スタンプカード
店のこと
2026年03月12日

もうお持ちくださっているお客様もあるでしょうか? 昨年末から店頭でスタンプカードをお渡しするようになりました。
一人でも多くのお客様に足を運んでいただきたい…。
頻繁に来てくださっているお客様になにか還元したい…。
そのためにはどうしたらいいだろうと考え、思いついたのがスタンプカードでした。
スタンプカードといえば、金額に応じて押される数が増えるタイプが多いかもしれません。けれど、うちはご来店くださることが第一!ということで…。
金額にかかわらず、ご来店ごとに一つ押印。最初のご来店から一年以内、4度目のご来店時に100円割引。というスタイルに決めました。
決めたからにはすぐに実践したい! ということで、市販の紙で自前で作成。早速レジ横に置いて、お会計の終わったお客様にお渡しすることにしました。
開店以来初めての試み。どんな反応が返ってくるか、正直のところ心配でした。念のため必要かどうかを伺うと…。
「へぇ、そんなんできたんやぁ。ちょうだい!」
なんて仰ってくださるお客様が多く、作った私が一番驚いているところです。
もちろん、ご旅行や遠方で、そうは来られないからと辞退されるお客様もいらっしゃいます。そんな時は「どちらからですか?」と伺い、そこからお話が弾むことも。
また、すぐ失くすからという理由で辞退されるお客様もあります。
そうなんです。スタンプカードって結構めんどくさいものなんですよね(笑)。
私自身も買い物をした先々でとりあえず作ったものの、それっきり行くことがなくなったり。
めったに行かないからとどこかにしまいこんだら、いざそのお店で買い物をした時に、レジ前で財布の中を探し回すことになったり。
そんなスタンプカードが一枚、もう一枚と増えていくばかり。
今どきはスマホのアプリを使ったものが主流になりつつあるかもしれません。
これはこれとて、昭和な私には扱いにくく。レジの方に操作を教わりながら使う始末です(笑)。
そんなこんなのスタンプカードですが、4ヶ月ほど経ち、お会計時にやり取りをすることがすっかり習慣になりました。
1枚目を満了したお客様は一様にうれしそうな表情を見せてくださり、既に2枚目、3枚目というお客様も。
果たしてスタンプカードの効果でお客様が増えたのかどうか…。もともと季節やその時々の状況で変動があるため、正確なところはわかりません。
ただ、なんていうか、スタンプカードを始めて楽しくなったなぁというのが実感です。
受け取ってくださるにしろ、辞退されるにしろ、そのやり取りをすること自体がコミュニケーションになっていると感じています。スタンプカードが懸け橋になってくれているような。
そもそもスタンプカードというもの自体が、人を楽しませる魅力を持っているんだなぁと思います。
私が小学生の頃。夏休みの早朝にラジオ体操がありました。首にカードを掛けて出掛け、終わるとスタンプを押してもらう。それがとてもうれしくて、また翌朝出掛ける…。
大人になっても、この感覚は変わらないんじゃないか。なんて思うのは私だけでしょうか?
なにしろ自前なもので、ペラペラの紙で手作り感満載。特典といっても、ほんのささやかなものです。
満了までいかれなくても、どこかに紛失されても、どうぞお気遣いなく。それなりに楽しんでいただけたらと思います。
かく言う私自身が一番楽しませてもらっているスタンプカード。引き続きお付き合いいただけるとうれしいです!
