堀文子さんの言葉 2

素敵な女性

2014年09月28日

前回(ブログ堀文子さんの言葉)に続き、堀文子さんの言葉です。

息の絶えるまで感動していたい

短いけれど力を持った言葉、何度読み返しても心が震えます。

前回も紹介したNHKの「日曜美術館」では、ご自宅での様子も撮影されていました。そのなかで忘れ難い場面があります。うろ覚えですが…。

庭の草木にホースで水を撒かれていた時のこと、植物の間にクモの巣を見つけられました。水のかかったクモの巣に陽が当たり輝く様子を、なんてきれいなんでしょうと、それはそれは嬉しそうにはしゃいでおられました。アートのようなクモの巣の造形美、したたる水のしずくの輝き、確かにきれいだったような。そこの記憶は曖昧なのですが、子供のように無邪気に喜ぶ堀文子さんの姿は今も鮮明に浮かびます。

自然の織り成す美しさは、ひとを感動させてくれます。が、それが水を浴びて輝くクモの巣って…。ここまで無邪気に喜べるって…。なんて素敵なひと、なんて可愛らしい女性、そう感じたことを覚えています。

感動という言葉、簡単に使われ過ぎているように感じるのは私だけでしょうか。心から感動するって、案外難しいことに思います。慣れきった生活のなかで緩んでしまった心では、到底…。

私は岐路に立たされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています

絶えず果敢なチャレンジを続けておられる堀文子さん。踏み出す一歩一歩が未知の世界なのではないでしょうか。感動すべきものに出会ったなら、たちまち感動できる心の状態を、常に保たれているのだろうと想像します。

堀文子さんには遠く及びませんが、「しののめ寺町」開店以来の毎日も私には未知の世界の連続でした。新しい発見、出会い、学び…。しんどいこともありますが、感動もまた絶えない毎日。慣れ親しんだ生活のなかでは、決して味わえなかったことばかりです。

開店から二年半が経ち、慣れてきたこともありますが、慣れてしまってはいけないなぁと思います。

堀文子さんほどの強い生き方は、私にはとうてい真似できませんが、心意気だけは見習いたいと思います。過去に囚われず、常に前を向いていきたい。絶えることなく新しい今を更新し、さっきまで知らなかった今に感動し続けていきたい。未来を案じ過ぎず、恐れ過ぎず。私も願わくば…

息の絶えるまで感動していたい

店まで通うのに長らく地下鉄を使ってきましたが、最近、新車購入を機に自転車に変えてみました。空の色、雲の形、光や風…、一日として同じ日はありません。最近では金木犀が香るように。帰る頃は真っ暗でちょっと心細くなりますが、ペダルを強くこいでみると、薄闇が開かれていくような。

今までになかった心の動きを感じながら、いくつになっても新たな感動があるなぁと思うこのごろ。そんな自分に感動している私がいたりして。

堀文子さんの言葉

素敵な女性

2014年09月14日

前回のブログで日本画家、堀文子さんのことを書きました。(ブログ画家 堀文子さんのこと

ふと立ち寄ったカフェで、たまたま座った席の正面に置かれたていたのが、堀文子さんのエッセイ「堀文子の言葉 ひとりで生きる」でした。絵と共にその生き様が素晴らしく、珠玉の言葉をたくさん残しておられる堀文子さん。私の憧れの女性です。思わず手に取ると、冒頭こんな文章が…。

私は九十年もの長い間さまよって、やっと少しわかったというか、私は自分を否定して、自分のことを劣っていると思っていましたから、よその世界に憧れて世界中をさまよったのです。自分は日本の生物だったと、そのことがわかるまでに長い時間がかかりました。

見つかったかどうかは知りませんけど、「青い鳥はよそにはいない」ということがわかったのです。皆さんも「青い鳥は自分のなかにいる」はずです。

私も自分のことを、なにか決定的なものが欠落した、ひとより劣った人間だと思ってきました。欠けているものを埋めたくて、劣っているところを補いたくて、随分と模索を続けてきました。堀文子さんには遠く及びませんが、方々探し回り、あれこれと試みてきたように思います。

