茅葺きの宿 長治庵

心と体のこと

2014年04月22日

前回のブログ天狗おじいさんは思いのほか多くの方に読んでいただいたようで、うれしく思っています。きっと皆さんの心の中にもそれぞれの天狗おじいさんがいらっしゃるのでしょう。あのあと私にも天狗おじいさんの娘だの背後霊だのと名乗る方が現れ、驚いているところです(笑)。

天狗おじいさんもさることながら、写真だけ載せた「長治庵」というお宿、こちらが気になられた方もあったかもしれません。今回はそのお宿のことを書いてみようと思います。

私が好きな滋賀県湖北というのは木之本あたり、とてものどかな地域です。集落ごとに観音様が祀られ、今も地元の住民の皆さん自らの手によって大切に守られています。観音様はもとよりこうした土地柄に心惹かれ、たびたび足を運ぶようになりました。

好きなあまり、生活に溶け込んだ気分を味わってみたいとまで思うように。民話に出てきそうな茅葺屋根の宿「長治庵」さんのことを知ったときは、飛び上るほどうれしかったです。

レンタサイクルで木之本の観音様巡りをしたあと、駅前から一日数本しかないバスで一路、お宿へ。バス停の数から距離を推測していたのですが、山中ではバス停とバス停の間隔がべらぼうに長くなることを知りませんでした。時間はすでに夕方、バスの乗客はほとんどなし。不安になるくらい山中を分け入ったところで、人里らしい気配が…。

写真で見た通りの茅葺屋根の建物の前に立った時には、本当にほっとしました。かつては富山の薬売りの方が行商の途中に泊まられていたとか。往時が偲ばれる趣のあるお宿です。

冬には雪深い地域、桜の季節はまだ肌寒く、部屋にはこたつが置かれていました。もぐりこむと、なんだか田舎に帰ってきたような気分に。田舎のない私なのに不思議です。(ブログふるさと

夕食は母屋で。地元で採れた山菜、地元猟師さんが仕留められた鹿のお刺身、猪の鍋、熊のすき焼き…。締めはご主人自ら作られたコシヒカリのごはんがお櫃に入れられて。なんという贅沢、まさに地産地消です。珍しい食材も気取りなく調理されていて、それはそれは美味しかった…。しかも申し訳ないくらいリーズナブルなお値段です。

もてなしてくださる女将さんが控え目で、また素敵でした。

宿泊客は私ともう一組、衝立の向こうから聞こえてくる話し声から、関東から来られた熟年ご夫婦のようでした。ネットで検索して偶然見つけられたらしいご主人が「素晴らしい」を連発。ご満悦な様子がひしひしと伝わってきます。クールな反応の奥様に変わって、私は心の中で何度も相槌を打って差し上げました(笑)。

入浴後、廊下に並べられた雑誌の中に「きのもと七選」という冊子を見つけました。このあたりの歴史や風土、風習をまとめたもので、湖北好きの私には垂涎の一冊。部屋に持ち帰り、眠くなるまで読みふけりました。

翌朝、女将さんに販売されていないか尋ねると、なにかの記念に作られたもので販売はされていないとのことでした。

帰宅した翌日、大きな封筒が届きました。開けてみると、驚いたことに「きのもと七選」が。長治庵の女将さんがすぐに在庫を探してくださったのでしょう。たくさん残っていましたから、と手紙が添えられていました。うれしいやら、有り難いやら。忘れられないエピソードです。

今も本棚のすぐ手の届くところに置いています。店を始めてからは忙しく、木之本までも出かけられずにいますが、開くといつでも懐かしい思いが蘇ります。

美味しい料理の記憶には、温かいひと、温かいもてなしが必ず伴っているように思います。青森の佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと2)、沖縄宮古島の千代さん(ブログ宮古島 農家民宿津嘉山荘)然り。

思えば素敵なお手本となる方たちに出会ってきたものです。私は、ここ京都で、寺町で、どんなことができるでしょう。そんなことを思っています。

天狗おじいさん

心と体のこと

2014年04月13日

また春がやって来てしまいました…。(吐息、笑)

去年のブログ私が苦手だったもの、春書きましたが、どうにも春が苦手な私です。いい陽気のなか、お客様が晴れやかな表情で来店くださるのを拝見し、春もいいものだなぁと思うようになってきたのですが…。

もともと人でも物でもなににつけ「気」を察知しやすい性質、春が近づくと大気中から、土中から、あたりに満ち満ちてくるエネルギーに圧倒されてしまいます。普段から世の中とズレ感のある私は、ますます置いてきぼり感にさいなまれ、気分が落ち込みがちに。

