私の心の中の瓶2

心と体のこと

2023年05月30日

最新私の心の中の瓶2

このブログで、時々、怪しいことを書くことがあります(汗)。

そんな一つ、ずいぶん以前に、私の心の中に瓶があることを書いたことがあります。ちょうどワインのボトルのような、うっすら色のついた一本の瓶。中には水が入っています。(ブログ私の心の中の瓶

実は私、その時々に感じたことがイメージとして映像となって目の前に現れる。という変わった特技(?)がありまして。うまく書けませんが。(ブログ私の中の女の子2

この瓶も十数年前にふっと現れ、以来、折に触れ姿を見せてくれます。

なんだか心が枯渇しているなぁと思ったら…。あれあれ瓶の中の水が干上がって空っぽ。これは大変とばかりに、以前から欲しかったものを買ってみたり、行きたかった場所に出掛けてみたり。

ちょっと自分を甘やかして過ごしていると、やがて瓶に水が満ち、私の心も潤いを取り戻し。

逆にいろんな感情が湧き出て、どうにも収拾がつかないでいると…。瓶の中の水も溢れ放題。ギャー大変と、静かな時間を持つよう心掛けたり。いっそ好き放題に感情を吐き出してみたり。

自分に気持ちを集中させて過ごしていると、やがて溢れていた水が引き、私の心も平静を取り戻し。

てな具合…。

瓶の中はまさに私の心の中そのもの。水の量が指標となって、今の私の心の状態を視覚的に示してくれるという、とても分かりやすいメカニズムです(笑)。

さてさてその瓶ですが、このところ大きな変化がありまして。といいましても、今回は中身の水の量ではなく、瓶そのものの変化。

これまでワインのボトルのような形状だったものが、カラフェというのでしょうか、お洒落なカフェで出てくる水差しのようなものにすり替わったのです。ちょうど上記の写真のような。

こちらは底も口も広く安定感があり、入れるのも注ぐのも、たっぷりとできそう。透明なので、中で水がたゆたう様子もよく見えます。

どうなっちゃったの? 私の心の中の瓶…。

もっとたくさんのものを取り込みなさい。そして取り込んだものをもっと惜しみなく放出しなさい。たっぷりと、たっぷりと。

そう言ってくれているような。

そういえば、これまでの瓶に少し窮屈さを感じ始めていた頃だったかもしれません。

実のところ、自分の持てる力というものがよくわからない私。

自分を信じられずに、がんばり切れなかったり。向う見ずに突っ走って、息切れしたり。そもそもがんばりどころを間違えているんじゃないの、なんてこともしばしば。

自分が今、持っている力を適正に、いかんなく発揮できたら、もっといろんなことがうまくいくのかもしれない。そう思うことがよくあります。

新しく現れたこの瓶。これからどんな姿を見せ、なにを伝えてくれるのでしょう。こんな私の助けになってくれたらありがたい…。

いやはや、また怪しいことを書いてしまいました。

ちょっと変わった私ではございますが、これからもよろしくお付き合いのほどお願いします。

人生は舞台 人はみな役者

アートなこと

2023年04月27日

エリオット・アーウィット

先月のことになりますが、祇園にある現代美術館、何必館で開催の「エリオット・アーウィット展」に出かけてきました。

何必館のことはこのブログでも何度も書いています。私の大好きな美術館。なくてはならない場所です。(ブログ何必館の時間 何必館の時間2

エリオット・アーウィット…。私は知らなかったのですが、フォトジャーナリストとして著名人や歴史的社会情勢を捉えた写真を多数、世に送り出したカメラマンです。

マリリンモンローが地下鉄の通気口の風で舞い上がるスカートを押さえる、かの有名な写真が彼のものというのは驚きでした。

一方で自らを「天職はアマチュア写真家」と呼び、なにげない日常を撮影するのがとても好きだったそうです。今回、記録的写真と共に、そうした作品が多数展示されていました。

ふらりと出掛けた街なかで、たまたま出会った一般の人たちが織り成す光景。そんななんでもない一瞬が、とても偶然とは思えない完璧な構図、思わず知らずストーリーが立ち上がってくるようなドラマ性をまとって、芸術的な一枚の写真に仕上がってしまう…。

名カメラマンとはなんと素晴らしいんでしょう!

