角野栄子さんのこと
素敵な女性
2024年03月08日
少し前のことになりますが、素敵な映画を観ました。「カラフルな魔女」。映画「魔女の宅急便」の原作者として有名な児童文学者、角野栄子さんのドキュメンタリー映画です。
角野栄子さんというお名前を知ってはいましたが、よくは存じ上げませんでした。それが、たまたまつけたテレビのドキュメンタリー番組で初めてお姿を拝見し、驚いてしまいました。
こんな女性、見たことない!
まるでおもちゃ箱から抜け出たようなカラフルで愛らしい装い。それがよくお似合いで。当時、既に80代になられていたでしょうか。とてもそうは思えない若々しさです。
ファッション、ライフスタイル、人生観…。すべてが素敵で、たちまちファンになってしまいました。
その番組をもとに最新の角野さんの日常を追ったドキュメンタリー映画とのこと。これはもう観ないわけにいきません。
映画が始まるや、画面が切り替わるたびに、色鮮やかな装いで登場する角野さん。タイトルの通り「カラフルな魔女」さながら、まるで絵本のページをめくるよう。
「色」というものが大好きな私は、それだけでもう楽しくてたまらない(ブログ 色)。
ちなみに、イメージカラーのピンクは、角野さん曰く「いちご色」なのだとか。なんて美味しそうな色でしょう。
よく食べ、よく歩き、よく働き、お喋りがまたお茶目でテンポよく。最後にはハッハッハッとご自身で笑ってオチとなる。
例えば、食事の支度が面倒な時の簡単料理の紹介では…。
「冷凍ご飯にバターをのせて醤油をかけて。バタバタっと作っちゃう、これぞバタバタバターライス!」てな具合。
私もつられて考えました。「冷凍ご飯に納豆をのせて、めかぶをかけて。これぞネバネバ、ネバーランドごはん!」。私の定番簡単料理です。いかがでしょう?(笑)
「自分にとって気持ちがいいこと。それが基準」そう話される角野さん。仕事も、プライベートも、ご機嫌で暮らせる秘訣のようです。
6歳の時に太平洋戦争勃発。10歳で迎えられた終戦。その時、自由というものがどんなに素晴らしいものかを体感され、
(これからは、人と違っていていいから自分がなりたい大人になろう)
そう心に誓われたとのこと。
自由な時代に生きているはずの私たち。なのに、なにか不自由で、人と違っていることを恐れてしまいがち。どうしたら角野さんのように自由でいられるのでしょう。
角野さんのデビュー作は35歳の時に書かれた「ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて」です。
結婚後に渡られたブラジルで出会ったルイジンニョ少年。慣れない異国で戸惑う角野さんは、この少年を通して、ブラジルの暮らしや国民性を知っていかれたようです。
忘れられない思い出として、こんなエピソードが紹介されます。
カーニバルの日。人々は音楽に合わせてサンバを踊っています。ルイジンニョ少年が角野さんにも踊れ、踊れと言いますが、角野さんは恥ずかしくて踊れないと首を振る。すると…。
「Eiko、コラソンがあるだろう?」とルイジンニョ少年。『コラソン』とは『心(ハート)』のこと。
「コラソンのビート(音)は僕のもEikoのも同じだろ? だったら、僕が踊れるんだからEikoが踊れないということはない」と。
この時、ハッとされたという角野さん。
2018年に「国際アンデルセン賞 作家賞」を受賞された時のスピーチでも、このエピソードを語られたそうです。
ルイジンニョ少年が角野さんにとってどんなにかけがえのない存在だったか。この言葉をどんなに大切に生きてこられたか。思うだけで胸が熱くなります。
今回の映画のクライマックスは、75歳になったルイジンニョ氏の来日。それまで音信不通だった彼との62年ぶりの再会です。観ている私もドキドキです。
「思い出っていうのは過去のことですよね。でもそれが未来で待っている」
病を克服して来日されたルイジンニョ氏との奇跡とも思える再会を、そんな風に語られる角野さん。
「Eiko、ありがとう。本当にありがとう。また来るよ。本当だよ。また来るから」
別れの時、そう言って、角野さんをハグするルイジンニョ氏。
いつも笑顔の角野さんが思わず涙される姿に、私も涙がこみ上げました。
「魔法とはその人の喜び。喜びを見つけること。だから誰にでもひとつだけは魔法はある」
カラフルな魔女からのメッセージです。
自分を自由にするのも、不自由にするのも、自分次第。ルイジンニョ少年の言葉の通り、コラソン(心)のビートのままに、踊るように生きていきたい。私にひとつだけの魔法を見つけて。
うん、私も魔女になれそうだ!
