お金のこと

店のこと

2015年10月19日

今回はちょっとリアルなお話。お金のこと。あからさまに語るのははばかられるけれど、それでもやっぱり大事なお話です。

 

長年「ほぼ専業主婦」だった私。ずっと消費者側で過ごしていたんだなぁと、当たり前のことを今さらながらに痛感しています。そのころは気づかなかったけれど、店を始めて身に沁みるあれこれ。そんなことを勇気を出して書いてみたいと思います。

 

当時、私が店や商品を選ぶ際に基準にしていたのは、質は少しでも高いものを、価格は少しでも低いものを、そんなことだったように思います。要するに少しでも得をしたい。さらになにかしらプラスアルファなもの、店の雰囲気だったり、店員さんの対応だったり、そういうものから味わうお得感も大切な要素でした。

 

逆にちょっとしたことで、損をしたような気分になっていたこともあります。例えば、買った品物をプレゼント用に包装してもらうには、箱代が別にかかると言われた時。それくらいサービスしてくれたらいいのに、なんて思ったり。例えば、買った品物を宅配便で送ってもらう時。送料は余計な支出だなぁと思ったり。

 

自分が店を開いてみて、よくわかります。質の高いものを作ろうと思ったら、どうしたって価格が高くなること。それは中身のみならず包装品についても同じであること。暑い夏の日も凍える雪の日も、集配し輸送し配達してくださる宅配業者さんの働きがどんなにありがたいかということ。挙げれば切りがありません。

 

こうした品物やサービスを提供するには、お店の方の諸々のご苦労やご負担があったんだと、今になってわかります。それに対して相応の対価というものがあるんだということも。そうしたことに思い至ることなく、わがままな客だったと反省しきりです(笑)。

 

なにもわからず、経験もないまま飛び込んだ商売の世界。毎日がいっぱいいっぱいで、お金のことは二の次でやってきた気がします。開店から3年が過ぎ、少しずつではありますが、お金の流れがようやくわかりかけてきたでしょうか。まだまだですが。

 

もともと株だの金利だの財テクだの、さっぱり興味がない私。難しい経済のことはわかりませんが、もとい、簡単な経済のことすらわかりませんが、あれこれ考えるようになりました。

 

プレミア感のある高額商品から薄利多売の安価な商品まで、玉石混交の物が有り余る時代。世の中に出回っている様々な物やサービス、労働に対して、本当に正当な価格がつけられているのかなぁ、なんて。

 

「貧乏 暇なし」は大変そうでいて生き生きと働く姿が想像されて、結構好きな言葉です。が、石川啄木の「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」は切なすぎて、やりきれなくなります。物も人も適正に評価され、見合った価格、報酬が与えられる世の中であればいいなぁと思います。

 

ひるがえってうちの店。果たして、お客様に支払っていただいたお金の価値に対して、どれだけの価値を提供できているでしょう。どれだけのお得感、満足感を味わっていただけているでしょう。消費者だったあの日の私は、果たして「しののめ寺町」をひいきにするのかなぁ。

 

しきりに気になるこのごろです。

 

「おいしかった」「便利な場所に店を出してくれて助かった」「京都に来る楽しみが増えた」そんな有り難いお声を聞くにつけ、店を続けていくことこそがお客様への究極のサービスなのではないかと思ったりもします。利益を上げられなければ店を続けていくことはできません。利益を上げることは、店にとっての責任なんじゃないかとも思うようになりました。

 

大変ながらも楽しんでさせていただいている商売ですが、お金という観点から考えるようになったのは、私の中で大きな変化です。やっと商売の緒(ちょ)に就いた気がしています。ずいぶん時間がかかりました(笑)。

 

まだまだ難しいお金のことですが、しっかり考えながら、けれどとらわれ過ぎることなく、これからも長く店を続けていきたい。お客様から真に満足を感じていただける店を目指して。そんなことを思う近ごろの私です。ちょっと生々しい話になってしまいましたが、今後ともよろしくお願いします。

明日に架ける橋

店のこと

2015年09月30日

店を始めて様々な方と出会う機会に恵まれるようになりました。多才な皆さん、なかにはライブハウスでライブを開かれる方も数人。先日はそんな知人の一人、Mikiyoさんのジャズライブに出かけてきました。私が出かけるのは今回が2度目です。

責任ある仕事につきながら、小さなお子さんのある家庭を切り盛りし、その合間に歌を続けてこられた彼女。とても小柄な女性なのですが、どこにそんなパワーがあるのかと驚くほどの声量と透明感のある歌声。前回、初めて聴いた時、たちまち魅了されてしまいました。