けれど、どこも自分の居場所ではないような、どれも自分が求めていたことではないような、そんな気がしてすごすごと撤退、なんてことを繰り返してきました。飽き性とも少し違う、どれもしっくりとこなかったのです。

そんな様子を好奇心旺盛とか、行動力があるとか言ってくださる方もありますが、どれも大成することなく投げ出してきただけです。また回りををキョロキョロして、ひとと自分を比較して、ないものねだりをして、手に入らないことに途方に暮れて…。不全感はますます募るばかりでした。

思いがけず店を始めることになって二年半が過ぎました。生活は激変。あれこれ言っている余裕などなく、ただ目の前にある「しののめ寺町」と向き合ってきた日々。それはとりもなおさず、自分と向き合ってきた時間でもあります。

突然、商売の世界に飛び込んだ私は、ひとのなん倍も努力しなければいけないと思っていました。まわりの華やかな方たちを見て、私には到底真似はできないと思うことも。正直ちょっと疲れ気味に(ブログストック)。

一日の大半の時間を過ごす店、そこに立つ自分…。初めてここが私の居場所だと思えました。求めていたことがここにはあるのだと。だからどんなに疲れても、今度ばかりは続けてこられています。

自分の思いが店に反映し、店の印象が私に投影される。そんな毎日を送るなかで、気づいたこがあります。店をよくしていくには、まず自分がよくあらねばいけないということ。店を大切に思うなら、まず自分を大切にしなければいけないということ。

まわりから学ぶことはたくさんあります。もちろんこれからも学び続けていくつもりです。が、同時に自分に目を向けていくことも大切なんじゃないか、そう思うようになりました。自分の中に眠るものを呼び覚ますこと。くすんだまま放置しているものに磨きをかけること。そこにはまだまだ大きな可能性が秘められているような。逆行するようですが、改めてそこから始めてみようと思います。

私の心の中に、青い明かりが灯りました。よく見ると、濃い鮮やかな青色をした鳥でした。以来、ときどき手に載せて優しく撫でてやります。両の掌で包むようにそっと抱いてやります。繊細な羽を傷つけぬよう大切に。鳥は安心したように身を委ね、私の心も穏やかになっていきます。

堀文子さんの言葉のとおり、青い鳥は誰の心の中にも一羽ずついるはず。気づくか気づかないかは本人次第。気づけた私は幸運でした。

余談ですが、8月のこと、自宅の玄関先のやまぼうしの鉢植えに、鳥が巣を作りました。ぴぃぴぃと可愛い鳴き声を上げて、いたいけなヒナが二羽。親鳥が餌をくわえては通ってきます。巣立ちを楽しみに、木を見上げる日が数日続きました。

今年は大雨続きの夏でした。そこは屋根もない場所で、心配していたところに台風が。ぱったりと鳴き声が聞こえず、可愛い顔を見せてくれることもなくなりました。巣を覗いてみると、中は空っぽ。巣立ちには早すぎます。どうしたことやら。私の力不足のようで申し訳ない気もしましたが、自然界で生き抜くのは容易なことではないのかもしれません。

勝手な解釈ではありますが、折も折、私の心に青い鳥のイメージを届けに来てくれたような、そんなエピソードでした。

画家 堀文子さんのこと

素敵な女性

2014年08月30日

少し前のことになりますが、仕事帰り、とあるブックカフェに立ち寄りました。

京都には素敵なカフェや喫茶店がたくさんありますが、なかでも京都通の知人が勧めてくれていた店で、お一人でどうぞ、という意味深なコメントも気になっていました。ちょっとクールダウンしたい気分のその日、ふと思い出して出かけたのでした。

