美しいひと

素敵な女性

2014年03月31日

店を始めて気づいたことの一つが、世の中には美しい女性がたくさんいらっしゃるんだなぁ、ということです。

ご来店くださるお客様を拝見していても、皆さん、ご自身の個性に合った装いがお上手で、それぞれにお綺麗。着物を召した方も珍しくなく、清楚に、粋に、持ち味を活かした着こなしが素敵です。

ここ寺町界隈は若いファミリーが多く住まわれている地域で、ベビーカーを押しながらご来店くださるママの姿も。子供さん共々にファッショナブルで、雑誌から抜け出たようだと思うことしばしばです。

店の中からガラス戸越しに通りを行き交うひとを眺めながら、京都には美しい女性が似合うなぁ、なんて思います。

事業をされている女性に会う機会も増えました。意識の高い女性は美意識も高く、自身を魅せる能力にも長けておられます。学ぶことが多く、いつも眩しく眺めています。

女性の数だけ美しさがあるなぁと思います。

そういう 私はというと…。学生の頃からいつも友達の引き立て役ばかりしていたような。そこへ男性が近づいてきたなら、疎まれる前に一人その場を離れる、なんてタイプでした。美人を見ると、まわりから綺麗、綺麗と言われて生きる人生ってどんなんだろうと妄想してしまいます(笑)。

女性の美しさは、他人事に語るには気楽ですが、自分のこととなると厄介です。

どんなに痩せても、自分は太っていると拒食をやめない女性がいるとか。他人にとっては取るに足らないこと、むしろチャームポイントに思えることが、本人にとっては大きなコンプレックスであることも。

過度なうぬぼれはよくありませんが、自分を卑下しすぎるのもよくない。けれど、そもそも自分の容貌を客観視することなど、土台無理な話です。

女性が美しく装って街を歩けることは、なによりの平和の証、素晴らしいことです。さらにアンチエイジング流行りの今、お金と時間があれば誰でも何割増しかで綺麗になることも可能、女性にとって恵まれた時代です。

そもそも女性の美しさってなんなんだろう、と迷ってしまうことも。

「あなたが思う美しいひとは?」と聞かれたら、私が一番に思い浮かべる女性がひとり、横田早紀江さん、北朝鮮の拉致被害者、横田めぐみさんのお母様です。想像を絶する苦悩の日々を長きにわたって送られていることは周知の通りです。

そんななかにあってなお、常にそこはかとなく漂う気品。恨みつらみで表情を歪めることなく、揺るがない美しさ…。それらはどこからくるんだろう。支えているものはなんなんだろう。テレビで拝見するたびに考えます。

最近、お孫さんと面会された由。会見で見せられた笑顔はいつにも増して美しいものでした。近い将来、めぐみさんとの再会も叶うことを願ってやみません。その時に見せられる笑顔はまたどんなに美しいことでしょう。

様々なことは天からの授かりものと思うこのごろ、容貌も例外ではありません。人と比較して羨んだり、ないものねだりじゃなく、ありのままを認めてみる。そこからしか始まらないことがあるような。

自分なりの魅力、年齢相応の美しさ、そういうものを目指して生きていきたいなぁ。努力は怠れないけれど、抗い過ぎず。そうして、容貌だけでなく、丸ごとの自分を認められるようになりたい。

そんなことを思う年度末です。

宮古島 農家民宿 津嘉山荘

素敵な女性

2014年02月16日

厳しい寒さが続きます。2月のこの時期になると蘇る思い出があります。3年前のちょうど今頃、沖縄の宮古島へ一人旅をしました。「しののめ寺町」開店の一年前、そんなことになるとは想像だにしていなかった時です。


真冬に? 一人で? なんで宮古島?


ユタに会いに…。

これまでにも増して驚かれたでしょうか。ユタというのは女性のシャーマン(民間霊媒師)で、沖縄では生活に根差した存在です。当時、まわりからはいつも元気そうやねと言われながら、心の中は閉塞感でいっぱいいっぱいだった私。ただ誰かにそっと背中を押してほしかった。それがユタ…というのは、やっぱり変わっているかもしれません(笑)。

宮古島はスピリチュアルな島といわれています。どこもかしこも絵になる風景で、出会った方々は誰も彼もユニーク、摩訶不思議なエピソードが満載の不思議な旅でした。私に才能があれば、まちがいなく一本の映画が作れたと思います。

生憎その才能を持ち合わせていない私は、いらぬ誤解をされるのも怖く、うまく表現できないまま、ひとり心の中であたためてきました。どこまでお伝えできるか自信はありませんが、そろそろ表現してみようと思うようになりました。まずはお宿から…。

宿泊先をインターネットで検索していて見つけたのが、「農家民宿 津嘉山荘」。宮古島はトライアスロンが行われる土地で、選手のあいだでは有名なお宿のようです。アットホームな雰囲気、心づくしの手料理、そして名物おかみ千代さんの圧倒的存在感! 豪華なリゾートホテルも気楽なビジネスホテルも適わない魅力に、即決しました。

