袴田ひで子さんのこと

素敵な女性

2025年10月31日

雪2

少し前のこと、たまたまつけたテレビで、NHKの「新プロジェクトX」をやっていました。テーマは「雪冤 袴田事件」。

無実の罪を着せられた袴田巌さんのために、58年の歳月をかけて活動してこられた姉、ひで子さんを中心に、その周りで尽力された方たちの特集でした。

壮絶な内容に引き込まれ、2週にわたる放送を食い入るように観た次第です。

雪冤という言葉は初めて知りました。調べてみると、無実を明らかにして身の潔白を証明すること、とあります。「雪」にはすすぐ、という意味があるそうです。なんて意味深い言葉でしょう。

まさに雪冤の58年間…。

「袴田事件」というのは、1966年、静岡の民家で味噌製造会社専務の一家4人が殺害されて金品を奪われ、放火されたという事件です。

その後、同社従業員の袴田巌さんが逮捕され、過酷な取り調べの中、自白を強要されるも撤回。一貫して無実を主張されるも死刑判決が下され…。

この間の警察の証拠ねつ造や、長引く裁判については、とてもとてもここに書き切れるものではありません。

ただ、私に書けることが一つあります。弟を信じ、無実を明らかにしたいという、姉ひで子さんの信念の強さに胸打たれた、ということです。

はじめ、若い頃のひで子さんの写真が紹介されていました。モダンな装いで美しく、とても素敵でした。どんな未来を描かれていたことでしょう。

そこに降ってわいた実弟の冤罪事件。人生が一変し、弟の救済に全人生を賭けて奔走されることとなります。

当初は偏見の目に晒されることがありながらも、「恥も外聞もない!」と、マイクを持って聴衆に訴えかけられる姿には、強い信念が感じられます。

やがて、その信念がまわりを突き動かし、大きな結集した力となっていくも、非情な試練の連続…。

それでもひで子さんは「これはもう腹をくくるしかない!」と、さらに大きなエネルギーを持って立ち向かっていかれます。まさに倒れても倒れても立ち上がるボクサーの如し。

そうしてようやく開かずの扉が開き、勝ち取られた「無罪」。最愛の弟、巌さんの救出!

しかしながら、よかったよかったと言うには、あまりに大きな代償です。

巌さんはもとより、ひで子さんの人生も取り返しのつくものではありません。こんなことがなければ、どんな人生を送られていただろう。若き日のひで子さんの写真を思い浮かべながら考えてしまいます。

救済活動中、ひで子さんはクラス会には出席されなかったとのこと。その裏にあった思いはどんなものだったでしょう。私にはとても胸痛むエピソードでした。

けれど、ひで子さんの口からは恨み節は出てきません。巌さんを晴れて自由の身にしてあげられた「今」を、なににも勝る幸せと感じておられるご様子です。

現在92歳。ようやく穏やかな日々を送っておられるのかと思いきや…

「私はせっかちなもんで、じっとしていられないんですよ」と、冤罪に苦しむ人たちの支援に今も各地を駆け回っておられるVTRには驚いてしまいました。

強い信念のもと、自分がやると決めたことをただひたすらに実践し、どんな境遇も自分の人生として受け容れる…。

潔いひで子さんの生き方に感服するばかりです。

その強靭な体力と精神力の秘訣を、是非ひで子さんに伺ってみたいものです。

けれど、きっと、自分の内なるものからしか生まれ得ないのでしょう。その信念の強さが問われるのだと思います

すぐにへこたれそうになる私の信念。ひで子さんの堂々とした姿、力強い声を思い浮かべながら、しっかり立て直して進んでいこう。

そう心に誓うこのごろです。

こんな私でありますが、これからもご支援のほどよろしくお願いします。

マイケル・ケンナ 旅路の記憶

アートなこと

2025年09月17日

ケンナ

7月のことになりますが、何必館・京都現代美術館で開催の「マイケル・ケンナ旅路の記憶 MICHAEL KENNA展」に出掛けてきました。

何必館のことはこのブログでも何度も書いています。私にとってなくてはならない大切な場所です。(ブログ何必館の時間2

大地、海、空、樹木、建造物…。

世界を旅しながら撮影されたモノクロの写真は、「水墨画の精神性に近く、視覚的な俳句のようなもの」と写真家自ら語られる通り、とても静謐で、絵画のようにも、心象風景のようにも見えます。

