しののめ寺町

店のこと

2017年05月17日

先日来、お知らせしていますが、3月16日に「しののめ寺町」は5周年を迎えることができました。当日は、思いがけずお花や祝電が届いたり、皆様から「おめでとう!」と声をかけていただいたり、とてもうれしい一日となりました。

そんななか、後日、こんなお祝いをいただきました。写真と見紛うばかりですが、ち密に描かれた絵です。作者は、5周年記念の【山椒まよねーず】でお世話になった「ユーサイド」の部長、深見信次さん。

写実的でありながら、手描きの温かみがあり、寺町通りの賑わいや空気感まで伝わってくるようです。雨風に晒されて染みのできた看板。日に焼けて色褪せた暖簾。店の佇まいが、見事に描かれています。

見慣れたはずの光景なのに、こうして見てみると、とても新鮮。なんだか自分の店であって、自分の店でないみたい。もはや私たちの手を離れ、店が店としてそこに存在しているような。5年は5年なりの風格というのでしょうか。ちょっと圧倒されている私がいます。

10年近く前、東京の美術館で不思議な絵と出会いました。残念ながら画家の名前は忘れてしまったのですが、「自画像」というタイトルだったか。画家である本人が扉を開けると、そこに自分が立っていた、という絵。狼狽している自分とは対照的に、向こうの自分は堂々として…。

この画家は想像ではなく、実体験を描いたんだろうな。絵そのものの記憶はおぼろげなのですが、そう思いながら見入っていたことは、よく覚えています。お祝いにいただいた絵を眺めながら、そんな古い記憶が蘇りました。

店を始める前、当時、寺町二条にあったギャラリーに個展を見に来たことがあります。この界隈に来ることが、あまりなかった私。案内状を頼りに、自宅から自転車で、寺町通りを南へと向かいました。

途中、魅力的な店が立ち並んでいて、なんて素敵な通りだろうと思いながら、自転車を止めては立ち寄り、立ち寄り。目当てのギャラリーになかなか着きません。ようやく個展を見終えた帰りは、反対側の通りの店に、また立ち寄り、立ち寄り…。

最後に立ち寄ったのが、今「しののめ寺町」がある場所の隣の雑貨屋さんでした。出てくると、外は薄暗がり。大慌てで自転車をこぐ羽目に。まさか何年か後に、この通りに店を構えることになるなんて、想像もしないことでした。

5周年と聞いて、「まだ5年 ?  ずっと前からあったような気がするわ」と言ってくださるお客様があります。私も、ふとそんな気がしたりして。

この絵を眺めていると、一見の客として、引き戸を開け、店に入っていってしまいそうな錯覚に陥ります。個展を見に来たあの時、「しののめ寺町」が既にここにあったとしたら…。惹き込まれるように、この店に入り、そうしてそこで、私は私と出会っていたかも。

そんな妄想を掻き立ててくれるこの絵、不思議な力を持った絵だなぁと思います。きっと深見部長が、建物のみならず、そこに漂う全てを描き切ってくださったからでしょう。心を込めて…。

この絵、店内の正面に飾っております。ご来店の折には、ぜひゆっくりご覧になってください。

一恵ちゃん 2

お友達のこと

2017年04月27日

今年の京都は桜の開花が遅く、開花後も肌寒い日が続いたため、例年になく長くお花見を楽しめた春でした。皆様は、どのような春を迎えておられるでしょうか。

「しののめ寺町」の壁に掛けられた写真も、この季節は桜。5年前の開店の年に、友人が自ら撮っては、四季に合わせて贈ってくれたものです。カメラマンは「一恵ちゃん」。アマチュアながら受賞経験豊富な実力者。私と同い年の女性です。モノクロが得意なのですが、店が明るくなるようにと、珍しくカラーで仕上げてくれました(ブログめぐる季節のなかで)。

彼女のグループ展が神戸であるということで、先日、出かけてきました。お互い仕事でなかなか会えず、その日もわずかな時間だけ。それでも、だからこそ、目いっぱい楽しい時間を過ごしてきました。