千代さんとの出会いは衝撃的でした。 出会ってわずかばかりの会話を交わしただけの私を、突然がばと抱きしめてくださったんです。しかも目に涙を浮かべて。なにが起こったかわからないくらい驚きました。そのころ泣くこともなくなって久しかった私ですが、思わず泣いてしまいました。

これが会ってほんの数分後のこと。心が触れ合うって、こういうことなんだと思いました。

朝夕の食事時、宿泊客は母屋の広間に集まります。部屋には仏壇や神棚、ご先祖の写真が飾られています。大きなお膳を囲むと、知らない同士もたちまち打ち解け、旧知の友人か親戚のよう。しばしば箸が止まるほど話が盛り上がり、笑い声が上がります。ひときわ大きな笑い声が千代さん。

供されるのは、千代さんのご主人が育てられた野菜を使った手料理の数々です。カリフラワー、ニラ、トマト…、どの野菜も力強い。ウミブドウ、ゆし豆腐、ゴーヤーチャンプルー…、ひとつひとつの料理がエネルギーに満ちている。そして名物は千代さんが農林水産大臣賞を受賞したというラフテー(豚バラの角煮)。柔らかくって、それはそれは美味しかった。

京都に帰る日の朝食後、誰もいなくなった広間で千代さんと二人きり、ゆっくり過ごす時間を持てました。千代さんはご自身の波乱万丈の人生を重ね合わせながら、いろいろな話をしてくれました。そして言いました。力を込めて、何度も、何度も。

「先のことはわからないよ。先のことはわからない」

先にはきっといいことがあるよ、きっとある。そう言ってくれているように聞こえました。千代さんが言うんだからそうかもしれない、その言葉をお土産に帰ってきました。気づけば思いもよらなかった「しののめ寺町」開店という事態に。千代さんの言葉の通りでした。

このブログで以前、青森の佐藤初女さんのことを書きました(佐藤初女さんのこと佐藤初女さんのこと2)。ふるさとがないと嘆いている私ですが(ふるさと)、北には初女さんの「森のイスキア」が、南には千代さんの「農家民宿 津嘉山荘」が、素晴らしいふるさとがふたつもありました。中間の京都で暮らしながら、左右の両手をしっかり握られ、支えられているようです。

今につながる予言的な言葉や力をたくさん授かった旅でした。まだまだ途上、その意味を理解するには時間がかかりそうです。折り合いのついたことから少しずつお伝えしていけたらと思います。

志村ふくみさんの言葉

素敵な女性

2013年10月29日

先日、胸に迫る文章に出会いました。インターネットを通じて配信された貴重な情報を、知り合いの方が届けてくださったものです。少し長いのですが、引用させていただきます。

 

『人生は織物のようなもの』

                              志村ふくみ 染色家で紬織の人間国宝

           「致知」2013年11月号 特集「道を深める」より

 

   自分の色というものは、

   たった一つしかないのかもしれません。

   それを求めてもらいたいと思いますね。

 

   一つしかない色だけれど、喜びや悲しみなど様々な感情、

   刺激によって輝いていく。

   その色に出逢うための人生じゃないですか。

 

   それと同じように、

   人の人生も織物のようなものだと思うんです。

   経(たて)糸はもうすでに敷かれていて

   変えることはできません。

 

   人間で言えば先天性のもので、

   生まれた所も生きる定めも、

   全部自分ではどうすることもできない。

 

   ただ、その経糸の中に陰陽があるんです。

   何事もそうですが、織にも、

   浮かぶものと沈むものがあるわけです。

 

   要するに綾ですが、これがなかったら織物はできない。

   上がってくるのと下がってくるのが

   一本おきになっているのが織物の組織です。

   そこへ緯(よこ)糸がシュッと入ると、

   経糸の一本一本を潜り抜けて、トン、と織れる。

 

   私たちの人生もこのとおりだと思うんです。

   いろんな人と接する、事件が起きる、何かを感じる。

   でも最後は必ず、トン、とやって一日が終わり、朝が来る。

   そしてまた夜が来て、トン、とやって次の日が来る。

   これをいいかげんにトン、トン、と織っていたら、

   当然いいかげんな織物ができる。

   だから一つひとつ真心を込めて織らなくちゃいけない。

   きょうの一織り一織りは

   次の色にかかっているんです。

 

             出典 致知出版社 「人間力 メルマガ」

 

どこにも無駄のない言葉が綴られていて、何度読み返しても心に響きます。なかでも胸打たれたのが下記のくだりです。

 

   経(たて)糸はもうすでに敷かれていて

   変えることはできません。

 

   人間で言えば先天性のもので、

   生まれた所も生きる定めも、

   全部自分ではどうすることもできない。

 

宿命、あるいは宿業、宿縁といったものでしょうか。確かに自分ではどうすることもできないのですが、さりとて受け入れ難く、抗ったり、時に恨んだりしがちです。自分がああだったら、ああなれたのに。こうだったら、こうはならなかったのに、なんて。

 

けれど、人生ってここを受容することからしか始まらないのかもしれません。いいものも悪いものも、すべては天からの賜りものと思って。そう思うのは相当難しいことですが。

 