とてもわかりづらい建物の一室、怪しい扉を恐る恐る開けると…。中は一変、お洒落なカフェでした。窓に向かって設えられたカウンター席に、ひとり客が数名。本を読んだり、パソコンをしたり。外の世界とは隔絶したような独特の雰囲気。とにかく静か。コメントの意味がすぐに理解できました。

空いた席に腰かけると、真正面にあった一冊の本に思わず手が伸びました。「堀文子の言葉 ひとりで生きる」。憧れの女性、日本画家の堀文子さんのエッセイでした。

堀文子さんのことを初めて知ったのは、NHKの「日曜美術館」という番組。壇ふみさんが司会をされていましたので、ずいぶん前のことです。ご本人も出演されていて、絵の美しさはもとより、そのお話のユニークさに驚いたのを記憶しています。

すべてにおいて、ひとところに留まるということを知らない生き方。常に未知なものを求めて、挑戦し、感動し、また挑戦し…。過酷ではないのかと思いきや、むしろ楽しくってしょうがないご様子。孤高な芸術家の顔と、愛らしい童女の顔を併せ持った、とても魅力的な方という印象でした。

群れない 慣れない 頼らない

堀文子さんのモットーです。以来、私も常々自分への戒めとしてきました。が、気づけば、長らく忘れていました。茨木のり子さん(ブログ自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ)や須賀敦子さん(ブログユルスナールの靴)のことは、開店後もよく思い出していたのに。

ページを繰ると、容赦ない厳しい言葉が並びます。研ぎ澄まされた言葉に息をのみつつも、どこかしら漂うユーモアに救われる、というのが堀文子さん流でしょうか。そうそう、これこれ、と思い出し、一気に読破しました。

自由は、命懸けのこと

自由でありたいというのは、誰しも願うことです。私もせめて心だけは自由でありたいと思います。なにものにも囚われず、あるがままでいたい。

それが、命懸けって…。そこまでの覚悟はあるか?! と喝を入れられたような。90歳を超えた童女から見れば、私などまだまだ尻が青い(笑)。

読み終えて本を戻すと、不思議な爽快感が。いつの間にやら、窓の外は真っ暗。小一時間、しばし異次元に迷い込んだような奇妙な感覚でした。間違いなく、私はこの一冊に呼ばれて、ここに来たんだと思いました。偶然のようで、実は必然の出来事。入店時のふさいだ心持ちから一転、心軽くなって店を出る自分に、そう実感しました。

思い悩むことの尽きない毎日です。同時に、まるで用意されたように必要な助けが現れる毎日でもあります。一気に解決とはいかないけれど、また進んでいこうと思える一助となるものが、私の前には必ず現れます。ひとであったり、言葉であったり…。大きな計らいが働いていることを感じずにはいられません。

そんなことをまさに体現した出来事でした。

堀文子さんの珠玉の言葉の数々は、また改めて紹介していきたいと思います。

私の心の中の瓶

心と体のこと

2014年08月15日

少し以前から「痩せたね」とよく言われるようになりました。ダイエットしているわけでなし、自分ではよくわかりません。開店当初の写真を見てみると、ほっぺたを赤く塗ったらアンパンマンか(笑)というくらい丸々としています。確かに痩せたような。

美容上はうれしいことです。が、店をやっていくには体が基本。時期を同じくして体力も落ちてきているような。連動して気力までもが…。これはもう喜んでいる場合ではありません。

思えば、店を始めて以来、落ち着いて食事をする習慣がなくなってしまったようです。朝食時、パンをかじっていると、電子レンジがチン! 座ると今度は洗濯機がピピッ! 店での昼食は言うに及ばず。やっとゆっくりできるはずの夕食も、慌ただしい準備と後片付けの合間にささっと済ませがちに。

摂取カロリーが消費カロリーを満たしていない。必要な栄養やエネルギーがちゃんと行きわたっていない。不足分を我が身を削って使い始めているわけで、そりゃあ、しんどいはずです。体だけじゃなく、心にも同じことが起きているんじゃないか。よくよく自分を見つめてみると…。