我
心と体のこと
2024年01月25日
年末になると、今年の世相を表す漢字一文字、というのが発表されます。清水寺の舞台で貫主様が大きな筆で墨書される様は、年末の風物詩の一つとなりました。
去年は「税」でしたね。墨液の滴る文字のなんと力強いこと。思いの込められた漢字一文字の持つエネルギーに、いつも圧倒されてしまいます。
実は私は昨年の年頭に、「今年の漢字一文字」を決めていました。
といいますのも、昨年一月末に参加した新年会。今年の抱負を漢字一文字に表わして書き初めしよう、という企画だったのです。
このお話を聞いた時、すぐに心に浮かぶ文字がありました。これを書きたい! そう心に決めて出掛けて行きました。
筆を持つのは何年振りでしょう。墨汁の懐かしい匂い。色紙を一枚ずつ手渡されるや、練習なしの一発勝負!
緊張感と共に、一画一画、ゆっくり思いを込めて書き上げました。それが上記の写真です。
「我」
う~ん、お恥ずかしい。小学生の時の方がうまかったぁ~(笑)
字の上手下手はさて置き。なぜ「我」(われ)だったのでしょう。
気付けば、そこそこ(!)長く生きてきました。けれど信念を持ってまっしぐら、という人生では決してなかったように思います。
右を見れば、右が輝いて見え。左を見れば、左が輝いて見え。自分に欠けている部分を埋めようと、いつもなにかを探していました。
でも、いつまでたっても探し物は見つからず。欠けた部分が埋まることもなく。私はなにをやっているんだか、とため息をつくことしばしば…。
それはひとえに私の芯が定まっていなかったからだと思います。基準になるものが、自分の中ではなく、外にある。
もうそろそろ、そんな生き方、やめにしない?
基準は、自分が正しいと思うこと。自分が心地いいと思うこと。
誰とも取り替えられないこの人生、自分は自分でいいじゃないか。
自分を最優先に。
自分ファースト!
開き直りともいえる境地です(笑)。
ちょうどそんなことを思い始めていた頃。思わず知らず「我」の文字が浮かんだのだと思います。
書き初めのあと、食事をしながら一人一人、色紙を手に今年の抱負を高らかに宣言。とても楽しい新年会となりました。
というわけで「我」を胸に過ごしてきたこの一年。さぞや自由気ままに生きられたかというと…。
全くもってそうではありませんでした。
「我」を大切にするためには、まず「我」を知っていなくてはなりません。それが明確でなければ、そもそも基準が定まらない。
改めて自分に問いかけてみます。
自分にとって本当に大切なものはなに?
過小評価も、過大評価もしない、本当の自分の身の丈ってどれくらい?
いったい私はどうなりたいの?
