私の心の中の瓶

心と体のこと

2014年08月15日

少し以前から「痩せたね」とよく言われるようになりました。ダイエットしているわけでなし、自分ではよくわかりません。開店当初の写真を見てみると、ほっぺたを赤く塗ったらアンパンマンか(笑)というくらい丸々としています。確かに痩せたような。

美容上はうれしいことです。が、店をやっていくには体が基本。時期を同じくして体力も落ちてきているような。連動して気力までもが…。これはもう喜んでいる場合ではありません。

思えば、店を始めて以来、落ち着いて食事をする習慣がなくなってしまったようです。朝食時、パンをかじっていると、電子レンジがチン! 座ると今度は洗濯機がピピッ! 店での昼食は言うに及ばず。やっとゆっくりできるはずの夕食も、慌ただしい準備と後片付けの合間にささっと済ませがちに。

摂取カロリーが消費カロリーを満たしていない。必要な栄養やエネルギーがちゃんと行きわたっていない。不足分を我が身を削って使い始めているわけで、そりゃあ、しんどいはずです。体だけじゃなく、心にも同じことが起きているんじゃないか。よくよく自分を見つめてみると…。

ここから変なことを書きます。

よくはわかりませんが、私、気配とか気とか、そういうものを感じやすい体質(?)みたいです。霊が見えたことはありません。ただ感じたことがイメージとして視覚となって表れることがよくあります。

5、6年ほど前になりますか、夜、いつものようにベッドに入った時のことです。突然、私の心の中に瓶が一本現れました。口が狭くて、色がついていて半透明。ちょうどワインの瓶のような。

その中に液体が注ぎ込まれていきます。工場で詰められるみたいに、シャーと勢いよく噴射された液体がガラスの内面を伝って底に落ちていきます。勢いからいくと、あっという間にいっぱいになりそうなものなのに、底1cmくらい溜まったばかりでいっこうに増えません。

瓶の中の世界と、私の住む世界では、時間の流れや量の単位がきっと違うのだろう。この調子だと瓶いっぱいになるには数か月、あるいは数年、数十年かかるかも、なんて考えながら眠りに入っていきました。

次の夜もベッドに入ると心の中に瓶が現れ、また液体が…。相変わらず1cmから増えません。そんな日が何日続いたでしょうか。

その日はうれしい日でした。偶然にも友人にまつわるものばかり。うれしい便りだったり、電話だったり、いただきものだったり。ひとつひとつはささやかですが、三つ重なったことがうれしくて、手帳に書き留めたくらいです。

いい気分でベッドに入ると、いつものように瓶が現れ、いつものように液体が注ぎ込まれていきます。もう見慣れた光景にうとうとした時、ゴボゴボっと聞きなれない音が。見ると瓶の底から三分の一くらいまで溜まっています。わぁ、と驚いていると、またゴボゴボっという音。見る間に三分の二に。またまたゴボゴボっといったかと思ったら、あっという間に瓶の口いっぱいまで満たされていました。

以来、私の心の中には瓶が一本。大切に抱えて暮らしてきました。

瓶はこんこんと湧き出る泉のよう。店を始めてからも、溢れんばかりのたくさんのものを放出してくれました。私のエネルギーの源です。

気づけば、忙しさに紛れて瓶の存在をすっかり忘れていました。久し振りに現れた瓶、中身は空っぽ…。

こんこんと湧き出ると思っていたのは間違いで、使ったら補うことが必要だったようです。使ってばかりで、さっぱり補充しないものだから、せっかく溜めたストックが文字通り底をついたもようです。

備蓄作戦開始! 

食事時、空腹が少し満たされると、さぁ後片付け、と立ち上がるところを、もう二口、三口食べてみる。栄養やエネルギー、私の血となれ肉となれ、私の体の隅々まで行きわたれ、なんて思いながら。

「ストック、ストック」呪文のように唱えます。瓶の中にまた液体が注ぎ込まれていきます。

欲しいと思っていたものを買ってみる。自分にご褒美「ストック、ストック」。朝の慌ただしい時間、ちょっとCDをかけてみる。心にも栄養「ストック、ストック」。観たかった映画に出かけてみる。感性にもエネルギーをチャージ「ストック、ストック」。なにをやっても「ストック、ストック」…。

そんなことを心掛けていると、自然と自分に意識が向くように。それだけで満たされた気分を味わえるから不思議です。

私の中では「私」が中心…で、いいのかも。

劇的な瓶との出会いから数年、私の感度もちょっと鈍ったのか、現在の中身がどれくらいか不明です。また私が油断しないように、見えなくしているのかもしれません。これからは使ったら補充を心掛け、地道に溜め続けるんだよ、って戒められているような。

