書くひと 書かれるひと

店のこと

2013年07月12日

紹介コーナーでも載せていますが、ただ今発売の雑誌「まっぷる歩く京都」で「しののめ寺町」が掲載されています。

 

少しずつですが、こうした取材を受ける機会が増えてきました。通常、カメラマンさんとライターさんの二人で来られるのが基本でしょうか。この時は若い女性のコンビでした。ライターさんが、私たちの話を一所懸命書きとめられていた姿が印象的でした。

 

というのも…、実は私、数年前に一度だけこうしたライターの仕事をさせてもらったことがあるんです。情報雑誌のラーメン店特集で、ラーメン屋さんを取材して記事を書くというものでした。

 

ラーメン店の店主といえば頑固一徹、こちらの対応が気に食わなければ怒鳴りつけられるだの、ラーメン店の取材が出来たら、あとはどんな店でも大丈夫だの、事前にずいぶん脅されました。それでも、めったにできない経験と思い、興味津々で引き受けたのでした。

 

一番初めに訪ねたのは、かなりの老舗店です。頑固親父に「とりあえず食ってみろ」なんて言われる場合も想定して、空腹で出かけたのですが、待っておられたのは結構高齢の女性でした。カウンターに出されたのはラーメンならぬアイスコーヒー、ちょっと拍子抜けし、そしてホッとしたのを覚えています。

 

雑誌の発売前だったか、直後だったか、この店の前を通りかかると、違う店名のラーメン屋さんに変わっていました。取材時に雑誌の発売予定日を聞かれ、数ヶ月先の予定であることを伝えると、「もっと早、出たらええのになぁ」とポツリと漏らされた女将さんの言葉が、妙に心に引っかかっていました。廃業に至る事情は知る由もありませんが、商売の厳しさを思い知らされた、とてもショックな出来事でした。

 

次に訪ねたのは、料理人さんが独立して始められたという店でした。確かにそんな風情のご主人で、繁忙時間が過ぎ、奥様らしき方が自転車で帰っていかれるところでした。パートさんを雇うより、そりゃあ奥様頼みだろうな、なんて思いながら後ろ姿を見送ったのですが、まさか数年後、自分も似たような立場になるとは想像もしませんでした。こちらの店は今も健在で、通りかかるたびにご夫婦のことを思い出します。

 

幸い大きなトラブルなく十数件の取材を終えました。そのなかで得た情報をもとに、個々の店の良さを精一杯表現する作業は楽しいものでした。少しずつでもこの仕事を続けられたらいいなと思いましたが、そんな甘い世界ではなかったよう。一度きりの思い出で終わってしまいました。

 

書く側の仕事は叶いませんでしたが、気づけば、書かれる側の仕事をするようになっていました。本当に先のことはわからないものです。いずれにせよ、どちらも厳しい仕事です。

 

うちに取材に来てくださった方たちに、いつまでも安心してもらえるような店でありたい。一度きりでもライターの経験のある私は、切にそう願います。

杉本先生から教わったこと

アートなこと

2013年06月30日

個展の案内が届き、出かけてきました。

杉本晋一展

『重力都市14シリーズ 2007-2013の仕事』

2013/6/25~07/06

galerie 16

不思議な次元を描いた素晴らしい大作です。

私、30代の半ばの2年間、服飾の専門学校に通った経験があります。家事と学業の両立は大変でしたが、私には密かな夢がありました。ニットデザイナーになれたらいいな、と。気恥ずかしくて一度も口にしたことはありませんが。その学校に講師として来られていたのが杉本先生です。私には、学友より年齢の近い先生でした。

デッサンと色彩学の担当で、鉛筆一本でプラスチックや木綿などの質感を描き分けたり、色のイメージから一着の服をデザインしたり。毎回、難しくも楽しい授業でした。

「ファッション雑誌は見ないほうがいい」

先生から言われた言葉です。既成概念にとらわれるな、ということでしょうか。自ら創作することの楽しさを教わりました。

卒業後しばらくして、ささやかながら、ニット業界で仕事をさせていただくようになりました。学んできたことが、実を結んだといえば結んだような。

ところが数年であっけなくやめてしまいました。やりがいのある仕事ではありましたが、なにか、そこが、自分の居場所ではないような気がしたのです。お世話になった方には申し訳ないことでした。学んできたことが、無駄に終わったといえば終わったような。

