ちりめんじゃこ

店のこと

2018年01月30日

京都では野菜の高値が続いています。皆さんのお住まいのあたりでは、いかがでしょうか。冬野菜の美味しい季節、お鍋などでふんだんにいただきたいところですが、つい買い控えてしまうのが実情です。

昨年の相次ぐ台風の影響かと思われますが、野菜以外にもいろいろな方面で影響が出ているもよう。ちりめんじゃこも例外ではありません。海流の変化もあるとか。漁獲高が大幅に減り、深刻な品薄、価格高騰が続いています。

ちりめんじゃこは誰もが好きな食材。じゃこ山椒も、今では京都土産に挙げられるほどの人気商品となりました。扱っておられるお店は数知れず。皆さん、どうしておられるものやら。分け合って、譲り合って、この危機を一緒に乗り切れたら…。なんていうのは夢物語。現実は厳しい競争の世界です。

どうなることかと案じながらの年越しでしたが、幸いにも、なんとか確保できている状況です。ひとえに、仕入れ業者さんのご尽力のおかげ。長年のお付き合いと信頼関係の大切さを痛感した次第です。

ただ、仕入れ価格の値上がりは免れず。当店で販売の商品も、一月より一袋の容量を55gから50gにさせていただいております。少し形の不揃いなちりめんじゃこが紛れていることもあるかもしれませんが、ご容赦のほどお願いします。

これまでにも、自然災害による不作や不漁、それに伴う様々な被害の様子は、ニュースなどで何度も見聞きしてきたところです。丹精込めて作られたお米や野菜、果物が、一日にして無に帰す。自然災害とは少し違いますが、手塩にかけて育てられた家畜が、思いもよらない病気で処分の憂き目に遭う…。

いずれも、どんなに無念なことかと思いを馳せながらも、どこかで遠い世界のことと感じていたように思います。今回、自分の身が危ぶまれる事態になって初めて、決してひとごとではないのだということを思い知った次第。想像力の乏しさに恥じ入るばかりです。

日本の食の豊かさは、今さら言うまでもないこと。まわりには食べ物が溢れかえっています。お金さえ出せば手に入らないものはなく、目新しいものが次々と現れ、飽きることがありません。

もとを辿れば、それらは海や山の自然の恵みであること。動物であれ植物であれ、他の生き物の命をいただいているということ。その有り難さをつい忘れがちになっているように思います。

私が敬愛してやまない佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと4)が、生前、よく口にされていた言葉があります。「命の移し替え」…。自然の恵みをいただき、自分の中にまた生かしていく、ということでしょうか。

春、庭に芽吹いたフキノトウを、小さなナイフでそっと切り取り、収穫されている映像を拝見したことがあります。自然に対する慈しみ、謙虚さがにじみ出たお姿が、とても印象的でした。

野菜でも魚でも、そのものの良さが最大限に生きるよう丁寧に調理され、出来上がった料理を、皆で感謝していただく。そういう活動を長年してこられた初女さん。幸運にも、そんな場をご一緒させていただけた経験は、今でも私のかけがえのない宝物となっています。

上の写真は、炊く前のちりめんじゃこです。小さくて、柔らかくて、触れるとふわふわして、銀色に輝いています。まさに銀(しろがね)。これを鍋で炊くと、黄金(こがね)色に照り返るじゃこ山椒となります。美しいマジックのよう。これもひとつの「命の移し替え」かも。などと思うのは、少々拡大解釈過ぎるでしょうか(笑)。

1月10日に商売繁盛を願って行われる十日えびす。今年は神戸に住む友人の案内で、兵庫県の西宮神社に出かけてきました。恵比寿様は、鯛を抱えておられることから、豊漁の神様でもあられるとか。商売繁盛と共に、一日も早い豊漁を一心に祈願してきました。

当たり前のように仕入れ、調理し、販売している…、と思っていたちりめんじゃこ。それは決して当たり前ではないことを、今回の不漁は教えてくれました。自然の恵みに感謝し、その自然からいただいた命を、自分の中でまた生かせる私でありたい。改めてそんなことを思うこのごろです。

