経営理念
店のこと
2021年05月30日

今回はなんとも堅いタイトルになりました。といいましても、この私に難しいことなど書けるはずがありません(!)。どれどれ? って感じでお付き合い願えたらと思います。
以前にこのブログでも書きましたが、縁あって中小企業家同友会という会に所属させていただいています(ブログ中小企業家同友会)。
中小企業と一口に言いいましても、一人でされている方から、多くの社員を抱えておられるところまで。業種や形態も実にさまざまです。
ただ一つ共通点があるとしたら、誰もが懸命に事業に取り組んでおられることでしょうか。
その片隅でひっそりお話を伺えればいい。そう思って入会したのですが…。
ここでは規模や年商、年齢や経験に関係なく、一人の会員として誰もが平等に尊重される。そのことにまず驚きました。
以来、店の運営をしていくうえで、常によりどころとしてきた場所。気づけば7年になります。
事業を継続、発展させていくうえで、経営理念は欠かせないものとよく聞きます。全社員が力を結集して迷うことなく進んでいくための道しるべのようなもの、とか。
経営理念のある企業は、ない企業に比べ、業績がすぐれているというデータまであるそうです。
中小企業家同友会でも経営理念はとても大切なものと位置づけられています。というわけで、まだない会員には、先輩会員がサポーターとなって成文化まで漕ぎつける。という活動が伝統的に行われています。
年に一度、半年ほどかけて行われるプログラム。その名も「実践塾」です。
気になりながらも、なんだか難しそう。営業時間と重なることもあり、これまで踏み切れずにいました。
けれど潜在的な経営課題に加え、想定外のコロナ禍の襲来。今こそ、との思いで、昨年秋から始まる実践塾に参加することを決意しました。
小グループに分かれて進められていくのですが、初回の顔合わせからビックリ。家族でもないのに、友達でもないのに、どうしてここまで一生懸命になってくださるのかと。
事業を続けることの難しさと喜び。そのどちらをも、よくよくご存じの皆さんだからこその熱い思いなのでしょう。
これはもう、私も真剣に応えなければいけない。そう覚悟を決めてスタートしました。
長年にわたって練られてきたカリキュラムは、私などが言うのも失礼なことですが、それはよくできたものでした。毎回、与えられる課題は、様々な切り口から自社を分析し、考えを深めていけるよう組み立てられています。
まずは自分史から。誕生から今日までを振り返るなかで、自分が大切にしてきたことが、改めて浮き彫りになっていきます。かけ離れているようで、経営の基本はここにあるのだと再認識させられる課題です。
以降も、個として、あるいは社会的なものとして、自分や自社の存在意義を考えたり。夢を膨らませる一方で、電卓叩いてひたすら現実を直視したり。
さまざまな次元、時間軸を行きつ戻りつ。頭を打ってまた振り出しに…。
そして最後は、自分はどう生きたいのか。そのための事業のあり方はどういうものなのか、との問いにとことん向き合うことになります。
事業の数だけドラマがあるんだなぁ。
もともとあった店から独立という形でスタートした「しののめ寺町」。正直、既に軌道に乗っているものを、そのまま持ってくればいいのだと、安易な気持ちがあったことは否めません。
現実はそんな甘いものではないばかりか、独立だからこその難しさと葛藤。そうしたことを今一度、整理したい。実践塾に参加を決めた一番の目的は、これでした。
変えていいこと。
変えてはいけないこと。
変えなければいけないこと。
創業者の思い。
自分たちの思い。
お客様の思い。
一筋縄ではいかない難しい作業。私自身はもとより、それに付き合ってくださるサポーターさんもまた大変なことだったと思います。親身に寄り添うほどに、苦言を呈さなければいけないことが出てくるわけですから。
自分では気づかないこと。気づきながらもそのままにしてきたこと。痛いところを鋭く指摘され、たじたじとすることしばしば。
そんな真剣勝負のやり取りを繰り返し、最後の最後、取り散らかっていたジグソーパズルの残りの一片がパチンとはまった気がしました。
そして10項目にわたって取りまとめた経営指針書が、今年の春に完成しました。その中の最重要項目、経営理念を以下の五つとしました。
手作りの伝統の味を守ります。
食べることの楽しさと幸せを届けます。
調和ある職場環境を整えます。
地域に根差し、地域と共に発展するよう努めます。
誰もが尊重される世の中になるよう貢献します。
未熟ながら、納得して決めたことです。が、実践するのはどれも難しい。本当に難しい。はたして私たちにやっていけるんだろうか。自問自答のこのごろ…。
今年は、自分を試す年、試される年になりそうです。
サポーターさんはじめ、ここまで支えてくださった多くの同友会会員ならびに職員の皆様には、感謝の思いでいっぱいです。
事業を行うものとしてだけでなく、人として、この会に出会えてよかった!