そうこうするうちに、今回の起業となりました。開店に当たっては決めなければならないことがたくさん出てきます。それぞれ専門の方にずいぶん助けていただきましたが、最後は自分たちで決めなければいけません。経験のない私は途方に暮れることもたびたびでした。

そんななか、包装の袋やロゴマークのデザインを考えたり、店内のしつらえの配色を決めたりといった作業は、とても楽しいものでした。緊張を伴うものでしたが、ものづくりが好きな私にとっては、またとない創作のチャンスです。嬉々として取り組んでいたように思います。学んできたことが役立ったといえば役立ったような。完成度はともかくですが。

人生に無駄はない、とはよく言われることですが、すぐに実感できるものではありません。焦ったり、悔やんだりの連続です。そうしたなか、巡り巡って、ああ、そういうことだったのかと気づくことも。自分流のこじつけだったりする場合もありますが…。いずれにせよ、忘れた頃にやっと実感できるというのは、かなり忍耐の要ることです。

最近、これまでに経験してきたうれしかったこと、辛かったこと、そんなこんなが全て今につながっているんだなと思うことがあります。そんなことを実感できるくらい、私もそこそこ長く生きてきたということかもしれません。(笑)

既成概念にとらわれない、あまりに自由な杉本先生の作品を鑑賞しながら、そんなことを思ったことでした。

佐藤初女さんのこと2

素敵な女性

2013年06月13日

晴天続きに猛暑と、今年の梅雨ははおかしな具合ですが、6月のこの季節になると浮かぶ光景があります。

佐藤初女さんという女性をご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。2012年3月29日のブログ佐藤初女さんのことでも書きましたが、青森県弘前市、岩木山の麓で「森のイスキア」という宿泊施設を主宰されている方です。「食は命」の信念のもと、90歳を越えた今も、心尽くしの手料理で、全国あるいは各国からのお客様をもてなされています。 多くの出版物が出ていますので、興味のある方は一冊読んでみられることをお勧めします。

食べることが楽しみと仰る方は多いと思います。反面、食事は体調や精神状態の変化で大きく左右されるものです。食欲は健康のバロメーター。楽しい食事は美味しく感じ、気詰まりな食事は砂を噛むよう。悩みがあると食事も喉を通らない、とはよく言ったものです。

私は殊に過敏に反応するタイプなのか、食べることがとても負担になることがあります。体と心と食事が密接につながっていることを強く実感します。そんな私は、どうしても一度、初女さんの手料理を食べてみたくなり、当時はまだ運行していた寝台特急日本海 に乗って一人出かけていきました (2012年3月18日のブログさよなら、寝台特急 日本海)。それが4年前の6月です。

全国各地からの宿泊者が10人くらい。初女さんも一緒に大きな卓袱台を囲んでの夕食。皆、状況は様々ながら、どこか共通したものがあるのでしょう、たちまち打ち解け、修学旅行のような楽しさでした。その夜は、ふすまを取っ払ってふとんを並べ就寝しました。

翌朝、階下から聞こえる鍋や包丁の音で目覚めました。とても懐かしい感覚です。近くの森を散歩して帰ってくると、卓袱台にはとりどりのおかずが並べられていました。

初女さんの「感謝していただきましょう」の言葉で始まった食事、それはそれは美味しい朝ごはんでした。初女さんが話してくださる南瓜の炊き方、焼き魚をのせた葉っぱの名前…。皆、笑顔です。けれど、別れの時間が迫っていることもわかっています。楽しければ楽しいほど、切ない思いがこみ上げます。会話がふと途絶え、鳥のさえずりが部屋に広がります。

