明日があるさ

店のこと

2019年04月16日

4月、新年度が始まりました。この春、門出を迎えられたお客様もあることと思います。おめでとうございます。

特別な門出というわけではなくても、春はなにかと区切りの季節。会社で、地域で、「総会」というものが開かれる時期でもあります。

「しののめ寺町」がお世話になっている「中小企業家同友会」でも、各支部の総会が3月に行われました。中小の企業や商店、一人で事業をされている方などが集まり、健全な経営、社会貢献などを目指して共に研鑽を積んでいこうという会。縁あって、5年前に入会させていただきました(ブログ中小企業家同友会)。

「しののめ寺町」の開店は2012年の3月16日。お蔭様で今年、7周年を迎えました。毎年3月の末に行われる総会は、ちょうど周年記念の直後です。

一年の事業と会計の報告。次年度の計画と予算。反省を踏まえた展望…。同友会の総会は、自分の店と重ね合わせて考える、よい機会でもあります。こちらは同友会のようにスマートにはいきませんが(汗)。

議事終了後は懇親会へと移ります。良き経営者は、遊び心も豊かなもよう。私が所属する中京支部では、工夫を凝らしたアトラクションが、毎年のお楽しみになっています。昨年はポールダンスに度肝を抜かれました。

今年は懐かしいチンドン屋さんの登場に、会場が一気に和やかな雰囲気となりました。傘回しの芸は、人が回る、お金が回る…。ということで、こうした会にふさわしい、おめでた感いっぱいの出し物でした。

最後はアコーディオンの伴奏で「明日があるさ」の大合唱。その昔、坂本九さんが歌われた名曲です。最近ではリメイクというのでしょうか、ウルフルズや吉本の芸人さんたちが歌われヒットしました。いい曲は、いつの時代にも歌い継がれていくものなのですね。

明日があるさ、明日がある

若い僕には夢がある~♪ 

シンプルな歌詞が心にストレートに響きます。

総会のあった日は、春本番を思わせる暖かい日でしたが、実は春が苦手な私(ブログ私が苦手だったもの 春)。「成長」をイメージする季節に、なんにも変わることなく、ここにいるだけの自分に焦燥感を募らせ、毎年、置いてきぼり感にさいなまれます。

そんな私ですが、今年の総会中、ふと思いました。店を始めて7年の年月を重ね、そして8年目を展望している自分が、ここにいる。春が来てもなんにも変らないと思っていたけれど、私は私のペースで前へ進んでいるんじゃないか…。

いろんなことがある毎日。いいこともあれば、そうでないことも。それでも明日がある。そう思うだけで、また前に進んでいく勇気が湧いてくる気がします。そんな「明日」が重なって、また一年。

明日がある、明日がある、明日があるさ~♪

リフレインを聴きながら、あぁ、来年もこの総会の場に、笑顔で参加している私がいますように。そう心の中で祈りました。そのためには心身共に健康で、店を存続させていなければなりません。

よく学び、よく遊び、そして目指せ黒字経営!

総会のたびに心に誓うモットーです。新年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。

なんくるないさー

店のこと

2019年01月26日

新年のご挨拶がすっかり遅くなってしまいました。皆様、どのようなお正月を過ごされましたでしょう? 九州地方では新年早々に地震があったもよう。被害に遭われたお客様はなかったでしょうか? 今年こそ災害のない一年になることを祈るばかりです。

私はと言いますと、ちょっと長めのお休みをいただいたお蔭で、ゆっくりとした時間を過ごすことができました。ありがとうございます。といって優雅なことなどなにもなく、元日から家の整理なぞ始めてしまいました。「しののめ寺町」開店と共にライフスタイルが変わったのに、家の中の収納は「ほぼ専業主婦」時代と変わらぬまま。時間のない身には、使い勝手が悪くなってきていました。ああでもない、こうでもないと、1階と2階を何度も往復しては、引き出しの中の物をあちらへ、こちらへ…。