寒暖の差の激しいこの季節は体調管理も難しく、今年は桜の開花宣言と共に風邪をひいてしまいました。眠いのは薬のせいと思っていたら、治ってもまだ眠い。ただただ眠い。春なのに冬眠したい気分。でも頑張らねば。馴染みのあるこの感覚…。

ああ、やっぱり春は苦手なんだ、と思い至る次第です。

結構気合を入れて書いているこのブログ、気力が続かず、いざ書こうと思ったら、私の不調が移ったのかパソコンがが不具合に(笑)。そんなこんなで間が空いてしまい申し訳ありません。

そんな春を過ごしながら、思い出される記憶が。三年前の出来事です。

随筆家、白洲正子さんの紹介で滋賀の湖北の観音様のことを知り、たびたび足を運んでいたのですが(ブログ観音様のお導き)、湖北のそのまた山奥に民話に出てきそうな宿を見つけ、その春、一人で出かけたのでした。

京都の桜が終わった頃で、冬には雪深いそのあたりは、ちょうど満開の時期でした。といっても京都の喧騒からは考えられないのどかさです。

宿で心づくしのもてなしを受け大満足の翌朝、これを逃すと数時間来ないバスに乗るために早めにバス停で待っていました。すると高齢の男性が近寄ってくるなり、大きな声で「あんた、誰や?」と。

このあたりは住民同士、皆が顔見知りなのでしょう。見かけない顔の私に驚かれたようです。訳を話すも耳が遠い様子、私も大きな声で旅行者であることを伝えました。

納得がいかれたおじいさん、私をしげしげ眺め「このごろのおなごは若々しいのぉ」と。そもそも何歳の設定で話されているのか不明で、私は「いえいえ」と笑ってごまかすばかり(笑)。するとおじいさん、「いいや、あんたは若々しい! それに生き生きしとる!」とますます大きな声で。

三年前の春といえば「しののめ寺町」開店の一年前です。当時「ほぼ専業主婦」だった私は、世のためにも人のためにも役に立っていない自分に不全感を募らせていました。ましてや季節は春、ますます落ち込む気持ちにいたたまれず、一泊ではありますが日常から逃避してきたような次第。褒められることなんて一つもありません。

今度は笑ってごまかす訳にいかず、「いえいえ」と大きく首を振り強く否定しました。するとおじいさん、語気を強め「わしは嘘はつかん、お世辞はよう言わん男や。ホンマ、あんたは生き生きしとる!」と。

胸にドンときました。余計な謙遜はむしろ失礼、当たっていてもいなくてもその言葉をありがたくいただこうと思いました。「ありがとうございます」と素直に礼を言うと、おじいさんは「うんうん」と頷き、「ホンマに生き生きしとる!」とそのあとも何度も繰り返されました。

山あいの静かなバス停、青空を見上げながら、自分が思うより案外生き生きと生きているのかも。模索しているだけであっても、それはそれで懸命に生きているということなのかも。そんなことを考えていました。

先にバスを降りたおじいさんの後姿を見送りながら、ふと、おじいさんは山の天狗だったんじゃないかと思いました。元気のない私を励まそうと人間に姿を変えて山から下りてきてくれたんじゃないか、と。なにやら身に合っていない背広、なにやらかみ合わない会話、高齢の割に軽やかな身のこなし…。駅前でバスを降りた時には、そうに違いないと確信していました。

春が来て、元気を失くすと、あの天狗おじいさんを思い出します。また会いたいなぁ。そうして大きな声で「あんたは生き生きしとる!」と言ってほしいなぁ。

気づけば、京都の街中でも、そんなふうに私を励ましてくださる方に出会えるようになりました。天狗おじいさんはいろいろな場所に、いろいろな姿で現れてくれるようです。

春の気配にも馴染んできたこのごろ、私の調子も戻りつつあります。今年度もよろしくお願いします。

美しいひと

素敵な女性

2014年03月31日

店を始めて気づいたことの一つが、世の中には美しい女性がたくさんいらっしゃるんだなぁ、ということです。

ご来店くださるお客様を拝見していても、皆さん、ご自身の個性に合った装いがお上手で、それぞれにお綺麗。着物を召した方も珍しくなく、清楚に、粋に、持ち味を活かした着こなしが素敵です。

ここ寺町界隈は若いファミリーが多く住まわれている地域で、ベビーカーを押しながらご来店くださるママの姿も。子供さん共々にファッショナブルで、雑誌から抜け出たようだと思うことしばしばです。

