佐藤初女さんのこと3

素敵な女性

2016年02月16日

哀しい訃報が届きました。このブログでも何度かご紹介している佐藤初女さんが、2月1日、94歳でお亡くなりになりました。(ブログ佐藤初女さんのこと ブログ佐藤初女さんのこと2

なにかのきっかけで初女さんのことを知り、本を読んだり、講演に出かけたり。そうするうちに初女さんの作られたお料理をいただきたくてたまらなくなり、青森県弘前市の岩木山麓にある「森のイスキア」を訪ねたのが6年近く前のことです。

一度乗ってみたいと思っていた寝台車で、一人、夕刻に京都を出発(ブログさよなら 寝台特急 日本海)。翌早朝、弘前に到着。駅前からバスに揺られ、山の中へ、山の中へ。1時間近く走ったでしょうか。指定のバス停に降り立つと、見渡す限りなにもない平地。ファックスで届いた手書きの地図を片手に、その中の一本道をさらに山の中へ、山の中へ。

6月の始め、青森は梅雨前だったでしょうか。すでに蒸し暑かった京都とうって変わり、暑からず寒からず、とても爽やかな季節でした。広い広い空。青空に白い雲。そんな天気と裏腹に、私の心は曇り空。この道を行けば本当に辿り着けるのか、不安でいっぱいでした。

私、なんで、こんなとこ歩いてるんやろ…。

一体なにに掻き立てられて、こんなところまでやって来たのか。聞こえてくるのは、私がひくキャリーバッグの音ばかり。いつも自分を持て余し、手を焼いているもうひとりの私が、呆れ果ててぶつくさ言いながら、渋々うしろをついてくるようでした(笑)。

どれくらい歩いたでしょう。本や映画で見知っていた「森のイスキア」が目の前に現れた時、桃源郷を見つけたひとは、きっとこんな気持ちだったんだろうと思いました。

スタッフの方に温かく迎え入れられると、NHKテレビの撮影の最中でした。初女さんの代名詞、おむすびの実演を目の当たりにでき、しかも昼食にいただけるという幸運。夢にまで見ていたことが、あっけなく叶っていくことが、また夢のようでした。

その後、宿泊者が次々に到着。初女さんに一目会いたくて、全国から集まってきたひとばかりです。持ち寄ったお土産でお茶タイム。台所で夕食作りを間近に眺め、大きな丸い卓袱台を囲んでの夕食、歓談。まるで田舎に親戚が集まったような懐かしい風景でした。

初女さんは当時すでに88歳だったでしょうか。耳が遠く、離れたひとの声は聞き取りにくいご様子でした。耳の遠い義母に慣れていたせいか、私の声は不思議とよく聞き分けてくださり、「通訳して」と仰ることも。初女さんに身を寄せ耳元でお伝えすると、小さく頷いては、その方に向かって返事をされていました。

とても光栄なお役目を賜ったようで、うれしい思いでした。が、その年齢で朝から夜まで宿泊者の世話をし、皆の話に耳を傾けられることは、想像以上に過酷なことなのではと、胸痛む思いもしました。

最晩年まで、乞われれば全国、海外にまで、講演や講習に出かけておられたようです。訪ねて来る人は、来るもの拒まず、可能な限り迎え入れられていました。人になにかをしてもらおうなどとは微塵も思わず、常に自分が人に出来ることはなにかを考えておられる方でした。そうして出会った一人一人の心の中に、それぞれ一粒の種をまいてこられた人生だったのではないでしょか。

持てる力を使い切り、使命を果たし切り、天に召されたのだと思います。敬虔なクリスチャンだった初女さん。訃報はショックではありましたが、神様のもとに召されてやっと安息につかれたのだと、なにかしらほっとする思いもありました。

冒頭の写真は、朝食の準備をされている初女さんです。お料理は数人のスタッフの方が手伝って作られますが、お米の水加減は初女さんにしかできないとのこと。前日の夕食の準備でも、炊飯前に水に浸したお米をつまみ上げ、ふくらみ具合を見ながら、慎重に水加減を調整しておられた姿が印象的でした。

そうして炊き上がったご飯を、慈しむようにほぐしておられる初女さん。その背中に、窓から朝日が降り注ぎ、神々しいばかりのお姿でした。気づけば、まわりで皆のシャッターを切る音が。失礼かと思いましたが、この瞬間を残しておきたい一心で、私も一枚。

肖像権など問題がないかと心配ですが、皆様にもぜひご覧いただきたく思い、掲載しました。初女さんはきっと、津軽訛りのか細い声で「構いませんよ」と仰ってくださると思います。

