風の笛

アートなこと

2021年12月15日

風の笛

長引いたコロナ禍も、少し落ち着きを見せるこのごろ。なにもかも自粛を余儀なくされた昨年と変わり、今年は12月らしい賑わいとなっているようです。

街の飾りつけはクリスマス一色。あちこちでクリスマスソングが流れ、華やぐ季節を演出してくれています。毎年この時期を心待ちにしている方たちには、やっとの思いかもしれません。

心まで華やぐはずの季節ですが…。実のところ、天邪鬼な私には、毎年なにかしら心ざわつく季節でもあり。そんな今、しきりに心に浮かぶ歌があります。

中島みゆきさんの「風の笛」です。

これまでにもこのブログを読んでくださっている方には、またぁ~って感じでしょうか。彼女の歌には、その時々に、強く心を揺さぶられてきました。(ブログ ファイト ブログ 時代 ブログ 誕生)

とにもかくにも歌詞の紹介を。

 

つらいことをつらいと言わず イヤなことをイヤとは言わず

呑み込んで隠して押さえ込んで 黙って泣く人へ

ええかげんにせえよ たいがいにせえよ

あけっぴろげだったお前は 何処へ消えた

ええかげんにせえよ たいがいにせえよ

目一杯だったお前が 気にかかる

言いたいことを言えば傷つく 大切な総てが傷つく

だから黙る だから耐える それを誰もが知らない

ならば

言葉に出せない思いのために お前に渡そう風の笛

言葉に出せない思いの代わりに ささやかに吹け風の笛

 

言葉に出せば通じることもある

言葉に出せばこじれることもある

目を上げてみな アゴを上げてみな

言えないこと呑んで溺れかけている

黙るより他思いつかず 決めたんならそれもいいだろう

そして黙る そして耐える それを誰もが知らない

ならば

言葉に出せない思いのために お前に渡そう風の笛

言葉に出せない思いの代わりに ささやかに吹け風の笛

 

12月はクリスマスの持つイメージのせいでしょうか。街中が幸せ一色に包まれているように見えます。

道行く人も、誰も彼も幸せそう。前を行く人も、右を歩く人も、左を歩く人も、おそらく後ろにいるであろう人までも誰も彼も、皆…。

実際はそんなわけはないのでしょうが、そう思えて仕方なく、ふと自分だけちょっとずれた時空にいて、遠い世界を見ているような。そんな錯覚に陥ることがあります。

この幸せそうな世界からこぼれた人もいるはず。生きにくさを抱えた人。さまざまな困難の中にいる人…。

そうした人ほど寡黙で、気づかれないまま埋もれてしまっているんじゃないか。なんて思ってしまうのです。まさに「風の笛」の歌詞のよう。

曲中の最後、文字通り「風の笛」が吹かれます。とても哀しくて、とても澄んだ音色に、胸が締めつけられる気がします。あまりにささやかな音(ね)は、12月の喧騒にたちまちかき消されてしまいそう。

けれど、腹の底から吹かれているような渾身の響きは力強く、希望を孕んでいるようにも思えます。誰に届かなくても、こんな力があれば、きっと、きっと、よくなる、と…。

自分のことで精一杯で、なんの力もない私だけれど。「風の笛」に耳を澄ます人でありたい。喧騒の中にあっても、「風の笛」を聴き分けられる人でありたい。12月になると、そんなことを思います。

そして、たまには、私も、風の笛を吹いてみたいな。

なんて思ったりもして…。

中島みゆきさんは、この地上に生きるあまねく人の声をすくい取り、歌にしてしまう天才なんだなぁ。その歌声に救われている人が、たくさんおられるんだろうなぁ。

中島みゆきさんは、神様が地上に遣わされた使者に違いない! そう信じて疑わない私です。

この季節を心待ちにし、楽しんでおられる方には水を差すような今回のブログ。失礼しました。

でも、一度書いてみたかった思い。中島みゆきさんの「風の笛」に乗じて書いてみました。ご容赦ください。

とは言いつつも、それぞれの12月を、それぞれに楽しく過ごしたいものです。どうか今年は穏やかな年の瀬となりますよう祈りながら。

青春の詩

アートなこと

2021年11月14日

青春

今回はなんだか青臭いタイトルになりました(笑)。少しお付き合いください。

いよいよコロナ禍が始まろうという2020年2月、神戸県立美術館にゴッホ展を観に行った時のことを以前のブログで書きました。(ブログ ゴッホ展

その鑑賞後のことが最近しきりに思い出され、続きを書いてみたくなった次第です。

あの日、ゴッホの絵に興奮冷めやらぬ私に、友人が見せたいものがあると言って、屋外に誘い出してくれました。すぐ外が海べりで気持ちのいいこと。そこに突如、巨大な青いリンゴが現れました。

