三朝温泉 梶川理髪館

店のこと

2015年01月12日

新年のご挨拶が遅くなりました。皆様、どのようなお正月を過ごされましたでしょうか? 今年は各地で大荒れの天候だったもよう。雪下ろしなど御苦労の多い地域の方もいらっしゃるかと思います。京都も一日の午後から雪が降り始め、思いもよらない積雪となりました。

 

そんな雪のお正月を過ごしながら、しきりに思い出されることがありました。ちょうど四年前、店を始める前年、お正月を山陰の温泉で過ごそうと夫婦で旅行に出かけた時のことです。大晦日に出発、一日目は鳥取の三朝(みささ)温泉、二日目は島根県の出雲に足を伸ばす予定でした。

 

どうせなら鳥取砂丘を見たいと途中下車したのが運のつき。砂丘に着いた時にはすでに猛吹雪で、まともに立っていることもできない状況でした。結局、レストハウスで次のバスまで時間をつぶすはめに。

 

そしていざ三朝温泉に向かおうと電車に乗ったところが、雪のための倒木で電車がストップしてしまいました。はじめは不満たらたらでしたが、長引くにつれ不安に。乗客同士にもなにやら一体感が生まれ、私たちも見ず知らずのお隣さんとお喋りをして気を紛らわし、あとは祈るばかり。

 

電車の中で年越しかと案じましたが、約四時間後に動き出し、その際には車内からは一斉に拍手が! 大変な目に遭いながらも、最後は感謝の念というか、喜びすら感じるという一連の心理状態を体現しました。二度とはこりごりですが、思い出深い貴重な体験でした。

 

大騒動の大晦日でしたが、一夜明けると雪はやみ、快晴の清々しい元日。見渡す限り雪景色の、のどかな温泉街をぶらぶら散歩に出かけました。と、通りに面した出窓に可愛らしい陶人形を飾った店を見つけました。「かわいい!」と声を上げると、「見ていきますか?」とうしろで声が。驚いて振り向くとお洒落な手編みのカウチンセーターを召した男性が立っておられました。

 

招かれるまま中に入ると、たちまち古い外国映画の中にタイムスリップしたようような気分に。そこは主に18世紀から20世紀の理容器具を収集、展示しておられる史料館だったのです。驚いたことに正真正銘の散髪屋さんで、このお宝器具を使って実際にお仕事をされているとのこと。お正月休みのところを、ご親切にも見学させてくださったのでした。

 

「お仕事をされていても楽しいでしょうね?」と思わず私。

「楽しいです! 忙しくても楽しい。暇でも楽しい」とご満悦な表情のご主人。

 

そういう働き方ってあるんだと、意外なような、納得のような、不思議な思いでご主人のお顔をしげしげと眺めたことを、今も印象深く覚えています。その時には想像もしなかったことですが、ほどなく店を始めることになった私たち…。

 

「忙しくても大変。暇でも大変」

 

こんな言葉がつい口をついて出てしまいます。そのたびにあの時のご主人の満ち足りた表情と、歯切れのいい言葉を思い出します。

 

あんな素晴らしい器具を揃えた店づくりはとうてい真似できませんが、ちょっとした工夫、ちょっとした心持ちひとつで、私もこんな風に仕事ができるんじゃないか。どうせなら、楽しく、気持ちよく、仕事をしたい。

 

あの年とよく似た雪景色を眺めながら、改めてそんなことを思った今年のお正月でした。

 

「次、来られた時は、ぜひお顔剃りとパックをしていってください。お肌ツルツルになりますよ」と仰るご主人の横で、やはり素敵な奥様のお肌はツルツルでした。いつか訪ねた折にはぜひお願いしたいと思っています。ただし、今度は雪の季節は避けて(笑)。

 

忙しくても楽しい。暇でも楽しい。

 

そう心で呟きながら、毎日、仕事をしたいと思っています。皆様、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

おいしい!

店のこと

2014年12月31日

いよいよ今年も最後、大晦日となりました。きのう12月30日で「しののめ寺町」は一年の営業を無事に終えることが出来ました。ひとえに皆様のご愛顧のおかげ、ありがとうございます。

 

京都の清水寺で今年の漢字一文字が発表される光景は、年末の風物詩となりました。今年は「税」とか。消費税アップは「しののめ寺町」にとっても厳しい出来事でした。そのせいばかりとは言えませんが、やはり影響があったような。

 

漢字一文字ではありませんが、私にとっても今年は印象深い言葉がありました。毎日、繰り返し繰り返し聞いた言葉。声色は様々ながら一様に明るいトーンで聞いた言葉。多分、今年一番多く耳にしたであろう言葉…

 

おいしい!

 

食べ物を扱う店、味がなにより重要なことは言うまでもありませんが、暖簾分けの店の宿命に、比較されるということがあります。その間のことは以前のブログに書いた通りです(ブログ)。味は本当に難しい。思い悩む時期もありましたが、気づけば味には絶対の自信を持つようになっていました。ほかでもない、お客様から絶えることなくいただく「おいしい!」のお言葉のおかげです。

 

お土産に買って帰ったらおいしかったから、と京都旅行のたびにお立ち寄りくださるお客様。どなたに差し上げてもおいしいって喜ばれるのよ、と手土産の定番にしてくださっているお客様。

 

お褒めのお手紙をいただくことも珍しくありません。この年になって、こんなおいしいものと出会えうれしく思います。高齢であろうお客様から、こんなもったいないお言葉を先日も頂戴しました。

 