そんなこんなの「しののめ寺町」ですが、どうぞこれからも温かく見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
9周年
店のこと
2021年03月25日

去る3月16日、「しののめ寺町」は9周年を迎えることができました。ひとえに皆様のご愛顧の賜物、ありがとうございます。
常々、不思議に思っているのですが…。このところご無沙汰のお客様、どうされているかなぁ、なんて思っていると、その数日後にひょっこりご来店。ビックリすることがあります。
沈んだ気持ちでいる時に限って、楽しいお客様が続き、たちまち気持ちも晴れ晴れ、なんてことも。
あまりにタイムリーなご来店に、私の思いが通じて馳せ参じてくださったのか。はたまた神様のお計らいか。なんて思わずにはいられないこと、しばしばです。
どんな時も皆様の笑顔とあたたかいお言葉が支えとなり、今日までやってくることができたのだなぁと、心から思っています。
一年前の8周年は、ちょうどコロナ禍が深刻になり始めた頃でした。そんななか縁あって、Mi meriendaさんとのコラボ商品【山椒きなこポルボロン】が誕生しました。
周年記念にと特別のパッケージをご用意くださり、お客様にプレゼントできたことは、不穏な日々のなか、心温まる企画となりました(ブログ山椒きなこポルボロン)。
その後、コロナの猛威は勢いを増すばかり。こそりとも音のしない店内で、すっかり停止してしまったような時間のなか、いろんなことを考え、ない知恵を絞り、とにかく出来ることからしなければと動き出し…。
気付けば、店内外のしつらえが変わり、包装資材が改良され。助成金の煩雑な申請作業では鍛えられることもあり。コロナに泣かされ、コロナに背中を押された一年だったように思います。
9周年…。中途半端な数字ですが、思いひとしおの今年です。
思い起こせば、初めての周年に誕生したのが、ご近所の洋菓子店シェラメールさんに作っていただいた【山椒メレンゲ】でした。のちに続くコラボ商品、周年記念の先駆けとなった始まりです(ブログ メレンゲ妃)。
そのシェラメールさんも昨年、店舗を移転され、【山椒メレンゲ】も惜しまれながら終了したのですが、今回、特別に作っていただくことができました。お客様にプレゼントしながら、初心に帰った思いのする懐かしい企画となりました。
ことほどさように、まわりのあらゆる方々に恵まれながら積み重ねてきた一年一年。改めて感謝の思いでいっぱいです。
9周年とくれば、次は10周年を目指さないわけにはいきません!(笑)
この間に考えたこと、湧き出てきた思い。そんなことを一つ一つ形にしながら進んでいきたいと思います。
このブログでもお伝えしていくつもりです。店共々、これからもどうぞよろしく願い申し上げます。
ファイト!
店のこと
2020年12月24日

このところバタバタしていて余裕がなく、ブログの更新がすっかり遅れてしまいました。そうこうしている間に、新型コロナウィルスの第三波で、また大変な世の中に。皆様、どのようにお過ごしでしょうか?
そんな今、耳について離れない曲があります。「ファイト!」。以前から私のブログを読んでくださっている方にはお馴染み、またも中島みゆきさんの曲です。(ブログ誕生 ブログ時代)
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴らが笑うだろ
ファイト!