皆様には、ご理解のうえご了承いただけますこと、心よりお願い申し上げます。

場の神様

店のこと

2018年01月16日

1月もはや中旬。新年のご挨拶が遅れました。皆様、どのように新しい年を迎えられましたでしょう。

私はといいますと…。12月は一年で一番忙しい月。店を始めて以来、毎年のことながら、大掃除もお正月の準備もできないままの年越しとなってしまいました。疲れと安堵感から、ちょっと虚脱状態で迎えた新年。午後になって、ようやく自宅近くの大型スーパーへ買い物に。今時は元日から開いている店があり、忙しい身には助かります。

そこで古くからの知人にバッタリ。年末のブログ(ブログよぅ、がんばらはったなぁ)を読んでくださっていたのか、偶然か。会うなり「よぅ、がんばったなぁ」と声を掛けていただきました。その言葉がスッコ~ンと心に落ちたもよう。一年間、張りつめていた気持ちが一気に緩み、とつぜん涙がポロポロ。

通りすがりの方は、なんと思われたことでしょう(笑)。お恥ずかしい限りですが、涙の効能は絶大。なんだか気持ちがスッキリし、にわか仕掛けのお節の準備、大掃除のまね事などをして、たちまちお正月気分にリセットされました。

豪華なことはなにもない我が家ですが、休みと思うだけで味わう解放感は、なによりの贅沢です。最後には、読書の時間も少し持つことができました。なにも起こらない静かな時間…。ふと、あの慌ただしい生活にまた戻れるだのろうか、と不安がよぎったりして。

そんな不安も束の間、営業前日には仕込みやもろもろの準備に、朝早くから店に行かねばなりません。いつも思うことなのですが、長い休みの時は、店も静かに休息しているよう。普段は店も緊張しているんだなぁ。邪魔をしないよう、静かに準備に取り掛かるのが常です。

ところで、店にはたくさんの守り神様に居ていただいています。神棚には各社のお札。店先の植木には小さなお地蔵様。店内には大黒様(ブログ大黒様)に鳳凰様(ブログ鳳凰様)。祇園祭の厄除けの粽(ちまき)に招き猫。飾られた写真や絵画…。

非力な私たち、四方八方から守っていただかないと、と一つずつ自分で買い求めたものもあれば、お客様や知人から贈られたものもあり。その方たちのお気持ちも含めての守り神様だと思っています。

閉店後には、その日の無事に感謝して、それぞれの神様にご挨拶するのが欠かせない習慣です。そして店を出る前、最後に店内を振り返ると、いつからでしょう、天井近くにゆらゆらと、たゆたう気配を感じるようになりました。とても厳かで、畏れ多い。けれど、おおらかな…。思わず手を合わせます。

それは守り神様たちが融合されたもののような。あるいは、どの神様でもない独自のもののような。この土地の上に建つ、この店にのみ宿られる神様。いわば「場の神様」とでもいうのでしょうか。開店から5年を過ぎて、ようやく姿を現してくださったのか。あるいは、ようやく感じられる私になったのか。

何百年と続く老舗店に入った時に感じる、えもいわれぬ空気感があります。それはやはり、そのお店の「場の神様」が、醸(かも)し出されるものなのではないでしょうか。誰の目にも明らかなその風格は、重ねられた年数のたまもの。さすがというしかありません。

この神様、もし私が邪(よこしま)なことを考えたり、したりしたら、たちまち消えてしまわれるに違いない。建物はあっても、もぬけの殻のような、そんな店になり下がり、やがて消えてしまう。そんな気がしています。

節目の5年を過ぎ、6年目となる今年は、これまで無我夢中で気づかなかったこと、そうした一つ一つを丁寧に見直していく年にしたいと考えております。「場の神様」に守られながら、試されながら、最後にまた泣き笑いできるよう、がんばっていく所存です。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

よぅ、がんばらはったなぁ

店のこと

2017年12月31日

今年も残すところあと一日となりました。皆様にとって、どんな一年でしたでしょう。

「しののめ寺町」は今年3月、お蔭様で5周年を迎え、節目の年となりました。うれしいことではありますが、一方で、この先を見据えた時、果たしてこのままで続けていけるのか、という不安も。