不思議な瓶、どこからやってきたのか、どなたから授かったのかわかりませんが、これからも大切に胸に抱いて暮らしていきたいと思います。二度と中身を枯れさせることのないよう気をつけて。

今度お目にかかった時、「太ったね」との声掛けはご遠慮くださるようお願いします。

私が苦手だったもの 京都

お祭りのこと

2014年08月04日

苦手だったものが開店を機に苦手でなくなった…。うれしいことに、そういうものがいくつかあります。

ずいぶん以前のブログ私が苦手だったもの 春で、「春」を一番に取り上げました。次は「京都」と決めていたのですが、すっかり間が空いてしまいました。京都が苦手だったとカミングアウトするのは相当に勇気のいることだったようです(笑)。

京都で生まれ、以来ずっと京都で過ごしてきました。他府県の方には京都は憧れの街のよう。そうとわかるや、熱く語り始める方がおられます。皆さん、とにかくお詳しい。

私はというと、名だたる神社仏閣を挙げられても、必ずしも行ったことがあるとは限らず。むしろ行っていないことの方が多いかも。有名料亭はお高くてとうてい行けず。名物、名菓、名所…、いずれもあり過ぎて把握しきれず。「はぁ、そうですかぁ」と相づちを打つばかり。どちらが京都の人間やらわからない有様です。

京都に住んでいるからといって、雅なものが好みとは限りません。私はむしろ野趣味のあるものが好き。作り込まれた美より、あるがままの様に心惹かれます。例えばですが、京都の観光寺院の仏像より、滋賀の湖北にひっそりと佇む観音様が好き、てな具合です。(ブログ天狗おじいさん

ひとしきり京都を褒められたあと、ついてまわるのが京都の人間の気質の話です。表と裏があってなにを考えているかわからないのだとか。女性のイケズ話は必須(笑)で「お茶漬け」のたとえ話まで出てきたひにゃあ、ひっくり返りそうになります。こうした個性って、どこの都道府県でもあることちゃうんかなぁ、と心で呟きながらも、しばし気配を消すことに決めています。

京都って、なにやら面倒くさい…。

店を開き、さまざまなお客様にお越しいただくようになりました。半数近くは他府県からの方でしょうか。京都をこよなく愛し、足繁く通われる方も少なくありません。なかには京都好きが高じて移り住んでこられた方も。

そんなお一人、定年を前に退職し、関東から引っ越してこられた女性がご近所にいらっしゃいます。着物でお出かけになる姿をよく見かけますが、京女(きょうおんな)の風情そのもの。京都での暮らしを心から楽しみ、慈しみ、感謝しておられるご様子です。そんな暮らしぶりを伺うのが、いつからか私の楽しみになりました。

京都って、素晴らしい街なのかも…。

7月に入ると、京都の街はそこらじゅうで祇園囃子のBGMが流れ、一気にお祭ムードに包まれます。今年はいつになく、いてもたってもいられなくなり、宵々山の夜、仕事帰りに出かけていきました。雑踏にもまれながら鉾を見上げ、生の祇園囃子を聴き、厄除けの粽(ちまき)を購入。それだけのことですが、とりあえず気が済んで帰ってきた次第です。

京都の人間ぽくなってきたやん、私…。

今年の祇園祭は49年ぶりに前祭と後祭に分けての巡行となり、後祭では「大船鉾」の150年ぶりの復活が話題となりました。巡行本番を前に行われる「曳き初め」の日は、たくさんの観衆だったようです。その中には先のお客様も。

数分前まで雨模様だったのが直前に晴れ渡り青空に。その下、鉾が動き始めるや一斉に拍手が沸き起こったそうです。その場の感動はいかばかりだったでしょう。「150年の先人の思いね」と、目を輝かせて話してくださるのを聞きながら、私もこみ上げるものが。思わず知らず涙がこぼれました。

京都の先人の血が私のなかにも脈打っている。畏れ多いながら、そう感じた瞬間でした。

京都の空を見上げ、京都の空気を吸い、京都の食材をいただき暮らしてきた日々。街の佇まい、四方に見える山、鴨川の流れ、四季折々の風習、京言葉…。長年にわたり目にし、耳にし、口にしてきたものは、私の中に根付き、今の私を形作っているようです。

私にとって、京都は出かける街でなく、ずっとそこにある街やったんやぁ。

私は私の感性で、京都の街を味わっていこう。やっとそう思えるようになりました。

願えば、叶う?