ここから変なことを書きます。

よくはわかりませんが、私、気配とか気とか、そういうものを感じやすい体質(?)みたいです。霊が見えたことはありません。ただ感じたことがイメージとして視覚となって表れることがよくあります。

5、6年ほど前になりますか、夜、いつものようにベッドに入った時のことです。突然、私の心の中に瓶が一本現れました。口が狭くて、色がついていて半透明。ちょうどワインの瓶のような。

その中に液体が注ぎ込まれていきます。工場で詰められるみたいに、シャーと勢いよく噴射された液体がガラスの内面を伝って底に落ちていきます。勢いからいくと、あっという間にいっぱいになりそうなものなのに、底1cmくらい溜まったばかりでいっこうに増えません。

瓶の中の世界と、私の住む世界では、時間の流れや量の単位がきっと違うのだろう。この調子だと瓶いっぱいになるには数か月、あるいは数年、数十年かかるかも、なんて考えながら眠りに入っていきました。

次の夜もベッドに入ると心の中に瓶が現れ、また液体が…。相変わらず1cmから増えません。そんな日が何日続いたでしょうか。

その日はうれしい日でした。偶然にも友人にまつわるものばかり。うれしい便りだったり、電話だったり、いただきものだったり。ひとつひとつはささやかですが、三つ重なったことがうれしくて、手帳に書き留めたくらいです。

いい気分でベッドに入ると、いつものように瓶が現れ、いつものように液体が注ぎ込まれていきます。もう見慣れた光景にうとうとした時、ゴボゴボっと聞きなれない音が。見ると瓶の底から三分の一くらいまで溜まっています。わぁ、と驚いていると、またゴボゴボっという音。見る間に三分の二に。またまたゴボゴボっといったかと思ったら、あっという間に瓶の口いっぱいまで満たされていました。

以来、私の心の中には瓶が一本。大切に抱えて暮らしてきました。

瓶はこんこんと湧き出る泉のよう。店を始めてからも、溢れんばかりのたくさんのものを放出してくれました。私のエネルギーの源です。

気づけば、忙しさに紛れて瓶の存在をすっかり忘れていました。久し振りに現れた瓶、中身は空っぽ…。

こんこんと湧き出ると思っていたのは間違いで、使ったら補うことが必要だったようです。使ってばかりで、さっぱり補充しないものだから、せっかく溜めたストックが文字通り底をついたもようです。

備蓄作戦開始! 

食事時、空腹が少し満たされると、さぁ後片付け、と立ち上がるところを、もう二口、三口食べてみる。栄養やエネルギー、私の血となれ肉となれ、私の体の隅々まで行きわたれ、なんて思いながら。

「ストック、ストック」呪文のように唱えます。瓶の中にまた液体が注ぎ込まれていきます。

欲しいと思っていたものを買ってみる。自分にご褒美「ストック、ストック」。朝の慌ただしい時間、ちょっとCDをかけてみる。心にも栄養「ストック、ストック」。観たかった映画に出かけてみる。感性にもエネルギーをチャージ「ストック、ストック」。なにをやっても「ストック、ストック」…。

そんなことを心掛けていると、自然と自分に意識が向くように。それだけで満たされた気分を味わえるから不思議です。

私の中では「私」が中心…で、いいのかも。

劇的な瓶との出会いから数年、私の感度もちょっと鈍ったのか、現在の中身がどれくらいか不明です。また私が油断しないように、見えなくしているのかもしれません。これからは使ったら補充を心掛け、地道に溜め続けるんだよ、って戒められているような。

不思議な瓶、どこからやってきたのか、どなたから授かったのかわかりませんが、これからも大切に胸に抱いて暮らしていきたいと思います。二度と中身を枯れさせることのないよう気をつけて。