冷たい水の中を
ふるえながらのぼっていけ
この一節が有名で、皆さんも一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。
この夏に観た、中島みゆきさんの名曲がタイトルになった映画「糸」のなかでも歌われていていました(ブログ糸)。以来、なんとなく心に残っていたところへ、先日、たまたまつけたテレビの歌番組で女優の満島ひかりさんが歌っておられるのを聴きました。
満島ひかりさん、不思議な魅力があり、好きな女優さんの一人です。ある時、著名な精神科医と対談されているのを見たことがあります。
その道の専門家相手に物怖じすることなく、ご自身のスピリチュアルな体験などを、とても楽し気に話されていて、魅力の源を垣間見た気がしたのを覚えています。
そんな彼女の歌う「ファイト!」。中島みゆきさんの歌唱ももちろん素晴らしいけれど、また違った世界観で、衝撃を受けてしまいました。
今回、改めて聴き入るなか、有名な前述の一節とは別に、とても心に迫る一節がありました。
勝つか負けるか それはわからない
それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました
コロナ禍の今、こんな思いで暮らしておられる方がたくさんあるのではないでしょうか。飲食や観光業に従事する方。医療の最前線で献身的な働きをしてくださっている方…。
コロナ禍はさて置いても、人生は時に闘いの様相を呈することもあるもの。そうしたなかで、こんな思いを抱きながら、立ち向かっておられる方もたくさんあるかと思います。
少々やけっぱち気味に歌われるこの曲。その緊迫感は悲壮でありながら、腹をくくったひとの底力がほとばしるよう。聴いているうちに、根拠なく希望が湧いてくるのは私だけでしょうか。
以来、ついつい口ずさんでいる自分に気づきます。私は私の闘いのなか、へこたれそうになる心を鼓舞し、背中を押してくれる気がする不思議な曲。ただ今、私の応援歌です。
もしかしたら私みたいに、思わず口ずさんでいる方が日本中にたくさんおられるのかも。歌う人の数だけ、それぞれの「ファイト!」があるんだろうな。そんなことを思うこのごろです。
コロナがあっても、なくても、大変な時代を生きている私たち。そんな今、世の中に向かって、自分に向かって、渾身の思いで叫びたい。
ファイト!
下記に満島ひかりさん歌唱の動画のリンクを貼っております。ぜひご覧ください。
H先生のこと
店のこと
2020年10月07日

開店前、ホームページが必須と聞き、自作サイトで作成し。そこにはブログが必須と聞き、日々のことを数行ずつ書き始め(ブログ雪の寺町)。そうして始まったこのブログも、店と共に8年半になりました。
今は月に一度がやっとのペースですが、その時々の思いを綴りながら、心を整理し、時に奮い立たせる場として、私にとってもなくてはならないものになりました。
ブログを読んでくださっている方から、時々「文章がお上手ですね」と声を掛けていただくことがあります。ほめてもらっていて恐縮なのですが、この言葉を聞くと、ある方の苦虫をかみつぶしたような顔が浮かび、「まだまだやなぁ」と心の中で苦笑いしてしまいます。といいますのも…。
店を始める数年前、もともと書くことが好きだった私は、カルチャースクールの文章教室に通った経験があります。
先生はかつて織田作之助賞を受賞されたという元作家さん。かなりご高齢の男性でしたが、がっしりした体格で、声に張りがあり、教壇に立たれただけで凄みのようなものを感じさせる方でした。
別途費用は掛かりますが、自分の書いたものをご自宅に送ると、翌週の講義の時に皆の前でざっと講評し、添削された原稿を返してくださる。そういう特典がありました。
せっかくの機会と、早速、書き溜めていたものを送ってみました。旅先でのエピソードを綴ったエッセイだったかと記憶します。これがとてもほめてもらえました。「文章がうまい!」を連発して。
すっかり気をよくした私は、せっせと書いては送るようになりました。ところが、2回目以降は酷評続き。その内容がなんとも悲惨で。他の生徒さんたちの、私への同情の視線がいたたまれず、いつからか教室の最後列に座るようになったくらいです。
指摘された点を自分なりに改良して次作を提出するも、さっぱり伝わらずまた酷評。いっそ全く違った文体にしてみたらどうかと、決死の思いでチャレンジするも、「なにを考えているんだろうね」とさらに酷評。あの手この手を尽くすも、上達するどころか深みにはまっていくばかり。
生徒さんは長く通っておられる方が多く、終了後、有志で近くのお寿司屋さんで昼食をとるのが恒例でした。くつろいだ雰囲気の中で、講義中には聞けない話を伺えることもあり、少しでもヒントを得られたらと、私も時々参加しました。
ある日、思い切って先生の近くの席に座った時、こんな言葉を掛けられました。
「自分は文章がうまいと思っているだろう? あなたはもっと下手な文章を書きなさい。かっこなんかつけないで、心を裸にして、もっと思いをぶつけて書きなさい」
文章がうまいと思っていたら、習いになんか来ない。かっこなんかつけていないし、本当は隠しておきたいような恥ずかしいことだって正直に書いているじゃないか。なぜそれを汲んでくれない?