私は食べ終わってしまうのがもったいなくて、一口一口、ゆっくり噛みしめながら食べました。味わい味わい食べました。このまま、ずっと、こうしていたい。そう思ったことを覚えています。旅先の朝食は多過ぎて残してしまうのが常ですが、この日は気づけば完食。一番驚いたのは私自身でした。うれしくて、「全部食べられました!」と隣に座る初女さんに告げると、にこやかに頷いてくださいました。

この日の朝ごはんで、私は一生分の生きる力を授かったような気がしています。そんな大げさなと思われるかもしれませんが、本当です。食の力の深さを身をもって知った旅でした。

このときは思ってもみないことでしたが、今、私も食にかかわる仕事に携わるようになりました。日々、尊さと畏れを感じています。この日の朝ごはんで授かった力を糧に、これからもやっていきたいと思います。

雨降れば雨降るままに

アートなこと

2013年06月05日

写真家 土門拳が好きです。初めて展覧会に行ったのは、15年ほど前でしょうか。「筑豊のこどもたち」に特に胸打たれたのを覚えています。

土門拳の故郷、山形県酒田市に記念館があると知り、5年前、初めて一人旅を計画した時、行き先を迷わずここに決めました。

念願の叶った日、記念館に入ると、中には見慣れない写真が飾られていました。山里のなんでもない花や生き物、古民家…。土門拳の写真はどれも、被写体に向けられたカメラの向こうの鋭い眼差しに射すくめられるような気がします。これらの作品には、そうしたものが全く感じられず、不思議な気がしました。

 

   雨降れば雨降るままに 、

  晴れてあればやっぱり晴れてあるままに、

  風景はそこにあるより仕様がないのである

 

説明によると、撮影旅行に向かう道すがら撮られたものとのこと。添えられた氏自身のこの言葉に、腑に落ちた気がしました。私の心にストンと落ちた言葉を心で唱えながら、館内の写真を何周も観て回りました。 なんでもない花や生き物が、そのままで愛おしく感じられました。

誰しも問題が起これば解決したい、困難があれば克服したい、そう思うものではないでしょうか。私もそうしてきたように思います。前向きに立ち向かっていくことは大事なことです。

だけれども…、

どうしたって解決しないこと、克服できないこともあるものです。もしかしたら、どうしても解決しないこと、どうやっても克服できないことの方が多いものかもしれません。結果、疲れ果て、無力感にさいなまれることに。

 

   雨降れば雨降るままに 、

  晴れてあればやっぱり晴れてあるままに、

  風景はそこにあるより仕様がないのである

 

これを本物の諦観というのでしょうか。 ただの諦めとは違う、おおらかな受容のような。こんな境地で生きていけたら、そう願い、心で繰り返し唱えてきました。 が、この境地、ちょっとやそっとで到達できるものではありません。(笑)

親族経営から独立、一年余りが過ぎました。無我夢中でやってきました。この間、出来たこと、出来なかったこと。この先、出来そうなこと、出来そうもないこと。少しずつ見えてきたような、まだ見えないような。

最近、この言葉がしきりに心に浮かびます。先に向けて、引き続き力強く立ち向かっていく一方で、こんなしなやかな心持ちも大切なんじゃないか、そんな示唆を与えてくれているように思います。

晴れ着

店のこと

2013年05月24日

もう気づいてくださっている方はあるでしょうか。塩昆布の袋が新しくなりました。

 

うちの看板商品は、なんといってもじゃこ山椒です。塩昆布はその1割にも満たないでしょうか。なんにつけそうですが、少しの量でものを作るのは割高なものです。というわけで、じゃこ山椒の袋を併用してきました。

 

お姉ちゃんのお下がりを着せられた妹を見るような…。主役の横で肩身が狭そうな脇役を見るような…。

 

不憫に思えて仕方がなかったのですが、ようやく専用の袋を作ってやることが出来ました。文句も言わず、健気に頑張ってきてくれた塩昆布、それはそれなりにいい役割を演じてくれています。これくらいのご褒美があってもいいのではと。

 

娘にやっと晴れ着を着せてやれた親の気分です。

 

まだまだ未熟な店、揃っていないものがたくさんあります。ゆっくりではありますが、ひとつひとつ大切に揃えていきたいと思います。心尽くしの晴れ着を誂えるように。

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