……
自分のことって案外わかっていないもの。改めて突きつけられると答えられず、考えるほどにわからなくなっていくばかり。
我(われ)は我(が)でもあります。我(われ)と我(が)は表裏一体。自分を大切にするあまり、我(が)が出過ぎて、我がままに反転してしまうことも。
はぁ、難しい。
それでも、とことん自分と向き合い。ああでもない、こうでもないと、取捨選択を繰り返し。一年かけて、少し自分というものがわかりかけてきたこのごろ。
思えば「我」の文字に導かれ、「我」の文字に背中を押されて過ごしていたような。これも言葉の持つ力、言霊(ことだま)の為せる技だったでしょうか。
これからも人生は続き、「我」も続きます。「店」もできる限り続けていきたいと思っています。
目まぐるしく変化する時代の流れの中、先のことは誰にもわかりません。それでも、どんな時も、しっかりと自分と向き合い、その中にある基準を大切に進んでいきたい。
そんなことを思う年明けでした。
どうぞこれからも寛容に見守ってくださいますよう、また一年よろしくお願いします。
橋本さんのこと
店のこと
2023年12月21日
悲しい知らせが届きました。開店以来、ちりめんじゃこを納めていただいている中央市場の橋本さんの訃報です。
ちりめんじゃこは、うちにとって根幹となるもの。橋本さんがいてくださらなくては始まらず。ずっといてくださるものと信じて疑わなかった私。
まだまだ働き盛りの60代。あまりに突然のことでした。
一口にちりめんじゃこといっても様々です。大きさ、固さ、色合い、乾燥の具合、味…。
長年ちりめんじゃこに携わってこられた橋本さん。うちのおじゃこの好みも熟知してくださっていて、その目利きと采配に全幅の信頼を寄せてきたところです。
そうはいっても自然の恵み。気候や台風の影響などで、それはそれは厳しい状況に陥る時も。実のところ、ちりめんじゃこの不漁は今に至るまで長年続いています。
当然ながら価格は高騰。時にとても手の出ない高値になることも。
そんななかでも、絶えることなく、品質を落とすことなく、ちりめんじゃこを仕入れてこられたのは、ひとえに橋本さんの並々ならぬご尽力のお蔭です。
一方で長きにわたったコロナ禍。ほんのわずかしか注文できない状況が何年続いたことでしょう。
どんな時も、蔭となり、日なたとなって、いつも笑顔で支えてくださった橋本さん。ご心労はいかばかりかと心で詫びながらも、頼れるのは橋本さんしかなく。
繁盛店にすることがなによりの恩返し。橋本さん、もう少し待っててね。あと少し、あと少し…。と思いつつ、なかなか叶わないまま迎えた昨年の10周年。
思いがけなくも、立派なお花を贈ってくださり、胸がいっぱいになりました。写真がその時のものです。
本当に早く恩返しをしなきゃ、と気持ちも新たに迎えた今年だったのに…。
病床にありながらも最後まで仕事のことを気に掛けられていたとのこと。心底、ちりめんじゃこを愛しておられた方だったんだなぁと思います。
そして、中央市場がもっとも忙しくなる12月目前での突然の幕切れ。どんなに無念な思いで旅立たれたことでしょう。
橋本さんのご尽力は十分にわかっていたつもりでした。が、今回、改めて、蔭でどれだけご苦労いただいていたかを知ることとなりました。
その真摯なお仕事ぶりに、私自身、ふだん忘れがちだったことにたくさん気付かされています。
自然の恵みを生業とさせていただいていることの有り難さ。
健康で働けることの喜び。
安易に手にしている商品やサービスの向こうに、さまざまご苦労くださっている方があることへの感謝。
……
当たり前のことなんて一つもないんだなぁ。
泣いている場合じゃない!
「ここのおじゃこは美味しいね」
たくさんのお客様にそう仰ってもらえるよう。私、がんばるよ、橋本さん。
ありがたいことに新しく担当していただいている方が、またご尽力くださっています。だから大丈夫! 安心してください。
このブログ、ご家族や関係者の方の了解を得ずに書いています。
京都中央市場に、こんな仕事人がおられたこと。そのお蔭で「しののめ寺町」を今日まで続けてこられたこと。書かずにはいられませんでした。どうぞお許しください。
橋本さん、本当にありがとうございました!