イリーナ・メジューエワさんのこと5
アートなこと
2026年01月14日

昨年の11月のことになりますが、イリーナ・メジューエワさんのピアノリサイタルに出掛けてきました。
イリーナさんのことは何度もこのブログで書いています。京都在住のロシア出身のピアニストで、「しののめ寺町」開店当初からの大切なお客様です。(ブログ イリーナ・メジューエワさんのこと4)
クラシックには馴染みのなかった私ですが、イリーナさんのリサイタルは特別。タイミングが合えば出掛けるようになりました。
お客様だから、というだけでは決してありません。その時々の演目やテーマに真摯に向かわれる姿や、ダイナミックな演奏…。それはそれは魅力的だからです。
今回はラヴェルの生誕150年記念ということで、春と秋の2回にわたって全曲演奏というプロジェクトに取り組まれたとのこと。生憎、春は叶わなかったのですが、秋の回に出掛けることができました。
ラヴェルといえば「ボレロ」、 という程度の基礎知識しかなかった私。前半は落ち着いた曲調の演目が続き、後半は明るい曲もあるのかなぁ、なんて思っていました。
休憩をはさんで舞台に現れたイリーナさん、驚いたことに手にマイクを持って…。今回、ラヴェルの曲に取り組む中で感じたことを話したい、と語り始められました。
学生の頃はよくラヴェルの曲を練習していたけれど、なにかしら自分に馴染まないものを感じ、ある時期から少し遠ざかるようになったとのこと。
それが今回、ラヴェルの曲を弾き続けるなかで、ラヴェルは「悲しみの心」を持った人であり、それを音楽で表現したのだということに気づいていかれたそうです。
それは全曲演奏に取り組んだからこそ気づき得たこと、と話されました。
ピアニストの方の生活がどんなものか私には想像もつきません。恐らくは来る日も来る日も、一日に何時間もピアノに向かわれているのでしょう。
そのなかで、技術的なことはもとより、作曲家との時空を超えた精神世界の交信をされていたこと。そうして辿り着かれたラヴェルの「悲しみの心」というもの…。
鳥肌が立つ思いがしました。
イリーナさんはその過程を「旅」に例えられ、「長い旅がもうすぐ終わります。後半も心を込めて演奏しますので、どうぞお聴きください」とマイクを置かれました。
美しい日本語で語られるお話は、まるで一編の詩のようでした。
そして後半の演奏…。
やはり落ち着いた曲調の演目が続きます。けれど、前半とは全く違って聴こえました。音色が深く、心地よく、染みていくよう。
悲しみの心って、音にするとこんなに美しいんだ!
その気づきは、私には大きな驚きでした。
「悲しみ」は歓迎される感情ではないでしょう。誰しも、できることなら「悲しみ」よりも「喜び」で心を満たしたいものです。
けれど「悲しみ」を知ってこその「喜び」。「喜び」を知ってこその「悲しみ」。両方を併せ持ってこそ、情感豊かな心となるのではないでしょうか。
「悲しみ」は決して忌み嫌われるものではなく、悲しい時にはたっぷり悲しめばいい。その時は辛くとも、いつか美しい調べとなって心に刻まれる…。
ラヴェルは音楽を通して、そう教えてくれたような。偉大な作曲家ラヴェルが、とても近しい人に思えました。
その道先案内人になってくださったイリーナさん。イリーナさんにはこれからも演奏のみならず、言葉を通して、先人たちのメッセンジャーになっていただければと願います。
多かれ少なかれ、誰しも持っているであろう「悲しみの心」。それを尊重し合える世の中であればいいなぁ。
いつもながら、音楽的見地からかけ離れた感想となりました。これもまた音楽の楽しみ方のひとつ、ということでご了承ください(笑)。
年末年始、慌ただしく、ブログを書くことから遠ざかっていましたが、これからも自分が感じたことを書いていきたいと思っております。
今年もお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
Nadi kitayama のこと
心と体のこと
2025年11月27日

皆様は健康維持のために、どんなことを心掛けておられるでしょう?
