My Favorite Things

アートなこと

2019年08月23日

このところのブログ、歌のタイトルが続きます。今回はジャズの名曲「My Favorite Things ~私のお気に入り~」です。先日、知人のジャズライブで初めて聴き、たちまち気に入ってしまいました。

知人というのは店を始めてから知り合ったmikiyoさん。彼女のライブについては、このブログでも何度か書いています(ブログ明日に架ける橋 ブログムーンリバー)。

アマチュアながら、魂のこもった歌声が素晴らしく、ジャズに詳しくない私もたちまちファンになってしまった次第です。

これまで3回ほど出かけたでしょうか。毎回、どの曲も素晴らしいのですが、なかでもその日のライブの中でひときわ心惹かれる曲に出会います。「今日の私の一曲!」とでもいうような。

自分では意識していない内奥の気持ちを言い当てられるみたいな、不思議な感覚に陥る曲…。予言めいていたり、神様からの啓示に思えたり。まるで「私のために歌ってくれているの?」と思ってしまうほどです。

それが自分でもおもしろく、今回はどんな「今日の私の一曲!」に出会えるのだろうかと、楽しみに思いながら出かけて行きました。

このライブの醍醐味の一つが、mikiyoさん自身による曲紹介です。英語の歌詞を聞き分けられるわけもなく、前もって和訳を聞けるのは、まずもってありがたいことです。そこに彼女なりの解釈や好みが加わり、曲に彼女の息吹が込められるよう。

一曲一曲の紹介を聞いていると、まるで人生みたいだと思うことがあります。時を超え、国を超え、性別を超え、喜怒哀楽、さまざまな心の機微を味わいながら、あぁ、これがジャズというものなのかなぁ。なんて、生意気にもジャズの片鱗に触れた気分になったりして…。

そんな思いに浸る中盤過ぎ、紹介されたのが「Mornin`」でした。朝の「Morhing」とは似て非なる「呻(うめ)く」という意味だとか。その昔の黒人の方たちの救いのない思いを歌われたもののようです。

朝が来るたび 俺は呻き声をあげる

俺に降りかかってくる あらゆる災難がそうさせるのさ

俺にとっては 人生なんて 負けが決まっている賭けのようなものさ

……

実のところ、その時期、少しばかり不調に陥っていた私。重いリズムが心に迫ります。けれど、奥底に力強い生命力が宿っているようにも思える曲。難しい曲にチャレンジされたmikiyoさんに、心で拍手喝采です。

選曲と共に、曲の順番にもmikiyoさんなりの配慮があるのでしょう。「Mornin`」のあとには「Smile」。チャップリンの「モダンタイムズ」で有名な曲を披露されました。

笑ってごらん 心が傷んでいても

笑ってごらん 心が折れてしまっていても 

あの空に雲があれば 君はきっと生きていける

……

前向きな言葉が、暗く沈んだ心に光明を照らしてくれるよう。少し救われた気持ちになります。

そして最後の一曲が「MY Favorite Things ~私のお気に入り~」でした。

バラに滴る雨の滴 子猫のひげ

ぴかぴかの銅のやかん あったかいウールの手袋

ひもで結わえられた茶色の紙包み

みんなささやかな私のお気に入り

……

犬に噛まれた時

蜂に刺された時

悲しい気分になった時

私のお気に入りたちを ただ思い出すの

それだけで気分が良くなるわ

どうしてもうまくいかない時ってあるものです。手に入れたくても入れられないものも山ほどあります。でも、こうしたささかなお気に入りがあれば、人生それでOKさ! って感じでしょうか。可愛らしい歌詞と軽快なノリが楽しい曲です。

ささやかなお気に入りをたくさん見つけること。ないものねだりじゃなく、自分のまわりに既にある素敵なものに気づくこと。それが幸せの近道なんだよ、と教えてくれているよう。

これくらいのものなら、私のまわりにもたくさんありそう。これなら私にもできそう。素敵なヒントを与えてくれた「My Favorite Things」。「今日の私の一曲!」に決定です。