私、なんで、こんなとこ歩いてるんやろ…。

あの日、「森のイスキア」に向かう道すがら感じた疑問。その答えがわかりかけている気がしています。私も一粒の種がほしかったのかも…。

初女さんのおむすびをいただく幸運に出会えた一人として、私に何ができるのか問いかけながら、いつか種から芽吹かせ、花開かせる日が来ることを願って、これからも進んでいきたいと思っています。

初女さん、本当にお疲れ様でした。安らかにお休みください。

美しいということ

素敵な女性

2016年01月12日

ウィンタースポーツの季節到来。昨年末よりフィギュアスケートのニュースをよく目にするようになりました。特別ファンというわけではないのですが、浅田真央選手にはなにか心魅かれるものがあり、普段テレビを見ない私も見たりして。

真央ちゃんといえば、十代の頃から、神様から選ばれしひとは、こういうものかと思うばかり。なにもかも兼ね備えたひとのように私には思えました。こぼれんばかりの笑顔には、誰もが魅了されたのではないでしょうか。

選手としてキャリアを重ねるごとに、絶えない苦悩もあった様子。演技後のインタビューでは、時にしゃくりあげながら、時に表情を曇らせながら、それでも真摯に答える姿には、いつも感心させられました。短い受け答えの一つ一つはシンプルでありながら、経験した者のみが語れる言葉の重みがあり、胸打たれることも。

休養から復帰後初めての今シーズン。なかなか調子が上がらず苦戦が続いていたようですが、昨年末の全日本選手権大会のフリーの「蝶々夫人」の演技は、本当に素晴らしかった。転倒しながらも繰り広げられる渾身の演技は、息を呑む迫力。演技後、小さく頷く表情に、今の彼女のすべてが表現し尽くされたのだと、見ている私まで胸すく思いでした。もはや評価など超越していたような。

若い選手が台頭するなか、25歳で最年長と言われるスポーツの世界。決して本調子ではないなか、あの大きなスケートリンクに一人立つ孤独。不安を抱えながら、それでも果敢に挑む姿…。無垢な頃の真央ちゃんも美しかったけれど、苦悩を湛えた真央ちゃんはさらに美しい。

美しいということは、経験すること…。

苦しい経験に心が澱んでしまうこともあるものです。が、それを超えた時、また新たな美しさが生まれる。一つ一つの経験が、その向き合い方が、そのひとが本来持っていた美しさにさらに磨きをかけていく。真央ちゃんの姿を見ていて、そんなことを思いました。

女性が年齢を重ねることは、決して悲観的なことではなく、むしろ素敵なことなんじゃないか。経験を重ね、折り重ねられていく心のひだ。そうしたものが若い頃にはなかった深い美しさを生むんじゃないか。そんなことを思ったり。そうであることを願ったり。そういうものが評価される世の中であってほしいと思います。

年齢を重ね、経験を重ね、澱みながら、澄みながら。また澱みながら、澄みながら。最期に本当の「透き通る瞬間」があるのかも(ブログ透き通る瞬間)。

多忙だった12月。ダウンしたお盆休みの二の舞はすまいと、仕事と休養に専念した年末年始でした。新年のご挨拶がすっかり遅れてしまい申し訳ありません。お陰様で元気に新しい年をスタートすることが出来ました。

今年もまた、さまざまな経験をすることになりそうな気配です。好ましい経験も、好ましくない経験も、恐れずに向き合ってみよう。真央ちゃんの演技を思い出しながら、そんなことを思うこのごろ。どうぞ今年もよろしくお願いします。

ユルスナールの靴 2

素敵な女性

2015年09月11日

9月に入り、めっきり涼しくなりました。今年の夏は例年にも増して厳しい暑さで、とても長かったように思うのですが、そんな日々ももう遠いことのよう。季節の移ろいは本当に早いものです。

前回のブログ八日目の蝉でも触れていますが、店を始めるまでは毎年ひどい夏バテに悩まされていました。店を始めるにあたって、夏、私の体力がもつかどうかが心配事の一つでしたが、お陰様で休むことなく続けてこられています。そんな自分に驚きながら、夏になると思い出すフレーズがあります。以前にも紹介しましたが(ブログユルスナールの靴)もう一度。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いて行けるはずだ。そう心のどこかで思い続け、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

                   須賀敦子 「ユルスナールの靴」

イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子さん。残念ながらもう亡くなられましたが、美しい文体が魅力で、女性としても素敵だなあと思う作家さんです。なかでも、この一節に出会ったときは、ちょっとした衝撃でした。