アメリカの詩人サミュエル・ウルマンが70代で書いたという「青春の詩」から、建築家、安藤忠雄氏がオブジェを着想したとのこと。そばにその詩が添えてあり、これを私に読んでほしかったのだと彼女。

青春とは人生のある時期を言うのではなく 心のありようを言うのだ

こんな書き出しで始まる長い詩は、これでもかと言うほどの手厳しい言葉の羅列。難しい漢字や、聞いたことのない言葉もあり難解でした。

分かりやすい部分の一部を抜粋すると…。

 

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

 

友人というのは写真をやっている一恵ちゃん。このブログでも何度も書いていますが、真に自分が表現したいものを追及する姿には、いつも驚きと尊敬を感じている私です(ブログ一恵ちゃん2)。

エネルギーほとばしる詩を読みながら、彼女はこんな心もちで写真に対峙しているのだなぁと想像しました。

そんな思いを私と共有したいと、誘い出してくれたのでしょう。彼女の気持ちはとてもうれしかったのですが、正直なところ、詩のあまりの激しさに縮み上がってしまいました。ふがいない友人で申し訳ない。

そんな名カメラマンに、失礼にも私のスマホを渡して、記念に撮ってもらったのが上記の写真です。

「青空だったらもっと綺麗な写真になったのにね」と残念そうな私に…。

「ただ綺麗なだけの写真なら青空の方がいいかもしれないけれど、この空にはこの空だからこそ生まれる味わいがある」と彼女。

改めて見てみると、なるほど、確かに、確かに。陰鬱そうな雲の向こうに覗く晴れ間。そんな空の下に置かれた、いかにも酸っぱそうな巨大な青リンゴ…。

スリリングなドラマを暗示するようで、なかなかに味わい深い(笑)。

さすが写真をやっている彼女ならではの視点。その感性に改めて感心してしまいました。そして、ちょっと残念だった写真が、たちまちお気に入りの一枚に!

ところで、私自身のいわゆる青春時代を思い返してみると…。大きな挫折や失敗もなかったかわりに、なにかに打ち込み、達成したということもないような。

サミュエル・ウルマンの詩によるなら、とうてい青春とは言えないかもしれません。

それが一転、店を始めてからというもの、ひたすら運営に打ち込む毎日。うまくいくこともあれば、いかないことも数知れず。今なお模索ばかりで、いったい私はなにをやっているんだかと途方に暮れることも。

それでも、いつも心に浮かぶのは「明日、店を開けなくっちゃ!」という思いでした。

オブジェに寄せて安藤忠雄氏はこう語っています。

 

目指すは甘く実った赤いリンゴではない

未熟で酸っぱくとも 明日への希望へ

満ち溢れた青リンゴの精神

 

こんな私だけれど、今こそ青春? まさに青春? 店を始めてからの日々が、私にとって遅ればせながらの青春かもしれません。

二人の巨匠の言葉に刺激を受けた一日でしたが、実のところ私の心に一番残っているのは…。

この空にはこの空だからこそ生まれる味わいがある

そう言ってくれた一恵ちゃんの言葉でした。

雲と晴れ間が織りなす空を味わいながら、これからも進んでいこう。未熟で酸っぱい青りんごを携えて。改めて写真を眺めながら、そんなことを思うこのごろです。

彼女の撮ってくれる写真は、私の内奥が映し出され、時に予言的なものを感じることがあります(ブログ竹中大工道具館)。今回もやっぱりそうだったもようです。

詩の全文は以下からご覧ください。

Microsoft Word - 青春の詩.doc (waseda.jp)