色
心と体のこと
2023年11月03日
皆様、お好きな色ってありますでしょうか? 色って、まさに色々。どの色もそれぞれに味わいがあっていいものですね。
しいて一つ選ぶとしたら、私はピンク。なかでもペールピンクというのでしょうか、少し灰味がかったトーンのピンクが好きです。なんていうか、眺めているだけで幸せな気持ちになれる色です。
店を始めてから、休日に自分のために花をよく買うようになりました。その時の心の状態により選ぶ色のパターンが決まっていて、とても不思議です。(ブログ 私が苦手だったもの 花)
鮮やかな色は鮮やかな色で、淡い色は淡い色で、その時々の私の気持ちに寄り添ってくれ。その色の持つ力により、癒されたり、励まされたり。
そんな私ですが、実のところ、店を始めるまでは色にあまり興味がありませんでした。持っている服は、ほとんどがモノトーンや茶系、紺系など。タンスの中はどこを開けても同じ色調ばかり。
店を始めて、生活は一変。いろいろな場所に出かけて行く機会が増えました。店をやっていれば、当然その存在を知ってもらわなければなりません。前へ、前へ、と思うも…。
場慣れしない私は気後れするばかり。気持ちはうしろへ、うしろへ。ある時、ふと思いました。
明るい色の服を着よう!
どうして急にそんなことを思ったのかわかりません。明るい色の服を着ていたら、それだけで目に留めてもらえるかもしれない。なんて思ったのでしょうか。
以来、洋服を買う時、ついつい黒に手が伸びそうになるのを、ぐっと思い留まり。その隣に並ぶ明るい色を取ってみるように。服を胸に当て、おそるおそる鏡を覗いてみると…。
見慣れていないのでなんだか落ち着かない。でも、新しい自分がそこにいるような。
ささやかなチャレンジを試みながら、一枚、また一枚と、明るい色の服が増え。いつからかその日の気分で色を選ぶ楽しさを覚え。そうして今ではタンスの中もずいぶんカラフルになりました。
一方で、休日に自宅で静かに過ごそうと思う日は、以前から持っていた黒い服などを着たくなります。心と体をクールダウンしてくれるようで、とても落ち着きます。
色について特に勉強したことはありませんが、その効能、奥深さを身をもって実感しているところです。
今になって思います。店を始める前の私は、色に興味がなかったというよりも、保護色でいたかったんじゃないか、と。
まわりとバランスを取り、静かにただそこに佇んでいる。そういうのが性に合っていると思っていた私にとっては、落ち着いた色が心地いい色だったのだと思います。それはそれで、その時の自分にとって必要な色だったのでしょう。
明るい色の服を着よう!
それは、自分は変わりたい!と思った瞬間だったのかもしれません。いろいろな色を楽しみながら、少しは変わってこられたでしょうか。
十人十色、カラーを打ち出す…。
色は個性。その人そのものを表現するのに使われることがよくあります。あながち、ただの比喩ではないような。
開店から11年。もとあった店からの独立という経緯もあり、なかなか自分たちらしいカラーを見い出せずにきた気がします。
もうそろそろ独自のカラーを打ち出したい!
