クリスマスだから考える
季節のこと
2012年12月24日
クリスマスだから考える
どうして どうして どうして
苦しんでいる人のこと
悲しんでいる人のこと
うちの子供たちは、幼い頃、近くの教会の付属幼稚園に通っていました。これはクリスマスに園児たちが歌っていた歌です。保護者も参加しての礼拝で、初めて聞いたときの心震える感覚は今でも忘れられません。
ずいぶん昔のこと、記憶違いをしているかもしれませんが、私の心にはこの歌詞が刻みつけられています。有名なクリスマスソングはたくさんありますが、私が一番に浮かべるのはこの歌です。
クリスマスといえばイルミネーション、きらびやかな光は心浮き立つものです。けれど私は、光がきらびやかであればあるほど心落ち着かない。何故だか切なくなってしまうのです。自分がスポットライトを浴びる場所に縁がなかったせいでしょうか。根っからの貧乏性なのでしょうか。光の向こうの闇が気になります。
光のただ中にいると、どこまでも光が広がっているように思います。闇のただ中にいるとどこまでも闇に閉ざされているように思います。けれど光と闇は隣り合わせ。なのに、なかなか、そのことに気づけない。どちら側にいても…。
世の中が幸せに満ちて見えるクリスマス。せめて、この日一日くらいは、きらびやかな光が誰の上にもあまねく照らされたらどんなにいいでしょう。
光の中にあっても、すぐそばに闇がたたずむこと、
闇の中にあっても、すぐそばに光が差していること、
そのことに気づきながら暮らしたいと思っています。
さよちゃん
お友達のこと
2012年12月13日
かわいい絵本が届きました。作者はさよちゃん。私が学校を卒業後、勤めていた保険会社の同期だった女性です。
ずいぶん昔のことですが、当時、京都支店に同期入社の女子社員は20人ほど。そのなかでも、さよちゃんは、とびきりに溌剌とした可愛い女の子でした。そんなイメージとは裏腹に、入社後まもなく発病、退社を余儀なくされました。以来、病とは縁の切れない生活だったようです。
だったよう…というのも、いつの間にか、さよちゃんとは疎遠になってしまい、同期の誰も、さよちゃんの近況はわからないという状況になっていました。 子育ても一段落したこのごろ、同期会が復活。さよちゃんも最近になって結婚されたとのこと、同期会にも参加すると返事があった矢先、突然、亡くなってしまいました。絵本のあとがきを書いた数日後、絵本の完成目前のことです。
会社のパーティーで、スタンドマイクでキャンディーズを披露したさよちゃん。入社後初めての夏、同期で出かけた白浜の保養所で、はち切れんばかりのビキニ姿を披露したさよちゃん。食べることが大好きで、なんでも「おいしい、おいしい」と言って食べていたさよちゃん。思い出されるのは二十歳の頃のさよちゃんばかり。まさに絵本の表紙に描かれた、主人公ジュリアンそのままです。
自分が結婚、出産としていくなかで、さよちゃんと連絡を取るのは、はばかられるような気がしていました。けれど、今思うと、それは言い訳に過ぎず、水臭いだけでした。状況はそれぞれに違っていても、付き合っていくことは出来たはずです。年相応に老けたさよちゃんにも会いたかったと悔やまれます。
絵本のあとがきには、家族やまわりへの感謝の言葉が述べられ、その横には青々とした双葉の挿絵が描かれています。病という理不尽な運命の中にあっても、さよちゃんは、みずみずしい心を持ち続けたんだなぁと想像します。
夢を持ち続けていたら
きっといつか叶うから
あとがきの最後、こう締めくくられています。
さよちゃん、ありがとう。そして、ごめんなさい。
2011年11月28日
店のこと
2012年11月28日
昨年の今日、11月28日は夫が親族の一員として長年、共に働かせていただいた「しののめ」を退職した日です。
その時点で、先のことは具体的になにも決まっていませんでした。ただ食べていくため、実りある人生にするため、起業という決断だけはしていました。
3月9日のブログ「滋賀 坂本 律院」でも書いていますが、滋賀県坂本の律院に立派なあじゃり様がいらっしゃいます。毎日、護摩法要をされていて、何度か出向いたことがあります。
28日はお不動さんといって、特にご利益があると聞き、出かけていきました。熱心な信者でもなんでもないのですが、心落ち着かないこの日、じっとしていられなかったというのが本心です。
京阪電車に揺られ、ただぼんやり車窓の風景を眺めていたのですが、坂本駅も近くなったとき、車窓に不意にある映像が浮かびました。それがまさにこの写真、何度か前を通りかかり、気になっていた物件の店構えです。
そのとき私の中に、確固たる閃きが走りました。坂本に着くや律院への参道を歩きながら、携帯から仕事中の夫に電話を入れ、昼休みに不動産屋さんに連絡をして仮押さえをしてくれるよう頼みました。
