橋本さんのこと

店のこと

2023年12月21日

橋本さん

悲しい知らせが届きました。開店以来、ちりめんじゃこを納めていただいている中央市場の橋本さんの訃報です。

ちりめんじゃこは、うちにとって根幹となるもの。橋本さんがいてくださらなくては始まらず。ずっといてくださるものと信じて疑わなかった私。

まだまだ働き盛りの60代。あまりに突然のことでした。

一口にちりめんじゃこといっても様々です。大きさ、固さ、色合い、乾燥の具合、味…。

長年ちりめんじゃこに携わってこられた橋本さん。うちのおじゃこの好みも熟知してくださっていて、その目利きと采配に全幅の信頼を寄せてきたところです。

そうはいっても自然の恵み。気候や台風の影響などで、それはそれは厳しい状況に陥る時も。実のところ、ちりめんじゃこの不漁は今に至るまで長年続いています。

当然ながら価格は高騰。時にとても手の出ない高値になることも。

そんななかでも、絶えることなく、品質を落とすことなく、ちりめんじゃこを仕入れてこられたのは、ひとえに橋本さんの並々ならぬご尽力のお蔭です。

一方で長きにわたったコロナ禍。ほんのわずかしか注文できない状況が何年続いたことでしょう。

どんな時も、蔭となり、日なたとなって、いつも笑顔で支えてくださった橋本さん。ご心労はいかばかりかと心で詫びながらも、頼れるのは橋本さんしかなく。

繁盛店にすることがなによりの恩返し。橋本さん、もう少し待っててね。あと少し、あと少し…。と思いつつ、なかなか叶わないまま迎えた昨年の10周年。

思いがけなくも、立派なお花を贈ってくださり、胸がいっぱいになりました。写真がその時のものです。

本当に早く恩返しをしなきゃ、と気持ちも新たに迎えた今年だったのに…。

病床にありながらも最後まで仕事のことを気に掛けられていたとのこと。心底、ちりめんじゃこを愛しておられた方だったんだなぁと思います。

そして、中央市場がもっとも忙しくなる12月目前での突然の幕切れ。どんなに無念な思いで旅立たれたことでしょう。

橋本さんのご尽力は十分にわかっていたつもりでした。が、今回、改めて、蔭でどれだけご苦労いただいていたかを知ることとなりました。

その真摯なお仕事ぶりに、私自身、ふだん忘れがちだったことにたくさん気付かされています。

自然の恵みを生業とさせていただいていることの有り難さ。

健康で働けることの喜び。

安易に手にしている商品やサービスの向こうに、さまざまご苦労くださっている方があることへの感謝。

……

当たり前のことなんて一つもないんだなぁ。

泣いている場合じゃない!

「ここのおじゃこは美味しいね」

たくさんのお客様にそう仰ってもらえるよう。私、がんばるよ、橋本さん。

ありがたいことに新しく担当していただいている方が、またご尽力くださっています。だから大丈夫! 安心してください。

このブログ、ご家族や関係者の方の了解を得ずに書いています。

京都中央市場に、こんな仕事人がおられたこと。そのお蔭で「しののめ寺町」を今日まで続けてこられたこと。書かずにはいられませんでした。どうぞお許しください。

橋本さん、本当にありがとうございました!

心と体のこと

2023年11月03日

色

皆様、お好きな色ってありますでしょうか? 色って、まさに色々。どの色もそれぞれに味わいがあっていいものですね。

しいて一つ選ぶとしたら、私はピンク。なかでもペールピンクというのでしょうか、少し灰味がかったトーンのピンクが好きです。なんていうか、眺めているだけで幸せな気持ちになれる色です。

店を始めてから、休日に自分のために花をよく買うようになりました。その時の心の状態により選ぶ色のパターンが決まっていて、とても不思議です。(ブログ 私が苦手だったもの 花

鮮やかな色は鮮やかな色で、淡い色は淡い色で、その時々の私の気持ちに寄り添ってくれ。その色の持つ力により、癒されたり、励まされたり。

そんな私ですが、実のところ、店を始めるまでは色にあまり興味がありませんでした。持っている服は、ほとんどがモノトーンや茶系、紺系など。タンスの中はどこを開けても同じ色調ばかり。

店を始めて、生活は一変。いろいろな場所に出かけて行く機会が増えました。店をやっていれば、当然その存在を知ってもらわなければなりません。前へ、前へ、と思うも…。

場慣れしない私は気後れするばかり。気持ちはうしろへ、うしろへ。ある時、ふと思いました。

明るい色の服を着よう!