かもめ食堂2

アートなこと

2021年10月10日

かもめ食堂2

これまで観た映画のなかで一番好きなものは? と聞かれたら、迷わずに答えるのが「かもめ食堂」です。

2006年ですからもうずいぶん前になりますが、映画館に二度足を運び、原作とDVDまで買ったのは、あとにも先にもこの作品だけです。(ブログかもめ食堂

このDVD、ふだんは棚にしまい込んだままですが、時々ふっと観たくなることがあります。ちょっと行き詰まった時が多いでしょうか。先日の休み、無性に観たくなり取り出してみました。

小林聡美さん演じる主人公サチエが、フィンランドで日本食の食堂を始めるというお話。そうとう大それた計画だと思うのですが、当の本人はいたって自然体です。

サチエの好みなのでしょう。北欧デザインの設えが素敵な店内。棚に整然と並ぶ使い勝手良さそうな鍋や皿。通りに馴染んだ外観がとてもお洒落で、日本食と言いながら日本ぽいものはまったくありません。

開店以来、一向に客が来ないけれど、サチエはキッチンで一人、ガラスのコップをひたすら磨きながら、なんだか楽しそう。

そんなゆるい時間の流れのなかで起こる日々の出来事が、それはそれは魅力的に描かれていて、同じ場面でクスッとしたり、しんみりしたり。何度観ても飽きることがありません。

なかでもサチエのセリフは一つ一つがとてもシンプルで、心にすっと入ってきます。私にとってサチエは世界で一番やさしく哲学を説いてくれる人です。

展開もセリフももう覚えてしまっているのに、毎回、なにかしら新しい発見があります。観ている私の方が変化しているのでしょうか。

今回はいつにも増してしみじみ見入ってしまい、どうしたことか随所で涙まで出たりなんかして。どう考えても泣くような映画じゃないんですけれど(笑)。

とりわけ印象的な場面があります。ひょんなことから店を手伝うようになった片桐はいりさん演じるミドリが、暇な店を案じて、サチエに進言するシーン。

ガイドブックに載せて日本人観光客を誘致しようと言うミドリに、サチエは「そういうのは、この店の匂いと違う気がする」と、自分の描く「食堂」のイメージを語ります。

そして「それでもダメなら、その時はその時、やめちゃいます!」と、さらりと言ってのけたあと…。「でも、大丈夫!」と、きっぱり。

そこには悲壮感など微塵もなく、爽やかですらあります。

サチエは飄々としているようで、芯に強いものを持っているんだなぁ。芯に強いものを持っているから、飄々としていられるってことかぁ。なんて、いつもながらに感心しつつ、ハッとしました。

サチエはどうやったら客に来てもらえるかじゃなくて、これでもって客に来てもらいたい。そういうものをしっかりと持っているんだ。

看板メニューの「おにぎり」にこだわる子供の頃の思い出。自分がやりたいこと、やりたくないこと。フィンランドのこの食堂で叶えたい夢…。すべてはサチエの心が出発点です。

私はといえば、いつもまわりを見回しては右往左往するばかり。出発点が定まりません。そんな私の心のベクトルを、大きく舵を切るように、ぐいっと鼻先に向けられた気がしました。

「わかっているようで、わかっていないことって、よくあるんですよねぇ」って、ミドリの口癖。そのまんま自分に当てはまることに気づき、たじたじ…。

やがて「かもめ食堂」に客がやってくるようになります。脂ののった焼き鮭、照りのいい豚の生姜焼き、さくさくの豚カツ…。

食後はシナモンロールに、美味しくなるおまじないをかけて淹れたコーヒー。

おいしそうに食べる客たちを、キッチンからうれしそうに眺めるサチエ。ある日、気づきます。「かもめ食堂」が初めて満席になったことに。

その夜、プールで一人、水にぷかぷか浮かびながら見せる、サチエのえもいわれぬ満足そうな表情。私も心の中で思わず大喝采! 何回も観てるのに(笑)。

「かもめ食堂」をいつも遠巻きに眺め、トラブルの果てに馴染み客になった女性が、サチエに言います。

「この店、あなたにとても似合っているわ」

そりゃあ、そうでしょう。サチエの店なんですから! って、画面のこちらからツッコミを入れる私(笑)。とにかく素敵な映画です。

アンテナを張り巡らし、多くの新しい情報をキャッチすること。いろいろな声に耳を傾けること。大切です。

けれど、まずは自分。もっと自分の内に目を向けて。もっと自分の心に耳を傾けて。もっと自分を感じて…。

そしてその奥底にあるものを見つけたい。今一度、初心に戻って。

今の私に一番必要なことを気づかせてくれた、今回の「かもめ食堂」。皆様にはこれからも寛容に見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