これまでにこのブログで書いたロベール・ドアノー然り(ブログ 写真家ロベール・ドアノー)。ソール・ライター然りです(ブログ 写真家ソール ライター)。

毎回、作品と共に掲げられている何必館館長、梶川芳友氏の解説文がまた素晴らしく。さらに深く作品を味わえる一助になっています。

今回、シェイクスピアの「人生は舞台、人はみな役者である」という言葉を引用し、一人一人が自分の人生という舞台の中に生きているということ。そうしたものに対するエリオット・アーウィットの眼差しについて語られていて、とても感銘を受けました。

人生は舞台、人はみな役者である

まさにその通りだなぁと思います。そして最近つくづく思うのが、役者であると同時に、そんな自分にとっての演出家でもあるんだということです。

この役者の持ち味はなになのか? それをいかんなく引き出し、表現させるにはどうしたらいいのか? 一番輝いて見える立ち位置はどこなのか?

演出家としての力量が、役者を生かしも殺しもするんじゃないかと思えてならないのです。

才能を見出された若い俳優の卵が、各分野のプロの手によって磨き上げられ、やがて、はまり役、当たり役というものを得ていかれる…。よく目の当たりにすることです。

一般人の私たちは、この作業を全て自らがしていかなくてはいけません。そのためにはまずは自分ととことん向き合うことが必要です。長所も短所もさらけ出し、自分の中の原石に突き当たるまで妥協なく掘り進むこと。

その一方で、自分を俯瞰できる遠い視点も必要で。

いやはや難しい。ああでもない、こうでもない、と模索の毎日です。時に、自分の舞台がとても心もとないものに思え、まわりの舞台から漏れ聞こえてくる喝采ばかりが気になることも。

いけない、いけない。誰もがそうであるように、私は私のこの舞台に立つほかありません。そうであるならば、この舞台でしか演じられない、私ならではの舞台を作り上げたいものです。千秋楽の幕が下りる、その日まで…。

私自身が、自分にとっての最良の演出家たれ!

そんなことを思うこのごろ。まだまだ拙い舞台ですが、どうか温かく見守ってくださいますよう、これからもよろしくお願い申し上げます。

11周年

店のこと

2023年03月30日

桜

お蔭様を持ちまして、3月16日、「しののめ寺町」は11周年を迎えることができました。ひとえにご愛顧いただいているお客様、お世話になっている取引業者様のお力添えの賜物。ありがとうございます!

なんといいましても昨年の10周年は大きな節目でした(ブログ 10周年)。思い返してみると、開店以来ことあるごとに、「10年はがんばりたい」「10年まであと〇年」。そんな言葉がよく口をついて出たものです。

なんで10年?と聞かれてもよくわからないけれど。10年を待たずに店を畳むことになれば、「あぁ失敗しはったなぁ」って言われるんだろうなぁ。漠然とそんなイメージがありました。

そりゃあ、数年で店を畳んでは失敗と言われても仕方ありません。でも、何年で終わったとしても、3年なら3年、5年なら5年、その年数分がんばってきたものがあるはず。それを「失敗」の一言で済まされては悲しい。

10年続けば成功というものでもないけれど。10年あたりを目安に、「まぁがんばらはったなぁ」とひとまずは認めてもらえるような。許してもらえるような。

それって、誰に? と聞かれても、これまたよくわからないけれど。神様なのか、いわゆる「世間」というものなのか、はたまた自分自身なのか。

ともあれ10年というものを目標にし、励みにし、そうしてやっとこさ辿り着いた昨年の10周年。

「10年」という目標を達成した喜びと共に、「10年」という呪縛から解放された安堵感も大きく。この「10年」が緊張に満ちた年月だったことを、改めて思い知った次第です。