織り機にピンと張られて整然と並ぶ経糸は、どこか潔く、それだけで美を感じさせます。まさに天からの賜りもの。緯糸を通していくのは自分の手です。経糸を生かすも殺すも緯糸次第、そう思うと可能性は無限大です。

 

自分の色がどんな色なのか、まだわかりません。真心込めて織るうちに自ずと浮かび上がってくるはず。そう信じて、今日の一織り、明日の一織り、丁寧に織っていきたいと思います。これからの人生、まだまだ楽しみです。

佐藤初女さんのこと2

素敵な女性

2013年06月13日

晴天続きに猛暑と、今年の梅雨ははおかしな具合ですが、6月のこの季節になると浮かぶ光景があります。

佐藤初女さんという女性をご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。2012年3月29日のブログ佐藤初女さんのことでも書きましたが、青森県弘前市、岩木山の麓で「森のイスキア」という宿泊施設を主宰されている方です。「食は命」の信念のもと、90歳を越えた今も、心尽くしの手料理で、全国あるいは各国からのお客様をもてなされています。 多くの出版物が出ていますので、興味のある方は一冊読んでみられることをお勧めします。

食べることが楽しみと仰る方は多いと思います。反面、食事は体調や精神状態の変化で大きく左右されるものです。食欲は健康のバロメーター。楽しい食事は美味しく感じ、気詰まりな食事は砂を噛むよう。悩みがあると食事も喉を通らない、とはよく言ったものです。

私は殊に過敏に反応するタイプなのか、食べることがとても負担になることがあります。体と心と食事が密接につながっていることを強く実感します。そんな私は、どうしても一度、初女さんの手料理を食べてみたくなり、当時はまだ運行していた寝台特急日本海 に乗って一人出かけていきました (2012年3月18日のブログさよなら、寝台特急 日本海)。それが4年前の6月です。

全国各地からの宿泊者が10人くらい。初女さんも一緒に大きな卓袱台を囲んでの夕食。皆、状況は様々ながら、どこか共通したものがあるのでしょう、たちまち打ち解け、修学旅行のような楽しさでした。その夜は、ふすまを取っ払ってふとんを並べ就寝しました。

翌朝、階下から聞こえる鍋や包丁の音で目覚めました。とても懐かしい感覚です。近くの森を散歩して帰ってくると、卓袱台にはとりどりのおかずが並べられていました。

初女さんの「感謝していただきましょう」の言葉で始まった食事、それはそれは美味しい朝ごはんでした。初女さんが話してくださる南瓜の炊き方、焼き魚をのせた葉っぱの名前…。皆、笑顔です。けれど、別れの時間が迫っていることもわかっています。楽しければ楽しいほど、切ない思いがこみ上げます。会話がふと途絶え、鳥のさえずりが部屋に広がります。

私は食べ終わってしまうのがもったいなくて、一口一口、ゆっくり噛みしめながら食べました。味わい味わい食べました。このまま、ずっと、こうしていたい。そう思ったことを覚えています。旅先の朝食は多過ぎて残してしまうのが常ですが、この日は気づけば完食。一番驚いたのは私自身でした。うれしくて、「全部食べられました!」と隣に座る初女さんに告げると、にこやかに頷いてくださいました。

この日の朝ごはんで、私は一生分の生きる力を授かったような気がしています。そんな大げさなと思われるかもしれませんが、本当です。食の力の深さを身をもって知った旅でした。

このときは思ってもみないことでしたが、今、私も食にかかわる仕事に携わるようになりました。日々、尊さと畏れを感じています。この日の朝ごはんで授かった力を糧に、これからもやっていきたいと思います。

ユルスナールの靴

素敵な女性

2012年08月07日

きっちり足に合った靴さえあれば、

じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。

そう心のどこかで思い続け、

完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

 須賀敦子 「ユルスナールの靴」より

 

今日は立秋、暦の上では秋とはいえ厳しい暑さが続きます。

地下鉄「丸太町」から地上に上がると、真夏の太陽が照りつけます。

セミがシャーシャーと鳴く道を、昼のお弁当やらを詰め込んだ重いスーツケースを引きながら、東に向かって歩くのは、結構、こたえます。

私は夏が苦手で、食欲は激減。ほうほうのていで夏をやり過ごす、なんてことがもう何年も続いています。

起業に当たって不安なことは山ほどありましたが、体力がもつかどうかもその一つでした。

しっかり朝ごはんを食べ、最低限ながら家事を済ませ、店に向かって歩く自分に、私自身が一番驚いています。

 ゆっくりながら歩を進める自分の足元を見つめ、ふと心に浮かんだのが冒頭の一節です。 イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子は、とても魅力的な文章を書く人で、大好きな作家の一人です。

これまでの私…、あれこれ模索しながらも、なにかしっくりいかないものを感じて生きてきたように思います。 わがままなだけかもしれませんが。

やっと私の足に合った靴が見つかったのかな。

まだ歩き出したばかり、先のことはわかりません。

今はただ一歩一歩、この靴で行けるところまで行ってみよう。

そんな風に思っています。

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