店の中からガラス戸越しに通りを行き交うひとを眺めながら、京都には美しい女性が似合うなぁ、なんて思います。

事業をされている女性に会う機会も増えました。意識の高い女性は美意識も高く、自身を魅せる能力にも長けておられます。学ぶことが多く、いつも眩しく眺めています。

女性の数だけ美しさがあるなぁと思います。

そういう 私はというと…。学生の頃からいつも友達の引き立て役ばかりしていたような。そこへ男性が近づいてきたなら、疎まれる前に一人その場を離れる、なんてタイプでした。美人を見ると、まわりから綺麗、綺麗と言われて生きる人生ってどんなんだろうと妄想してしまいます(笑)。

女性の美しさは、他人事に語るには気楽ですが、自分のこととなると厄介です。

どんなに痩せても、自分は太っていると拒食をやめない女性がいるとか。他人にとっては取るに足らないこと、むしろチャームポイントに思えることが、本人にとっては大きなコンプレックスであることも。

過度なうぬぼれはよくありませんが、自分を卑下しすぎるのもよくない。けれど、そもそも自分の容貌を客観視することなど、土台無理な話です。

女性が美しく装って街を歩けることは、なによりの平和の証、素晴らしいことです。さらにアンチエイジング流行りの今、お金と時間があれば誰でも何割増しかで綺麗になることも可能、女性にとって恵まれた時代です。

そもそも女性の美しさってなんなんだろう、と迷ってしまうことも。

「あなたが思う美しいひとは?」と聞かれたら、私が一番に思い浮かべる女性がひとり、横田早紀江さん、北朝鮮の拉致被害者、横田めぐみさんのお母様です。想像を絶する苦悩の日々を長きにわたって送られていることは周知の通りです。

そんななかにあってなお、常にそこはかとなく漂う気品。恨みつらみで表情を歪めることなく、揺るがない美しさ…。それらはどこからくるんだろう。支えているものはなんなんだろう。テレビで拝見するたびに考えます。

最近、お孫さんと面会された由。会見で見せられた笑顔はいつにも増して美しいものでした。近い将来、めぐみさんとの再会も叶うことを願ってやみません。その時に見せられる笑顔はまたどんなに美しいことでしょう。

様々なことは天からの授かりものと思うこのごろ、容貌も例外ではありません。人と比較して羨んだり、ないものねだりじゃなく、ありのままを認めてみる。そこからしか始まらないことがあるような。

自分なりの魅力、年齢相応の美しさ、そういうものを目指して生きていきたいなぁ。努力は怠れないけれど、抗い過ぎず。そうして、容貌だけでなく、丸ごとの自分を認められるようになりたい。

そんなことを思う年度末です。

足し算人生

店のこと

2014年03月20日

3月16日、「しののめ寺町」は2周年を迎えることができました。ひとえに皆様のご愛顧、ご支援のお陰です。ありがとうございます。

 

1周年にご近所の洋菓子店「シェ・ラ・メール」様のご協力を得て誕生したオリジナル菓子【山椒メレンゲ】も一歳になりました。

 

ひとが年齢を重ねるのを喜ばしく思うのは何歳くらいまででしょうか。あぁ○歳になったと喜び、あれが出来るようになった、こんなことがわかるようになったと、積み上げられていくものを数えては褒め称える…。そんな期間は思いのほか短いように思います。

 

ある時期を過ぎると、もう○歳になってしまったと嘆き、平均寿命から重ねてきた年数を引いてみたり。出来ることより、出来なくなっていくことをあげつらい、成熟を衰えと見なす…。いつからか足し算でなく引き算の発想になってしまうように思います。

 

仕方ないことと言えば仕方ないことですが、あまりにさみし過ぎるような。なかでも女性が年齢を重ねることへの世間の冷たさ、それに対する女性自身の怯えは相当なものと思われます。(笑)

 

これが店となると全く違ってくるから不思議です。年数を重ねることがすなわち店の価値となります。京都には100年単位で続く老舗がたくさんありますが、その風格はまさに年数の重みそのまま、朽ちた看板は美しくさえあります。

 

店を開き、変わったことは数えきれないくらいありますが、変わったことすべての基本にあるのは、「引き算」から「足し算」へ発想が転換したことかもしれません。-(マイナス)から+(プラス)へ。心のベクトルが180度転換しました。

 

もともと家業に携わっていなかった私は、この「しののめ寺町」がスタートライン、2年前の3月16日、まさにゼロからの出発でした。引き算する余地などもとよりなく、足し算していくことでしか生きていく術がなかったように思います。

 

赤ん坊が親の見よう見まねで学習していくように、小学生が先生から「あいうえお」を教わるように、ただただ学ぶことの連続でした。自分の両手で出来ること、自分の足で行ける場所、自分の言葉で伝えられる思い、そうしたことを探すことの繰り返しでした。

