合ってきた年月だったのだなぁと思います。そして、フェイスブックの私の拙い投稿に「いいね!」をくださった方をはじめ、たくさんの方に励まされてきた年月でもあります。

節目の5年を過ぎ、新たな力が必要な時が来ていると感じるこのごろ。ますますしっかり自分と向き合い、自分の中に秘めているものを惜しみなく出していかなければ。怖いことはいっぱいあるけれど、それでも踏み出していく勇気を持たなければ。そんなことを思っています。

来年、元気で7周年を迎えられるよう、この一年またがんばってまいります。これからもよろしくお願い申し上げます。

堀文子さんの言葉 3

素敵な女性

2018年02月28日

新しい年が始まったと思ったら、早、2月も終わり。一年の6分の1が過ぎたことになります。ということは…、今年の目標の6分の1が片付いていないといけない、という勘定でしょうか。いやはや、困った。

昨年は3月に5周年を迎えるということで、チャレンジの年と位置付け、年初からなにかと慌ただしい毎日でした。なかでも対外的な仕事は、それぞれに厳格な締め切りや決まりごとがあり、否が応でも対応せざるを得ない状況に。

慣れないことに四苦八苦しながらも、お尻に火が点くと出来てしまうものだなぁと、人間に備わった底力に感心したものです。ぎっくり腰という、有り難くないおまけつきではありましたが(笑)。

そんな新しいこと続きだった昨年から一変。今年は、地に足をつけ、腰を据え、今あることを一つ一つ丁寧に見直す年にしよう。そう目標を掲げました(ブログ場の神様)。

開店から間もなく6年。改めて見直してみると、改良しなければいけない点がたくさんあることに気づきます。まるで目の前にあったフィルターを外されたよう。どうして今まで気づかなかったのか、なんと無知なままやってきたのか、呆れるばかりです。

それもこれも6年続けてきたからこそわかること。心新たに推し進めていこう、そう考えていました。例年、1月2月は店ものんびりモードとなり、手を付けるには格好の時期です。

ところが、いざとなると考えが頭の中で堂々巡りするばかり。一向に行動に移せません。必ずしも、今日、しなくてもいいわけで。むしろ、しない方が、余計な混乱を巻き起こさずに済むわけで。

なんて、先送りしているうちに日は過ぎるばかり。自分で自分のお尻に火を点けるのは難しいもの。しまいには、動物も冬眠する季節、寒さや日照時間の短さが、人間の行動力も鈍らせてしまうのかも。なんて、苦しい言い訳をしたりなんかして(笑)。

ふがいない自分に呆れながら、この間、しきりに浮かぶ言葉がありました。私が敬愛する女性の一人、画家、堀文子さんのエッセイ「堀文子の言葉」に収められた一節です(ブログ堀文子さんの言葉 堀文子さんの言葉2

 

群れない 慣れない 頼らない 

これが私のモットーです

 

一つの画風を確立すると、もはやそこには留まらず、新たな画風を求めて、新天地を切り拓き続けて来られた、孤高の画家、堀文子さん。自由な発想と、果敢な行動力。なにより、それらを支える強靭な精神力。堀文子さんの言葉には、どれも圧倒されますが、「慣れない」の言葉には、痛いところをキリキリ突かれる思いがします。 

正直のところ、今年の目標は、チャレンジの年と位置付けた昨年より、ずっと楽だと思っていました。とんだ見当違い。今あることを見直していくのは、新しいことを始めるよりも、ずっと難しい。

慣れたことには、良くも悪くも安心感があり、わざわざそれに手を加えるというのは、とても勇気の要ることです。変えたことに、理由を求められることもあるでしょう。確かな裏付けと自信がないことには出来ません。

私がなかなか行動に移せない理由。それは、そもそも知識や経験が絶対的に足りないからではないか。裏付けがないから、自信もない…。

なんの知識も経験もないまま飛び込んだ商売の世界。なにがわかっていないのかもわからないまま、ただ夢中でやってきたように思います。ようやく、わからないことが、わかってきたのでしょう。無知なまま行動することが、とても怖いことだと気づきました。

堀文子さんは、常に感性を研ぎ澄ませ、日々、研鑽(けんさん)を積んでこられるなか、ひとところに安住し慣れてしまうことを良しとしない。そういう生き方が、身につかれたのだと想像します。慣れない、ということの裏には、たゆまぬ努力が不可欠。成長し続けていることが前提です。

