八日目の蝉 2

アートなこと

2020年08月09日

八日目の蝉

蝉のけたたましい鳴き声を聞く季節になりました。この鳴き声を聞くと、毎年、思い出す言葉があります。「八日目の蝉」。

5年前のブログにも書きましたが、角田光代さんの小説のタイトルです。永作博美さんと井上真央さんの共演で映画化され、そちらでご覧になった方も多いのではないでしょうか(ブログ八日目の蝉

不倫相手の赤ちゃんを不本意にも堕胎した女性が、時を同じくして出産した本妻の赤ちゃんを衝動的に誘拐。自分の子供として育てるも数年で発覚。本来の両親のもとに戻された子どもは、なにもなかったように普通の生活に戻れるはずもなく…。

成長したその女の子が、通常ではありえない経験をした自分の境遇を、蝉になぞらえ語ります。みんな七日で死んでいくなか、八日目まで生きる蝉がいたら悲しい、と。

それを聞いた、同じく不遇な環境で育った女性が答えます。八日目の蝉はほかの蝉が見られなかった世界を見られる。それはとても綺麗なものかもしれない、と。

印象深いシーンです。

八日目の蝉…。前回のブログでは、「ほぼ専業主婦」から突然、商売をすることになった自分の身に置き換えて書いていました。

今年、新型コロナウィルスという得体のしれない疫病のまん延に、これまで経験したことのない不自由な生活が続いています。いつまで続くのか。この先どうなるのか。いまや世界中の誰もが八日目の蝉のようです。

対岸の火事と思っていた災難が、あっという間に我が身に降りかかり…。当初は世の中のあまりの急変に現実感がなく、悪い夢でも見ているような感覚でした(ブログ新型コロナウィルスのこと)。

それも半年以上が過ぎ、これが紛れもない現実。かつての日々の方が長い長い夢だったんじゃないか。そんな気がするようになりました。以前の日常のひとコマひとコマが、折に触れ、日めくりカレンダーのように思い出されます。なんでもないはずの風景が、どれもキラキラとして見えます。

そんな行きつ戻りつの思いに揺れながら、今、このコロナ禍を生きていかねばなりません。前例もモデルもない、先の見えないなかを、どう生きていけばいいのか。人として、商売をする者として…。

日々、考え。考えても考えても、なにが正解かわからず。また考え…。そんな毎日が続きます(ブログ少しだけいつもと違う景色)。

収束にはまだ数年かかるという説も。収束したとして、もはや元の世界に戻ることはないでしょう。その先は一体どんな世界が待っているのか。誰もわかりません。

ただ、映画の中のセリフのように、それはとても綺麗な世界なんじゃないか。こんな苦難を経験した先にある世界が、綺麗なものでないわけがない。私は根拠なくそう信じています。

そして、そこに私は私の綺麗な世界を重ね合わせたい、と。

いくら考えても正解なんて見つけられないのかもしれない。自分の思う綺麗な世界をただ求めること。それこそが正解へ続く道なんじゃないか。

閉塞感も限界を超えたのでしょうか。そんな思いが兆し始めました

八日目は、ただの残りの一日ではなく、七日間の積み重ねが見事に花開く一日。八日目の蝉になって、私はそれを見届けたい。そこで、なりたかった本当の自分に出会いたい。

う~ん、壮大なテーマ、なかなか大変です。がんばらねば(汗、笑)。

第二波が深刻な状況です。皆様、くれぐれもご用心のうえお過ごしください。

ゴッホ展

アートなこと

2020年03月14日

ゴッホ展

2月の終わりに、神戸の友人と兵庫県立美術館で開催中のゴッホ展に出かけてきました。

かなり以前に京都の美術館で観た時は、日本の浮世絵から受けた影響に焦点が当てられていて、とても興味深い企画だったことを覚えています。

今回は、初期から死の直前までを、そのときどきに影響を受けた巨匠たちの作品と共に鑑賞できるという展示方法。その間の心情を綴った弟への手紙も添えられていて、まるでゴッホの心の中をのぞき見ながら、画風が確立されていく過程を辿るよう。

ゴッホはいかにしてゴッホになったのか…、という今回のテーマそのままに、これもまた興味深い企画でした。

初期の作品は、ミレーを模倣したものや、農民たちの質素な生活を描いた素描など、静謐な雰囲気漂うものでした。地道で謙虚な創作姿勢がうかがえ、これが、あのゴッホ?と、意外な一面を見る思いでした。

のちの強烈な個性の発露も、こうした確かな基礎があればこそだったのだと、基礎の大切さを改めて痛感した次第です。

その後も、常にまわりの画家たちを観察し、尽きない探求心と実践の繰り返し。各コーナーを巡るごとに、ゴッホがゴッホとなっていく気配が感じられ、高まる期待の最後に待っていたのは…。