遡ること11年前、予想外の突然の独立劇。一からの起業とは違う恩恵もあれば、難しさもあり。自分の店であって、自分の店でないような…。なにかしら不自由さが付きまとうのも致し方ないことでした。

10年を経て、もうそろそろそうしたものから解き放たれてもいい頃かな。店も、自分も…。

なにものにも囚われることなく、もっと自由に独自の店作りをしていきたい。そんな思いが芽生えた一年でした。

そうして迎えた今年の3月16日。朝一番に大きな箱が届きました。開けると、今にもほころび始めんばかりの蕾をたわわにつけた桜の束が。

送り主は当時大学生だった初代アルバイトの女の子。卒業と同時に地元に戻り就職、今では素敵な大人の女性になっています。

この日を忘れず、毎年それはそれは趣向を凝らしたお花を贈ってくれる彼女。今年は11年ということで、漢数字の「一」からイメージして枝物にしようと決めたのだとか。

実のところ、私はろくでもない人間なんじゃないかと思うことがあります。いやはや本当です。それが、こんなことをしてもらえるなんて…。

私も捨てたもんじゃない!

そう思わせてくれるに余りある素晴らしい贈り物に、胸がいっぱいになりました。

日々、困難は尽きません。が、これからはもう少し自信を持って、自分らしい店作りをしていきたい。

その後、見事に開花した桜を眺めながら、そんなことを思った11年目の春。これからも末永くよろしくお願い申し上げます。

Superflyのこと

アートなこと

2023年02月22日

superfly

前回のブログ 大晦日の中で、昨年末のNHK紅白歌合戦の登場歌手について触れています。そのうちのお一人がSuperfly(スーパーフライ)。写真の女性です。彼女が歌われたのが「Beautiful」という曲でした。

記憶が定かでないのですが、司会の方が「女性の解放を謳った…」と紹介されたような。その言葉に惹かれて聴き始めたところ…。

透明感ある声で歌い上げられるメッセージ性の高い歌詞に、一気に引きこまれてしまいました。作詞はSuperflyご本人、越智志帆さん。まずは歌詞の紹介を。

 

遠くに伸びる影 夜の波が消した

涙を流したなんて 気づかれないままに

心を捨てるくらいなら 傷付く方がマシさ

冷たい風を切って 逃げるように走る

いつかこの雫は 宝石になるのでしょう

美しい心に生まれ変わる そう信じて

世界で一つの 輝く光になれ

私でいい

私を信じてゆくのさ

遠回りしても 守るべき道を行け

私でいい

私の歩幅で生きていくのさ

誰かをうらやむのは 避けられない心情?

誰かをゆるすのは 難しい心情?

ないものを探せば 数えきれないけれど

ゆっくり愛してみよう 私というこの命を

世界で一つの 輝く光になれ

明かりのない

明日を迎えたとしても

悲しみの先に 孤独が押し寄せても

息をしてる

今日も息をして 生きてる

世界で一つの 私に幸あれ

涙に幸あれ 明日に幸あれ

世界で一つの輝く光になれ

泣いてもいい

私を歩いてゆくのさ

涙は頬を 流れる星のようさ

私になれ

私を叶えて生きていくのさ

いつの日も

いつの日も

 

真っ正直過ぎて、不器用にしか生きられない女性が目に浮かぶよう。そうした女性を励まし、力強く背中を押す曲だなぁと思いました。

どのフレーズも強く胸に迫ります。なかでもリアルなのが「私でいい」の一節です。

助詞の大切さはよく言われることです。これが「私がいい」だったら、まったく違うニュアンスになってしまいますね。

私はまったくもって「私がいい」わけがなく。まわりを見ては、もっとあんな風であれたら、と願うことがたくさんあります。外見、内面、置かれた環境…。

けれど現実はいかんともし難いことばかり。無駄な葛藤を長年続けてきたものだなぁと思います。

 

ないものを探せば 数えきれないけれど

ゆっくり愛してみよう 私というこの命を

 

当たり前過ぎて気付かずにいました。私というものは「命」そのものなんだということ。

私がどんな人間であれ、私の命はただ一つ。まさに「私でいい」。「ゆっくり」なら愛していけるかも。私という命を。

 