お正月からなにやってるんだかと呆れながらも、ぬくぬくとした幸せな気持ち…。気ままに過ごせる時間と空間というのは、それだけで、なんとありがたいものでしょう。一日の大半を店で過ごす生活になり、身に沁みて思うようになったことです。そんな自分の一年の労をねぎらいつつ、心からの安息を味わう贅沢な時間となりました。

毎年のことながら、昨年もいろんなことがありました。店をやっていくには、まずは心身の健康が第一です。が、生身の体、いつもいつも万全というわけにはいきません。時に、明日、店を開けられるだろうかと不安になることも。健康面のみならず、次々出てくる課題に途方に暮れてしまうことも。そんな時、決まって口をついて出てくる言葉があります。

「なんくるないさー」。

店を始める前、沖縄の宮古島に一人出かけたことがあります(ブログ宮古島 農家民宿 津嘉山荘)。以来、宮古島を第二の故郷のように思っている私(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)。しんどいなぁと思う時、宮古島の美しい海を思い出します。こんな時、おおらかな沖縄の人は、どんな風に声を掛けてくれるだろう。なんて想像しているうちに、いつからか自分を励ます言葉になりました。

なんとかなるさ、って感じでしょうか。心の中で唱えるだけでは飽き足らず、聞きかじりの沖縄のイントネーションで、声に出して言うこともあります。「なんくるないさー」。しんどければしんどいほど、大きな声で「なんくるないさー」。空に向かって「なんくるないさー」。知らない人が見たら、かなり怪しい光景です(笑)。

昨年は何度「なんくるないさー」と口にしたことでしょう。繰り返し言っているうちに、本当になんとかなるような気がして、そうして一日、一日をやり過ごし、気づけば最終日にたどり着いていた…。そんな一年でした。

なんとかなったのかどうかはわかりませんが、とにもかくにも無事に一年を終えられたこと。お正月から家の整理などしながらも、幸せな気持ちの自分がいたこと。それが私なりの「なんくるないさー」だったのだと思います。

ブログを書くにあたり、念のため「なんくるないさー」の意味を調べてみました。そこには辛苦を経験された沖縄の方たちの歴史があること。命があることに感謝し、たとえ報われなくても希望を持って前に進んでいこう。そんな思いのこもった言葉であることを知りました。

私は言葉には魂が宿っていると信じています。言霊(ことだま)です。「なんくるないさー」と口にする時に、体の中から湧いてくるエネルギー。それは辛苦を経験された沖縄の方たちの、魂のこもった言葉だからこそだったのだと、改めて思い知った次第です。

最終日、仕事を終えたあと、心からの安堵と解放感をかみしめながら、ちょっと街中に出てみました。立ち寄った店で、たまたまビートルズの「Let  it  be (レットイットビー)」が流れていました。「なすがまま、あるがまま」という意味でしょうか。「Let  it  be Let  it  be Let  it  be Let  it  be…」。お馴染みのリフレインに聴き入りながら、ふと、英語版「なんくるないさー」じゃないかと思いました。

そういえばフランスでは「ケセラセラ」なんて歌もあります。微妙なニュアンスは違うのかもしれませんが、いずれも底流には同じものがある気がします。困難に真摯に向き合い、努力を続けながらも、最後は目に見えない大きな力に委ねてみよう…って感じでしょうか。軽やかな音(おん)のリズムが心地いいのも共通しています。洋の東西を問わず、古来より人は、こうした言葉を口にしながら、人を励まし、自分を励まし、そうして生きてきたのだなぁ、なんて思いに耽ってしまいました。

今年は元号が変わったり、消費税の値上げもあったり、また大変な年になりそうです。まずは自力でがんばれる限りがんばって、あとはやっぱり「なんくるないさー」。そんなことを思う1月です。