黄色の穂が一面に波打つ麦畑。たわわに実るオリーブの木。こぼれんばかりの薔薇の花…。あぁ、これぞゴッホ! という絵が並び、期待を超える感動でした。

なかでも一枚の絵に、息を呑んでしまいました。糸杉です。

大地や、草、木から立ち昇る生命力を、そのまま絵筆に乗せて叩きつけたような激しい筆致。絵が放つエネルギーに気圧されそうになりながら、私は懸命に対峙していました。

なんでもないと言えば、なんでもない風景。それがゴッホの目にはこんな風に映っているんだ。その研ぎ澄まされた感性に驚くばかりです。

ふつうの精神状態では、とてもこんな絵は描けない…。そう思いました。

精神に変調をきたし、猟奇的とさえ思える波乱万丈な人生でしたが、満足のいく絵を描き上げられる喜びと引き換えに、そんな自分をも受け容れているような諦観した境地を、ゴッホ自身が語っています。

塗り重ねられた絵の具の一筆一筆にこもる思いの激しさ、ひたむきさに胸震え、泣きそうになってしまいました。

美術界に強烈な存在感を残したゴッホですが、37年という短い人生の中で、創作に費やした年数はわずかに10年だったとか。濃密な人生は、痛々しくも、お見事としか言いようがありません。

ゴッホが命がけで確立した唯一無二の画風。それを目の当たりにし、ゴッホには遠く、遠く、及ばないけれど、私は私の唯一無二の絵を描く人生でありたい。そう強く願った展覧会でした。

このところのコロナウィルスの影響で休館を余儀なくされていましたが、3月17日から3月29日まで無休で開館されるとのこと。美術館の皆さんの熱意とご尽力に敬意を表したいと思います。

一日も早く騒動が収束し、日常はもとより、芸術や芸能を心置きなく楽しめる日が来ることを願ってやみません。ご興味ある方は、体調や衛生管理にお気を付けのうえお出かけください。

注)このところの状況により再び休館となっているようです。随時、ホームページをご確認ください。

杉本晋一展

アートなこと

2019年10月30日

今月始めのことになりますが、素晴らしい展覧会を観に神戸まで出かけてきました。「杉本晋一展 重力都市シリーズ 騒めく景色」です。

実は私、子育てが少し落ち着いた30代半ばの頃、服飾の専門学校に通った経験があります。高校を卒業したばかりの子らと机を並べて、二年間、主婦と学生の二足のわらじの毎日。ハードではありましたが、今につながる貴重な経験となりました。

その時、講師として来てくださっていたのが杉本先生です(ブログ杉本先生から教わったこと

デッサンと色彩学。出される課題は難しいものでしたが、ご自身がアーティストである先生の授業はとても楽しく、毎回、心待ちにしていたのを覚えています。

卒業後に個展の案内状をいただき出かけたところ、これまでに観てきたどんな作家さんとも違う作風に、たちまちファンになってしまった次第。以来、個展があると知れば、京都はもちろん、少し遠くても出かけて行くようになりました。

近年ではニューヨークで成功をおさめられるほどに。さすがにニューヨークまでは出かけられませんでしたが(笑)。

立体や様々な作品を制作してこられた杉本先生ですが、私が特に好きなのが重力都市シリーズです。無機質な空間を描かれた巨大な絵で、いくら観ていても飽きることがなく、ぐいぐい引き込まれていく不思議な世界。その中を一人、二人、宙を舞う女の子がいます。

大人びているようで、あどけない。リアルなようで、ファンタジー…。なににも分類されない、えもいわれぬ魅力を持った女の子です。

冷たく緻密な世界を、生々しい肉感と体温を放ちながら、ほとんど生まれたままの姿で縦横無尽に浮遊する姿は、究極の自由と解放を謳(うた)っているよう。

好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。うれしい時はうれしいし、悲しい時は悲しい。したいことはしたいし、したくないことはしたくない。とばかりに…。

こんな風に自由でありたいなぁ。

これらの絵を観るたびに、私は絵の中の女の子に憑依して、一緒に宙を舞っている気分を味わいます。その解放感といったらたまりません。いつからか、女の子は私の絶対的な憧れとなりました。

しんどいなぁと思う時、心の中に女の子が現れます。女の子は私を絵の中に誘い出し、一緒に宙を舞ってくれます。たちまち自由な世界に解き放たれます。

ずっと彼女と遊んでいたいところですが、そうはいかず。現実の世界は、こんな自由気ままでは、とうてい生きていくことはできません。時には感情をコントロールし、好き嫌いを言わず、したくないこともしていくのが大人ってもの。それが円滑に生きていくための知恵です。