私になれ

私を叶えて生きていくのさ

 

なんてシンプルな言葉でしょう。 本当にありたい自分は、実は既に自分の中に存在している。人生はそれを叶えていく行程なんじゃないか。そう思い始めていたこのごろ。これこそが私にとって、人生の究極の目標です。

けれど決して簡単なことではありません。諸々のことに気を取られ、叶えるべき「私」を見失いがち。自分を過小評価したり。自分で自分にブレーキをかけたり。

 

心を捨てるくらいなら 傷付く方がマシさ

冷たい風を切って 逃げるように走る

 

こんな強さが必要なことも。

 

遠回りしても 守るべき道を行け

泣いてもいい

私を歩いてゆくのさ

 

こんな忍耐がいることも。

 

世界で一つの 輝く光になれ

明かりのない

明日を迎えたとしても

悲しみの先に 孤独が押し寄せても

息をしてる

今日も息をして 生きてる

 

壮絶…。だけれど…。なんて希望に満ちた言葉でしょう。生きるって、こういうことなのかも。

誰しも、いつかは果てる命。こんな風に畏れることなく、自分の命を生き切れたら…。生半可なことではないけれど、そうありたい。

 

世界で一つの 私に幸あれ

涙に幸あれ 明日に幸あれ

世界で一つの輝く光になれ

 

多様化の今、ことさら女性、女性ということにはご批判もあろうかと思います。が、やっぱりこれは女性の心の解放を高らかに謳われた曲に、私には思えます。

そして、タイトルの「Beautiful」がいいですね!

このブログを書くにあたり調べていて、Superfly、越智志帆さんのコメントを見つけました。

「自由で自分らしくというのは、いつでも難しいこと。誰かに愛を求めるのではなく、かっこ悪くても、コンプレックスだらけでも、自分自身が“私”を大好きでいられることが、とても大切なことのように思います。自分自身を大切にして、周りの誰かを今よりもっと大切にできますように、そんな願いを込めた曲です」

(ORICONニュースより抜粋)

見事に表現されたことに驚くばかりです。

不思議と、その時々の思いにぴったりの曲に出会うもので。そうした曲が、その時々の私の応援歌となってきました(ブログ風の笛…)。

Beautiful」。ただ今の私の応援歌です!

youtubeのリンクを貼っております、クリックのうえ是非お聴きください。

大晦日

店のこと

2023年01月25日

大晦日2

年が明けたと思ったら、早2月も目前。今回のブログのタイトルは「大晦日」。1月早々に書き上げて、新年のご挨拶とするはずが、なんとも間の抜けたことで。要領の悪さに新年から反省しきりです。

すっかり旬を逃した内容となりましたが、しばしお付き合いのほどお願いします。

前回のブログでも書きましたが(ブログ緊張感)、店を開けている間は緊張の連続。休日とて、休日にしかできない用事に追い立てられ。一方で、うまく休養することも仕事のうち、とばかりに休養にすら駆り立てられ。

なんて有り様で、ただでさえキャパの狭い私は、毎日がいっぱいいっぱい。そんななか一年でたった一日だけ、あらゆる緊張感から解き放たれる日があります。

大晦日です!

曜日の具合によりますが、年末はたいてい30日が最終営業日。11月の紅葉シーズンからそのまま12月の御歳暮に突入。一年で一番忙しい時期を乗り切り、やっとの思いで迎えるその日。

最後のお客様を見送ると、大過なく一年の営業を終えられたという、ただただそれだけで安堵の思い。

残務処理や大掃除など、やらないといけないことは山積みですが、もはや余力なく。来年に先送りできることは先送りにし。虚脱感と充足感、そして胸いっぱいの感謝の思いで、店をあとにするのが常です。