今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

ドキュメント72時間

店のこと

2018年11月18日

もうずいぶん前からになりますが、あまりテレビを見なくなりました。今は時間がないせいもありますが、そもそも見たいと思う番組が見当たらないような。なので話題のドラマも、人気のアイドルもさっぱりわからず、知人との会話についていけないことしばしばです。そんな私ですが、最近、気に入っている番組があります。NHKの「ドキュメント72時間」です。

店を始めてから、金曜の夜は仕事終わりにヨガに出かけるのが日課となりました(ブログアロマキャンドルヨガ)。帰ってから、遅い夕食を軽く取り、お風呂から上がると、11時前。なんとなくテレビをつけ、たまたま見つけた番組です。

毎回、違ったある場所で三日間、つまり72時間、定点観察をするというもの。デパートの化粧品フロアだったり、東京湾の海釣り公園だったり、函館のハンバーガーショップだったり…。そこを訪れる人を映しながら、許可を得られればインタビューを。なぜここに来たのか、よく来るのか。

初めて見た回は、京都の私設図書館だったかと記憶します。ずいぶん以前に存在を知り、ぜひ行ってみたいと思いながら行けずじまい。その場所に興味をそそられ、最後まで見てしまいました。不思議な空気感の番組だなぁというのが、最初の感想です。ドラマのようにストーリーがあるわけではないので、途中から見ても、見逃す週があっても、一向に差し支えないのも好都合。以来、金曜の夜のお風呂上りは、「ドキュメント72時間」タイムとなりました。

登場人物はまったくの一般の人々。皆さん、カメラの前で話すなど、おそらく初めての経験だと思うのですが、聞き手のお人柄なのでしょうか。とつとつと語られる口調は、知り合いに話しかけるように自然です。ほんのわずかな会話から、その方の暮らしぶりや、人となりが垣間見られるよう。思わず知らず、人生観や美学がにじむことも。

恵まれた状況を想像させる方もあれば、逆の場合も。時には、カメラの前で話すには勇気が要ったろうと思う方も。それでも皆さんのお話には、一様になにかしらの幸福感が漂っているように感じます。どんな状況であれ、その方なりの幸せの見つけ方を知っておられる。それが「ドキュメント72時間」に登場される方の共通点のように思います。

たまたまそこにいる人が、ありのままの事情や思いを語る。ただそれだけのことなのですが、見ていてとても心地よく、いつからか、見終わったあと、えもいわれぬ充足感を味わっている自分に気づくようになりました。静かな感動、と言ってもいいような。

11月2日放送の「東京駅”銀の鈴”で会いましょう」の回では、とりわけ印象深い方がありました。言わずと知れた待ち合わせの場所「銀の鈴」前で、人待ち顔の高齢の男性。ご友人と、時々、この場所で待ち合わせをされるとのこと。そのご友人は病気がちで、ここまで来るのも大変で、会食はいつも駅構内の店なのだとか。

携帯電話を駆使される世代ではないのでしょう。時間を過ぎても来ない友人に、今日は体調が悪いのかと諦めて帰りかけるも、諦めきれずにまた戻り。そうこうするうちに、おぼつかない足取りのご友人が現れ、喜びの対面。見ている私も、思わず心の中で拍手。そのご友人が満面の笑みを浮かべて言われた言葉…。「幸せだねぇ」。

やられたぁ、って思いました。

まだ1ヶ月ありますが、開店から6年目の今年は、大きな転換点だったように思います。いろいろな問題が浮き彫りになり、その対応に追われるなか、「幸せ」についてよく考えるようになりました。私の思い描いていた「幸せ」って、一体どんなものだったんだろう。私にとっての本当の「幸せ」って、どんなものなんだろう…。

「絵に描いたような幸せ」という言葉があります。テレビコマーシャルのワンシーンみたいなイメージでしょうか。そういうものを遠目に見ながら、いつも自分と対比している私がいます。自分には備わっていないもの、自分には手に入れられないもの。そんなものばかりを欲しがって、いつも誰かを羨んでいる私が…。