なかでも「Calling You」という曲を歌われた時のこと、「I am callig you 」という高音のフレーズで感じた衝撃は今でも忘れることができません。

I am calling you…と、私は誰かに呼ばれているような。

I am calling you…と、私が誰かを呼んでいるような。

なにかのメッセージを私に伝えるために歌ってくれているのかと思ったほど。祇園の小さなライブハウスで体験した霊的な感覚でした。彼女の魂のこもった歌声に導かれてのことだったに違いありません。終演後、彼女に「私のために歌ってくれたの?」と思わず聞いたくらいです(笑)。以来、シンガーMikiyoさんの大ファンになりました。

楽しみに出かけた2度目の今回、プログラムには意外にも「Bridge Over Troubled Water~明日に架ける橋~」とありました。私が中学生の頃でしょうか、よく耳にしたサイモンとガーファンクルの名曲です。

歌詞の意味も知らず、ただ何度も出てくる「トラブル・ウォーター」というフレーズが印象的でした。日本人の私の耳にはそう聞こえるだけで、きっと違った単語なのだろうと思っていました。「What time is it ?」が「掘った芋いじった」に聞こえるような。

Troubled Water …本当に「トラブル・ウオーター」だったのだと、今回初めて知りました。激流、困難といった意味でしょうか。君が辛い時、僕が激流に架かる橋のように、身を投げ出して君を助けるよ…なんて意味だとか。こんな情熱的な曲だったとは驚きです。

Mikiyoさん自身、ジャズではないのでチャレンジングな選曲なのですがと話されていましたが、ジャンルを超えて選ばれた意味がわかる気がしました。そして、その歌詞の通りの熱唱。今回も心が震えました。またまた、私のために歌ってくれているのかと(笑)。

終演後「私も明日に架ける橋がほしい!」と叫ぶ私に、「私がなりますよ」とこともなげにMikiyoさん。守るべきものがいっぱいある彼女、ましてやこんなにも小柄な彼女に、私の激流に架かる橋になんかなってもらったらバチが当たるというものです。ありがたいお気持ちだけ頂戴して、丁重にお断りしました(笑)。

以来、この曲が耳から離れません。朝、店へと自転車で走る時。夕闇のなか自宅へと急ぐ時。知らず知らず口ずさんでいます。

Like a bridge over troubled water

I will lay me down

「明日に架ける橋」は、やっぱり自分で架けなくちゃ。

頑強な橋はとうてい無理だけれど、小さな橋を明日へひょいと架けてみる。それなら私にもできそうな。そうして一日が終われば、また小さな橋をひょいと明日に架けてみる。そうして一日一日を過ごしていって、気づけばここまで生きてきた…、なんていうのが素敵だなぁ。

昔から耳に馴染んでいた歌が、何十年を経て蘇る。やっぱり歌って素晴らしい。

そんなことを思う9月も今日で終わり。明日はもう10月です。けれど、たいそうに考えずに、今夜も眠る前、小さな橋をひょいと明日に架けてみよう。そう思っています。

ユルスナールの靴 2

素敵な女性

2015年09月11日

9月に入り、めっきり涼しくなりました。今年の夏は例年にも増して厳しい暑さで、とても長かったように思うのですが、そんな日々ももう遠いことのよう。季節の移ろいは本当に早いものです。

前回のブログ八日目の蝉でも触れていますが、店を始めるまでは毎年ひどい夏バテに悩まされていました。店を始めるにあたって、夏、私の体力がもつかどうかが心配事の一つでしたが、お陰様で休むことなく続けてこられています。そんな自分に驚きながら、夏になると思い出すフレーズがあります。以前にも紹介しましたが(ブログユルスナールの靴)もう一度。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いて行けるはずだ。そう心のどこかで思い続け、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

                   須賀敦子 「ユルスナールの靴」

イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子さん。残念ながらもう亡くなられましたが、美しい文体が魅力で、女性としても素敵だなあと思う作家さんです。なかでも、この一節に出会ったときは、ちょっとした衝撃でした。

当時「ほぼ専業主婦」だった私。自分を生かせる場所を探して、あれこれ出かけては、やっぱりここは私の居場所じゃないと、あとにして。そんなことを繰り返していました。私は自分を生かせるものなど持ち合わせていないのだと、どこかであきらめていたような。それでもやっぱり、あきらめ切れずに苛立っていたような。そんな思いを代弁してくれる一節だったのです。しかも「ユルスナールの靴」だなんて、洒落た表現で。

思いがけないことに店を開くことになり、気づくと、きっちり足に合った靴を履ている自分がいました。この靴ならどこまでも行けそうで、歩くのももどかしく、いつも前のめりの駆け足でここまで来たような気がします。