それはどんな色なんだろう…。
楽しいワクワクする色をあれこれ思い浮かべながら、店も、私も、そうありたいと思うこのごろです。
これからも温かく見守ってくださいますようよろしくお願い申し上げます。
メメンとモリ
アートなこと
2023年09月28日
素敵な絵本に出会いました。「メメンとモリ」。
京都新聞で紹介されていて、まずタイトルに興味を惹かれました。「メメントモリ」、ラテン語で「死を想え」。写真家、藤原新也さんの著書のタイトルで知った言葉です。
藤原さんがインドで撮られた、人間の死体を犬がついばむ写真。そこに添えられた「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というメッセージ。震え上がるほど衝撃を受けた一冊です。
子供向けの絵本のタイトルにはあまりにもそぐわない言葉ですが、よく見ると「と」がひらがな。どうやら「メメン」と「モリ」という姉弟のお話のよう。作者であるヨシタケシンスケさんのコメントに驚いてしまいました。
人は何のために生きるのかとの問いに関し「幸せになるためといわれることもあるが、なれない人もいる」。
「誰も悪くなくても、誰も幸せにならないこともある」
「そういう人たちが失敗だったのかといわれるとちょっと悲しい。幸せにならないといけないという考えは息苦しいし、生きづらくさせることもある。(人は)びっくりするために生きている、(人生は)思う通りにならないと言ってくれる本が欲しかった」。
まさに、私は、こう言ってくれる人に会いたかった! そう思ったのです。
早速購入し、可愛い表紙をめくると…。メメンとモリのなんでもない日常。そのなかで交わされる二人の言葉。それらが肉筆感たっぷりの絵と文字で描かれています。
一度目はざっと読み。二度目はゆっくり読み。そして繰り返し読むたびに、新しい思いが湧いてくる。そんな不思議な絵本です。たとえば…。
姉のメメンが作ったお皿を割ってしまったモリ。メメンは怒るのかと思いきや。落ち込むモリに、とつとつと語ります。その言葉はシンプルながら、禅か、哲学か、と思うほど深く。最後にはこんなことを言ってのけます。
つまりは、
「自分では選べないことと、自分で選べることがある」ってことね。
それをみわけられるようになりたいわよね。
メメンにそう言われたモリは、わかったような、わからないような。でもすっかり笑顔になって、また新しいお皿を作ります。そのお皿でまた美味しいものを食べて。そうして、また割ってしまう…。
そうそう、人生ってこんなことの繰り返し。あんなこと、こんなことが心に浮かび、読んでいる私が泣きそうになったりして。
世の中には「幸せ」が溢れている…。
そう思うことがよくあります。テレビの中で、ネットの中で、私のまわりのあちこちで。
そうしたものを眺めていると、人は幸せでいるもの。誰しも幸せを目指してがんばるもの。そんな思いに急き立てられるような。
「幸せ」っていいものに決まっているし、「幸せ」でいるに越したことはありません。でも、そもそも「幸せ」ってなに?
実感しようにも、目指そうにも、この「幸せ」っていうものが実のところよくわからない私…。それは私に感謝が足りないからなんだと反省したりもし。
「幸せ」について考え始めると、いつも迷宮に入り込んでしまい、結果「不幸せ」な気分に陥ってしまうというおかしな事態に(笑)。いやはや本末転倒。私にとって「幸せ」は難儀な代物です。
こんな私のために用意されたのかと思うメメンの言葉があります。つまらない映画を観て損をしたとぼやくモリに向かって…。
得だとか損だとか、
生きていることには
ほんとはかんけいないんだよ。
たのしくなくちゃいけないわけでも、
しあわせでなくちゃだめなわけでもないんだよ。
じゃあ、人は、なんのために生きてるの?
と問うモリに、メメンが答えます。
この世界は、自分が思うほど
いいものでも、わるいものでもない。
わたしとあなたも、自分が思ってるほど
同じじゃないし、ちがってもいない。
自分自身だって、自分が思うほど
すごくもないし、バカにしたものでもない。
人に、自分に、世界に、みらいに、
期待しすぎたり、しなさすぎたり。
「自分の中のイメージ」と「現実」は、
どうしてもずれちゃうのよ。
だから人はいつも、予想がはずれて
びっくりしてる。
つまり人は、「思ってたのとちがう!」って
びっくりするために生きてるのよ。
思ってたのとちがうから、
世界はつらいし、きびしいし、
たのしいし、うつくしい。
いいことも、そうでないことも、日々起こることそのものが、生きているってこと。そんな一つ一つにびっくりしながら生きている。ただそれだけでいいんだ。
幸せでなくちゃだめなわけじゃない!
そう思ったら、肩のあたりがすっと軽くなりました。なんだか幸せな気分です(笑)。
メメンの言葉に、これ以上の解説や感想は無用なこと。皆様がそれぞれに解釈し、そのままを感じていただければと思います。
こんな素敵な絵本を世に送り出してくださったヨシタケシンスケさんに、心より感謝申し上げます。