改めて、一から勉強だなぁ。

学ぶべきことがあまりに膨大で、ちょっと途方に暮れている私でありますが、年頭に掲げた、今あることを一つ一つ丁寧に見直していく、という目標。これは今年に限ったことではなく、ずっと続くテーマです。ならば、焦らずに、できることからやっていこう。そう思うと、少し気が楽になりました。

堀文子さんには遠く及びませんが、現状に慣れてしまうことなく、常に新しい「今」を更新していけるよう、たゆまぬ努力を続けていきたいと思います。よりよい店づくり、健全な経営を目指して。

年明けから2ヶ月をかけて、ようやく目標達成のためにすべきことが明確になりました。かなりの出遅れ。しかも、かなりの遠回りとなりそうです(汗)。どうぞ気長に見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

ちりめんじゃこ

店のこと

2018年01月30日

京都では野菜の高値が続いています。皆さんのお住まいのあたりでは、いかがでしょうか。冬野菜の美味しい季節、お鍋などでふんだんにいただきたいところですが、つい買い控えてしまうのが実情です。

昨年の相次ぐ台風の影響かと思われますが、野菜以外にもいろいろな方面で影響が出ているもよう。ちりめんじゃこも例外ではありません。海流の変化もあるとか。漁獲高が大幅に減り、深刻な品薄、価格高騰が続いています。

ちりめんじゃこは誰もが好きな食材。じゃこ山椒も、今では京都土産に挙げられるほどの人気商品となりました。扱っておられるお店は数知れず。皆さん、どうしておられるものやら。分け合って、譲り合って、この危機を一緒に乗り切れたら…。なんていうのは夢物語。現実は厳しい競争の世界です。

どうなることかと案じながらの年越しでしたが、幸いにも、なんとか確保できている状況です。ひとえに、仕入れ業者さんのご尽力のおかげ。長年のお付き合いと信頼関係の大切さを痛感した次第です。

ただ、仕入れ価格の値上がりは免れず。当店で販売の商品も、一月より一袋の容量を55gから50gにさせていただいております。少し形の不揃いなちりめんじゃこが紛れていることもあるかもしれませんが、ご容赦のほどお願いします。

これまでにも、自然災害による不作や不漁、それに伴う様々な被害の様子は、ニュースなどで何度も見聞きしてきたところです。丹精込めて作られたお米や野菜、果物が、一日にして無に帰す。自然災害とは少し違いますが、手塩にかけて育てられた家畜が、思いもよらない病気で処分の憂き目に遭う…。

いずれも、どんなに無念なことかと思いを馳せながらも、どこかで遠い世界のことと感じていたように思います。今回、自分の身が危ぶまれる事態になって初めて、決してひとごとではないのだということを思い知った次第。想像力の乏しさに恥じ入るばかりです。

日本の食の豊かさは、今さら言うまでもないこと。まわりには食べ物が溢れかえっています。お金さえ出せば手に入らないものはなく、目新しいものが次々と現れ、飽きることがありません。

もとを辿れば、それらは海や山の自然の恵みであること。動物であれ植物であれ、他の生き物の命をいただいているということ。その有り難さをつい忘れがちになっているように思います。

私が敬愛してやまない佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと4)が、生前、よく口にされていた言葉があります。「命の移し替え」…。自然の恵みをいただき、自分の中にまた生かしていく、ということでしょうか。

春、庭に芽吹いたフキノトウを、小さなナイフでそっと切り取り、収穫されている映像を拝見したことがあります。自然に対する慈しみ、謙虚さがにじみ出たお姿が、とても印象的でした。

野菜でも魚でも、そのものの良さが最大限に生きるよう丁寧に調理され、出来上がった料理を、皆で感謝していただく。そういう活動を長年してこられた初女さん。幸運にも、そんな場をご一緒させていただけた経験は、今でも私のかけがえのない宝物となっています。

上の写真は、炊く前のちりめんじゃこです。小さくて、柔らかくて、触れるとふわふわして、銀色に輝いています。まさに銀(しろがね)。これを鍋で炊くと、黄金(こがね)色に照り返るじゃこ山椒となります。美しいマジックのよう。これもひとつの「命の移し替え」かも。などと思うのは、少々拡大解釈過ぎるでしょうか(笑)。

1月10日に商売繁盛を願って行われる十日えびす。今年は神戸に住む友人の案内で、兵庫県の西宮神社に出かけてきました。恵比寿様は、鯛を抱えておられることから、豊漁の神様でもあられるとか。商売繁盛と共に、一日も早い豊漁を一心に祈願してきました。