彼女と初めて会ったのは、もう十数年前、当時、通っていたテニスコートでした。といっても、いつもすれ違い。ある時、ふとしたきっかけで始めた立ち話が、とてつもない長話に(笑)。波長が合うというのは、こういうことなのでしょうか。さっそくランチの約束を。

数日後、気楽なレストランでの初めての会食。まず出てきたオードブルが、カラフルな野菜で彩られた一皿でした。グラスには冷えた水が。よく晴れた昼下がり、たっぷりの光が窓から射しこんでいました。

さぁ食べよう、という時に…。写真に熱中しているという彼女。食べるのはそっちのけで、お皿を傾け、グラスを掲げ、光の当たり具合を私に見せながら、写真には光がどんなに重要かを語り始めました。すると野菜はますます色鮮やかに、グラスについた水滴は煌めきを放って見えてきました。

子育て中だった頃のこと。同じくらいの年齢の女性との話題は、どうしても子供のこと、家庭内のあれこれになりがちでした。こんな話を、こんなにも一生懸命にするひとがいる…。正直なところ、主婦トークがちょっと苦手な私。驚きと感動の入り混じった思いで、目をキラキラと輝かせて語る彼女の顔に見入っていました。

ようやく話が一段落したところで、「こんな話をするひと、初めて!」と吹き出す私に、「こんな話をひとにしたの、初めて!」と吹き出す彼女。二人で大笑いしたあと、やっと食事が始まりました(笑)。

こうして仲良くなった私たち。彼女が出品する写真展には、出来る限り足を運ぶようになりました。「きれい」とか「素敵」とか、そんな言葉では表し切れない彼女の写真。ぞわぞわと掻き立てられるものがあり、見るたびに新境地を拓いていく…。あくまでも一人の鑑賞者として、私はカメラマン「一恵ちゃん」の一番のファンだと自認しています。 

残念ながら、転勤族の彼女は、まもなく京都をあとにし、各地を転々とすることに。何年も会えない時期もありましたが、交友は途切れることなく続き、今日まで、共に年齢を重ねてきました(ブログ一恵ちゃん)。

その間、一貫して写真一筋だった彼女。それに引きかえ、ああでもない、こうでもないと、模索ばかり続けてきた私。「しののめ寺町」開店を機に、遅ればせながら、やっと肩を並べられた気がしています。

もう年だから…、そんな言葉をよく耳にします。店を始め、決してそうではないと思うようになりました。年齢を重ねるごとに積み上げられていく経験は、何歳になっても人を成長させ、豊かにしてくれる。衰えていくものはたくさんあるけれど、それでも人は進化し続けられる。そう信じています。

彼女の写真を見ていると、その思いが間違いでないことを確信します。今回の写真もまた、これまでにはなかった新しい感性が吹き込まれ、新しい世界が拓かれていました。写真の向こうに、進化し続ける彼女が見えます。

名残を惜しみ、飛び乗った帰りの電車の中。今回の写真は、私には相当、刺激的だったのでしょうか。心の昂ぶりを抑えられずにいました。彼女は一体、どこを目指しているんだろう。どこに行きつけば満足するんだろう。そんなことを考えながら…。

きっと、どこまでいっても終わりはなく、いくつになっても、なにかを追い求めているんだろうな。初めてのランチの時みたいに、目をキラキラ輝かせながら。

私も負けないぞぉ。

慌ただしくて、お花見らしいお花見もできなかった今年の春。車窓から、名残の桜を眺めながら、そんなことを思った私でした。

山椒まよねーず

店のこと

2017年03月26日

ご挨拶が遅れましたが、3月16日、「しののめ寺町」は5周年を迎えることができました。ひとえにご愛顧くださっているお客様、お世話になっている皆様のお蔭です。心よりお礼申し上げます。

5年というと、皆さん「早いねぇ」と仰います。が、私には長い長い年月でした。「ほぼ専業主婦」から、突然、飛び込んだ商売の世界。右も左もわからないまま始まった生活は、毎日が未知の連続。文字通り、生まれたばかりの赤ん坊が、ようやく5歳になったようなもの。子供の頃、一年は途方もなく長く感じられたものです。まさにそんな時間感覚なのだと思います。