当時「ほぼ専業主婦」だった私。自分を生かせる場所を探して、あれこれ出かけては、やっぱりここは私の居場所じゃないと、あとにして。そんなことを繰り返していました。私は自分を生かせるものなど持ち合わせていないのだと、どこかであきらめていたような。それでもやっぱり、あきらめ切れずに苛立っていたような。そんな思いを代弁してくれる一節だったのです。しかも「ユルスナールの靴」だなんて、洒落た表現で。

思いがけないことに店を開くことになり、気づくと、きっちり足に合った靴を履ている自分がいました。この靴ならどこまでも行けそうで、歩くのももどかしく、いつも前のめりの駆け足でここまで来たような気がします。

そうして今年の春、三周年を迎えました。三年も経てば落ち着くのかと思いきや、三年経ってようやくわかってくることばかり。見直しを迫られることが重なり、あれやこれやいつも考え事。ヒートアップした脳みそは熱く感じられるほどで、眠っていても余熱冷めやらず。疲れているはずなのに、少しの睡眠時間で目が覚めてしまう。そんな日が続いていました。

もともと要領が悪く、全力疾走しては倒れ込むタイプの私。がんばりどころと危険領域との境界がさっぱりわかりません。警告ランプでも点灯してくれたらいいのですが、そんなわけもなし。8月のお盆過ぎ、夏季休業に入るやダウンしてしまいました。

ユルスナールの靴でこけちゃった。

休み返上で後半戦に備える態勢でいたのですが、それどころでなく、近所の医院に通って点滴を受けては、自宅ベッドで昏々と眠り続ける5日間でした。こんなに眠れるものかと思うほど眠り続け、やがて脳みそもクールダウン。そうして思ったこと…。

元気な体さえあれば、なんとかなる。

気になることは数知れず、やるべきことも数知れず。けれど、それもこれも元気な体があってこそ。全部やり遂げたところで、ダウンしてしまったら元も子もない。困ったら誰かに助けを求めよう。至らないところは謝って許しを請おう。続けていくことが一番大事。そう思い知りました。

ダウンしたのは、こうでもしないと休まないだろうと思われた、神様からのドクターストップだった気がしてなりません。

やっと見つけたぴったりの靴。見つけられたことがうれしくて、夢中でここまできたけれど、これからは歩き方が大事だなぁと思います。どんなに素敵な靴も、寝込んでしまったら履くこともできないのだから。

時にゆっくり歩いてみたり、時にスキップしてみたり。私なりの歩き方を見つけていきたい。履くほどに足に馴染む靴のように、愛おしみながら、どこまでも一緒に歩いて行きたい。私のユルスナールの靴。

そんなことを思う秋の入口です。

透き通る瞬間

素敵な女性

2015年02月15日

三度豆

透き通る瞬間…。

なぜか最近、しきりにこの言葉が心に浮かびます。このブログでも何度か紹介している佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと佐藤初女のこと2)の言葉です。

初女さんは青森県の岩木山の麓に建つ宿舎を拠点に、食を通してひとの心に寄り添う活動をしておられる女性です。私も数年前に訪れ、大きな力をいただいた一人です。もう90歳を超えられたかと思いますが、ひとになにかをしてもらうより、自分がひとのために出来ることをひたすらに実践されている。そのお姿は神々しいばかりです。

乞われれば全国、あるいは海外でも講演に出かけられます。私も二度、拝聴する機会がありました。弘前弁のとつとつとした語りは耳に心地よく、その内容はいたってシンプルで明快。まさに初女さんの作られるお料理と同じです。滋養ある食物が体に深く染み入るように、心が数段元気になって帰ってきたのを覚えています。そんななか出てきたお話です。

野菜の適切な茹で時間はどうしたらわかりますか、という質問をよく受けますが、それは簡単なんですよ。観察していたら、野菜が透き通る瞬間があるんです。その瞬間を見逃さず引き上げると、ちょうどいい茹で具合になっています。と、こともなげに初女さん。この瞬間を「命の移し替えが行われた」と仰っていたような。

確かに、ブロッコリーやほうれん草など、お湯の中で緑が鮮やかに透き通る瞬間があります。その絶妙の茹で加減で上げたものは、歯の当たりに無理がなく、野菜本来の甘みが生きています。透き通る瞬間というのは、まさに瞬間。早過ぎると、なにかまだ抵抗がある。タイミングを逃すと、もはやだれてしまっている。この瞬間を的確に捉えるのは、案外難しいことです。