伝統を守りながらも、新しい試み、展開が必要なのではと思うのですが、明確なビジョンがあるわけではありません。それを見定めるために、まずは出来そうなことから挑戦をしてみよう。そう心に決めて、今年はチャレンジの年と位置付けました。

昨年末より計画していたことや、外部から舞い込んだお話もあり、チャレンジの年にふさわしい幕開けとなりました。その分、気の重さも大きく、年頭のブログにはただならぬ緊張感が漂います(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)。

年明け早々から準備を重ね、ひとつひとつ実現していきましたが、「山椒まよねーず」が好評のうちにスタートしたことは、今年一番の大きな収穫でした(ブログ山椒まよねーず)、

春は別れと門出の季節。「しののめ寺町」でも、アルバイトさんが念願の職場に復帰されたり、海外に留学されたり。替わりの募集の貼り紙をするも、人手不足の昨今、功を奏せず。初めて求人広告を出すこととなりました。

人を選ぶということの難しさに反省点の多い経験となりましたが、お蔭様で願ってもない方が3人加わってくださることに。歓送迎会では、辞めていかれた方、新しい方、初対面ながら和やかな会となり、「しののめ寺町」のカラーはこんな感じかな。そんなことを思う夜となりました。

秋には季節限定の新商品「九条ねぎおじゃこ」の誕生。ちょっとエキセントリック過ぎないかと不安でしたが、思いのほか好評で、「しののめ寺町」の意外に前衛的な一面を垣間見た気がしました(ブログ九条ねぎおじゃこ)。

そんな小さなチャレンジを重ねた一年の総仕上げ、12月に入ったある日、一人のご婦人が来店くださいました。店内を見回し、「山椒まよねーず」や「九条ねぎおじゃこ」など、ひとつひとつにとても驚いて反応される様は、見ている私まで楽しくなるほどでした。「開店して何年になる?」と聞かれ、「5年が過ぎました」と答えると、こんな言葉を掛けてくださいました。

「よぅ、がんばらはったなぁ」

とても不思議なのですが、初めて聞いた言葉のように思えました。はんなりとした京都弁。時に、本心がわからないと揶揄(やゆ)されることもありますが、その言葉にはとても強い力がこもっているように感じました。

もちろん店に対して掛けてくださった言葉。辞めていかれたアルバイトさんはじめ、家族、仕入れ業者さん、店に関わってくださっているすべての方に対しての言葉だったのだと思います。が、ずど~んと心に響いたこの言葉、不遜ながら、私の労をねぎらってくださっているように思えました。

開店まもなく以来、今回が二度目のご来店とのこと。確かに開店当初は店内の設えも殺風景で、じゃこ山椒と塩昆布が並ぶばかり。5年後にこうした新しい商品が並ぶなどとは、想像もしないことでした。その変化を見ての、先の言葉だったようです。

これまでも「がんばってるねぇ」と声を掛けていただくことはよくありました。有り難いことなのですが、正直のところ、そのたびに歯がゆい思いをしていました。私にとって「がんばっている」というのは、結果を出して初めて口にできる言葉。その言葉にふさわしい自分ではまだないのだ、という思いが常にあるのです。

今回の「よぅ、がんばらはったなぁ」という言葉には、まだ通過点であっても、ここまでのがんばりを認めてもいいんだよ、そんなメッセージが込められているような。

いつも前ばかりを見て、立ち止まることが苦手な私。そういう視点でものを考えたことがありませんでした。初めて聞いた言葉のように思えたのは、そのせいだったのでしょう。目からうろこ。ふっと肩の力が抜けた思いでした。

最後に、さらなる明るい未来を予言して帰って行かれた、このお客様。そのうしろ姿を見送りながら、もしや神様からの使者だったのかも、なんて思ったり。

チャレンジの年と位置付けたこの一年。うまくいったこともあれば、さっぱりいかなかったこともあり。それでも、そのひとつひとつが、貴重なヒントを与えてくれたことは確かです。今も耳に残る、あの言葉。今日は、自分で自分に掛けてやろうと思います。