5年前の開店の日、5年後のことなんて全く考えられませんでした。一日を無事に終え、翌日ちゃんと店を開けられる。ただそれだけを考えて過ごしてきた毎日。気づけば5年…。積み重ねてきた年月の重みを、改めて実感しているところです。

ともあれ5周年は一つの節目。なにか記念になることを考えなければいけません。1周年には【じゃこ山椒】にちなみ、山椒を使ったお菓子【山椒メレンゲ】を、ご近所の洋菓子店シェ・ラ・メールさんにご考案いただきました。

今回は山椒を使った調味料はどうかと、日頃からお世話になっているユーサイドさん(http://u-side.co.jp/)にご相談したところ、【山椒まよねーず】ということに。長年にわたり、上質なものづくりに取り組まれている会社さんです。味と品質は間違いなし。仕上げにお洒落なラベルを貼っていただき、こんな素敵な商品が完成しました。

なんだか色白のべっぴんさんに見えませんか? ぽっと頬を赤らめた女の子のような。おかっぱ頭のこけしのような。とにかく可愛いこと、このうえない!

これまでも季節限定商品やコラボ商品というのは、いくつか試みてきましたが、今回はちょっと大掛かりな企画。実のところ、失敗に終わり、在庫をたっぷり抱えたらどうしよう、なんて不安でいっぱいでした。そんななか、実績あるユーサイドさんからいただく励ましやアドバイスは、とても心強いものでした。おかげで前向きな気持ちで進めることができました。

いざ販売を開始してみると、山椒とマヨネーズという斬新な組み合わせ。佃煮屋にマヨネーズというのも意外性があったのでしょうか。思いのほか興味を持っていただけたもよう。店に置くなり、人気となっています。ご購入くださったお客様が、フェイスブックやブログに載せてくださり、それをご覧になって来られるお客様も。これまでにない反応、感じたことのない動きに、驚いているところです。

開店から5年とはいえ、もとは40年続く店からの独立。一からの開店とはまた違った難しさに、葛藤の5年でもありました。もとの店との関係、味やサービスの違い…。比較されることは独立した店の宿命と理解しながらも、時にしんどく思うこともありました(ブログ味2)。

守るべきものは守りながらも、自分たちらしい店作りをしたい。唯一無二の店に育てたい。そう願いながらも、それがどういうものなのか、いまひとつ掴めずにいたのです。そこに誕生した【山椒まよねーず】。こんなことを言ってくれているような…。

もっと自由でいいんだよ。可能性は無限にあるんだよ。それを望むことが、即ち、唯一無二ということ。

もとの店と比較し、見えない枠に囚われていたのは、私自身だったのかもしれません。そうした枠を【山椒まよねーず】は、軽やかに蹴散らしてくれました。

大きな使命をもって生まれてきてくれた【山椒まよねーず】。愛おしくって仕方ない私。5周年記念に終わることなく、新たな定番商品になってくれたら。そう願ってやまないこのごろです。

「しののめ寺町」は、この先もまだ、新たな試みがいくつか待っています。今年はチャレンジの年。失敗を恐れずに、一つ一つ取り組んでいきたいと思っています。これからも気長に見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

佐藤初女さんのこと4

素敵な女性

2017年03月03日

先月のこと、素敵な写真展に出かけてきました。

オザキマサキ写真展

没後1年、京都で初女さんに会う。     ギャラリーヒルゲート

2016年2月1日、94歳で逝去された佐藤初女さんの一周忌に合わせて、京都で開催された写真展です。佐藤初女さんとは…。青森県は岩木山の麓で、宿泊施設「森のイスキア」を主宰。来客を心づくしの手料理でもてなす一方、請われれば全国、海外、どこへでも講演に出かけられる。そういう活動に生涯を捧げられた女性です。