写真家 ソールライター

アートなこと

2021年05月13日

写真家ソールライター

3月のことになりますが、かねてから観たいと思っていた写真家ソールライターの展覧会に出かけてきました。

スナップ写真というのでしょうか、彼の住むニューヨークの街中の風景。そこで繰り広げられる普通の人々の日常の姿。なんでもない場面なのに、その構図や色彩のバランスが絶妙で、まるで絵画のよう。

被写体となった人物は、まっすぐこちらを見据えているものもあれば、うしろ姿だったり、なかには足首から下だけなんてものも。見え方は様々ですが、その佇まいにそのひととなりが如実に現れています。

一瞬を切り取った一枚一枚の写真に、一人一人のストーリーが込められているよう。あれこれ想像を掻き立てられる、とてもドラマチックな展覧会でした。

普通の人が絵になる写真といえば、ドアノーもそうでした(ブログ写真家 ロベール・ドアノー。こちらはパリが舞台。それぞれの街の持つにおいと相まって、どちらも素敵です。

こうした作品を観るにつけ、人の佇まいってほんと不思議だなぁと思います。なにも語らずとも、その人を雄弁に語ってしまう。

それは姿形の美醜や、身に着けているものの価値に左右されるものでは決してなく、その人そのものから醸し出されるもの。これまでの日々の過ごし方やあり方が、そのまま現れてしまうもの。

写真家の技術と感性がアートにまで引き上げてしまうのですから、奥深いものなのだと思います。

何年か前に、ラジオのパーソナリティ佐藤弘樹さんの講演を拝聴したことがあります。関西の方は一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。それはそれは素敵なお声で、紳士的な話しっぷりとダンディな佇まいが印象的な方。生放送の番組を長年、担当されていたようです。

その講演のなかで、こんなお話をされていたのが印象的でした。

ちょっとした失言で放送界を去る人があるなか、なぜ佐藤さんはそうしたことがなく、今日まで続けてこられたのかと尋ねられることがあるのだとか。

そのお答えが…。そもそも失言につながるようなことを思っていない、とのことでした。つまりはマイクの前に立つその時だけでなく、普段が大事。普段思っていること、していることが、そのまま生放送に表れるのだと。

なるほど、と唸る思いでした。

店での接客も同じことだなぁと、耳の痛い思いで聞いていましたが、それからほどなくのこと、佐藤さんの訃報が新聞に…。信じられない思いでした。

あの講演の時は、既に闘病中だったと想像されます。けれど、そんなことを全く感じさせない、いつもと変わらない語り口と立ち居振る舞い。

普段が大事…。まさに話されていたことを身をもって実証されていたんだと、改めて胸打たれる思いがしました。

またある時、たまたま見ていたテレビの情報番組でのこと。女性の下着がテーマのコーナーに、東京の老舗デパートの下着売り場を勤め上げたという女性が登場。ご高齢ながら、しゃんとした美しさに、思わず画面に見入ってしまいました。

なんでも自分の体にぴったり合った、自分が素敵と思える下着を常に身に着けて暮らすことが大切とのこと。それが自信となって、思わず知らず外見に表れるのだと、熱く語っておられました。

普段なにげなく着けている下着がそこまで影響力を持つものかと、ちょっと信じ難い思いも。けれど、その女性のオーラさえ発せられるエレガントな佇まいに、納得せずにはいられなかったことを覚えています。

ソールライターの写真を眺めながら、ふと思い出した二つのエピソード。唐突なようですが、普段の有り様が、そのまま素敵な佇まいとなって表れたお手本として記憶していたのだと思います。

まさに絵になるお二人。ソールライターなら、どんなふうに撮ったでしょう。素敵な写真が目に浮かぶようです。

京都は緊急事態宣言が5月末まで延長となりました。厳しい状況がまだまだ続きますが、今ある普段を大切に、一日一日を過ごしていくしかありません。それが未来の私の佇まいとなっていく。そう肝に銘じて…。