今度お目にかかった時、「太ったね」との声掛けはご遠慮くださるようお願いします。

私が苦手だったもの 京都

お祭りのこと

2014年08月04日

苦手だったものが開店を機に苦手でなくなった…。うれしいことに、そういうものがいくつかあります。

ずいぶん以前のブログ私が苦手だったもの 春で、「春」を一番に取り上げました。次は「京都」と決めていたのですが、すっかり間が空いてしまいました。京都が苦手だったとカミングアウトするのは相当に勇気のいることだったようです(笑)。

京都で生まれ、以来ずっと京都で過ごしてきました。他府県の方には京都は憧れの街のよう。そうとわかるや、熱く語り始める方がおられます。皆さん、とにかくお詳しい。

私はというと、名だたる神社仏閣を挙げられても、必ずしも行ったことがあるとは限らず。むしろ行っていないことの方が多いかも。有名料亭はお高くてとうてい行けず。名物、名菓、名所…、いずれもあり過ぎて把握しきれず。「はぁ、そうですかぁ」と相づちを打つばかり。どちらが京都の人間やらわからない有様です。

京都に住んでいるからといって、雅なものが好みとは限りません。私はむしろ野趣味のあるものが好き。作り込まれた美より、あるがままの様に心惹かれます。例えばですが、京都の観光寺院の仏像より、滋賀の湖北にひっそりと佇む観音様が好き、てな具合です。(ブログ天狗おじいさん

ひとしきり京都を褒められたあと、ついてまわるのが京都の人間の気質の話です。表と裏があってなにを考えているかわからないのだとか。女性のイケズ話は必須(笑)で「お茶漬け」のたとえ話まで出てきたひにゃあ、ひっくり返りそうになります。こうした個性って、どこの都道府県でもあることちゃうんかなぁ、と心で呟きながらも、しばし気配を消すことに決めています。

京都って、なにやら面倒くさい…。

店を開き、さまざまなお客様にお越しいただくようになりました。半数近くは他府県からの方でしょうか。京都をこよなく愛し、足繁く通われる方も少なくありません。なかには京都好きが高じて移り住んでこられた方も。

そんなお一人、定年を前に退職し、関東から引っ越してこられた女性がご近所にいらっしゃいます。着物でお出かけになる姿をよく見かけますが、京女(きょうおんな)の風情そのもの。京都での暮らしを心から楽しみ、慈しみ、感謝しておられるご様子です。そんな暮らしぶりを伺うのが、いつからか私の楽しみになりました。

京都って、素晴らしい街なのかも…。

7月に入ると、京都の街はそこらじゅうで祇園囃子のBGMが流れ、一気にお祭ムードに包まれます。今年はいつになく、いてもたってもいられなくなり、宵々山の夜、仕事帰りに出かけていきました。雑踏にもまれながら鉾を見上げ、生の祇園囃子を聴き、厄除けの粽(ちまき)を購入。それだけのことですが、とりあえず気が済んで帰ってきた次第です。

京都の人間ぽくなってきたやん、私…。

今年の祇園祭は49年ぶりに前祭と後祭に分けての巡行となり、後祭では「大船鉾」の150年ぶりの復活が話題となりました。巡行本番を前に行われる「曳き初め」の日は、たくさんの観衆だったようです。その中には先のお客様も。

数分前まで雨模様だったのが直前に晴れ渡り青空に。その下、鉾が動き始めるや一斉に拍手が沸き起こったそうです。その場の感動はいかばかりだったでしょう。「150年の先人の思いね」と、目を輝かせて話してくださるのを聞きながら、私もこみ上げるものが。思わず知らず涙がこぼれました。

京都の先人の血が私のなかにも脈打っている。畏れ多いながら、そう感じた瞬間でした。

京都の空を見上げ、京都の空気を吸い、京都の食材をいただき暮らしてきた日々。街の佇まい、四方に見える山、鴨川の流れ、四季折々の風習、京言葉…。長年にわたり目にし、耳にし、口にしてきたものは、私の中に根付き、今の私を形作っているようです。

私にとって、京都は出かける街でなく、ずっとそこにある街やったんやぁ。

私は私の感性で、京都の街を味わっていこう。やっとそう思えるようになりました。

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