どうして急にそんなことを思ったのかわかりません。明るい色の服を着ていたら、それだけで目に留めてもらえるかもしれない。なんて思ったのでしょうか。

以来、洋服を買う時、ついつい黒に手が伸びそうになるのを、ぐっと思い留まり。その隣に並ぶ明るい色を取ってみるように。服を胸に当て、おそるおそる鏡を覗いてみると…。

見慣れていないのでなんだか落ち着かない。でも、新しい自分がそこにいるような。

ささやかなチャレンジを試みながら、一枚、また一枚と、明るい色の服が増え。いつからかその日の気分で色を選ぶ楽しさを覚え。そうして今ではタンスの中もずいぶんカラフルになりました。

一方で、休日に自宅で静かに過ごそうと思う日は、以前から持っていた黒い服などを着たくなります。心と体をクールダウンしてくれるようで、とても落ち着きます。

色について特に勉強したことはありませんが、その効能、奥深さを身をもって実感しているところです。

今になって思います。店を始める前の私は、色に興味がなかったというよりも、保護色でいたかったんじゃないか、と。

まわりとバランスを取り、静かにただそこに佇んでいる。そういうのが性に合っていると思っていた私にとっては、落ち着いた色が心地いい色だったのだと思います。それはそれで、その時の自分にとって必要な色だったのでしょう。

明るい色の服を着よう!

それは、自分は変わりたい!と思った瞬間だったのかもしれません。いろいろな色を楽しみながら、少しは変わってこられたでしょうか。

十人十色、カラーを打ち出す…。

色は個性。その人そのものを表現するのに使われることがよくあります。あながち、ただの比喩ではないような。

開店から11年。もとあった店からの独立という経緯もあり、なかなか自分たちらしいカラーを見い出せずにきた気がします。

もうそろそろ独自のカラーを打ち出したい!

それはどんな色なんだろう…。

楽しいワクワクする色をあれこれ思い浮かべながら、店も、私も、そうありたいと思うこのごろです。

これからも温かく見守ってくださいますようよろしくお願い申し上げます。

メメンとモリ

アートなこと

2023年09月28日

メメンとモリ

素敵な絵本に出会いました。「メメンとモリ」。

京都新聞で紹介されていて、まずタイトルに興味を惹かれました。「メメントモリ」、ラテン語で「死を想え」。写真家、藤原新也さんの著書のタイトルで知った言葉です。

藤原さんがインドで撮られた、人間の死体を犬がついばむ写真。そこに添えられた「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というメッセージ。震え上がるほど衝撃を受けた一冊です。

子供向けの絵本のタイトルにはあまりにもそぐわない言葉ですが、よく見ると「と」がひらがな。どうやら「メメン」と「モリ」という姉弟のお話のよう。作者であるヨシタケシンスケさんのコメントに驚いてしまいました。

 

人は何のために生きるのかとの問いに関し「幸せになるためといわれることもあるが、なれない人もいる」。

「誰も悪くなくても、誰も幸せにならないこともある」

「そういう人たちが失敗だったのかといわれるとちょっと悲しい。幸せにならないといけないという考えは息苦しいし、生きづらくさせることもある。(人は)びっくりするために生きている、(人生は)思う通りにならないと言ってくれる本が欲しかった」。

 

まさに、私は、こう言ってくれる人に会いたかった! そう思ったのです。 

早速購入し、可愛い表紙をめくると…。メメンとモリのなんでもない日常。そのなかで交わされる二人の言葉。それらが肉筆感たっぷりの絵と文字で描かれています。

一度目はざっと読み。二度目はゆっくり読み。そして繰り返し読むたびに、新しい思いが湧いてくる。そんな不思議な絵本です。たとえば…。

姉のメメンが作ったお皿を割ってしまったモリ。メメンは怒るのかと思いきや。落ち込むモリに、とつとつと語ります。その言葉はシンプルながら、禅か、哲学か、と思うほど深く。最後にはこんなことを言ってのけます。

 

つまりは、

「自分では選べないことと、自分で選べることがある」ってことね。

それをみわけられるようになりたいわよね。

 

メメンにそう言われたモリは、わかったような、わからないような。でもすっかり笑顔になって、また新しいお皿を作ります。そのお皿でまた美味しいものを食べて。そうして、また割ってしまう…。

そうそう、人生ってこんなことの繰り返し。あんなこと、こんなことが心に浮かび、読んでいる私が泣きそうになったりして。

世の中には「幸せ」が溢れている…。

そう思うことがよくあります。テレビの中で、ネットの中で、私のまわりのあちこちで。

そうしたものを眺めていると、人は幸せでいるもの。誰しも幸せを目指してがんばるもの。そんな思いに急き立てられるような。

「幸せ」っていいものに決まっているし、「幸せ」でいるに越したことはありません。でも、そもそも「幸せ」ってなに? 