皆様もどうぞお気をつけてお過ごしください。

この素晴らしき世界

アートなこと

2021年04月11日

この素晴らしき世界

このところ、しきりに心に浮かぶ曲があります。ルイ・アームストロングの「What a wonderful world(この素晴らしき世界)」です。

特別、彼のファンというわけではありません。以前に安価で買い求めた、オールディーズの名曲が網羅されたCDに、たまたま収められていた一曲です。

耳慣れた曲ばかり流れるなか、ひときわ心に響く歌声。何度も繰り返される「What a wonderful world…」のフレーズが印象的で、そこだけいつも一緒に口ずさんでしまいます。

突然ですが…。時々、自分はとても大きな間違いをしているんじゃないかと思うことがあります。へたをすると、間違いだらけで今日まで生きてきたんじゃないかと。

がんばっているようで、実は的外れのところであがいているだけ。良かれと思ってしていることが、ちっとも良かれになっていないし。

まわりの同世代の女性たちは、年齢相応にちゃんと役目を果たして落ち着き払っているのに、私ときたら未だになんにも果たせていない。まったくもう…。

な~んて思いに陥る時がありまして。いやはや(汗)。そんな時、心に浮かぶのがこの曲です。

「なにがあったか知らないけれど、それでも世界は素晴らしいよ。What a wonderful worldさ!」って、野太い声で励ましてくれる気がするのです。

英語が堪能でない私は、きっと歌詞の中に人生の苦難なんかが書かれているのだと思っていました。ブログを書くにあたり、改めてネットで調べてみると…。以下、検索したなかから「ふうでごう」さんの訳を引用させていただきます。

I see trees of green
緑の木々を
Red roses too
赤いバラを見ている
I see them bloom
花が咲いているよ
For me and you
僕と君のためにね
And I think to myself
僕は心の中で思う
What a wonderful world
この世はなんて素晴らしいんだ

I see skies of blue
青い空に浮かぶ
And clouds of white
白い雲を見てる
The bright blessed day
光り輝く祝福された日
The dark sacred night
神聖な真っ暗な夜
And I think to myself
僕は心の中で思う
What a wonderful world
この世はなんて素晴らしいんだ

The colors of the rainbow
虹の色は
So pretty in the sky
空を美しく彩っている
Are also on the faces
of people going by
通り過ぎる人々の顔にも
虹の色が降り注いでる

I see friends shaking hands
友達同士が握手をしている
Saying, How do you do?
“ごきげんよう”って言いながらね
They’re really saying
心から言ってる
I love you
“君のことを愛してる”と

I hear babies cry
赤ん坊の泣き声が聞こえる
I watch them grow
彼らが大きくなるのを
見守るのさ
They’ll learn much more
彼らは沢山のことを学ぶだろう
Than I’ll never know
僕が知りえないこともね

And I think to myself
そして心の中で思うのさ
What a wonderful world
この世はなんて素晴らしいんだ
Yes, I think to myself
そう、僕は心の中で思うんだ
What a wonderful world
この世はなんて素晴らしいんだ

引用:歌詞 What a Wonderful Worldより
和訳 ふうでごう

驚きました。人生の苦難なんて一つも書いていない。書かれているのは、なんでもない日常の風景。あなたにも、わたしにも、あまねく誰のまわりにも存在する当たり前の出来事。ただそれだけなのに、なんて壮大な喜びに満ちた曲なんだろう。

歌っているルイ・アームストロングについても少し調べてみました。黒人としての苦悩がなかったはずがありません。なのに、なのに、この底抜けの笑顔。おおらかな歌声。

苦難を知るからこそ、真の喜びがわかるのでしょうか。その説得力に圧倒されます。

まだまだ暗中模索の日々だけど、そんな私の頭の上にも、青い空があり、白い雲が浮かび。周りを見渡せば、木々は緑に照り返り、季節ごとの花が咲く…。

あぁ、それだけで、この世界は素晴らしい。What a wonderful world!

うん、どんな時も、このことだけは忘れずに進んでいこう。そんなことを思うこのごろです。コロナ禍はますます混迷を深めています。皆様、どうぞお気をつけてお過ごしください。

下記をクリックして、ぜひ素晴らしい歌声をお聴きください。

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