でも…、やっぱり…、好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。うれしい時はうれしいし、悲しい時は悲しい。したいことはしたいし、したくないことはしたくない。

心だけは、こんな風に自由でありたいなぁ。

唐突ですが、心理学の世界ではインナーチャイルドという言葉があります。いくつになっても、心の奥底に存在している女の子、とでもいうのでしょうか。私の中にもいるのですが、その子がいつもありのままで、楽しそうにしてくれていたらいいな。そんな風にいさせてあげたいな。そう思っています。(ブログ私の中の女の子2

杉本先生の絵の中の女の子は、まさに私の願いそのもののよう。

これまでは下記のような鮮やかな色彩で描かれていましたが、今回は一転、上記のような色彩になりました。実はこれ、ボールペンのみで描かれたとのことです。大きな会場の天井に届くほどの巨大な絵。しかも数枚。その製作工程を思うと気が遠くなります。

新しい作風の絵のなかで、今回も女の子は健在でした。進化し続けられる杉本先生と共に、女の子も進化し続けているよう。私もまた進化し続けなければ、置いてきぼりをくらいそうです。

次回、対面できる日まで、私も精進しておかなくっちゃ。そんなことを思った展覧会。アートの世界でいっぱい遊んだ、素敵な秋の一日でした。

My Favorite Things

アートなこと

2019年08月23日

このところのブログ、歌のタイトルが続きます。今回はジャズの名曲「My Favorite Things ~私のお気に入り~」です。先日、知人のジャズライブで初めて聴き、たちまち気に入ってしまいました。

知人というのは店を始めてから知り合ったmikiyoさん。彼女のライブについては、このブログでも何度か書いています(ブログ明日に架ける橋 ブログムーンリバー)。

アマチュアながら、魂のこもった歌声が素晴らしく、ジャズに詳しくない私もたちまちファンになってしまった次第です。

これまで3回ほど出かけたでしょうか。毎回、どの曲も素晴らしいのですが、なかでもその日のライブの中でひときわ心惹かれる曲に出会います。「今日の私の一曲!」とでもいうような。

自分では意識していない内奥の気持ちを言い当てられるみたいな、不思議な感覚に陥る曲…。予言めいていたり、神様からの啓示に思えたり。まるで「私のために歌ってくれているの?」と思ってしまうほどです。

それが自分でもおもしろく、今回はどんな「今日の私の一曲!」に出会えるのだろうかと、楽しみに思いながら出かけて行きました。

このライブの醍醐味の一つが、mikiyoさん自身による曲紹介です。英語の歌詞を聞き分けられるわけもなく、前もって和訳を聞けるのは、まずもってありがたいことです。そこに彼女なりの解釈や好みが加わり、曲に彼女の息吹が込められるよう。

一曲一曲の紹介を聞いていると、まるで人生みたいだと思うことがあります。時を超え、国を超え、性別を超え、喜怒哀楽、さまざまな心の機微を味わいながら、あぁ、これがジャズというものなのかなぁ。なんて、生意気にもジャズの片鱗に触れた気分になったりして…。

そんな思いに浸る中盤過ぎ、紹介されたのが「Mornin`」でした。朝の「Morhing」とは似て非なる「呻(うめ)く」という意味だとか。その昔の黒人の方たちの救いのない思いを歌われたもののようです。

朝が来るたび 俺は呻き声をあげる

俺に降りかかってくる あらゆる災難がそうさせるのさ

俺にとっては 人生なんて 負けが決まっている賭けのようなものさ

……

実のところ、その時期、少しばかり不調に陥っていた私。重いリズムが心に迫ります。けれど、奥底に力強い生命力が宿っているようにも思える曲。難しい曲にチャレンジされたmikiyoさんに、心で拍手喝采です。

選曲と共に、曲の順番にもmikiyoさんなりの配慮があるのでしょう。「Mornin`」のあとには「Smile」。チャップリンの「モダンタイムズ」で有名な曲を披露されました。

笑ってごらん 心が傷んでいても

笑ってごらん 心が折れてしまっていても 

あの空に雲があれば 君はきっと生きていける

……

前向きな言葉が、暗く沈んだ心に光明を照らしてくれるよう。少し救われた気持ちになります。

そして最後の一曲が「MY Favorite Things ~私のお気に入り~」でした。

バラに滴る雨の滴 子猫のひげ

ぴかぴかの銅のやかん あったかいウールの手袋

ひもで結わえられた茶色の紙包み

みんなささやかな私のお気に入り

……

犬に噛まれた時

蜂に刺された時

悲しい気分になった時

私のお気に入りたちを ただ思い出すの

それだけで気分が良くなるわ

どうしてもうまくいかない時ってあるものです。手に入れたくても入れられないものも山ほどあります。でも、こうしたささかなお気に入りがあれば、人生それでOKさ! って感じでしょうか。可愛らしい歌詞と軽快なノリが楽しい曲です。