店のこと

2014年07月21日

スポーツ選手や成功をおさめたひとが、願い続ければ夢は叶う、と話されることがあります。優勝後のインタビューや雑誌の対談などでしょうか。影響力のある方の言葉は説得力があり、たちまち世の中に流布します。

天邪鬼な私、いつも本当にそうかなぁと思います。夢が叶ったひとが語れば、そりゃあそうでしょう、って突っ込みたくなります(笑)。ひと握りのそうしたひとの向こうには、どんなに願い続けても叶わなかった無数のひとがいるはず。夢が叶わなかったひとには、語る場も与えられないんだよぉ、なんて悪態をついたりして(笑)。

常々そんなことを思っている私がひっくり返るような出来事がありました。

開店以来、日々のあれこれをブログやfacebookで発信していますが、最近、起業間もない女性からよく連絡をいただくようになりました。正直過ぎるくらい正直に書いている内容に親近感を抱いてくださるようで、私が参加している交流会に連れて行ってほしいと頼まれることも。

お世話になるばかりだった私が、少しでもお役に立てることがあるなら、こんなうれしいことはありません。さっそくご一緒することに。初めての場に緊張されている姿に、かつての自分が重なります。「いい方ばかりなので大丈夫ですよ」なんて声を掛けながら、私、先輩面してる、っておかしくなったりして。開店から2年と少し、拙いながらも確かな時間を重ねてきたんだなぁと実感するこのごろです。

先日、そうした女性の一人からからいただいたお礼のメッセージが、こんな言葉で締めくくられていました。

「なりたいと思っていたら、なれますよ!」とおっしゃった言葉がうれしかったです。

不安や希望を語る彼女に、私が掛けた言葉のようです。えぇ、私、そんなこと言いましたっけ? 記憶をたどれば、あぁ、言った、言った、確かに言いました。ひぇ~、私がそんなことを言うようになったとは。悪態をついていたこの私が…。気恥ずかしくて、ひっくり返った次第です。

私が彼女に掛けたという言葉、思わず知らず口をついて出たものですが、決して口から出まかせを言ったわけではありません。そのとき、間違いなく思ったことです。

振り返れば、起業を決めてから今まで、その時々に願ったことは確かに叶ってきたように思います。望んだものが手に入り、困ったところに手が差し伸べられ、描いたイメージが形となっていく…。なにもなかったところから、気づけば、こうして店を営んでいる今があります。

願えば、叶う? 上っ面だけで願ってもダメだったと思います。心の底から願うこと。実現した時のイメージが自然に浮かぶくらい強く強く願うこと。そこまで強く願うのは案外難しく、エネルギーの要ることです。きっと切羽詰まっていたからできたのでしょう。なにしろ、あとがありませんでしたから。そうした経験が、先の言葉になったと思われます。

願いは結晶のように小さなかけらの集まりかもしれません。ひとつひとつ叶えながら、絶え間なく進んでいくのかも。これからも、どうしたら強く願い続けられるだろうと考えます。

信じること。実現するにふさわしい自分であるとひたすらに信じること。

自分を信じられなければ、心が揺らぎます。心が揺らげば、強く願うことはできません。自分を信じること、それが今の私に一番必要なことだと感じています。とても難しいことですが。

全力で自分を信じてみよう!

そう心に誓つた今日、京都は梅雨明け。いよいよ夏本番です。

一恵ちゃん

お友達のこと

2014年07月08日

7月になりました。一年の半分が済んだことに。早いですねぇ、と書くところですが…。

店を始めて以来、時間の経過をとても長く感じるようになりました。うれしいことにつけ、大変なことにつけ、毎日、たくさんの新しいことが起こるせいでしょう。頭や心の整理がつく間もなく、現実が先へ先へと進んでいくようです。一ヶ月前、一週間前のことでさえ、ずいぶん昔に思えることも。

とりわけ先月は様々なことが盛りだくさんの月でした。おのずと心身ともに高い緊張状態にあったようです。6月に書いたブログ3編(店を構えるということ 中小企業家同友会 プロ意識)はタイトルだけ見ても相当に力が入っている様子が伺えます(笑)。

その6月最終の定休日は友人と会う約束になっていました。「しののめ寺町」の壁を飾る写真を撮ってくれているカメラマンの一恵ちゃんです(ミニミニギャラリー)。出会ったのは十数年前、偶然にも同い年、お互い主婦ながら主婦トークが苦手という共通点でたちまち意気投合して以来の仲です。

相当に疲れた様子の私に、心配した彼女が延期を提案してくれましたが、こういう時こそ会いたいと出かけて行きました。場所はアサヒビール大山崎山荘美術館、レトロな洋館と安藤忠雄氏による近代建築が見事に融合した、高台に建つ素敵な美術館です。ちょうど魅力的な展覧会が開催中でした。