「幸せ」と「不幸せ」は表裏一体。七夕の短冊のように、表と裏を絶えず翻しながら、私たちのまわりでひらひらと舞っているものかもしれない。同じ状況であっても、どちらの面が見えるかは、私たちの視点次第…。「ドキュメント72時間」を見ていて、ふと、そんなことを思いました。

今、あまりに作り物過ぎるもので溢れかえっている気がします。もはや、どれが本物で、どれが作り物か、その判断もつかないくらいに。私が思っていた「絵に描いたような幸せ」も、そうした作り物の一つに過ぎなかったのでしょう。人の数だけ人生があり、人の数だけ「幸せの絵」がある。「幸せの絵」は自分の手で描いていくもの。それが「本物の幸せ」。そんな当たり前のことに、ようやく気づいたこのごろです。

はてさて「しののめ寺町」で「ドキュメント72時間」をやったらどんな感じでしょうか。お客様にとって、私たちにとって、それぞれに幸せを感じられる場所でありたいと願います。

価格とは

店のこと

2018年10月03日

先般よりお知らせしていましたが、9月14日より価格の改定をさせていただきました。既に新価格でご購入いただいたお客様はいらっしゃるでしょうか。どのような感想を持たれたか、気になるところです。

開店から6年半。この間に、原材料、包装資材など、諸々のものが値上がりしてまいりました。実のところ、価格の見直しは、数年前からいつも頭の片隅にあったことでした。

そんななか、昨年末より、ちりめんじゃこの不漁と価格高騰という事態に。これまでにない深刻な状況に、いよいよ値上げやむなし。との思いを強くし、年頭より今年最大の課題と位置付けた次第です。

とはいえ、価格の改定は大きなリスクを伴います。額はどのくらいが妥当か。時期はいつが適切か。果たしてお客様に受け容れていただけるのか…。慎重にも慎重な検証が必要です。

うちの商品をまじまじと眺めながら、まわりにに溢れる商品やサービスを見渡しながら、頭の中にあるのはいつも「価格」のこと。

ふだん自分はどんな風に買い物をしているんだろう、と考えてもみました。目の前にある物やサービスと、それにつけられた価格を見比べ、納得すれば買うし、納得しなければ買わない。

結果、満足することもあれば、不満に思うこともあり。そうした経験を繰り返し、自分なりの値ごろ感をつかみ、価値観を培い、私流の購買行動が生まれていったんだなぁ、と思います。

店を始めて、価格の仕組みや、からくりなど、少しわかってきました。売る側と、買う側、双方の思いがあり、うまくかみ合うか、かみ合わないか。その駆け引きの妙が、買い物の醍醐味というものなのかもしれない。

なんて偉そうなことを思いつつも、自分の店のこととなると、一向に答えが出ません。そもそも値上げなど、お客様から喜ばれるはずもないこと。答えを出すのが怖い、というのが正直なところかもしれません。

京都には「おじゃこ」を扱われるお店が、数えきれないくらいあります。今回の値上げに当たっても、店頭で、ネットで、他店をいくつか調べてみました。

破格に安価なお店から、破格に高額なお店までさまざまです。各店の価格には、それぞれに意味があり、その意味を求めるお客様で、そのお店は成り立っているのでしょう。

7年前の秋、急に決まった開店でした。物件が見つかるや、短い準備期間のなか、改装や備品の調達などハード面の整備に忙殺される毎日。独立という事情から、価格については踏襲するのが当たり前と考え、改めて見直す余裕もないままのスタートとなりました。

開店から、どれくらいのお客様に来ていただいたでしょう。お一人お一人がご購入の折に、ふと漏らされるご意見やご感想があります。私たちの思いが伝わっていると実感できることもあれば、ズレに気づかされることも。

出来る範囲で改善を繰り返してきましたが、そうしたことでは解消し切れない、もどかしさのようなものが、いつからか私の中から消えないものとなりました。これは一体なになのか…。