今年は少し長い夏休みをいただきました。ビッグなバカンスはありませんが、映画を観たり、友達と会ったり。気になっていた用事を片づけたり…。普段なかなかできないことをしながら、穏やかな日常を過ごすことができました。

そんな一つ一つがとても愛おしく、幸せに思えた時間。まさに「My Favorite Things」に囲まれた毎日でした。慌ただしい時間の中では見失いがちなことかもしれません。長い休みをいただけたことに心より感謝申し上げます。

大変ご迷惑をお掛けしましたが、お蔭様で心身ともにリフレッシュすることができました。またがんばってまいります。これからもよろしくお願い申し上げます。

時代

アートなこと

2019年07月25日

前回の中島みゆきさんの「誕生」について書いたブログ(ブログ誕生)は、思いが溢れ過ぎて、うまく書き切れたか不安な内容でした。が、思いのほか多くの方に「いいね!」をいただき、驚きました。ありがとうございます。

それに調子づいて、というわけではないのですが、今回も引き続き中島みゆきさんの歌について…。

皆さんはご自分の応援歌っておありでしょうか? 世代によって実に様々なことと思います。

戦後、美空ひばりさんの歌に励まされたという話はよく聞きます。フォーク、ニューミュージック…。今の時代なら誰のどんな歌でしょう? もう私にはついていけないかも(笑)。

かくいう私は、やっぱり中島みゆきさん! 「時代」です。

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて

もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

そんな時代もあったねと 

いつか話せる日が来るわ

あんな時代もあったねと 

きっと笑って話せるわ

だから今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

ポピュラーコンテスト、通称ポプコンで優勝され、彗星のごとく世に出てきた歌と記憶します。なんて書くと、世代がわかりますね(笑)。

デビュー曲と思っていましたが、改めて調べてみると「アザミ譲のララバイ」に続くセカンド・シングルなのだとか。意外でした。

初めて聴いた時、「そういうことって、あるある!」って思わず手を打ってしまったような。シンプルな歌詞が心にストレートに響いたのを覚えています。

学生から、就職、結婚、育児。その後のあれこれ…。その折々に口ずさみ、気づけば私の応援歌となっていました。

やはり辛い時に口ずさみたくなる歌ですね。「そんな日がホンマに来るんかいな!」なんて思いつつ、時に泣きながら歌うこともあったかな。

そんな励まし続けてくれた応援歌も、口ずさめなくなる時期がありました。

まわるまわるよ時代は回る

喜び悲しみ繰り返し

今日は別れた恋人たちも

生まれ変わってめぐり逢うよ

この部分が、どうしても腑に落ちなくなってしまったのです。時代なんて回らない。ずっと平坦な荒野が続くばかりじゃないか。この歌詞は間違っている、と…。

天才的アーティストの名曲に異を唱えるなんて失礼千万なことですが、その時の正直な思いでした。

そんな時期が何年続いたでしょう。また時が過ぎ…。思いもよらないことに、家族で商売を始めることになりました。果てしなく続くと思っていた荒野が、突然のどんでん返しです。

店を始めてからは、毎日が喜びと悲しみの繰り返し。目が回るくらい(笑)。気付かない間にも、時代は回っていたんですね。あぁ「時代」の歌詞は間違っていなかったと、中島みゆきさんに心で詫びて、再び私の応援歌に復活と相成りました。

旅を続ける人々は

いつか故郷に出逢う日を

たとえ今夜は倒れても

きっと信じてドアを出る

たとえ今日は果てしもなく

冷たい雨が降っていても

辛い歌詞なのに、なんて希望に満ちているんでしょう。人間の底力を信じずにはいられない気持ちになります。

 まわるまわるよ時代は回る

別れと出逢いを繰り返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれ変わって歩き出すよ

豊かで平和だけれど、一方で生き辛いことも多い時代。「そんな日がホンマに来るんかいな ?!」と、やっぱりツッコみたい気持ちになることも。

それでも、口ずさんでみると、そんな気がしないでもないと思えてくるような。長く歌い継がれてきた歌には意味があるのだなぁと思います。

名曲は、長きにわたり、そのひとの人生に寄り添ってくれるものですね。「時代」は私にとって、まさにそういう歌です。いくつになっても口ずさんでいきたい。そう、しきりに思うこのごろです。