鑑賞の合間に革張りのソファーにどさりと腰かけると、時間がゆったり流れていくよう。黒光りする太い柱や梁を見上げ、ええ感じやなぁ、と話し。窓のカットガラスが光を受けて虹色に輝くのを眺め、プリズムみたいやなぁ、と話し…。こんな風に心が動くのは久し振りのことでした。

バルコニーに出ると、眼下に広がるのどかな風景が遠くまで見渡せました。こんな遠くに視線をやるのは、いつ以来でしょう。ふだん何十センチ、せいぜい何メートルの範囲を見て暮らしているんだなぁ、としみじみ。

見上げると、梅雨の晴れ間の青空に、雲がぽっかりふたつ浮かんでいました。2匹のネズミが追っかけっこしているみたい。見れば見るほど生きているようで、かわいいこと、かわいいこと。雲を眺めて大盛り上がりしてしまいました。そういえば二人で出かけると、よく空を見上げては、おもしろい形の雲を見つけたものです。(ブログめぐる季節のなかで

いつも五感を研ぎ澄ませて暮らしている彼女。私がふだんフル稼働しているのとは、また違った五感を呼び覚ましてくれたようです。なにもかもが新鮮に思えた休日でした。胃の調子が悪くて、せっかくの美味しいカフェごはんを食べきれなかったのだけが心残りでしたが…。

その夜、彼女から「この雲を見て、かわいい! かわいい! って感動していた大好きな友へ」と写真を添付したメールが届きました。「昔のように、いつでも空を見上げてね♪ 気持ちが元気になるよ」とコメントを添えて。

友達って、ありがたい…

翌朝、体調も回復、朝食を美味しくいただけました。自宅で休養するより、心も体もずっとリフレッシュできたようです。

生活が激変した私を、冷や冷やしながら見守っているという彼女。かけてくれる言葉はいつも「大丈夫?」です。出来ることはなんでもするよという言葉に甘えて、最近ではポストカードまで作ってもらいました。心配をかけ、頼ってばかりの私です。

まだまだ安心してもらえそうにありませんが、せめて空を見上げて、心のバランスだけは保っていこう。かわいい雲の写真を眺めながら、そう誓った6月の終わりでした。

プロ意識

店のこと

2014年06月26日

「意識」ということについて考えるこのごろです。

 

店を始めて以来、事業をされている方にお会いする機会が増えました。中小企業の社長さん、一人で活動している方、世代、性別、業種などさまざま。こんなにも多様な働き方があるのかと驚くばかりです。

 

規模にかかわらず、自分で事業を興し、継続していくことは容易なことではありません。絶えず学び、チャレンジし、また学び…。公私にわたり常に高い意識を持って生きておられる様子が、お話の端々、あるいは立ち姿から伺えます。

 

これぞ、プロ意識。

 

開店を機に急きょ家業に携わることになった私は、商売は全く素人からのスタートでした。「ほぼ専業主婦」から自称「にわか女将」へ。どちらかといえば裏方仕事が性に合うタイプだったのが、必要に迫られ表舞台に出るようになった次第です。(ブログポテトなじかん

 

開店後、初めて参加した異業種交流会でのことを今でもよく思い出します。サンプル用に配るじゃこ山椒を抱え、決死の思いで出かけて行きました(笑)。慣れない会場の雰囲気にかなり緊張していたのを憶えています。

 

全員の自己紹介後、自社のイベントや新商品などを紹介できるPRタイムが設けられており、ここで「はい!」と手を挙げるはずでした。が…、挙げられませんでした。側にいた方が察して「PRするんやろ? はよ、行かな」と促してくださり、ようやく立ち上がった始末。広報担当がなんという体たらく、恥ずかしい限りです。

 

 思えば私の頼りなさを見かねた方たちが、うしろから背中を押し、前から手を引いて、ここまで導いて来て下さったように思います。

 

今月から中小企業家同友会に入会し(ブログ中小企業家同友会)ますます多くの事業主の方にお会いする機会に恵まれています。なんて意識の高い方たちがいらっしゃるのかと驚くと同時に、自分はまだまだ意識が低いなぁと反省させられることばかり。今、ちょっと軽いショック状態です。(笑)

 

「ほぼ専業主婦」から「にわか女将」へというのは、軽い洒落のつもりの肩書き(?)ですが、正直のところ体のいい言い訳に使っている面も否めません。だから大目に見て、みたいな…。開店から2年3カ月、そんな甘えもそろそろ通用しない時期です。

 

プロ意識を持たなければ。

 

しきりにそんな声が聞こえてきます。声の主は私自身のもよう。

 

意識の高い方に混じると、自ずと高みに引き上げられていくことを体現したような。身の引き締まる思いの近ごろの私であります。

 

ちなみに愛着ある「にわか女将」の肩書はこのままで。よろしくお願いします。

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