ささやかなお気に入りをたくさん見つけること。ないものねだりじゃなく、自分のまわりに既にある素敵なものに気づくこと。それが幸せの近道なんだよ、と教えてくれているよう。

これくらいのものなら、私のまわりにもたくさんありそう。これなら私にもできそう。素敵なヒントを与えてくれた「My Favorite Things」。「今日の私の一曲!」に決定です。

今年は少し長い夏休みをいただきました。ビッグなバカンスはありませんが、映画を観たり、友達と会ったり。気になっていた用事を片づけたり…。普段なかなかできないことをしながら、穏やかな日常を過ごすことができました。

そんな一つ一つがとても愛おしく、幸せに思えた時間。まさに「My Favorite Things」に囲まれた毎日でした。慌ただしい時間の中では見失いがちなことかもしれません。長い休みをいただけたことに心より感謝申し上げます。

大変ご迷惑をお掛けしましたが、お蔭様で心身ともにリフレッシュすることができました。またがんばってまいります。これからもよろしくお願い申し上げます。

時代

アートなこと

2019年07月25日

前回の中島みゆきさんの「誕生」について書いたブログ(ブログ誕生)は、思いが溢れ過ぎて、うまく書き切れたか不安な内容でした。が、思いのほか多くの方に「いいね!」をいただき、驚きました。ありがとうございます。

それに調子づいて、というわけではないのですが、今回も引き続き中島みゆきさんの歌について…。

皆さんはご自分の応援歌っておありでしょうか? 世代によって実に様々なことと思います。

戦後、美空ひばりさんの歌に励まされたという話はよく聞きます。フォーク、ニューミュージック…。今の時代なら誰のどんな歌でしょう? もう私にはついていけないかも(笑)。

かくいう私は、やっぱり中島みゆきさん! 「時代」です。

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて

もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

そんな時代もあったねと 

いつか話せる日が来るわ

あんな時代もあったねと 

きっと笑って話せるわ

だから今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

ポピュラーコンテスト、通称ポプコンで優勝され、彗星のごとく世に出てきた歌と記憶します。なんて書くと、世代がわかりますね(笑)。

デビュー曲と思っていましたが、改めて調べてみると「アザミ譲のララバイ」に続くセカンド・シングルなのだとか。意外でした。

初めて聴いた時、「そういうことって、あるある!」って思わず手を打ってしまったような。シンプルな歌詞が心にストレートに響いたのを覚えています。

学生から、就職、結婚、育児。その後のあれこれ…。その折々に口ずさみ、気づけば私の応援歌となっていました。

やはり辛い時に口ずさみたくなる歌ですね。「そんな日がホンマに来るんかいな!」なんて思いつつ、時に泣きながら歌うこともあったかな。

そんな励まし続けてくれた応援歌も、口ずさめなくなる時期がありました。

まわるまわるよ時代は回る

喜び悲しみ繰り返し

今日は別れた恋人たちも

生まれ変わってめぐり逢うよ

この部分が、どうしても腑に落ちなくなってしまったのです。時代なんて回らない。ずっと平坦な荒野が続くばかりじゃないか。この歌詞は間違っている、と…。

天才的アーティストの名曲に異を唱えるなんて失礼千万なことですが、その時の正直な思いでした。

そんな時期が何年続いたでしょう。また時が過ぎ…。思いもよらないことに、家族で商売を始めることになりました。果てしなく続くと思っていた荒野が、突然のどんでん返しです。

店を始めてからは、毎日が喜びと悲しみの繰り返し。目が回るくらい(笑)。気付かない間にも、時代は回っていたんですね。あぁ「時代」の歌詞は間違っていなかったと、中島みゆきさんに心で詫びて、再び私の応援歌に復活と相成りました。

旅を続ける人々は

いつか故郷に出逢う日を

たとえ今夜は倒れても

きっと信じてドアを出る

たとえ今日は果てしもなく

冷たい雨が降っていても

辛い歌詞なのに、なんて希望に満ちているんでしょう。人間の底力を信じずにはいられない気持ちになります。

 まわるまわるよ時代は回る

別れと出逢いを繰り返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれ変わって歩き出すよ

豊かで平和だけれど、一方で生き辛いことも多い時代。「そんな日がホンマに来るんかいな ?!」と、やっぱりツッコみたい気持ちになることも。

それでも、口ずさんでみると、そんな気がしないでもないと思えてくるような。長く歌い継がれてきた歌には意味があるのだなぁと思います。

名曲は、長きにわたり、そのひとの人生に寄り添ってくれるものですね。「時代」は私にとって、まさにそういう歌です。いくつになっても口ずさんでいきたい。そう、しきりに思うこのごろです。

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