野菜のみならず、自然界では大切な瞬間に透き通ることがよくあるそうです。学者さんから聞かれたという、いくつかの例を挙げて話してくださいました。残念ながら詳しいことは忘れてしまいましたが、自ら体得された知恵に、学術的な裏付けを得られたことに深く感銘を受けておられるご様子でした。

透き通る瞬間…。

初女さんには珠玉の言葉がたくさんありますが、私の中で最近になって輝きを放ち始めたこの言葉。今の私に必要な大切な教えが含まれている気がしてなりません。

生きていれば、日々、様々なことが起こります。いいこともあれば、よくないことも。一人で生きているわけでなく、様々な人との関わりの中で生きています。やっぱり、いいこともあれば、よくないことも。

それに伴い様々な感情が湧きます。喜怒哀楽、それだけでは表し切れない微妙な心の揺れ…。修行の足りない私は、その都度、一喜一憂。泣いたり、笑ったり、怒ったり。そんな自分に、結局は自分が一番疲れさせられているジレンマ。

自分にも、ひとにも、物事にも、あらゆることに、きっと適切な瞬間があるのでしょう。焦るあまりに勇み足をしてしまったり、注意力散漫で見逃してしまっていたり。そんなことを繰り返しているんだなぁと思います。その瞬間を捉えるには集中力のみならず、あらゆる感性や心配りが必要なような。初女さんのようにこともなげに捉えられるようになったら、何事ももっとうまく進むようになるでしょうか。

透き通る瞬間…。

まだ漠然としてよくわかりませんが、この言葉をいつも心に留めて、意味を考えながら、目指しながら、これから暮らしていくんだろうな。そんな予感がしています。

大きなテーマを与えられたようでもあり、一つの指針を与えられたようでもあり。たぶん一生かけての作業になると思います。片鱗でもつかめましたらお伝えしていきますので、気長にお付き合いくださるようお願いします。

堀文子さんの言葉 2

素敵な女性

2014年09月28日

前回(ブログ堀文子さんの言葉)に続き、堀文子さんの言葉です。

息の絶えるまで感動していたい

短いけれど力を持った言葉、何度読み返しても心が震えます。

前回も紹介したNHKの「日曜美術館」では、ご自宅での様子も撮影されていました。そのなかで忘れ難い場面があります。うろ覚えですが…。

庭の草木にホースで水を撒かれていた時のこと、植物の間にクモの巣を見つけられました。水のかかったクモの巣に陽が当たり輝く様子を、なんてきれいなんでしょうと、それはそれは嬉しそうにはしゃいでおられました。アートのようなクモの巣の造形美、したたる水のしずくの輝き、確かにきれいだったような。そこの記憶は曖昧なのですが、子供のように無邪気に喜ぶ堀文子さんの姿は今も鮮明に浮かびます。

自然の織り成す美しさは、ひとを感動させてくれます。が、それが水を浴びて輝くクモの巣って…。ここまで無邪気に喜べるって…。なんて素敵なひと、なんて可愛らしい女性、そう感じたことを覚えています。

感動という言葉、簡単に使われ過ぎているように感じるのは私だけでしょうか。心から感動するって、案外難しいことに思います。慣れきった生活のなかで緩んでしまった心では、到底…。

私は岐路に立たされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています

絶えず果敢なチャレンジを続けておられる堀文子さん。踏み出す一歩一歩が未知の世界なのではないでしょうか。感動すべきものに出会ったなら、たちまち感動できる心の状態を、常に保たれているのだろうと想像します。

堀文子さんには遠く及びませんが、「しののめ寺町」開店以来の毎日も私には未知の世界の連続でした。新しい発見、出会い、学び…。しんどいこともありますが、感動もまた絶えない毎日。慣れ親しんだ生活のなかでは、決して味わえなかったことばかりです。

開店から二年半が経ち、慣れてきたこともありますが、慣れてしまってはいけないなぁと思います。

堀文子さんほどの強い生き方は、私にはとうてい真似できませんが、心意気だけは見習いたいと思います。過去に囚われず、常に前を向いていきたい。絶えることなく新しい今を更新し、さっきまで知らなかった今に感動し続けていきたい。未来を案じ過ぎず、恐れ過ぎず。私も願わくば…

息の絶えるまで感動していたい

店まで通うのに長らく地下鉄を使ってきましたが、最近、新車購入を機に自転車に変えてみました。空の色、雲の形、光や風…、一日として同じ日はありません。最近では金木犀が香るように。帰る頃は真っ暗でちょっと心細くなりますが、ペダルを強くこいでみると、薄闇が開かれていくような。

今までになかった心の動きを感じながら、いくつになっても新たな感動があるなぁと思うこのごろ。そんな自分に感動している私がいたりして。

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