実感しようにも、目指そうにも、この「幸せ」っていうものが実のところよくわからない私…。それは私に感謝が足りないからなんだと反省したりもし。

「幸せ」について考え始めると、いつも迷宮に入り込んでしまい、結果「不幸せ」な気分に陥ってしまうというおかしな事態に(笑)。いやはや本末転倒。私にとって「幸せ」は難儀な代物です。

こんな私のために用意されたのかと思うメメンの言葉があります。つまらない映画を観て損をしたとぼやくモリに向かって…。

 

得だとか損だとか、

生きていることには

ほんとはかんけいないんだよ。

たのしくなくちゃいけないわけでも、

しあわせでなくちゃだめなわけでもないんだよ。

 

じゃあ、人は、なんのために生きてるの?

と問うモリに、メメンが答えます。

 

この世界は、自分が思うほど

いいものでも、わるいものでもない。

わたしとあなたも、自分が思ってるほど

同じじゃないし、ちがってもいない。

自分自身だって、自分が思うほど

すごくもないし、バカにしたものでもない。

人に、自分に、世界に、みらいに、

期待しすぎたり、しなさすぎたり。

「自分の中のイメージ」と「現実」は、

どうしてもずれちゃうのよ。

だから人はいつも、予想がはずれて

びっくりしてる。

つまり人は、「思ってたのとちがう!」って

びっくりするために生きてるのよ。

思ってたのとちがうから、

世界はつらいし、きびしいし、

たのしいし、うつくしい。

 

いいことも、そうでないことも、日々起こることそのものが、生きているってこと。そんな一つ一つにびっくりしながら生きている。ただそれだけでいいんだ。

幸せでなくちゃだめなわけじゃない!

そう思ったら、肩のあたりがすっと軽くなりました。なんだか幸せな気分です(笑)。

メメンの言葉に、これ以上の解説や感想は無用なこと。皆様がそれぞれに解釈し、そのままを感じていただければと思います。

こんな素敵な絵本を世に送り出してくださったヨシタケシンスケさんに、心より感謝申し上げます。

ホーム

家のこと

2023年08月31日

ホーム

誰しもほっとできる場所というのがあるかと思います。行きつけの店だったり、近くの川べりや神社仏閣だったり…。なんといっても自分の家、という方も多いかもしれません。

開店以来、大半の時間を店で過ごすようになった私。家で過ごす時間のありがたさは、このブログでもよく書いています。(ブログ時間)。

さらに最近になって実感しているのが、その時間を過ごしている器、家そのもののありがたさです。

自宅は店から地下鉄で北へ3駅。仕事帰り、駅併設のスーパーマーケットで買い物をし、外に出ると見慣れた風景が広がります。

季節により、時間により、まだ明るかったり、真っ暗だったり。その時々の空を見上げては、「帰ってきたぁ」って懐かしい気持ちになります。

旅行に出かけていたわけじゃなし。たった半日のことなのに不思議です。

帰れば慌ただしく時間は過ぎ、気づけばあと少しで就寝時間。やっとゆっくりできる束の間のひととき。もうちょっと、もうちょっと、とついつい先延ばしにし、翌朝後悔することも。

そして待ちかねた休日。普段できないこまごまとした用事を片付けながら、自宅で過ごすというただそれだけのことがうれしくて、うれしくて。

そんな時、家に宿る「気」というのでしょうか。部屋にゆらゆらとたゆたう空気を感じることがあります。その心地いい空気に包まれながら、日々の疲れが徐々に癒えていくような。

思わず、天井を見上げて「ありがとう」って、声を掛けたりなんかして。

いやはや、知らない人が見たら、かなり怪しい光景です(笑)。

思うに…。私はそもそも備わっている容量が小さいようで。とにかくすぐにいっぱいいっぱいになってしまいます。

しかも処理能力が低く、いろいろなことを並行してこなすのも苦手。私がパソコンならとっくにお蔵入りです(笑)。

なんというか…。仕事でも、プライベートでも。楽しいことにつけ、そうでないことにつけ。自分の中に落とし込むのに時間がかかる性質のようで。

「ため」の時間というのでしょうか。それが人より多く必要な気がしています。とどのつまり要領が悪いだけなんですが(汗)。

店を始めて11年。店は私にとって舞台のようなもの。華やかで楽しくも、常に緊張感を伴う場所です。

一方、今の自宅とはもう20年近い付き合いになります。店が舞台なら、こちらはさながら楽屋裏。素のままの自分でいられる安堵感と共に、ここで「ため」の時間を過ごしているんだなぁと思います。

実のところ3年ほど前に、この家を出て、店の近くに小さなマンションを借りる、という選択肢がありました。けれど結局、この家に留まることに。

小さな家ですが、戸建てというのはやはり手のかかるものです。日々の掃除に、どこかが傷んだといえば修繕し。

通勤時間も片道30分。往復で1時間。暑い日、雨の日、雪の日…。あの時、店近くのマンションを選択していたら、と後悔することしばしばです。

けれど、この家から受ける恩恵は、そうした不自由さを上回るものなのかもしれない。馴れ親しんだ家だからこそ得られる癒しによって、私はまた店に向かうエネルギーを蓄えてこられたんじゃないか。