なかでも印象的だったのは、北海道の屈斜路湖畔に立つミズナラの老木を、伐採されるまでの7年間にわたり、繰り返し撮影されたという写真でした。

その木はいつしか地域住民から「ケンナの木」と呼ばれ親しまれるようになったとのこと。

毎回、初めて会ったが如く木と対峙し、シャッターを切るというケンナ氏。それは自然に限らず、器などの静物に対しても同じだというから驚きです。

同じように見えて、同じであり続けるものはなく。先のことは誰にもわからない。刻々と変わり行くその一瞬一瞬を、どんなに大切にされているかが窺えるエピソードです。

まさに一期一会。

タイトルの通り、写真の一枚一枚がケンナ氏の旅路の記憶であり、とりもなおさず人生の記憶なんだと腑に落ちていく思いがしました。

ふと…。

人生は、その時々の記憶が焼き付けられた写真の連続体でできているんじゃないか。

そんな思いが湧きました。

そういえば死の間際、人生の来し方が走馬灯のように浮かんでくる、とはよく聞く話です。実際に見たという人に会ったことはありませんが(笑)。

さながら走馬灯は、これらの中から厳選された写真のダイジェスト版というところでしょうか。

この展覧会を観て以来、ここぞという場面に出会うと「これ、いただき!」とばかりに頭の中でシャッターをカシャ。

なんてことが、新たな習慣となりました(笑)。

不遜にも写真家の眼差しになってみると、なんでもない日常が、これまでと少し違って見える気がします。

またとない一瞬を大切に、私ならではの写真を連ねながら、これからの人生を送っていきたいものだなぁ。

そんな風に思わせてもらえた展覧会でした。

さてさて、最後にどんな走馬灯を見られるか。ぶっつけ本番のお楽しみです(笑)。

会食恐怖症

心と体のこと

2025年07月31日

会食恐怖症

昨年の秋、京都新聞の記事でこんな言葉を見つけました。

会食恐怖症。

初めて出合う言葉でしたが、一目で意味が分かりました。

そして、かつて長年にわたり悩まされてきた自分の奇妙な症状に名前が付いたことに、胸のすく思いがしたことを覚えています。

その記事というのは、摂食障害がテーマの小説「わたしは食べるのが下手」の著者、天川英人さんへのインタビューでした。

彼女自身も摂食障害の経験者で、「食べることに悩んでいる人がいたら、あなた一人じゃないと気付いてほしい」と話されています。

まさにこの記事で、私は、私一人じゃなかったことに気付いたのでした。

「わたしは食べるのが下手」の帯には…

会食恐怖症とは、人と食事をしたり、その場面を想像すると、不安感におそわれ、吐き気や動悸、めまいなどが生じる精神疾患のひとつ。とあります。

改めてネットで調べてみると、関連した情報がたくさん出てきて驚きました。

症状の現れ方や程度には個人差がありますが、厳しい食事指導や過去の失敗体験がきっかけとなることが多いようです。

第56回NHK障害福祉賞の佳作を受賞された下田朝陽さんのエッセイ「ただ、普通にご飯が食べたくて」は発症のきっかけから経緯、回復までを赤裸々に書かれていて胸に迫るものでした。

私はここまで深刻ではありませんでしたが、共通することがたくさん書かれていました。

もしかしたら、このブログを読んでくださっているなかにも、ご自身やまわりで思い当たる方があるかもしれない…。

うまく伝えられるか不安で躊躇していましたが、会食恐怖症のことを広く知っていただきたく思い、自分の書ける範囲で書いてみることにしました。

私の場合は幼い頃からの母による厳しい食事指導が原因だったと思います。

出された食事を食べ終わるまで、席を立つことは許されず。食が細く、好き嫌いもあった私は、食卓に一人残されるのが常でした。

がんばれば食べられる、時間をかければ完食できる、というものでは決してなく。最後は喉が塞がったようにまったく食べ物を受け付けなくなり、時間だけが過ぎていく…。

幼い心と体に、食事は楽しいことではなく、辛いこと。「行」のようなイメージが植え付けられました。

小学校に上がると、給食はとても苦痛な時間で。楽しいはずの友達のお誕生パーティーも食事つきだと気が重いものでした。

それが小学校高学年の頃、ちょうど心身の変わり目だったのでしょうか。急に普通に食べられるようになり、まさに食べ盛りに突入していきます。

けれど普段と少し違う食事の場面になると、突然、かつてと同じ状況に陥ることがありました。

料理を前にした途端、喉が塞がり、まったく受け付けなくなるのです。

その場の雰囲気を悪くするし、もてなしてくださった方にも失礼なことです。けれどいったんその状況に陥ってしまうと、もうどうしようもありません。

毎回ではないのですが、いつ現れるかわからない。なので、会食の予定が入ると、またなるんじゃないかという不安がいつも付きまといます。

まわりを見ても、同じようなひとは見当たらず。私だけ、どうしてこうなんだろうと不思議でした。

誰にも相談できないまま、自分なりに工夫を重ね。いつからか症状は出なくなりましたが、食べることへの不安はいつまで経っても払拭し切れませんでした。

そこで思い立ったのが、青森にある佐藤初女さん主宰の「森のイスキア」を訪ねることでした。

初女さんの作られたお料理を食べてみたい!