当たり前のように仕入れ、調理し、販売している…、と思っていたちりめんじゃこ。それは決して当たり前ではないことを、今回の不漁は教えてくれました。自然の恵みに感謝し、その自然からいただいた命を、自分の中でまた生かせる私でありたい。改めてそんなことを思うこのごろです。

皆様には、ご理解のうえご了承いただけますこと、心よりお願い申し上げます。

場の神様

店のこと

2018年01月16日

1月もはや中旬。新年のご挨拶が遅れました。皆様、どのように新しい年を迎えられましたでしょう。

私はといいますと…。12月は一年で一番忙しい月。店を始めて以来、毎年のことながら、大掃除もお正月の準備もできないままの年越しとなってしまいました。疲れと安堵感から、ちょっと虚脱状態で迎えた新年。午後になって、ようやく自宅近くの大型スーパーへ買い物に。今時は元日から開いている店があり、忙しい身には助かります。

そこで古くからの知人にバッタリ。年末のブログ(ブログよぅ、がんばらはったなぁ)を読んでくださっていたのか、偶然か。会うなり「よぅ、がんばったなぁ」と声を掛けていただきました。その言葉がスッコ~ンと心に落ちたもよう。一年間、張りつめていた気持ちが一気に緩み、とつぜん涙がポロポロ。

通りすがりの方は、なんと思われたことでしょう(笑)。お恥ずかしい限りですが、涙の効能は絶大。なんだか気持ちがスッキリし、にわか仕掛けのお節の準備、大掃除のまね事などをして、たちまちお正月気分にリセットされました。

豪華なことはなにもない我が家ですが、休みと思うだけで味わう解放感は、なによりの贅沢です。最後には、読書の時間も少し持つことができました。なにも起こらない静かな時間…。ふと、あの慌ただしい生活にまた戻れるだのろうか、と不安がよぎったりして。

そんな不安も束の間、営業前日には仕込みやもろもろの準備に、朝早くから店に行かねばなりません。いつも思うことなのですが、長い休みの時は、店も静かに休息しているよう。普段は店も緊張しているんだなぁ。邪魔をしないよう、静かに準備に取り掛かるのが常です。

ところで、店にはたくさんの守り神様に居ていただいています。神棚には各社のお札。店先の植木には小さなお地蔵様。店内には大黒様(ブログ大黒様)に鳳凰様(ブログ鳳凰様)。祇園祭の厄除けの粽(ちまき)に招き猫。飾られた写真や絵画…。

非力な私たち、四方八方から守っていただかないと、と一つずつ自分で買い求めたものもあれば、お客様や知人から贈られたものもあり。その方たちのお気持ちも含めての守り神様だと思っています。

閉店後には、その日の無事に感謝して、それぞれの神様にご挨拶するのが欠かせない習慣です。そして店を出る前、最後に店内を振り返ると、いつからでしょう、天井近くにゆらゆらと、たゆたう気配を感じるようになりました。とても厳かで、畏れ多い。けれど、おおらかな…。思わず手を合わせます。

それは守り神様たちが融合されたもののような。あるいは、どの神様でもない独自のもののような。この土地の上に建つ、この店にのみ宿られる神様。いわば「場の神様」とでもいうのでしょうか。開店から5年を過ぎて、ようやく姿を現してくださったのか。あるいは、ようやく感じられる私になったのか。

何百年と続く老舗店に入った時に感じる、えもいわれぬ空気感があります。それはやはり、そのお店の「場の神様」が、醸(かも)し出されるものなのではないでしょうか。誰の目にも明らかなその風格は、重ねられた年数のたまもの。さすがというしかありません。

この神様、もし私が邪(よこしま)なことを考えたり、したりしたら、たちまち消えてしまわれるに違いない。建物はあっても、もぬけの殻のような、そんな店になり下がり、やがて消えてしまう。そんな気がしています。

節目の5年を過ぎ、6年目となる今年は、これまで無我夢中で気づかなかったこと、そうした一つ一つを丁寧に見直していく年にしたいと考えております。「場の神様」に守られながら、試されながら、最後にまた泣き笑いできるよう、がんばっていく所存です。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