心の中で反論するも、伝わらないのは自分の文章力が足りないからだと、言葉を飲み込みました。
いつか先生をぎゃふんと言わせてやる。その思いで書き続けましたが、結果はいつも同じ。女性特有のテーマや、ちょっと変わった私の感性…。そうしたものが、先生には生理的に受け容れられないんだ。なんて悔しまぎれに思ったり。
そのうち、なにか書こうとすると、またなんて酷評されるだろうと気持ちが萎縮し、筆が進まなくなってきました。ここにいては書けなくなってしまう。そう判断し、教室をやめる決意をしました。
いよいよ最後の講義の日。昼食会にも参加し、お開きになり帰りかけられている先生に近寄り、今日でやめる旨を伝えました。すると先生は「あっ、そう」とだけ言うと、踵を返して歩いて行ってしまわれました。お礼の言葉を言う間もなく…。
「これからもがんばって書き続けなさい」みたいな言葉を、最後に掛けてもらえるかと期待していた私は、お寿司屋さんの長い廊下をゆっくり歩いて行かれる先生のうしろ姿を、ただ呆然と見送るしかありませんでした。
先生は、私が未練を残さないように冷たくしてくださったんだ。そう前向きに解釈し(笑)、2年ほどの教室通いは終了しました。
その後も書いていたのか、書かなくなってしまったのか、記憶は定かでありません。が、期せずして、こうしてブログを書くことになりました。
ブログに向かう時、先生が講義中に口を酸っぱくして仰っていた言葉を思い出している自分に気づき、ハッとすることがあります。
絵文字なんてものは言葉じゃない。自分の思いは言葉を使って徹底的に書け。
タイトルを決めたら、それに向かってブレることなく一心に書け。迷ったらタイトルに返れ。
読者を置き去りにしてはいけない。読者の立場になって読者が理解できるように書け。
そんな言葉のあれこれが、その時の先生の声音(こわね)と共に今でも思い出されます。思わず知らず、それを指標にしながら、書いて、消して、また書いている私…。
苦言を呈してくださる方の存在もまた大切であるということ。辛い経験もいつか身になる時が来るということ。酸いも甘いも噛み分けて、人生は深みを増していくんだなぁ。なんて思うこのごろ。それだけ年齢を重ねたということでしょうか。
あの時すでにご高齢で、体調もすぐれないご様子だった先生。お元気でいらっしゃるでしょうか。LINEのスタンプ一つで気持ちを表現する今のご時世を、先生はなんて思われていることやら。
先生の仰っていた「下手な文章」ってどういうものだったんだろう…。
形にとらわれない、思いを素直に表現しただけの文章でしょうか。
幼子のたどたどしい言葉が、驚くほど胸に迫ることがあります。言葉を駆使するよりも、もっと大切なこと…。
う~ん、私はやっぱりまだまだだ。
先生の添削はもう叶いませんが、教えを思い出しながら、これからも私なりに書いていきたいと思います。引き続きお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
糸
店のこと
2020年09月06日

異例づくめの夏が終わりました。
例年ですと、お盆のひとの往来が一段落し、大文字の送り火も無事終わったところで、少し遅れた夏休みを5~6日いただくのが常でした。それが今年はお盆の賑わいもないままに、11日間という長い休みをいただき、大変ご迷惑をお掛けしました。
自分でもずいぶん思い切ったことをしたものだと思います。やはりコロナ禍の影響が大きかったでしょうか。未知の困難と、もともと抱えている潜在的な困難。そうしたものが相まって、かつてない混乱と疲労を感じていました。
