もらい泣き
店のこと
2013年09月21日
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お客様と出来るだけお話をするよう心がけています。
「ご旅行中ですか?」
「お住まいはお近くですか?」
ちょっとお声かけするだけですが、それが糸口になって、会話が弾むことがしばしばです。
観光中の見どころやご家族のこと、ときにその方の人生に深く入り込んだお話になることがあります。京都に、あるいはうちの商品にまつわるドラマチックなお話をされる場合もあり、思わず聞き入ってしまいます。なかには話しているうちに感極まって涙を流されることも。
私の想像もつかない華やかな世界だったり、あるいは過酷な経験だったり。内容は様々ですが、どんな人生にも普遍的なものがあるのでしょう、なにか身につまされるものを感じ、私までもらい泣きしてしまい「ティッシュ、ティッシュ」ということも。
京都に佃煮屋は数あれど、店先でお客様と店の者が涙ふきふき話し込んでいる、なんて店は珍しいのではないでしょうか(笑)。
開店から一年半が経ちました。ご結婚の引き出物に使っていただいたお客様が、幸せそうなお顔を見せてくださったり。粗供養に使っていただいたお客様が、一周忌にとまた来てくださったり。去年喜ばれたからと、敬老の日の贈り物に同封する小さなお子さんの書かれた絵を持参されたり…。
つくづく店というのはただ商品とお金の授受をするだけの場所ではないんだなぁと実感するこのごろです。商品を買うとともに、お客様は「なにか」を求めて来られているんだと。それがなになのか。少しずつわかってきたような、まだまだわからないような。
誰しも、うれしい時、悲しい時があるものです。なんのお役に立つわけではありませんが、どんな時でも、ふらりと立ち寄っていただけるような、そんな店であれたらいいなと思います。
かもめ食堂
アートなこと
2013年09月14日
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店を始める前はよく映画館に行きました。大スクリーンで超大作、というよりは、小さな映画館で上映される作品を好んで観ていました。なかでも荻上直子監督の「かもめ食堂」は大好きな作品です。
小林聡美さん演じるサチエが、フィンランドで日本食の食堂を始めるお話。どこまでが小林聡美さんの素で、どこからがヒロインのサチエなのか判別つかないくらい自然な演技で、つい惹き込まれ、随所で笑ってしまいます。映画館に二度足を運んだのも、DVDを買ったのも、この作品が初めてです。
サチエは華やかではないけれど、透明感のある可愛らしい女性です。オープンキッチンの店は狭いながら小ざっぱりとして、磨き上げたステンレスのお鍋やお洒落な北欧雑貨など、いたる所にセンスが光ります。そこに立つサチエが店に似合うこと似合うこと。料理をする立ち姿、コーヒーを淹れる所作、日常のなんでもない様が、とても美しいんです。
当時「ほぼ専業主婦」だった私は、こんな風に家事をこなせたらいいなと、いつもお手本に思ってきました。現実はなかなかこうはいきませんでしたが(笑)。
買ったDVD、何年も置いたままになっていたのですが、先だっての大雨の定休日、やっと観ることが出来ました。店を始めた今観ると、改めて気づく魅力がいっぱいで驚いてしまいました。
サチエは美味しそうにものを食べるひとを見るのが好きと、食堂を思いつくも、フィンランドでとは、あまりに無謀な計画です。けれど、べつに日本でなくちゃいけないこともないと、こともなげに言ってのけるおおらかさ。自分に似合わないことはしない。似合うことはちゃんとやる。シンプルながら固い信念はブレることなく、それでいてちっとも力が入っていない。
閑古鳥の鳴いていた食堂に、少しずつ人が集まるようになり、やがて満席に。食事する客の皆が幸せそうで、客席を見渡すサチエが輪をかけて幸せそう。ビジネス的にいうとサチエの計画は成功ということでしょうが、もうそんなことを越えちゃっている世界のように思えます。
原作の帯に書かれた言葉
毎日ふつうで、おいしくて、
小さいけれど堂々としていました。
これや! って思いました。
この夏のこと
心と体のこと
2013年08月31日
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8月も今日で最後となりました。今年の夏はとても長かったように思います。暑くなるのが早かったせいでしょうか。それだけでもないような。昨日から、いろいろなことを思い返しています。
8月11日のブログで「私の中の女の子」を書きました。思いのほか多くの反響をいただきました。意識するしないにかかわらず、こうした存在が確かにあること。彼女を大切にすることが、とりもなおさず自分の幸せにつながること。そう教えてくださる方もあり、改めて心強く思った次第です。自分でもしっかり実感できたのが、この夏のことでした。それは、この夏の、というより人生のとても大きな出来事でした。
ブログで、私の中の女の子がいつも笑っていられますように、と書きました。現実はそうとばかりはいきません。日々の暮らしの中、いろいろなことが起こって、喜怒哀楽、いろいろな感情が起こります。そうした自分の感情に向き合うのが、時にしんどくなることがあります。どんな出来事も、そんなものさ…と受け流し、自分の感情に気づかない振りをする方が楽に感じることも。
けれど、それは心の底に封じ込めているだけで、さらにしんどい思いをすることになっていたようです。なんと長い年月、そんなことを繰り返していたでしょう。気付かせてくれたのが、私の中の女の子でした。
うれしい時、彼女はきゃっきゃと声をたてて笑うようになりました。悲しい時、びぇーんと声を上げて泣くようになりました。笑うのはまあいいとして、泣くのははばかられると思っていましたが、泣きたいほど悲しければ泣いてもいいんだよと、彼女は平気な顔で言い放ちます。心はもっとしなやかだと。