よぅ、がんばらはったなぁ

店のこと

2017年12月31日

今年も残すところあと一日となりました。皆様にとって、どんな一年でしたでしょう。

「しののめ寺町」は今年3月、お蔭様で5周年を迎え、節目の年となりました。うれしいことではありますが、一方で、この先を見据えた時、果たしてこのままで続けていけるのか、という不安も。

伝統を守りながらも、新しい試み、展開が必要なのではと思うのですが、明確なビジョンがあるわけではありません。それを見定めるために、まずは出来そうなことから挑戦をしてみよう。そう心に決めて、今年はチャレンジの年と位置付けました。

昨年末より計画していたことや、外部から舞い込んだお話もあり、チャレンジの年にふさわしい幕開けとなりました。その分、気の重さも大きく、年頭のブログにはただならぬ緊張感が漂います(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)。

年明け早々から準備を重ね、ひとつひとつ実現していきましたが、「山椒まよねーず」が好評のうちにスタートしたことは、今年一番の大きな収穫でした(ブログ山椒まよねーず)、

春は別れと門出の季節。「しののめ寺町」でも、アルバイトさんが念願の職場に復帰されたり、海外に留学されたり。替わりの募集の貼り紙をするも、人手不足の昨今、功を奏せず。初めて求人広告を出すこととなりました。

人を選ぶということの難しさに反省点の多い経験となりましたが、お蔭様で願ってもない方が3人加わってくださることに。歓送迎会では、辞めていかれた方、新しい方、初対面ながら和やかな会となり、「しののめ寺町」のカラーはこんな感じかな。そんなことを思う夜となりました。

秋には季節限定の新商品「九条ねぎおじゃこ」の誕生。ちょっとエキセントリック過ぎないかと不安でしたが、思いのほか好評で、「しののめ寺町」の意外に前衛的な一面を垣間見た気がしました(ブログ九条ねぎおじゃこ)。

そんな小さなチャレンジを重ねた一年の総仕上げ、12月に入ったある日、一人のご婦人が来店くださいました。店内を見回し、「山椒まよねーず」や「九条ねぎおじゃこ」など、ひとつひとつにとても驚いて反応される様は、見ている私まで楽しくなるほどでした。「開店して何年になる?」と聞かれ、「5年が過ぎました」と答えると、こんな言葉を掛けてくださいました。

「よぅ、がんばらはったなぁ」

とても不思議なのですが、初めて聞いた言葉のように思えました。はんなりとした京都弁。時に、本心がわからないと揶揄(やゆ)されることもありますが、その言葉にはとても強い力がこもっているように感じました。

もちろん店に対して掛けてくださった言葉。辞めていかれたアルバイトさんはじめ、家族、仕入れ業者さん、店に関わってくださっているすべての方に対しての言葉だったのだと思います。が、ずど~んと心に響いたこの言葉、不遜ながら、私の労をねぎらってくださっているように思えました。

開店まもなく以来、今回が二度目のご来店とのこと。確かに開店当初は店内の設えも殺風景で、じゃこ山椒と塩昆布が並ぶばかり。5年後にこうした新しい商品が並ぶなどとは、想像もしないことでした。その変化を見ての、先の言葉だったようです。

これまでも「がんばってるねぇ」と声を掛けていただくことはよくありました。有り難いことなのですが、正直のところ、そのたびに歯がゆい思いをしていました。私にとって「がんばっている」というのは、結果を出して初めて口にできる言葉。その言葉にふさわしい自分ではまだないのだ、という思いが常にあるのです。

今回の「よぅ、がんばらはったなぁ」という言葉には、まだ通過点であっても、ここまでのがんばりを認めてもいいんだよ、そんなメッセージが込められているような。

いつも前ばかりを見て、立ち止まることが苦手な私。そういう視点でものを考えたことがありませんでした。初めて聞いた言葉のように思えたのは、そのせいだったのでしょう。目からうろこ。ふっと肩の力が抜けた思いでした。

最後に、さらなる明るい未来を予言して帰って行かれた、このお客様。そのうしろ姿を見送りながら、もしや神様からの使者だったのかも、なんて思ったり。

チャレンジの年と位置付けたこの一年。うまくいったこともあれば、さっぱりいかなかったこともあり。それでも、そのひとつひとつが、貴重なヒントを与えてくれたことは確かです。今も耳に残る、あの言葉。今日は、自分で自分に掛けてやろうと思います。

「よぅ、がんばらはったなぁ」

 この一年、本当にお世話になりました。新年は1月6日(土)より営業いたします。来年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。皆様、良いお年をお迎えください。

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