その最晩年のお姿をカメラに収められたのが、滋賀県在住のカメラマン、オザキマサキさん。日常に寄り添っての撮影。カメラの腕前はもとより、初女さんが、そのお人柄に全幅の信頼を寄せられたのであろうことは、想像に難くありません。

私が一人「森のイスキア」を訪ねたのは約8年前。既に人々の話題になり、なかなか予約が取れない状況のなか、本当に幸運なことでした。そこで過ごした時間、いただいたお食事は、今も大切な宝物です。(ブログ佐藤初女さんのこと3

この感動を誰かに伝えたいと思うことはありましたが、私のまわりで初女さんのことを知る人は少なく、中途半端な説明はかえって誤解を招くかも。そんな不安から、私一人の胸の中で大切に温めることとなりました。

「森のイスキア」を訪ねた時には思いもしなかったことですが、その3年後、店を開くことに。ホームぺージを作ると、折に触れてはブログに初女さんのことを書くようになりました。

去年のこと、初女さんと古くから親交のある方が、私のブログを見つけ、店を訪ねてくださいました。京都のお寺の奥様で、初女さんを慕う人たちを繋ぐべく尽力されているもよう。初女さんを彷彿とさせる温かい佇まいに、思わずこみ上げるものがありました。

以来、ご来店のたびに、初女さんの在りし日のことを伺ったり。初女さんゆかりの手土産をいただいたり。初女さんが一気に身近な存在に思えるようになりました。そうしてご案内いただいたのが、今回の写真展。出かけたのは、雪がちらつく寒い平日。にもかかわらず、会場は来訪者でいっぱいでした。

柔らかく、淡い色調のモノクロ写真。撮影されたのは今から2年前とのこと。初女さん、92歳。写真の中の初女さんは、私が訪ねた8年前、86歳の頃の面影を残しながらも、さらに小さくなっておられました。

凛とした佇まい、柔らかさ、優しさ、透明感、静けさや強さ、そしてただただ美しい…。

オザキマサキさんが初女さんに抱かれた印象です。初女さんを余すところなく見事に表現された言葉。まったくもって共感するばかり。90歳を超えてなお、こうも美しい女性があるでしょうか。

淡いモノクロ写真の中の初女さんを拝見しながら、ふと、生前よく初女さんが話されていた言葉を思い出しました。

透き通る瞬間…

野菜を煮る際、ちょうどいい頃合いになると、野菜が透き通るのだとか。その瞬間に、命の移し替えが行われるとのこと。それを見逃さないことの大切さを、講演で、著書で、よく説かれていました。(ブログ透き通る瞬間

あぁ、初女さんも透き通っていかれたんだなぁ、と思いました。持てる力を過不足なく使い切り、限りなく透き通って、透き通って、そうして消え入るように亡くなっていかれた。多くの人の心に「命の移し替え」をして…。

写真展は、空前の来訪者だったようです。知る人ぞ知る、初女さん。静かに偲ばれる中高年の方が多いのかと思いきや、初女さんのことをよくご存じない方、若い方が多かったとのこと。今まさに「初女さん」が必要とされている時代なのでは。そう思わずにはいられません。

今回、写真展のみならず、ゆかりの方たちで催される懇親会にもお誘いいただきました。それぞれの初女さんにまつわるエピソードを伺いながら、私はただただ夢見心地。その場に自分がいることが不思議でなりませんでした。

今回、全国各地で、ここ京都で、初女さんの思いを受け継いだ方たちが、様々な分野、形で活動されていることを知りました。これまで自分ひとり胸の中で温めてきた思いを、私も表現していきたい。微力ながら、発信する側になりたい。そんな思いを強くした夜でした。

私、なんで、こんなとこ歩いてるんやろ…

「森のイスキア」への一本道を歩きながら、心で呟いた言葉です。一体なにに掻き立てられて、こんなところまでやって来たのか、と。

8年の時を経て、答えを見つけられた気がしています。私は私の透き通る瞬間を模索しながら、進んで行こうと思います。

今回の写真集発売を記念したイベントが、近々、東京で開催されます。詳細は下記をご覧ください。

https://www.facebook.com/events/1870029156573351/

着物

心と体のこと

2017年02月15日

店を始めて気づいたことの一つが、京都には着物を召した女性がたくさんいらっしゃる、ということでした。ここ寺町通りでも、着物姿の女性をよく見かけます。店のガラス戸越しに眺めながら、絵になるなぁと見とれることしばしば。京都の街に着物の女性はよく似合います。