それは、自分たちの価値をお客様にきちんと伝えられていない、という歯痒さなのではないか。そう思い至りました。

厳選された上質な素材を使い、秘伝の調味で、毎日、炊き上げるじゃこ山椒(ブログ味2)。風情ある街、寺町で、安心安全な手作りの味を、手から手へ届けること。それが私たちの価値であると考えています。

そうした価値を表現するもの。それが価格なのではないか。適正につけられた価格は、単なる値段にとどまらず、価値を雄弁に語ってくれるものなのだと気づきました。

お客様に喜んでいただくことは、なにより大切なことです。同時に自分たちが心身ともに健康で、喜びを感じながら商売をできること。不遜ながら、それもまた大切なことだと考えます。

そうして長く店を続けていくことが、ひいてはお客様の喜びにつながる…。そうあれることが願いですが、そのために欠くことができないのが、やはり適正につけられた価格なのでは。

価格について考えることは、店の有り様(ありよう)について、自分たちの人生について、考える良い機会となりました。

一方で、漁の回復を期待してきましたが、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が来るも、その兆しは見えず。これ以上の先延ばしはできないと判断いたしました。熟慮を重ね、最後は他店との比較ではなく、うちとしての適正価格を探り、出したのが今回の価格です。

暴利をむさぼるつもりは毛頭ありません。どんな反応も受ける覚悟ができたところで、日程を9月14日と決め、店頭やホームページでの告知に踏み切りました。ところが…。

価格表の変更など諸々の準備を終え、あとは当日を待つばかりとなった、前日の9月13日。その日は定休日でしたが、私は朝からパニック状態に陥っていました。お客様から非難ごうごう受け、泣きそうになっている自分の姿が、頭から離れません。

気休めでもなんでも、なにかしていないと、緊張と恐怖で圧し潰されそう。足裏マッサージ、岩盤浴、等々…。日頃、時間とお金を割り振りながら受けている心身のメンテナンスを、贅沢にも朝から夕方までフルコース詰め込みました(笑)。

蓋を開けてみると、お客様の反応は思いのほか寛容なものでした。「スーパーで売っているちりめんじゃこも高くなっているわねぇ」なんて、理解を示してくださるお客様も。

私は幻の魔物と、ひとり格闘していたんですね。ここまでプレッシャーに弱い人間だったかと呆れるばかりですが、うれしい肩透かしに、ただただホッとしているところです。

まだ値上げをご存じでないお客様もたくさんいらっしゃいます。ご負担をお掛けすることは心苦しくはありますが、丁寧に説明を続けていこうと思っております。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

西日本豪雨のこと

店のこと

2018年08月04日

やはり、このことについて書かないわけにはいきません。7月上旬に西日本を襲った豪雨のこと…。

京都では7月6日の金曜日、強い雨が降り続いておりました。仕事の合間に見るテレビからは、尋常でない雨であることが伝えられています。嵐山を流れる桂川、街中を流れる鴨川。増水の様子が映し出されます。

寺町界隈も早じまいされるお店があったようですが、閉店間際のご予約が入っていたこともあり、通常通り6時まで営業することにしました。そんな大雨のなかでも「開いててよかった」と駆け込まれるお客様もあり、ありがたいやら、申し訳ないやら。

地下鉄で帰宅すると、京都中いたるところに出されている避難勧告の知らせが、テレビのテロップで流れます。自宅は該当しませんでしたが、すぐ隣の学区にまで及び、これまで経験したことのない恐怖を覚えました。

身の危険と共に案じられたのは、やはり仕事のこと。道路の寸断や交通網の乱れは、たちまち物流を止めてしまいます。折しもお中元のさなか。この先、発送予定の荷物は届けられるだろうか。昨年の台風の影響で、不漁と価格高騰が続くちりめんじゃこに、さらなる打撃はないだろうか。