「よぅ、がんばらはったなぁ」

 この一年、本当にお世話になりました。新年は1月6日(土)より営業いたします。来年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。皆様、良いお年をお迎えください。

人生フルーツ

アートなこと

2017年12月13日

先月のことになりますが、素敵な映画を観ました。「人生フルーツ」。ご主人90歳、奥様87歳、足して177歳。ある建築家夫婦の日常を追ったドキュメンタリーです。

きっかけは知人の勧めでした。ひとの映画の感想ほど当てにならないものはないと思っている私ですが、この方は、私が敬愛してやまない故 佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと4と懇意にされていた女性。「きっと、なにか感じるものがありますよ」のお言葉に、矢も楯もたまらず、出かけて行ったのでした。

津端修一さんは、かつて日本住宅公団のエースとして、数々の都市計画に携わってこられた建築家です。1960年代、風の通り道になる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い、無機質な大規模団地でした。

修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手掛けたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育て始めます。

自分の手で出来ることは、なんでも自分でやる…。ご夫婦でコツコツと丁寧に暮らしてこられた日々。いつしか庭には、70種類の野菜と50種類の果実が実り、小さいながらも、まるで里山がそこにあるよう。

ご夫婦それぞれに、またいろいろな視点から、感じ入る箇所はたくさんありました。が、なかでも私が一番感銘を受けたのは、修一さんの生きる姿勢でした。

実績を重ねてこられた働き盛り、新たに渾身の思いで立てた計画が頓挫するという挫折。屈辱感、無力感…、心中を察するに余りあります。が、それについて多くを語られることはありませんでした。

代わりに、描いた理想を、自らの家で実践してみる…。つつましくも、遊び心いっぱいの豊かな暮らしが、スクリーンいっぱいに繰り広げられるのを眺めながら、後半生はそういう生き方を選択されたのだと、私なりに理解しました。

事の大小を問わず、人生、うまくいくことばかりではありません。時に、どうしてこうも、うまくいかないのかと悲嘆に暮れることも。そんな時、なにかのせいにしたり、誰かを恨んだり、運命を嘆いたり…、なんてしがちなものです。

そうしたことを一切せずに、自分の中でしっかりと向き合い、その後の自分の有り様を定め、自分なりに結実していかれた人生。そんな修一さんだからでしょう、90歳にして舞い込んだ仕事は、精神を病む患者さんの病棟の設計でした。依頼者を前に、すぐさまスケッチブックを取り出し、さらさらとラフスケッチをして見せられたというエピソードは、とても印象深いものでした。

残念ながら、完成した病棟は、奥様に抱かれた遺影となってご覧になることとなりましたが、庭仕事のあと、昼寝から目覚めることなく旅立たれた90年の人生は、見事としか言いようがありません。

自分の人生は、自分でケリをつける。

そういうことなんだなぁ、と思いました。

修一さん亡きあと、修一さんの生前と変わらぬ暮らしを守り続けておられる妻、英子さん。一人、庭を眺められる顔の大写しで映画は終わります。長い人生を歩んで来られたからこその、えもいわれぬ情感がたたえられた表情。刻まれたしわ、しみは隠しようもありませんが、それすら美しいと思いました。ふと、佐藤初女さんが生前よく口にされた、「透き通る瞬間」(ブログ透き通る瞬間)という言葉が浮かびました。

長く生きるほど、人生はより美しくなる

映画の中で引用された、建築家、フランク・ロイド・ライトの言葉です。長寿が必ずしも幸せとはならない時代。特に、女性が年齢を重ねることには、とても冷淡な世の中です。確かにそうかもしれないけれど、決してそうではないかもしれない。年齢を重ねていくことの醍醐味を、静かに教えてくれた映画でした。