もちろん着物でお越しのお客様もいらっしゃいます。祇園あたりでお店をされている方、茶道や芸能の関係の方、呉服屋さん…。お出かけは着物で、という方。なかには京都だから着物で来た、なんていう観光のお客様も。

様々な会に参加させていただくようになりましたが、やはり着物の女性は必ずいらっしゃいます。着物は洋服以上に個性が際立ち、その方の美しさが光るよう。間近に拝見し、着物にまつわるお話を伺ううちに、いつからか私も着物を着たい、と思うようになりました。

とはいえ時間に追われる毎日。実現は難しいと思っていたところ、素敵な知らせが届きました。手作りカバンの店http://narrowboat.jp/を営む友人が「着物部」なるものを発足したというのです。着物の難しい約束事は言いっこなし、気軽に着物で出かけましょう、がコンセプト。定休日がうちと同じのこのお店、開催日はいつも水曜日です。

私にうってつけの部活動。ふたつ返事で入部を表明。って、なんの手続きがあるわけではありませんが(笑)。さっそく去年の8月に初参加となりました。よりによって暑い盛りではありましたが、久しぶりの着物に七五三の子ども状態だった私。着物を着ているというだけで、こんなにも心浮き立つものかと驚きました。

私の生まれ育ったのは、着物などおおよそ馴染みのない家庭でした。成人式の振袖も、たった一日のために親に大きな出費を強いるのは心苦しくて、「いらない」の一言で片づけてしまいました。

結婚の際も、ただでさえ準備が大変な時。「着物はいらない」と言ったのですが、良心的にお世話くださる方もあり、和箪笥にひと通りの着物を持たせてくれることになりました。

そんな着物も、数回着たばかり。次男の中学の卒業式を最後に、和箪笥は開かずの扉になってしまいました。年に一、二度の防虫剤の交換のたび、親に余計な負担をかけたものだと、今でも胸が痛みます。同時に、こんな無駄な着物を揃えてもらうくらいなら、振袖一枚を誂えてもらえばよかった、という後悔の念も。

実のところ、たった一日の我慢と思っていたのは、私のとんでもない誤算でした。成人式に着ることのなかった振袖は、あとあとまで大きな欠落感となって、私の中に根強く残ってしまっていたのです。

着物部に参加するに当たり、改めて、和箪笥を開け、たとう紙を一枚一枚開いてみました。しつけ糸がついたままの着物や帯。まっさらのままの小物のあれこれ。引っ張り出しては、鏡の前で合わせてみたりして。

今からでも着物を楽しんでみようかな。ふと、そんな思いが湧いてきました。二十歳にはもう戻れないけれど、その年齢なりの着こなしを楽しめるのが、着物というものなんじゃないか。

以来、機会を見つけては、着物で出かけるようになりました。といっても、自分で着られない私。着付けは専門の方にお願いし、仁王立ちしてる間に完了、という有様ですが(笑)。

着物を着て撮った写真の中の私は、どれもうれしそう。置き去りにしてきた、遠い日の私が、そこにいるような。「私の中の女の子」は、いたくご機嫌のもようです(ブログ私の中の女の子)。気づけば、長年にわたり着物にまとわりついていた苦い記憶は、どこかに追いやられていました。

なにごとにも最適な時期というものがあります。勉強や経験、人や物との出会い…。あぁ、あの時にできていたら、と悔やむことは限りありません。が…。

心から渇望したものは、時を経て、形を変えて、また目の前に舞い降りてくる。

着終わって、鴨居に吊らされた着物を眺めながら、そんなことを思うこのごろ。まだまだ、たくさんの楽しみを見つけられそうな予感がしています。

生きているって、おもしろい。

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