そうして今年の春、三周年を迎えました。三年も経てば落ち着くのかと思いきや、三年経ってようやくわかってくることばかり。見直しを迫られることが重なり、あれやこれやいつも考え事。ヒートアップした脳みそは熱く感じられるほどで、眠っていても余熱冷めやらず。疲れているはずなのに、少しの睡眠時間で目が覚めてしまう。そんな日が続いていました。

もともと要領が悪く、全力疾走しては倒れ込むタイプの私。がんばりどころと危険領域との境界がさっぱりわかりません。警告ランプでも点灯してくれたらいいのですが、そんなわけもなし。8月のお盆過ぎ、夏季休業に入るやダウンしてしまいました。

ユルスナールの靴でこけちゃった。

休み返上で後半戦に備える態勢でいたのですが、それどころでなく、近所の医院に通って点滴を受けては、自宅ベッドで昏々と眠り続ける5日間でした。こんなに眠れるものかと思うほど眠り続け、やがて脳みそもクールダウン。そうして思ったこと…。

元気な体さえあれば、なんとかなる。

気になることは数知れず、やるべきことも数知れず。けれど、それもこれも元気な体があってこそ。全部やり遂げたところで、ダウンしてしまったら元も子もない。困ったら誰かに助けを求めよう。至らないところは謝って許しを請おう。続けていくことが一番大事。そう思い知りました。

ダウンしたのは、こうでもしないと休まないだろうと思われた、神様からのドクターストップだった気がしてなりません。

やっと見つけたぴったりの靴。見つけられたことがうれしくて、夢中でここまできたけれど、これからは歩き方が大事だなぁと思います。どんなに素敵な靴も、寝込んでしまったら履くこともできないのだから。

時にゆっくり歩いてみたり、時にスキップしてみたり。私なりの歩き方を見つけていきたい。履くほどに足に馴染む靴のように、愛おしみながら、どこまでも一緒に歩いて行きたい。私のユルスナールの靴。

そんなことを思う秋の入口です。

八日目の蝉

アートなこと

2015年08月23日

日差しの強くなった七月から、通勤は日焼けを恐れて自転車から地下鉄に変更です。丸太町の駅で地上に出ると、たちまち、けたたましい蝉の鳴き声が。空からシャーシャーと降り注ぐような大音響のなか日傘を差して歩いていると、しきりに浮かぶ言葉があります。

八日目の蝉

角田光代さんの小説です。残念ながら原作は読んでいないのですが、何年か前に映画を観ました。印象的なタイトルと共に、感慨深いストーリーが今も心に残っています。

不倫相手の赤ちゃんを不本意ながら堕胎した女性が、時を同じくして出産した本妻の赤ちゃんを衝動的に誘拐。自分の子どもとして育てるも、数年で発覚。本来の両親の元に戻された子どもは、なにもなかったように普通の生活に戻れるはずもなく…。

成長したその女の子が、通常では有り得ない経験をした自分を蝉になぞらえ、同じく不遇な環境で育った女性に語ります。七日でみんな死んでしまうなか、一人だけ八日目まで生きる蝉がいたら悲しい、と。

相手の女性は答えます。八日目の蝉はほかの蝉には見られなかったものが見られる。それはすごく綺麗なものかもしれない、と。

小説家の着眼点のおもしろさに感心せずにはいられないワンシーンです。タイトルが決まると、作品はほぼ完成したも同じ、と聞いたことがあります。これはまさにそうだったのではないかと、素人ながらに思う一冊です。

店を始めるまでは、毎年ひどい夏バテに悩まされていました(ブログユルスナールの靴)。早朝から聞こえてくる元気極まりない蝉の鳴き声には、苛立たしささえ覚えたものです。それが、この映画を観てからは、渾身の力で鳴き、短い命を生き切る蝉が、無性に愛おしく思えるようになりました。

店への道すがら聞く蝉の鳴き声に、私もずいぶん夏に強くなったものだと感心しながら、そんなことを思い出しています。

ほんの3年半ほど前までは「ほぼ専業主婦」だった私、開店以来の日々は、かつての生活では有り得なかった経験の連続でした。思いもよらないこと。経験してみなければわからないこと。うれしいこともありますが、ときにしんどく思うことも。

ふと、平穏な暮らしってどんなかな、と思うことがあります。平穏な暮らしのイメージを勝手に描きながら、うらやましく思ってもみたり。しばし妄想にふけったあと、我に返って思います。うれしいことも、しんどいこともない交ぜの、てんやわんやの人生の方が、きっとおもしろい。