最近、そう思うようになりました。

先だっていただいた夏休み。今年こそは遠出をと思いながら、台風もあって、ほとんどを自宅で過ごすことに。

ぞうきん片手に、日頃見ないふりをしている、そこここの汚れを拭いてまわったり。微妙にずれている時計の時刻を合わせたり…。

地味だなぁ~と呆れながら、そんな自分がまんざら嫌いでもなく。ぬくぬくとした空気の中、「ため」の時間を堪能した5日間でした。

こんなスローな私、とても経営者に向いているとは思えません。

それでも、店と家、それぞれのバランスをうまく取りながら、自分なりのスタイルでこれからも店を続けていきたい。そう思うこのごろです。

お付き合い行き届かず、各方面に不義理をしてしまっていること。定休日を増やし、お客様にご迷惑をお掛けしていること。この場を借りて心よりお詫びしたく思います。

こんな私でありますが、これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

アラーキーの花

アートなこと

2023年07月29日

アラーキーの花

先日、何必館・現代美術館で開催の「荒木経惟 花人生展」に出かけてきました。

何必館のことは、このブログで何度も書いています。作品と向き合いつつ、自分自身と向き合う。そうした貴重な時間を与えてくれる、私にとって大切な場所です。(ブログ何必館の時間 ブログ何必館の時間2

荒木経惟(あらきのぶよし)、アラーキーという方が名が通っているかもしれません。エネルギーほとばしる写真で有名なカメラマン。

その作品と対峙するには、こちらも相当なエネルギーが要るかと。自身の体力、気力を見計らって、会期終盤にようやく出かけられた次第です。

以前にやはり何必館で彼の写真展を観たのは2002年。21年も前のことでした。最愛の奥様を亡くされた悲しみを、写真を通して表現されていたこと。今でも強烈に覚えています。

今回は、花尽くしの写真展でした。

花は私も大好き。自分で買ってきては、写真に撮ってSNSに投稿したり。疲れている時ほど花を欲するようで。花は私にとってなによりの癒しとなっています。

アラーキーが初めて花を撮られたのは、少年時代の遊び場であった東京吉原界隈。遊女たちの投込寺と言われた浄閑寺の墓地に咲く彼岸花だったとか。

花は花でも、私の抱くイメージとはずいぶん違う様相。観る前から緊張が高まります。

展示はテーマごとに分けられ、今を盛りと咲き誇る色鮮やかな花から、枯れて朽ち果てた花。はたまた曼荼羅のごとく壁一面を埋め尽くすポラロイド写真の花まで。

まさに花、花、花…。

花がそこにあるだけ、といえばそれだけのこと。なのに、ドキドキして、ざわざわして、体の芯から揺さぶられる思いでした。

なんというのでしょうか。薔薇は薔薇として、百合は百合として。といって花自身は、自分に付けられた名前など知らず。ましてや人がその花に抱くイメージなど知る由もなく。

ただ咲いて、枯れて、朽ちていく。開けっぴろげに、潔く、醜ささえも厭わずに。

その一瞬一瞬を、写真という永遠の中に切り取られた花たち…。

花はよく女性に例えられますが、まさにさまざまな境遇を生きた女性の生き様を垣間見るよう。とてもドラマチックでした。

何必館館長の解説を読むと、「エロス」と「タナトス」という言葉で見事に表現されていました。それをここでお伝えする技量は、私には到底ありませんが、至極、納得した次第です。

観終わったあとは、最上階の庭でひと息つくのがお約束。ところが、その日は花たちの放つエネルギーに圧倒されたのでしょう。ソファに腰かけるや、グッタリしてしまいました。

私は、今もってまだ自分の花を咲かせられていないなぁ。

咲くことに向けるべきエネルギーを、いつも不安や些末な事ばかりに向けて。開くはずの花びらは、開花を躊躇したまま、心もとなげに縮こまったきり。

どんな花だっていいじゃないか。私は私の花を咲かせるほかはなく。あるがままに咲いてやれ。そして、なすがままに枯れて、朽ちてやれ!

凄味あるアラーキーの花たちに触発され、少し荒ぶって自分をけしかけてみたりして(笑)。

ふと、以前、このブログに花について書いていたことを思い出し、読み返してみました。その締めくくりに書いていた言葉が、なんと…。

私は私の花を咲かせたい。(ブログ私が苦手だったもの 花

日付は2015年2月27日。8年半経って、また同じことを書いているなんて…。いやはや、今度こそ、一刻も早く咲かせたい!

こんな私でありますが、これからも温かく見守ってくださいますよう、よろしくお願いします。

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