不安だらけの一夜でしたが、明けてみると、京都市内では幸いに大きな被害は出なかったようです。一方で、京都府北部や他府県での広範囲にわたる被害の甚大さには、言葉を失ってしまいました。

当然のことながら物流にも影響が。なかでもクール便は許容量が限られるのでしょう。クロネコヤマトさんのホームページでは、受け付け停止地域が刻々と更新されていきます。

ふだん当たり前に思っていることが、なんと有り難いことか。先が案じられましたが、翌日にはずいぶん復旧しました。物流に関わる皆さんの努力の賜物でしょう。安堵と感謝で、集荷に来られたクロネコさんのお顔を見るなり、思わず抱きついて泣いてしまいました。その日の担当は女性でしたので。念のため(笑)。

その後も、報じられるのは広がり続ける被害の状況。自然の恐ろしさを痛感するとともに、これが首都圏近くであったなら、政府の対応は、マスコミの取り上げ方は、同じものだっただろうか。悔しさもこみ上げます。

お恥ずかしいことですが、店を始めるまでは、遠くで起こることは、あくまで遠くの出来事。自分とは縁遠いことと感じていたように思います。店を始めて、決してそうではないことを知りました。

四国や九州の漁場で獲れるちりめんじゃこ。奈良県吉野の実山椒。北海道利尻の昆布。大分の原木椎茸…。「しののめ寺町」は、京都から遥かに離れた場所の自然の恵みをいただいて成り立っています。

箱やビニール袋などの包装資材は、どこのどんな原料で作られているのか把握していませんが、値上げのお知らせの折に、思いもかけない国の影響を受けているのだと知ることがあります。

そうした物たちが、網の目につながる空路や陸路に乗って運ばれます。遠い場所の悪天候やアクシデントにも、無関心ではいられません。

そして…「しののめ寺町」をご愛顧くださっているお客様は全国に。なかには外国にお住いの方も。台風や地震、テロ…。ニュースで聞く県名や国名に、あの方、この方、お顔が浮かびます。

あらゆることが、直接に間接につながり合って、私たちの日々の暮らしが成り立っているんだなぁ。たとえ店をやっていなくても、この世の中で起こることで、自分とまったく無縁のことなど、ひとつもないんじゃないか。そう思うようになりました。

そう思うあまり、様々なニュースを見聞きするたびに、過敏に反応して疲れてしまう、ということも。今回も、被災地の映像を見ていると、自分自身の抱える不安と相まって、さらに不安が増幅していくよう。見るに堪えず、チャネルを変えることが増えていきました。

大阪を震源とする地震に驚いたのも束の間、西日本での豪雨、続く猛暑。前例のない動きを見せる台風…。日本は、地球は、どこに向かおうとしているのか。想像を超えた事態の連続に、夏バテだけではない疲れを感じています。

上の写真は、7月17日の鴨川です。京都はちょうど祇園祭のさなか。朝には山鉾巡行が行われ、夜には御神輿が市中を駆け巡った日。その勇壮な御神輿を見たあとの、四条大橋からの眺めです。

あんなに増水していた川も、すっかりいつもの表情に戻り、風物詩の一つである、等間隔で座るカップルの姿も健在です。あぁ、鴨川はこうでなくっちゃあ。見慣れたはずの光景が、あまりに美しく、思わずカメラにおさめました次第です。

被災地の様変わりした映像を思い出すと、申し訳ない思いもあります。が、今、自分の目の前にあるものに感謝して。今、自分の目の前にある困難に向き合って。まずは自分の「今」を生きること。それが一番大切なんじゃないか。

私は、私の、今日を、しっかり生きよう。

犠牲になられた方々のご冥福と、被災された皆様の一刻も早い復旧を祈りながら、そんなことを思った夜でした。

早くから暑かった今年。まだまだ夏は続きます。不安は拭いされませんが、まずは健康に留意して、一日一日を過ごしていきたいと思います。皆様もどうぞご自愛ください。 

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