食に対するイメージを塗り変えたい!

そう思って出かけたのが、16年前のことです。

佐藤初女さんのことはこのブログで何度となく書いてきましたが(ブログ  佐藤初女さんのこと2 佐藤初女さんのこと3 佐藤初女さんのこと4 佐藤初女さんのこと5)、「森のイスキア」を訪れた本当の理由はそういうことでした。

大きなちゃぶ台を囲んで、宿泊客やスタッフの皆さんと和やかにいただいた心尽くしの手料理。

私の食事の原風景が幸せなものに置き換えられ、以来、食べることへの不安は消えました。

あぁ、私、今、食べてる…。

食事中、よくそんなことを思います。大袈裟なと思われるかもしれませんが、食べている、ただそれだけの行為を私はとても幸せに感じます。

テレビをつければグルメ番組ばかり。誰でも食べることが大好きで、誰かと食事を共にするのは幸せなこと…。

世の中にそんな風潮が溢れているように感じるのは私だけでしょうか。

実際は、病気や障害、精神的な不調などで、食べることに困難を抱えている人は決して少なくないと思います。

人それぞれに、様々な食のスタイルがあること。それをおおらかに認めあえる世の中になることを願ってやみません。

そんな私が期せずして食べ物を扱う店を始め、今では食の楽しさを伝える側になりました。

「食欲の落ちた母が、こちらのおじゃこなら食べられるんですよ」

「食の細い娘が、ここのおじゃこならご飯をおかわりするんです!」

お客様からこんなお声をいただいた時、一番うれしく思います。

ちなみに「わたしは食べるのが下手」(小峰書店刊)は今年の青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選ばれているそうです。

「食べることに悩んでいる人がいたら、あなた一人じゃないと気付いてほしい」という著者、天川英人さんの思いが、一人でも多くの方に届きますように。

辰巳芳子さんのこと

素敵な女性

2025年06月26日

素晴らしい映画を観ました。「天のしずく 辰巳芳子 ”いのちのスープ”」。100歳の料理家、辰巳芳子さんの12年前のドキュメンタリー映画です。

嚥下障害のお父様のために、四季折々の食材を使って作り続けられた「いのちのスープ」。そのレシピは多くの人に師事され、医療機関でも取り入れられています。

そうしたことを知ってはいましたが、それで一本のドキュメンタリー映画ができるなんて…。

ささやかながら私も食に関わる仕事をさせていただいている身。この映画はぜひ観ておいた方がいい! そんな思いに駆られ、出掛けていった次第です。

ゆっくり適切な言葉を選びながら語られる辰巳さんのお話は、静かながら、とても力強く。ご聡明さと、豊かな感性、揺るぎない信念に、たちまち引きこまれてしまいました。

その根幹にあるものは、幼少期、恵まれた家庭環境で育まれたように思います。

やはり料理家であられたお母様の日々の言動を懐かし気に話されるご様子は、本当に楽しそう。

幼い日にお母様に体を洗ってもらわれた時の感覚が、けんちん汁を作られる際の野菜の混ぜ方につながっているというエピソードなど、笑ってしまいそうです。

けれどご本人はいたって大真面目で、写真立ての中のお母様もうれしそうに聞いておられるよう。

そんな幸せな時代も、やがて戦争へと向かいます。

婚約者が間もなく召集されるとわかったうえでのご結婚。たった3週間の新婚生活で出征され、還らぬ人に。

ご両親の意に反して結婚を決意された、その時のご自身の判断力について、長年思い巡らせておられたとのこと。

何事も迷うことなく突き進んでこられたかに見える辰巳さんの思いがけない告白に、失礼ながら一気に親近感を持ってしまいました。

そして50余年を経て、ご主人が命を落とされた異国の海へ、なにかに導かれるように赴かれたとのこと。船でえい航しながら満身に夕日を浴び、そこで湧き起こられた思い…。

その場の映像がありありと浮かび、感動に震えてしまいました。

真摯に、懸命に、これまで生きてこられた方だからこそ体現された、神様からのプレゼントだったのではないでしょうか。

それにしても、そこに辿り着かれるまでに、こんなにも長い年月がかかるとは…。

映画の後半、同世代のハンセン病患者さんに会いに、瀬戸内の島を訪ねられる場面があります。

料理番組で辰巳さんのことを知り、「いのちのスープ」で親友を看取ってあげられた、その感謝の思いをしたためた手紙を受け取られてのことでした。

お二人、海に向かって腰かけながら、お互い問わず語りに会話されるシーンが印象的です。

その患者さんご自身、どんな過酷な人生だったかと想像します。けれど、親友にいのちのスープを作ってあげられた喜び、発病当時にご両親から受けた愛情の深さなど、語られるのは明るいことばかり。