誕生

アートなこと

2019年06月20日

中島みゆきさんの「誕生」という歌をご存知でしょうか? このところ私のもっぱらの愛唱歌となっています。  

ひとりでも私は生きられるけど

でもだれかとならば 人生ははるかに違う

こんな歌詞で始まる歌。切ない恋の歌かと思いきや、後半、壮大な愛の世界にぐいぐいと導かれていきます。

めぐり来る季節をかぞえながら

めぐり逢う命をかぞえながら

畏れながら憎みながら 

いつか愛を知ってゆく

泣きながら生まれる子供のように

もいちど生きるため 泣いて来たのね

初めて聴いた時、鳥肌が立つ思いがしました。なんてスケールの大きな歌かと。今でも聴くたびに心揺さぶられますが、なかでも印象的なのが、この部分…。

Remember 生まれた時 

だれでも言われた筈

耳をすまして思い出して 

最初に聞いた Welcome

Remember 生まれたこと

Remember 出逢ったこと

Remember 一緒に生きてたこと

そして覚えていること

赤ちゃんの誕生は祝福に包まれているものです。こうして生まれた命。今、どんな困難を抱えていたとしても、ひとは皆、生きていく価値があるんだよ。私も、あなたも、誰でも…。

そう語りかけてくれているようで、自信を失い落ち込む時。あるいは、まわりにそういう人を見る時。エールを送るように、思わず心の中で口ずさんでしまいます。

こんな言葉を世に送り出せる中島みゆきさんという人。あぁ、天才的なアーティストだなぁと感心するばかりです。

話は変わりますが、テレビをつければ、毎日、悲惨なニュースが飛び込んできます。なかでも立て続く幼児虐待のニュースは、やり切れない思いがします。

いたいけな体と心に受けた傷はいかばかりか。短い人生、わずかでも楽しい時間はあったんだろうか。いっそ生まれてこない方が幸せだったんじゃないだろうか。

そんな思いに駆られる時、心に浮かぶのが「誕生」最後の絶唱部分です。

Remember けれどもしも思い出せないなら

私 いつでも あなたに言う

生まれてくれて Welcome

確かに、望まれないで生まれてきた命があるかもしれない。でも神様は祝福してくれたよ。生まれてこない方がよかった命なんて一つもないんだよ。

力強い歌声は、絶望のなかで亡くなっていった幼子の魂にそう語りかけているようで、一片の救いがもたらされる気がします。

それは、そうした幼子だけでなく、あまねく私たちへも語りかけられているのかもしれません。

祝福されて生まれてきたはずなのに、日々の困難さから、忘れてしまっている人。自分なんてなんの価値もないと自暴自棄になってしまっている人。そうした人がたくさんいる時代のように思えます。

「誕生」は生き辛い今の時代に贈られた、天上からのメッセージのよう。

縁あって、この世に誕生した命。生まれて、出逢って、生きていく命。誰もが個々の命を慈しみ、全うできたらいいな。

「誕生」の歌を口ずさみながら、そんなことを切に願うこのごろです。

ボヘミアン・ラプソディ

アートなこと

2019年02月27日

映画「ボヘミアン・ラプソディ」をご覧になった方はあるでしょうか? 伝説のロックバンド、クイーンをモデルにした映画です。クイーンのファンというわけではないのですが、心魅かれるものがあり出かけてきました。

といっても1月のこと。ブログに書くのがすっかり遅れてしまいました。が、期せずしてアカデミー賞受賞で話題に上る時期と重なり、これはこれで良いタイミングだったということでご容赦を(笑)。