店内の点検整備も兼ね、とお伝えしていましたが、大掛かりなことをしたわけではありません。普段なかなかできない整理…。店内はもちろんのこと、もっと広い意味で店にまつわるあれこれ。自宅や、自分自身も含めた、ソフト面、ハード面、いろんな整理をしたい。そんな思いがいつからか沸々と湧いていました。
緊急事態宣言中も営業していたからという言い訳や、休業に対する世の中の風潮が寛容になったことも後押しとなり、決断した次第です。
さて、その夏休み…。
せっかくの機会、遠方の友達との旅行や会食も話にのぼりましたが、時期が時期、県をまたぐ移動はやはり自粛することに。
今回は仕事関係以外は敢えて約束を入れず、自分のペースで気持ちの赴くままに行動することにしました。普段、仕事中心で動いている身には、これだけで充分に贅沢な気分です。
まずは普段手のまわらない自宅の片づけから。恥ずかしながら、冬物のセーターが放置されたままでして。シーツなどの大物から小物まで、毎日毎日、洗って洗って、乾して乾して。強烈な日差しも、この時ばかりはありがたく思えました。
家の片づけが一段落すると、今度は店の片づけに出かけ。その合間に自分のメンテナンス。いつも通っているフィットネススタジオも、ふだん参加できないクラスに参加できます。
ステイホームでコロナ太りしたとよく聞きますが、私は逆にコロナやつれ。知らぬ間に体重が落ちていました。5歳は老けたでしょうか。この間、自分の手料理をしっかり食べて、たっぷり睡眠。みるみる体重は回復し、顔ももとのまん丸に戻りました。失った5歳も取り戻せたもようです。たぶん…(笑)。
物が整理されると心も整理される、とはよく聞きますが、そう簡単なものではないようで。長い休みも残り少なくなると、今度は寂しさと焦りが頭をもたげ始めます。仕事の初日、体が動かないんじゃないかという不安がよぎったり。
いよいよ、自由に使えるのは今日が最後という日。気づけば、のんびりする時間はあったものの、遊びらしい遊びを一つも入れていなかったことに気づきました。そこで前から観たいと思っていた映画に行くことに。
このブログでも何度か書いている中島みゆきさん(ブログ誕生)(ブログ時代)。彼女の数ある名曲の一つで、私も大好きな「糸」が映画化され、気になっていました。
久しぶりの映画館。やっぱりいいですねぇ。3密の心配は全くなく、ドリンクホルダーの右にホットコーヒー。左にペットボトルを置いて、飛行機ならビジネスクラスに乗った気分。って、乗ったことありませんが(笑)。
いよいよ始まるや、スタートからマスクを取っては涙を拭き、の繰り返しでした。架空の人物をこんなにドキドキしながら応援したのは初めてかもしれません。
運命ははじめから決まっているんだと言う人がいます。だとしたら「糸」の歌の通り、会うべき糸も用意されているのでしょう。
ただ、その糸に出逢えるか、出逢えないか。それは、そのひとの思いの強さに左右されるように思います。だから、運命は変えられるんだという人もあり。
私も会うべき糸に出逢いたい。そう強く思いました。会うべき人に出逢い、会うべき経験に出逢い、会うべき光景に出逢いたい。そのためには強い思いを持ち続けること。
夏休みの宿題が、なんとか間に合ったような…。
思えばコロナ禍以来、ずっと感情が停滞していました。笑いたいことは確かにあんまりないけれど、泣きたいことは山ほどあるはず。なのに、泣けもしない。
きっと、感情が動くとしんどくなってしまうことを恐れ、センサーがエコモードになっているのでしょう。でもそれはそれでしんどいもの。今回、やっと感情が大きく動き、涙と共に放出することができました。そんな爽快感も含めての感動だったかもしれません。
やっぱり映画って素晴らしい!
思い出らしい思い出のない夏でしたが、「糸」という映画を観て泣いたことを、心に留めておきたいと思います。
長らくのお休みをいただきましたこと、改めましてありがとうございました。