イサム・ノグチの輪っ!

アートなこと

2013年02月11日

私、アートが好きです。なかでも現代アートというんでしょうか、前衛アートというんでしょうか、専門的な分類はよくわかりませんが、そういうのが好きです。

見ていてとても気持ちがいいんです。もちろん気持ちがよくないものもありますが、好きな作品はもう本当に気持ちがいい。 隣で「なにこれ?!」っていう声を聞くこともありますが、好みは人それぞれ、ということでしょう。

なかでもイサム・ノグチの彫刻が好きです。数年前、滋賀県の美術館で初めて観て魅了されました。「真夜中の太陽」という有名な作品があります。直径2メートルほどの石の円環です。ドーナツ状の大きな石なのですが、不思議なことにすっくと立っています。まわりのどの方向からも眺められるように展示されていて、四方から眺めているうちに、とても不思議な感覚に陥っていった時のことを、今でもよく覚えています。

手前で眺めていると、 こちら側はこちら側、向こう側は向こう側。けれどひとたび向こうに回って眺めると、さっきまでのこちら側は向こう側で、向こう側がこちら側に。

円環の手前から向こうをのぞくと、まるで未来が広がっているように見えます。果てしなく見える未来も、向こうに回ればたちまち過去に。

円環の上と下。くるりと回せば、上が下に、下が上に。円環の右と左。ひょいと回せば、右が左に、左が右に。

終わりのない問答を繰り返すように、私は何度も行ったり来たりして、飽かず眺めていました。禅問答って、こんな感じでしょうか。

以来、私の胸の中にはイサム・ノグチの輪がペンダントのようにぶら下がっています。なにかに囚われそうな時、くるくる回していると、いつのまにやら開放されて、自由になれる気がします。ちょっと無理からではありますが。(苦笑)

このブログでも何度も書いていますが、この一年少しの間に私の状況は一変しました。「ほぼ専業主婦」から「自称にわか女将」へ。活動のフィールドが家の内から外へ。交流の範囲が自分の周辺から大きな広がりへ。考えるべきことの内容も多岐にわたり様変わり…。

確かに大きな変化です。けれど変わっているようで、実は大して変わっていないようにも思います。今さら私に大それたことが出来るわけはなし。出来るとしたら、これまで生きてきたなかで培ってきたことを、ただ精一杯形に表していくこと。過去を未来に。この先に待ち構えていることに真摯に向かっていくこと。未来はたちまち、また過去になるでしょう。

開店からもうすぐ一年を迎えます。それを前にして、そんなことに気づいたこのごろです。

ユルスナールの靴

素敵な女性

2012年08月07日

きっちり足に合った靴さえあれば、

じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。

そう心のどこかで思い続け、

完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

 須賀敦子 「ユルスナールの靴」より

 

今日は立秋、暦の上では秋とはいえ厳しい暑さが続きます。

地下鉄「丸太町」から地上に上がると、真夏の太陽が照りつけます。

セミがシャーシャーと鳴く道を、昼のお弁当やらを詰め込んだ重いスーツケースを引きながら、東に向かって歩くのは、結構、こたえます。

私は夏が苦手で、食欲は激減。ほうほうのていで夏をやり過ごす、なんてことがもう何年も続いています。

起業に当たって不安なことは山ほどありましたが、体力がもつかどうかもその一つでした。

しっかり朝ごはんを食べ、最低限ながら家事を済ませ、店に向かって歩く自分に、私自身が一番驚いています。

 ゆっくりながら歩を進める自分の足元を見つめ、ふと心に浮かんだのが冒頭の一節です。 イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子は、とても魅力的な文章を書く人で、大好きな作家の一人です。

これまでの私…、あれこれ模索しながらも、なにかしっくりいかないものを感じて生きてきたように思います。 わがままなだけかもしれませんが。

やっと私の足に合った靴が見つかったのかな。

まだ歩き出したばかり、先のことはわかりません。

今はただ一歩一歩、この靴で行けるところまで行ってみよう。

そんな風に思っています。

又兵衛桜

アートなこと

2012年04月13日

春爛漫、店の近く、裁判所まわりのしだれ桜が満開です。

今年は名所のお花見は行けそうにありませんが、こんな春もいいかなと…。

去年はどうしていたっけと考え、思い出しました。奈良県宇陀市の又兵衛桜を見に行ったんでした。

去年1月に、画家小泉淳作氏の展覧会が京都でありました。86歳で完成させたという奈良東大寺本坊の襖絵完成記念ということでした。満開の桜が描かれた襖絵があまりに素晴らしく、そのモデルとなったのが又兵衛桜と知り、どうしても見たくなったんです。

電車とバスに徒歩と、かなり辺鄙な場所でしたが、着いてみると、生憎つぼみは固いまま。それでも京都の観光地で愛でる桜と違い、孤高の姿に胸打たれるものがありました。枝の目立つ木に、襖絵の満開の花びらを重ね合わせて想像してみるのも一興でした。

氏は京都の知人から送ってもらう野菜を写生するのが常だったようですが、氏の描く野菜は驚くほど生命力に満ち溢れています。

86歳にして大仕事を終えたあとの氏の言葉。

「あとは今までと同じ、冬になれば蕪を見つめ、夏になれば茄子を見つめる生活に戻るだけである」

今年1月、88歳で亡くなられました。

あっぱれな人生に感服です。

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