この映画を観て初めてメンバーの一人一人を知ったほどの無知ぶりですが、予備知識なく観るのもまた新鮮なものでした。

そんな私でも映画の中で流れる曲は、いずれもどこかで聴き覚えがあり、これってクイーンの曲だったのかと思うものばかり。改めて偉大さを知った次第です。

今は亡きボーカルのフレディ・マーキュリーを中心に据えたストーリーですが、自信満々に見える姿のむこうに、様々な葛藤があったことが描かれています。出自のこと、容貌やセクシュアリティのこと、スターならではの苦悩も…。

なんでも上顎の歯の数が通常より多かったらしく、特徴的な歯並びをからかわれることも多かったようです。けれど伸びやかな声と、音域4オクターブのサウンドは、この歯のお蔭だと信じ矯正しなかったとのこと。

自信をつけていくに従い、歯を隠していた仕草が徐々になくなり、大きく口を開けて歌ったり笑ったりするようになったというのは、示唆に富んだエピソードです。

自分がコンプレックスに思っている部分は、実は自分にとって大切な特性なのかもしれません。が、そう思うには、相当の自信がなけれ難しい。たいていはコンプレックスのまま包み隠してしまいがちではないでしょうか。

フレディ・マーキュリーの場合、葛藤しつつも、その自信を支えたものはなにだったのだろうと考えます。

それは、一貫して自分に正直であったことではないでしょうか。ひとと対峙する時、自分の思いを率直に語ること。既成の価値に囚われず、自分の価値を尊重すること。前に進む時の指標が、外のどこかではなく、自分の内にあること…。

自分に正直であることは、自分を支える最強の力になるのだと思いました。

恋愛関係が終わった後も、生涯にわたってフレディの真の友人であり続けた女性メアリーとの関係も、この映画の大きな柱になっているように感じました。

多様なセクシュアリティについて、まだ理解を得られていなかった時代。一般には不思議に思える関係だったことと思います。が、恋人、夫婦、友人といった一般にある枠組みを超越した、固有の愛情が交わされていたのだなぁと想像します。これもまた、自分に正直であればこそ成立した関係だったでしょう。

既成概念にとらわれず、自分をなにかに分類することなく、ただありのままでいることを大切にして生き切った人生。だからこそ生まれたクリエイティブな音楽…。それが、クイーンというバンドが、フレディ・マーキュリーという人物が、多くの人に愛された所以なのではないでしょうか。

かくいう私も一夜でたちまちファンになり、さっそくCDを購入してしまった次第。にわかファンの私などが、こんなことを語るのは僭越ですが…。

フレディ・マーキュリーが生きた時代より、さらに年月が過ぎた今。誰もが自由に発信でき、多様なことが少しずつ認められるようになってきました。

その一方で、いいことも、よくないことも、たちまちに拡散し、いつ非難の的になってしまうかわからない怖さも併せ持つように。なにが正しくて、なにが間違っているのか。溢れる情報のなかで、混沌とした時代を生きている気がします。

フレディ・マーキュリーのような才能もカリスマ性もないけれど、私は私の価値に照らして、自分の中の指標に導かれて進んでいきたい。たとえ、それが、まわりと少しばかり違ったものだったとしても恐れずに。

そのために必要なこと、それは、ひとえに自分に正直であること。

そう確信させてくれた「ボヘミアン・ラプソディ」。素晴らしい映画と出会えました。さらにロングラン上映されることになるかもしれません。ご興味ある方は、是非ご覧になってみてください。

何必館の時間2

アートなこと

2018年10月27日

京都には大小たくさんの美術館や博物館があります。いたる所に画廊があり、デパート開催の展覧会もあり。アート好きな私にとって、京都は有り難い街です。なかでも私が一番好きなのが「何必館・京都現代美術館」。祇園の真ん中にある、それはそれは素敵な美術館です(ブログ何必館の時間)。