今年も残りわずかとなりました。まずはこの一年にきちんとケリをつけられるよう、年末までしっかりやり切りたいと思います。

年内の営業は30日(土)まで。第4木曜日の28日は営業いたします。年末に関しましては必ずご予約をお願いします。

九条ねぎ おじゃこ

店のこと

2017年11月09日

秋限定の新商品「九条ねぎおじゃこ」。もう召し上がっていただけましたでしょうか? 九条ねぎのほのかな甘みと香りが、あっさりと炊き上げたじゃこ山椒と、思いのほかマッチしたよう。お蔭様で、大変ご好評いただいております。

昨年から始めた季節限定商品の試み。春の「桜」、夏の「梅」、秋の「生湯葉」。そうして今年また二巡目の「桜」「梅」ときて、秋…。「生湯葉おじゃこ、美味しかったわ。今年はいつから?」とのお声もたくさん頂戴していたのですが、繊細な生湯葉のこと、なにぶん手間がかかるため、今季は断念した次第です。申し訳ありません。

代わって、今年は「九条ねぎおじゃこ」。上質な九条ねぎの生産、加工で定評のある「こと京都」さん(https://www.kotokyoto.co.jp/)にご協力いただきました。以前のブログで書きましたが、中小企業家同友会(ブログ中小企業家同友会)という会に加入しているのですが、「こと京都」さんも会員であられることから結ばれたご縁です。

新商品は、毎回、決まるまでも、決まってからも、プレッシャーなものです。今回の九条ねぎ、とても上質で高価なものを使っております。うまく生かせなければ、九条ねぎにも、「こと京都」さんにも、申し訳ないことになります。

九条ねぎとおじゃこなんて、リスクが高過ぎはしないか。緑のおじゃこって、いわゆるインスタ映えする絵だけれど、味が伴わなければ、むしろ軽薄な印象になるのでは。いつも以上に不安でいっぱいでした。

果たして受け入れていただけるのかどうか…。販売初日の朝は、いつもドキドキです。店先の黒板に新商品の案内を書き、お味見用のおじゃこを器に入れて、いざ開店。

お客様が入ってこられるなり、口を揃えて「九条ねぎおじゃこってどんなの?」と仰るのには驚いてしまいました。「九条ねぎおじゃこ」でなければ通り過ぎておられたかも、と思う方も多数あるような。お味見のあと「おいしい!」のお言葉に、胸を撫でろした次第です。

季節限定商品には、毎回、新鮮な発見がありますが(ブログじゃこ桜、ブログ生湯葉おじゃこ)、今回はまた違った手応えを感じています。九条ねぎという斬新さ。鮮やかな緑という見た目のインパクト。不安材料だった部分にこそ、お客様が評価をくださったことです。

今や「じゃこ山椒」「ちりめん山椒」といえば、京都のお土産の定番の一つになっているよう。それはうれしいことですが、高級料亭さんからスーパーマーケットまで、どこでも売られる食べ物となりました。

たまに街中の商店街やデパ地下を歩いていると、右を見ても「おじゃこ」、左を見ても「おじゃこ」なんてことも。溢れかえるお店と商品のなか、個性を発揮するにはどうしたらいいものか…。雑踏にもまれながら、途方に暮れてしまうことがあります。そんななか生まれた今回の新商品…。

「『九条ねぎおじゃこ』って、日本中どこを探してもないんじゃない?」

ある日、常連のお客様からかけられた言葉に、思わず拳を握り、レジの下で小さくガッツポーズをした私でありました(笑)。

北区の「しののめ」から独立して5年半。伝統を守りつつも、新しい店ならではの個性を築いていきたい。そう願ってきました。個性とは、決して奇抜なことをするのではなく、小さなチャレンジを積み重ねていくことなんじゃないか。プレッシャーやリスクを恐れない勇気を持ち続けることなんじゃないか…。

「九条ねぎおじゃこ」はそう教えてくれたように思います。それはとりもなおさず、真摯な姿勢でもの作りを続けておられる「こと京都」さんから学んだことでもありました。

この機会にご賞味いただければ幸いです。なお、一度に多くの量を作れませんので、早い時間に売り切れる場合がございます。ご了承の程よろしくお願いします。

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