私は八日目の蝉になりたい

私にしか見られない綺麗なものが、きっと見られるはず。私はそれを見てみたい。そんなことを思う八月、生きることに貪欲になってきた自分を感じるこのごろです。

祇園祭

お祭りのこと

2015年08月09日

店を始めて増えた楽しみは山ほどありますが、その一つが祇園祭です。

自宅は鉾や山が建てられる四条通界隈から、地下鉄で北に5駅ほど。すぐといえばすぐなのですが、あまり出かけて行ったことがありません。というのも暑いさなか、ただならぬ雑踏です。さらに祇園祭というと街の中心部の格式高い会社やおうちの方たちのお祭り、という印象が私にはありました。どこか近寄り難いような。(ブログ私が苦手だったもの 京都

クライマックスの17日の山鉾巡行。それを前に縁日で賑わう宵山、宵々山。この三日間あたりがお祭りのメイン。長年、そう思っていました。 そんな認識が、寺町に店を構えてから一変することに。

お客様の中には、鉾町にお住まいの方も多くいらっしゃいます。あるいは囃子方さんや、鉾や山の引き手さん。御神輿の担ぎ手さん。浴衣姿で厄除けの粽(ちまき)の売り子をするという小さな女の子も。

7月の一ヶ月を通して様々な行事があり、様々な方が関わっておられること。決して街中の一部の方だけでなく、京都各地から、あるいは他府県から、外国からと門戸が広く開けられていること。自分が随分間違った認識をしていたと気づかされることが、たくさんありました。

そうした皆さん、祇園祭への思い入れは強く、口々に熱く語られる、語られる。決してお祭り騒ぎのノリではなく、神事としての厳かさを湛えられていて、こちらも神妙な面持ちで聞き入ってしまいます。

鉾立て、曳き初め、神楽、今様、…。興味を持ってみると、毎日どこかでなにかが行われていることがわかり、それだけで心浮き立ちます。最近ではフェイスブックなどで、知人たちが各所の様子を画像や動画つきで伝えてくれるので、店に居ながらにして雰囲気を味わえるのは有り難いことです。

7月17日は台風の影響で大雨。山鉾の巡行が危ぶまれましたが、決行の英断。小雨になることを祈りながら、仕事の合間にテレビ中継を見ていましたが、雨は激しくなるばかり。あいにくの天候ではありましたが、むしろ京都の町衆の心意気が伝わり、いつにない感動を覚えました。

その夜の御神輿が練り歩く神幸祭に、今年は初めて出かけてみました。夜になっても衰えを見せない大雨。朝の雅な山鉾巡行とは打って変わり、勇壮な御神輿巡行には、そんな大雨もまた似合うようでした。

御神輿に神様が乗っておられ、街中を旅しながら人々の様子をご覧になるのだとか。祇園祭のクライマックスはむしろこちら。朝の山鉾巡行は、神様の来訪に先駆けてのお清めの意味があるのだと知り驚きました。

大雨の中、雑踏の中、神様、私を見つけてよ。私を見守っていてよ。心でそう祈りながら、御神輿のあとを付いて歩きました。

店の近く、下御霊神社のお祭りの時もそうですが、お祭りの夜にはいつも、なにかしら心が感じやすく、涙もろくなってしまいます。きっと神様が近くにいらっしゃるんだなぁ。その日も、そう思わないではいられない夜でした(ブログ下御霊神社)。

山鉾巡行では先頭の長刀鉾にお稚児さんが乗っておられます。就任時のインタビューで無邪気な様子を見せていた小学生が、この日はまるで別人。まさに神様の使い。神様が宿ったかと思われるほど神々しい姿に、いつも息を呑んでしまいます。

上の写真は神幸祭のお稚児さんですが、こちらもまた神々しい。 思えば、ひとは誰もが神性というものをもって生まれてくるのではないかと思います。赤ん坊の顔はあどけないようでいて、ときに神々しい表情にハッとさせられることがあります。残念ながら、年齢を重ねるごとに忘れていってしまうようですが。

お祭りの日、誰もが童心に返るのは、神様が近くに来てくださることで、眠っていた神性が目を覚ますからではないでしょうか。お祭りの夜、私の魂も幼い頃の無垢な、神性を宿した女の子に返ったのだと思います。久し振りに浴衣を着てみたくなったのは、そんな女の子の願いだったかも。

店を始めて4度目の祇園祭。蒸し暑い夏の京都に住まう贅沢を、初めて実感した7月でした。遅ればせではありますが、これからも一年一年、祇園祭を楽しんでいきたいと思います。

しののめ寺町 公式オンラインショップ

ONLINE SHOP

お得な平袋から数量限定の季節商品、箱入り贈答用まで 取り扱い

トップへ戻る