護摩木を奉納し、ただ無心に祈り、少し心が落ち着きました。帰宅後、「しののめ」に寄り、長年お世話になった方々に感謝を伝えると、体から力が抜けると共に、もう前を向いて進むしかないんだと覚悟が出来たように思います。夜はお寿司とケーキで、家族4人のささやかな慰労会をしました。
翌日、さっそく物件の下見をして、一目惚れ。あとは一気に事が進んでいきました。この物件というのが、今の「しののめ寺町」です。大きなお力に導かれて出会えた店だと、いつもいつも思っています。
2011年11月28日、長い、不思議な一日でした。あれから一年、長い、不思議な一年でした。
Jupiter
店のこと
2012年11月15日
なんと、私、ラジオ番組にゲスト出演してしまいました。起業して以来、驚くことの連続ですが、そのなかでもダントツの出来事です。
去年、京都府主催の起業家セミナーを受講したことは、このブログでもたびたび書いていますが、番組のパーソナリティーをされている米田明氏は、そのときお世話になった先生です。受講中はもとより卒業後もひとかたなぬお世話になっていて、そのご縁で声を掛けていただいた次第です。
テレビか映画でしか見たことのないスタジオの収録風景、米田先生とアシスタントの武村眞里さんの絶妙の掛け合い、持参のじゃこ山椒を召し上がりながら「しののめ寺町」の宣伝をしてくださるのを特等席で見ながら、私はただただ夢見心地でした。
リクエスト曲をかけてくださるということで、平原綾香のCDを持参し、「Jupiter」をお願いしました。店に向かう道すがら、よく心に浮かぶのがこの曲です。魔物のような不安にさいなまれる時、うまく事が運ばず落ちこむ時、なぜか口ずさんでいます。
Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながっってる
凡人の私は、深い胸の奥でつながっているものがなになのか、わかりません。それでも、なにかにつながっているんだと確信し、不安でありながらも、落ちこみながらも、また進んでいける。そんな毎日の繰り返しだったように思います。
未熟者の私を、まだまだ軌道に乗らない「しののめ寺町」を、こんな華やかな場所に引っ張り出していただき、気恥ずかしい限りです。もったいないくらい、ただただ有り難いです。ひとえに「しののめ寺町」を支え、応援してくださっている方々の後押しのおかげだと、ヘッドフォンから聞こえてくる歌声を聴きながら、しみじみしてしまいました。
愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない
ちなみに「しののめ寺町」のメールアドレスはjako@jupiter.ocn.ne.jpです。
詳しくは左枠「ニュース」をご覧ください。
滋賀県 菅浦 つづらお荘
心と体のこと
2012年11月10日
旅行好きな私ですが、旅行はおろか日帰りの行楽さえ、もう一年以上出かけていないのではないでしょうか。休日というのは、ふだん出来ない用事をこなす日、みたいなことになってしまっています。
さすがに体も頭も心もいっぱいいっぱいになってきました。ここらで一度、無理からでも休んだ方がいいのではと判断。月に一度の連休を利用して、久々のひとり旅を企みました。行き先は、かねてより念願だった滋賀県湖北の菅浦、白洲正子の「かくれ里」シリーズで有名になった所です。私、こういうひなびた場所が大好きなんです。宿は選択肢なく、国民宿舎「つづらお荘」に決まりです。
JR湖西線の新快速で70分、「永原」からバスで15分ほど走ると、琵琶湖は琵琶湖でも、見慣れた琵琶湖とはちょっと違う眺め、正真正銘のかくれ里が現れます。
起業を決めてから、そろそろ1年が経つころでしょうか。この間、大きな事から小さな事まで、とにかく決定しなければいけないことの連続でした。それは開店してしまえば終わるというものでなく、限りなく続くのだと気づきました。それが起業というものなのだと…。
短期間で環境が激変しましたが、常に自分の心に耳を傾け、自分を見失わないように心がけてきたつもりです。けれど同じ一つのことでも、感じ方は十人十色、取りようによっては真逆の場合もあります。溢れる情報、飛び交う意見、なにが良くて、なにが悪いのか…。ときに自分を見失いそうになることも。
菅浦は観光する場所があるわけでなく、民話に出てきそうな集落を歩くのも数十分で事足ります。あとは湖畔に座って、日に照りかえる琵琶湖を眺めるだけ。聞こえるのは波の音と鳥のさえずりくらいです。
ここに私がいる。
それが、よくわかりました。
自宅を出てから翌日帰り着くまでおよそ24時間。1泊2食つき9015円。なかなかにコンパクトな逃避行でした。