「80歳を過ぎてやっとわかったことなんですよ」

との言葉に、

「私もよ。80歳を過ぎてわかることってあるのね。一緒ね、一緒ね」

と旧知の友人のようにうれしそうに共感される辰巳さん。

人生はなんて苦しくて、なんて美しいんだろう…。

私もそこそこ長く生きてきて、ようやくわかってきたことがたくさんあります。けれど、まだまだわからないことだらけ。

なぜ…。どうしたらいいんだろう…。問いや迷いがいつも心の中で蠢いています。

私も必ずや80歳を過ぎるまで生きて、この境地を見てみたい!

12年前のドキュメンタリー映画ですが、古さを感じるどころか、今の時代を生きる私たちに、とても新鮮に訴えかけてくることがたくさんあります。

「いのちのスープ」の根底にあるものは、時代を超えて不変なのでしょう。

日本の風土、農業、次代への食文化の継承などが、美しい映像と共に描かれ、草笛光子さんの語りと谷原章介さんのナレーションも素敵です。

この先も折に触れ、様々な場所で上映されていくことを願ってやみません。

内容について、細かな部分で私の記憶違いがあるかもしれません。私なりの解釈となりますことご了承ください。

今、観ておいてよかった映画! 出逢えたことに感謝です。

一日レストランUTUCIKI

店のこと

2025年05月12日

一日レストラン3人

ご紹介が遅くなりましたが、「一日レストランUTUCIKI」のことを書いてみたいと思います。

UTUCIKIさんは既にお馴染み、「しののめ寺町」のおじゃこや山椒まよねーずを使ったレシピを考案いただいている料理家さんです。(ブログ フードコーディネーター紗矢香さん

2021年春からこちらのホームページでコーナーを設け、インスタグラム(shinonome_teramati)やfacebook((1) Facebook)でも随時紹介しているところです。

私にはカフェをやっている従姉妹がいるのですが、彼女からUTUCIKIさんのレシピの一つ「じゃこ山椒と梅しその冷製パスタ」をメニューに取り入れたいとの申し出があったのが、その夏のことでした。

そこからご縁が繋がって、「UTUCIKI」の紗矢香さん、「けやきカフェ」のよしえちゃん、そして「しののめ寺町」の私、気の合う仲良し三人組が誕生。

そうして2023年よりけやきカフェでのUTUCIKIさんによる一日レストランがスタートした次第です。

ご縁のきっかけとなった私としては、こんなうれしいことはなく。客として参加し、料理上手な二人のコラボレーションをいつも楽しませてもらってきました。

それが去年の秋のこと。せっかくの仲良し三人組、「しののめ寺町」もコラボに加わらないかとのお声掛けをいただき…。

これまでにUTUCIKIさんより提供いただいたレシピから一品をプチアミューズとしてメニューにプラス。お土産として、じゃこ山椒30gとおじゃこの割引券、その日のレシピをお持ち帰りいただく。

という形で今年から参加させてもらうようになりました。

と言いましても、私は相変わらずただの客として、食べて、飲んで、喋って、笑って…。調理にサーブに忙しい二人を尻目に申し訳ない限りです(笑)。

それにしても、毎回、不思議に思うことがあります。

テーブルごとに会話が弾むのはもちろんのこと、初対面のお隣さん同士がいつの間にか旧知の仲のよう、なんてことしばしばで。

時ににわかミニライブが始まったり、サプライズで誰かの誕生日を祝ったり、なんてことも。

いつも店中にえもいわれぬ温かな空気が漂っていて。誰もが笑顔で、心もお腹も満たされておられることが伝わってきます。

きっと、けやきカフェという場の持つ力と、UTUCIKIさんの心尽くしの手料理、そこに引き寄せられた人たちのキャラクターによって織り成されるものなのでしょう

なかでも先月は、よしえちゃんと私が従姉妹のうえに、お客様の親戚率がとても高く。もう実家のない私ですが、酔いも手伝って、ここが実家かと錯覚するくらい(笑)。

最後は他のお客様も巻き込んで、まるで親戚の集まりのような賑やかな会となりました。

いろんなご縁が合わさって、こんな素敵なことが生まれる…。

人生っておもしろいものだなぁ。

これからまたどんな出会いが生まれ、どんなサプライズがまき起こるか、楽しみでならない「一日レストランUTUCIKI」。ご興味を持たれた方はぜひ一度ご参加ください。

ある月のメニューを掲載いたします。雰囲気だけでも味わっていただけましたら幸いです。

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