店をやっているととにかく体が資本。食事、睡眠、あれこれ気を遣っていますが、長年続けているのがヨガとピラティスです。
15年ほど前、自宅近くにフィットネススタジオができました。とてもお洒落な外観。きっと若いOLさんたちが最新のウェアをまとって自分磨きをされる場所なんだろうと、前を通るたびに遠目から眺めていました。
その後ほどなくして、思いがけずも店を始めることになり。慣れない環境の変化に、体はバキバキ。
このままでは大変なことになると思い、とにかく近いことを最優先条件に選んだのが、先のお洒落なフィットネススタジオ、Nadi kitayamaでした。
思いのほかアットホームな雰囲気で、通い始めてかれこれ12年ほどになります。(ブログ 体 )
実のところ、このスタジオ、この間に場所の移転やらオーナーの交代やら様々ありまして。
なかなかの困難と想像しますが、唯一無二のコミュニティを守るべく、スタッフの皆さんが全力で乗り越えてこられた姿には、いつも頭が下がる思いでした。
今春、その一周年をお祝いした矢先に、また移転を余儀なくされる羽目に…。たて続く試練に、人と同じように、「場」にも運命というものがあるのかと思ってしまうほどです。
先日、移転を控えた最終レッスンのあと、スタジオでお別れ会が行われました。
山あり谷あり、それもまたおもしろい…
逆境もユーモアを持って…
トレイルランニングやマラソンの名選手でもあるオーナーやインストラクターの先生たちのお話にしみじみ。経験してきた人だからこそ語れる言葉です。
輪になって、1階カフェの心尽くしのお弁当をいただき。まさかのスタッフさんによるサンボマスターの渾身の熱唱(!)に大盛り上がりとなり…。
笑いあり、涙あり、楽しいお別れ会となりました。
思えばこの間、私自身も、Nadiに負けず劣らず、店の変遷、家族の変化…と様々ありました。
疲労困憊の日、気持ちの落ち込む日、ここに通っては心身を整え、また明日につないでこられたように思います。(ブログ アロマキャンドルヨガ)
まさに、店も、私も、Nadiと共に!
折しも窓の外は紅葉の真っ盛り。2か所のスタジオで、折々の思いを抱えながら、それぞれの紅葉を眺めてきた日々が思い出されます。
Nadiには感謝の思いでいっぱいです。
先のことは誰にもわかりません。人生も、商売も、山あり谷あり。私もそれをおもしろがりながら、ユーモアを持って、笑顔を絶やさずに進んでいこう。
そう心に誓ったお別れ会でした。
こんな私でありますが、皆様、これからも応援よろしくお願いします。


袴田ひで子さんのこと
素敵な女性
2025年10月31日

少し前のこと、たまたまつけたテレビで、NHKの「新プロジェクトX」をやっていました。テーマは「雪冤 袴田事件」。
無実の罪を着せられた袴田巌さんのために、58年の歳月をかけて活動してこられた姉、ひで子さんを中心に、その周りで尽力された方たちの特集でした。
壮絶な内容に引き込まれ、2週にわたる放送を食い入るように観た次第です。
雪冤という言葉は初めて知りました。調べてみると、無実を明らかにして身の潔白を証明すること、とあります。「雪」にはすすぐ、という意味があるそうです。なんて意味深い言葉でしょう。
まさに雪冤の58年間…。
「袴田事件」というのは、1966年、静岡の民家で味噌製造会社専務の一家4人が殺害されて金品を奪われ、放火されたという事件です。
その後、同社従業員の袴田巌さんが逮捕され、過酷な取り調べの中、自白を強要されるも撤回。一貫して無実を主張されるも死刑判決が下され…。
この間の警察の証拠ねつ造や、長引く裁判については、とてもとてもここに書き切れるものではありません。
ただ、私に書けることが一つあります。弟を信じ、無実を明らかにしたいという、姉ひで子さんの信念の強さに胸打たれた、ということです。
はじめ、若い頃のひで子さんの写真が紹介されていました。モダンな装いで美しく、とても素敵でした。どんな未来を描かれていたことでしょう。
そこに降ってわいた実弟の冤罪事件。人生が一変し、弟の救済に全人生を賭けて奔走されることとなります。
当初は偏見の目に晒されることがありながらも、「恥も外聞もない!」と、マイクを持って聴衆に訴えかけられる姿には、強い信念が感じられます。
やがて、その信念がまわりを突き動かし、大きな結集した力となっていくも、非情な試練の連続…。
それでもひで子さんは「これはもう腹をくくるしかない!」と、さらに大きなエネルギーを持って立ち向かっていかれます。まさに倒れても倒れても立ち上がるボクサーの如し。
そうしてようやく開かずの扉が開き、勝ち取られた「無罪」。最愛の弟、巌さんの救出!