感情むき出しはみっともないけれど、持て余した感情を少し放出するくらいのわがままはあってもいいのかも。ほとばしる思いを解き放つ自由があってもいいのかも。それを受けとめてもらえそうな人がいれば、甘えてしまってもいいのかも。そう思うと、ずいぶん楽になります。
女の子はそんなことが許される年齢ですが、私はというと…。年齢に逆行するようですが、この際、女の子に乗っかって許されてしまおうかと思っています(笑)。
こうした変化がなぜ起こったのかな、と考えます。
「しののめ寺町」開店以来、多くの方と出会い、触れ合うようになりました。魅力いっぱいの皆さんが、あちこちから私の心をつんつん、つついてくださって、凝り固まっていた私の心がほぐれ、なりをひそめていた女の子が伸び伸び動けるようになったんだと思います。
バカンスも花火も、大きなイベントは取り立ててなかったけれど、忘れ難い夏でした。
メロンパンナちゃん
心と体のこと
2013年08月18日
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前回はちょっとばかりディープな(?)話題でしたので、今回は小ネタを。
少し前のこと、常連の男性のお客様が帰り際、私に向かって「メロンパン…に似てるね」と言って出て行かれました。
私「???」
メロンパンって…、丸顔はいいとしても、表面デコボコやし、砂糖でザラザラやし、そもそもパンやし…。でもまあ、甘くて美味しいし、ええか、と思っていました(笑)。
先日、そのお客様に確認したところ、メロンパンならぬメロンパンナちゃんだったことが判明しました。アンパンマンに出てくるキャラクターです。そういえばその時、神戸にできたアンパンマンミュージアムの話をしていました。私、アンパンマンの登場人物に詳しくないもので、知らなかったんです。
調べてみると、メロンパンナちゃん、なかなかチャーミングな女の子らしく、メロメロパンチで人を虜にするとか。似ているとしたら、光栄の限りです! さっそくミニぬいぐるみを購入したところ、その可愛らしさに私もたちまちメロメロに。
これって接客の鑑ではありませんか。是非ともメロンパンナちゃんの魅力にあやかりたい。ということで、毎日「しののめ寺町」に同行してもらっています。仕事の合間、チラ見しては心に余裕を、笑顔に磨きを。目下、メロンパンナちゃんをお手本に修行中です。
このブログを読んでくださっている方のなかに、メロンパンナちゃんのファンがいらっしゃるかもしれません。私が似ているなぞ、大ブーイングかと存じますが、常連のお客様と私の大人のジョーク、ということでご容赦を。
今回のブログ、これはこれでディープな話題だったような(笑)。いつもお付き合いくださっている方、ありがとうございます。
さて「しののめ寺町」は明日、8月19日(月)~23日(金)夏季休業をいただきます。休み明け、ひときわ元気に明るく店に立てるよう、メロンパンナちゃんと有意義な休暇を過ごしたいと思っています。何卒よろしくお願いします。
私の中の女の子
心と体のこと
2013年08月11日
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笑われるのを承知で書きます。
女性はいくつになっても、心の中に小さな女の子がいます。
私が言うのも失礼ですが、高齢でなお美しく魅力的な女性は、皆さんどこか少女のような可愛らしさを残しておられるように感じます。
私は韓国ドラマを一度も観たことがないのですが、年齢を問わず熱烈なファンがたくさんいらっしゃるとか。ジャニーズの追っかけをしている母子の話もよく聞きます。そうした方の話しぶりや表情は、皆、まるで恋する乙女のよう。
あぁ、皆さん、心の中に女の子がいるんだなぁと思います。
私は男っぽい性格と自分で思うし、人からも言われます。ひらひらとした可愛いものは苦手で、どちらかというとシンプルなものが好き。そんな私ですが、そんな私の中にも、それはそれなりに、やっぱり小さな女の子がいます。
心理学的にはインナーチャイルドというのでしょうか。難しいことはわかりません。ただ、とても大切な存在です。気味が悪いと思われる方は、ここで読むのをやめていただいた方がいいかもしれません。(笑)
この女の子、私が悲しんでいると、しょんぼりとうなだれます。
私が喜んでいると、あどけない顔を上げてにっこり笑います。
でも私、いつも自分のことでいっぱいいっぱいで、彼女のことを思いやる余裕がありません。それでも健気にいつも私の中にいてくれる彼女。
自分を大切に、とはよく言われることですが、なかなか難しいもの。慌ただしい毎日の中で、自分のことはないがしろにしがちです。その「自分」を「女の子」に置き換えてみると、案外やさしいことに気づきました。
私の中の女の子がいつも笑っていられますように、そう願っているだけで、自然に自分も笑っていられる気がします。
自分にご褒美、なんて言葉を最近よく耳にします。自分にと思うと二の足を踏むような贅沢なことも、もう一人の自分にと思うと、気前よくなれる。まさに同じ感覚ではないでしょうか。大切な間(ま)です。
写真は奈良に古くから続くお店「遊 中川」さんのタオルハンカチです。先日、奈良に出かけた折に見かけ、魅了されてしまいました。生のままの糸の優しい手触り、無垢な色合い、バンビの繊細な刺繍…、華美ではないけれど、えもいわれぬ可愛らしさが、私の中の女の子の感性にぴったり合ったよう。手にとって飛び切り喜ぶ彼女の姿に、幸せいっぱいの自分を実感した次第です。
彼女が喜ぶことをいっぱい体験できるよう、彼女が喜ぶものを惜しみなく与えられるよう、そんな自分でいたいなぁ。というか…、ただただ一緒に幸せに暮らしていきたいなぁと、可愛いタオルハンカチを眺めながら思ったこのごろでした。