店の定休日は、心身のメンテナンスと、たまった用事を片づけている間に終わり。自分の楽しみに使う時間はなかなか捻出できないのが現実です。働く女性は、皆さん同じようなものかもしれません。特に今年は夏の猛暑やたて続く災害もあり、心身ともに余裕のない日が続いていました。

芸術の秋とはよくいったもの。秋の気配を感じるようになったとたん、何必館に行きたいなぁという思いが、ふっと湧いてきました。開催中の展覧会に…ではなく、何必館に…というのがおもしろいところです。

これまでに何必館で観た展覧会は、サラ・ムーンやロベール・ドアノーなど、写真展が多かったでしょうか(ブログ写真家ロベール・ドアノー)。そうたびたび出かけているわけではないのですが、いずれも強烈な印象で記憶に残っています。何必館開催の展覧会は、綺麗とか、心安らぐとか、そういうものとは一線を画した、なんというか緊張を伴うもののように思います。

大きな美術館と違い、フロアに私一人ということしばしば。作品から発せられるエネルギーに射すくめられ、時には恐怖すら感じ、早く誰か来てぇ、と心で叫んでしまう、なんてことも。それでも、決して目をそらさないぞ、と踏ん張って、一枚一枚の作品と対峙する時間。それは取りも直さず自分自身と向き合う時間でもあるような。私にとって何必館は、ただの鑑賞者でいることを許されない、そんな気がする美術館です。

さて、開催中の展覧会を調べてみると、「いま、又、吉田カツ展」とのこと。イラストレーターとしても活躍された画家さんのようです。存じ上げない方でしたが、何必館での展覧会には裏切られない。そんな確信を持って出かけて行きました。

こどもが思いのままに絵の具を塗りこめたような自然や静物。かと思うと、エロス溢れる男女の姿態…。どれも自由で、大胆で、生命力ほとばしる絵ばかり。奔放さにたじろぎながらも、ふっと笑ってしまうユーモアも垣間見え。いやはや、気持ちのいい展覧会でした。

全作品を観終わったあと、導かれるように最上階の坪庭「光庭」に辿り着くのが、この美術館の魅力のひとつです。その前に置かれたソファーでひと休みするのが、私のお約束。外の雑踏をよそに、ここだけ時間が止まっているかと思うばかりの静けさのなか、光射しこむ天窓を突き抜けて枝を伸ばす木を見上げていると、さっきまでの張りつめた気持ちから、一気に解放されていくよう。ふと、座禅を終えて縁側で庭園を眺めている時って、こんな感じかも、なんて思ったり。座禅の経験はないのですが…。

帰宅後、改めてホームページを開いてみました(http://www.kahitsukan.or.jp/)。そこで、定説を 「何ぞ必ずしも」 と疑う自由な精神を持ち続けたい…。そんな願いをこめて「何必館」と名づけられたことを知りました。私がなぜこうも、この美術館に心魅かれるのか。改めて腑に落ちた思いでした。

なににつけ、まわりを見渡し、他のなにかと比べ、その中に自分を当てはめがちな私。そこでは自分に欠けているものしか見えなくて。自分は外れているとしか思えなくて。どんどん自分を不自由にして、そうして自分を見失ってしまう…。

何必館の展覧会を観る時、私はとても自由な気持ちになります。作家のエネルギーに触発されて、ふだん囚われているもの…幻の「当たり前」や、幻の「ふつう」や、幻の「みんな」…。そんなものを根こそぎ剥ぎ取って、ありのままの自分に帰っていける気がするのです。

ただ、それだけでは済まされないのが「何必館」。作品の向こうから、作家の鋭い眼差しが、その自由を支える強さはあるか? その孤独に耐える覚悟はあるか? 厳しい問いを突き付けてきます。たちまち、あたふたしてしまう私。残念ながら、まだまだのもようです。

何必館で過ごす時間の中で、好きなアートを通して、定説を「何ぞ必ずしも」と疑う自由な精神を持ったひとになっていきたい…。そんなことを思った秋の一日でした。

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