そうして迎える大晦日。申し訳程度の掃除と買い出しで、にわか年末気分を演出し。夕食に年越しそばをいただいたら、昭和な私の締めくくりはNHK紅白歌合戦

年々、知らない顔ぶれが増えるなぁと嘆きつつ。鈴木雅之さんの大人のラブソングに痺れ。そうそう、こういうのをお願いしますよ、なんて思っていると…。

後半やっと、大人も大人、加山雄三さん登場。ずいぶんお年を召されたと思ったら、今回の舞台を最後とされるのだとか。その歌いっぷりは、まさに加山さんの全人生を物語るよう。胸迫るものがありました。

続くはスーパーフライの「Beautihful」。透明感あふれる声で女性の解放を高らかに歌い上げられ、胸すく思い。「そうだ、そうだ!」と心の中で大喝采。

石川さゆりさんの「天城越え」もいいですねぇ。女の情念、ここにあり! 「天城ぃ~越ぉえ~♪」一緒に唸ったりなんかして(笑)。

うん、紅組がんばれ!

なんて無邪気に思う自分が、心地いいこと、心地いいこと。そういえば去年最初のブログも紅白歌合戦ネタでした。よっぽど好きなんですねぇ、この番組。(ブログライフイズビューティフル

なかでも印象深かったのは、50周年を迎えられたユーミンこと松任谷由実さんです。同じく50周年を迎えられた郷ひろみさんとのツーショットは美し過ぎる光景で。なにより度肝を抜かれたのが、郷ひろみさんにかけられたユーミンの言葉でした。

「60周年もここでお会いしたいですね!」

「しののめ寺町」は昨年10周年を迎え、10年というものがどんなに長いものか痛感したばかりです。「次は20周年ですね」なんて言われることがありますが、私にはギャグにしか聞こえず。それくらい10年というのは、気の遠くなる年数です。

それを私より年長の、私よりもっともっと厳しい世界で生きる人が、さらりと言ってのける。その向こうにあるであろう苦しみや葛藤などおくびにも出さずに。一線で輝き続ける人の矜持を見る思いでした。

やっぱり紅白歌合戦はいいもんだ。なんて感動に浸る一方で、出場歌手も残りわずかになってくると、ひたひたと湧いてくる寂しさ…。

店を始めて以来、私にとっての一年の終わりは、店の最終営業日になったんだと思います。その日で一旦すべてが終了。大晦日は、今年でもない、来年でもない、エアポケットのような一日。

昨日までの至らなかったあんなこと、こんなこと、全てを帳消しにして。明日からの心配事のあれこれをしばし棚上げにして。あらゆることから解放され、赦され、ただ「今」という時間を味わえる、一年でたった一日の特別な日。

もう少しこの時間に留まらせて。なんて思いながら聴く「蛍の光」の大合唱の切ないこと。

そんな私の思いなどお構いなく、あっという間に、華やかだった画面が一変。静寂の中に佇む神社や寺院が映り、厳かな除夜の鐘の音。

あぁ、また新しい一年が始まる…。

除夜の鐘の音(ね)は、私にはいつも次のラウンドのゴングに聞こえます。

有り難くも、年末年始は長い休みを頂戴していまして、実際にはまだまだ休みが続きます。けれど、大晦日のように、ただのんびりできるのは、もうおしまい。休みは休みでも、休み明けにしっかり働ける自分であるための休みに趣を変えます。

というわけで、お正月は、日ごろ放置しがちな家の整理が恒例になりました。

出勤前の身づくろいをしやすいよう、クローゼットを整理し。帰宅後の家事がはかどるよう、キッチン棚の中を入れ替え。仕上げは飾り棚のディスプレイを今の気分に模様替え。冒頭の写真がそれです。

家の中が整うと、気持ちも整うから不思議です。大晦日にまた幸せな一日を過ごせるよう、今年もがんばろう。最後にしっかり仕事モードに切り替えて、私のお正月休みが終わります。

こんな一年、一年を積み重ねて、10年後…。

「しののめ寺町」の一年の営業を終え、大晦日、紅白歌合戦で60周年を迎えたユーミンと郷ひろみさんのツーショットを観ている私がいる。

奇跡のような、あながち奇跡でもないような。そんな妄想をした年越しでありました。今さらではございますが、今年もよろしくお願い申し上げます。

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