しかしながら、よかったよかったと言うには、あまりに大きな代償です。
巌さんはもとより、ひで子さんの人生も取り返しのつくものではありません。こんなことがなければ、どんな人生を送られていただろう。若き日のひで子さんの写真を思い浮かべながら考えてしまいます。
救済活動中、ひで子さんはクラス会には出席されなかったとのこと。その裏にあった思いはどんなものだったでしょう。私にはとても胸痛むエピソードでした。
けれど、ひで子さんの口からは恨み節は出てきません。巌さんを晴れて自由の身にしてあげられた「今」を、なににも勝る幸せと感じておられるご様子です。
現在92歳。ようやく穏やかな日々を送っておられるのかと思いきや…
「私はせっかちなもんで、じっとしていられないんですよ」と、冤罪に苦しむ人たちの支援に今も各地を駆け回っておられるVTRには驚いてしまいました。
強い信念のもと、自分がやると決めたことをただひたすらに実践し、どんな境遇も自分の人生として受け容れる…。
潔いひで子さんの生き方に感服するばかりです。
その強靭な体力と精神力の秘訣を、是非ひで子さんに伺ってみたいものです。
けれど、きっと、自分の内なるものからしか生まれ得ないのでしょう。その信念の強さが問われるのだと思います。
すぐにへこたれそうになる私の信念。ひで子さんの堂々とした姿、力強い声を思い浮かべながら、しっかり立て直して進んでいこう。
そう心に誓うこのごろです。
こんな私でありますが、これからもご支援のほどよろしくお願いします。
マイケル・ケンナ 旅路の記憶
アートなこと
2025年09月17日

7月のことになりますが、何必館・京都現代美術館で開催の「マイケル・ケンナ旅路の記憶 MICHAEL KENNA展」に出掛けてきました。
何必館のことはこのブログでも何度も書いています。私にとってなくてはならない大切な場所です。(ブログ何必館の時間2)
大地、海、空、樹木、建造物…。
世界を旅しながら撮影されたモノクロの写真は、「水墨画の精神性に近く、視覚的な俳句のようなもの」と写真家自ら語られる通り、とても静謐で、絵画のようにも、心象風景のようにも見えます。
なかでも印象的だったのは、北海道の屈斜路湖畔に立つミズナラの老木を、伐採されるまでの7年間にわたり、繰り返し撮影されたという写真でした。
その木はいつしか地域住民から「ケンナの木」と呼ばれ親しまれるようになったとのこと。
毎回、初めて会ったが如く木と対峙し、シャッターを切るというケンナ氏。それは自然に限らず、器などの静物に対しても同じだというから驚きです。
同じように見えて、同じであり続けるものはなく。先のことは誰にもわからない。刻々と変わり行くその一瞬一瞬を、どんなに大切にされているかが窺えるエピソードです。
まさに一期一会。
タイトルの通り、写真の一枚一枚がケンナ氏の旅路の記憶であり、とりもなおさず人生の記憶なんだと腑に落ちていく思いがしました。
ふと…。
人生は、その時々の記憶が焼き付けられた写真の連続体でできているんじゃないか。
そんな思いが湧きました。
そういえば死の間際、人生の来し方が走馬灯のように浮かんでくる、とはよく聞く話です。実際に見たという人に会ったことはありませんが(笑)。
さながら走馬灯は、これらの中から厳選された写真のダイジェスト版というところでしょうか。
この展覧会を観て以来、ここぞという場面に出会うと「これ、いただき!」とばかりに頭の中でシャッターをカシャ。
なんてことが、新たな習慣となりました(笑)。
不遜にも写真家の眼差しになってみると、なんでもない日常が、これまでと少し違って見える気がします。
またとない一瞬を大切に、私ならではの写真を連ねながら、これからの人生を送っていきたいものだなぁ。
そんな風に思わせてもらえた展覧会でした。
さてさて、最後にどんな走馬灯を見られるか。ぶっつけ本番のお楽しみです(笑)。