 

そうこうしながら店の歴史が一年一年積み重ねられていく。馴染みのお客様がおひとりおひとり増えていく。知人の知人がまた知人になっていく。足し算、足し算、また足し算…。店の経営状況はというと…、こちらはまだまだそうはいきませんが(汗)。

 

知らなかったことを知っていく、出来なかったことが出来ていく、そうした過程は幼児期の成長と同じく楽しいものです。いくつになってもこの楽しさを味わえるのは、なににも勝る贅沢だと思います。この間のどんなしんどさも、支えてくれたのはこの悦びだったかもしれません。

 

もちろん今も進行形、まだまだ足していかないといけないことばかり。少しでも長く、少しでもたくさん、足し算を続けていきたいものです。

 

とはいえ…、引き算が必要なときが、やっぱり、いつか、来るでしょう。そのときはそのとき、今しばらくは足し算人生でいきたいと思います。

 

今年は特に企画は考えておりませんが、心新たに進んでいく所存です。改めまして、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

希少難病患者支援事務局SORD(ソルド)2

店のこと

2014年03月09日

前回のブログ希少難病患者支援事務局SORD(ソルド)でご案内しました3月1日(土)のイベントが無事終了しました。遅くなりましたが、ご報告を。

 

大がかりなイベント、初めての試み、SORDさんにとって大変だったことは想像するまでもありません。それでも多くのボランティアの方の協力を得て、成功裏に終わったようです。本当にお疲れ様でした。

 

こうした出店は「しののめ寺町」にとっても初めてのことでした。なにぶん手作りの商品、しかも家族だけでやっている店です。無理は承知のうえ、私のたっての希望で実現した経緯は、前回のブログに書いた通りです。

 

数日前からイベントのこと、留守にする店のこと、あれこれ気になることばかり。当日、会場で設営を終えた時には、実のところ疲労困憊でした。それでもお客様の姿を見ればシャキッとするのは、店にいる時と同じです(笑)。

 

なにぶん馴染みのうすいイベント、ごった返すほどの来場者とはいきません。通りかかられるお一人お一人に味見をしていただくよう笑顔でお声かけ。長テーブルに絹の風呂敷を掛け、塗り盆にじゃこ山椒と塩昆布を陳列。写真や和紙で作ったポップなど、それなりに用意したつもりでした。けれど…、

 

全く伝えられていない。

 

寺町という風情ある街に店を構え、立地や店の佇まい、様々なものの力に助けられて商品を売っているのだということがよくわかりました。立ち止まり、お買い上げいただいたときの有り難さ。日々わかっているつもりでしたが、改めて身に沁みました。

 

私と同じように事務局長、香取久之氏の講演を聞いた知人がたくさんご来場、「しののめ寺町」のブースにも立ち寄ってくださいました。正直のところ、売り上げの大半は知人による所がほとんどです。ここでもまた改めて知人の有り難さを知ることとなりました。

 

病気や様々なハンディキャップをもつご本人、あるいは子供さんを抱えたお母さんと出会いました。話し込むうちに涙ぐんでしまうことも。年長の出店仲間の方からは商売の極意を教わったり。人の流れを見送りながら、商売の基本中の基本であるマーケティングやブランディングについて考えたり。

 

香取氏は仰いました。希少難病はマイノリティ(少数派)、存在すら気付かれないこともあると。けれど、この会場では少数派と言われる方たちが多数派でした。エネルギッシュに存在感を放っておられました。多数派と少数派など簡単に入れ替わるものなのだとわかりました。

 

店ではお客様と接しますが、このイベントでは少しではありますが社会と接しられたような。また一枚、新しい扉が開きました。

 

箱入り娘ならぬ、箱入りにわか女将が初めて店を飛び出し、初めての場所に立ち、あれこれ思い、感じ、考えた一日でした。畏れ多い例えで恐縮ですが、道に立つ托鉢の僧の思い。きつい面もありましたが、そこに身を置かなければ気づけなかったことに、たくさん気づかされました。

 

とても長い一日でした。たった一日で、一年分の経験をした気がしています。

 

様々なことがありましたが、会場の空気は終始、温かく優しいものでした。最後に思いました。私はこの場にいたかったんだと。この時間を共有したかったんだと。無理を押してでも出店を決めた自分の選択に、自分で腑に落ちました。

 

この機会を与えてくださった全ての巡り合せに感謝申し上げます。

 

写真は副代表理事の中岡亜希さんと一緒に撮っていただいたものです。私が魅了されたはち切れんばかりの笑顔を、ぜひ皆さんにも。

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