店にはお味見用をご用意しているのですが、小さな子供さんの反応は正直です。「おいしい!」と言うなり味見が止まらなくなり、ママから「買ってあげるから、もうやめて」の悲鳴があがるお子さんも。ベビーカーに乗ったおチビちゃんの「おいちい!」という可愛い声には、思わず抱きしめたくなります。味見を楽しみに来店される上得意さんも。味覚が敏感な小さな子供さんの支持が高いのは大きな自信です。社交辞令も言わない年齢ですから。

 

ちょっと自慢し過ぎでしょうか。今年最後の日、どうかお許しください(笑)。

 

「しののめ寺町」のじゃこ山椒、我が家の長男が、毎日、店奥の厨房で炊いております。ちりめんじゃこは自然のもの。その日その日の具合を手で触り、舌で確かめ、一番いい、変わらぬ味に仕上がるよう細心の心配りで炊いている様子。今では全幅の信頼をおいて任せています。

 

味が命。

 

商売としての課題はまだまだたくさんあり、来年に持ち越す宿題は山積みです。でも、この味があれば大丈夫。この味さえあればやっていける。そう確信できた一年でした。その確信を持てたのは、お客様からいただいた、たくさんの「おいしい!」のお言葉のおかげです。心より感謝申し上げます。

 

「味と真心でどこにも負けない店になれるよう、がんばっています」

 

自己紹介やPRの場で、私がいつも言う言葉です。食べてみないとわからないのが味。一人でも多くの方に召し上がっていただけるよう伝えていくことが、私の使命と思っています。真心をもって。

 

どうぞ来年も変わらぬご愛顧をよろしくお願いします。皆様、良いお年をお迎えください。

大家族

店のこと

2014年12月17日

開店から2年9ヶ月が経ちました。お馴染みのお客様も日に日に増えてくださり、本当にありがたいことと思っています。

 

旅行のたびにお立ち寄りくださるお客様には「いらっしゃいませ」よりも「こんにちは」の声が出てしまうことも。その間のよもやま話に花が咲き、親戚にでも会ったような懐かしい気分を味わわせていただいています。

 

地元のお客様で、今日は見慣れない方とご一緒だなと思ったら「両親です。実家から出てきたもので」とご紹介いただくことがあります。あるいは「息子です」「娘です」という場合も。「いつもお世話になっています」なんて丁重にご挨拶され、なんのお世話もしていない私は「いえいえ、こちらこそ」と恐縮してしまったりして(笑)。

 

開店当初、赤ちゃんだったお子様が幼稚園に入られたり、七五三を迎えられたり。それぞれに成長していかれる様子を楽しませていただいています。私の親世代のお客様が元気そうなお顔を見せてくださるのも、また嬉しいことです。

 

ふと、失礼ながら、皆さんが遠い親戚のように錯覚することがあります。血縁とはまた違った、大きなくくりでの家族のような。

 

先日、私が入会している中小企業家同友会(ブログ中小企業家同友会)の例会で、児童養護施設の施設長と職員の方のお話を伺う機会がありました。様々な事情で保護者と暮らせない子どもたちを預かっておられる施設です。

 

様々な事情のなかには親の虐待や、親が犯罪を犯したりということも。いたいけな子どもたちが味わうには、あまりに過酷な現実に、聞いていて胸つぶれる思いでした。その施設で育った子どもさんの一人が、大学卒業後に職員として戻り働いておられ、自身でその体験を話してくださいました。それには涙なしでは聞いていられませんでした。

 

施設では家庭的な子育てを目指して、親身に養育されている様子がひしひしと伝わってきました。それでも施設だけでは限界があるのも当然のこと。その一端を担えないかとの試みから始まったのが、中小企業家同友会との交流だったようです。決して難しいことではなく、同友会の会員が近所のおじさん、おばさん的存在として接する機会を持ったり、職場体験の機会を提供したりといったことのようです。

 

さらに求められている支援の一つに、家族の一員として預かり養育する「里親」というものがあるようです。養育にかかる経費が支給され、独身でもなれるとのこと。多様な家族の形態があることに驚きました。自分はなれなくても、そういう支援があることを伝えていくでことはできます。それも支援の一つかと思います。

 

「しののめ寺町」で多くのお客様と出会うなかで、血はつながっていなくても、家族のようなつながりがあることを知りました。血縁の家族は限られたものですが、いろいろなありようの家族の可能性は無限です。私が里親になることは難しいですが、私にもできることはないかなぁ。そんなことを考えています。

 

大家族は私の憧れ。(ブログふるさと

 

そうした支援は、困っている子どもたちのためというよりも、故郷を持たない私自身が求めていることでもあるような。そんな大家族の一員に、私もいつかなりたいな。そんなことを思うこのごろです。

店のこと

2014年10月21日

開店から2年と7カ月が経ちました。

 

まだまだ未熟な店ですが、お馴染みのお客様が増えてきたり、評判を聞いてと来店くださるお客様が増えてきたり。

 

「ここのおじゃこは、本当においしいねぇ」

「おじゃこは、ここのしかアカンって言うひとがいて」

 

店頭で毎日聞かれるこうしたお声に、少しずつながら手応えを感じているところです。食べ物を売る店、味を褒めていただくことほど有り難いことはありません。「しののめ寺町」のじゃこ山椒は、我が家の長男が毎朝炊いております。

 

開店以来、あれこれ思い悩むことはたくさんありましたが、なかでも一番難しかったのは「味」だったのではないかと思います。創業以来の味があるのだから、簡単なのでは? と思われるかもしれません。私たち自身もそう思っていました。創業以来の味を守り、変わらぬおいしさをお届けしているつもりでした。が、開店当初、ご試食いただいたお客様の反応は予想外のものでした。

 

「おいしい!」

「これこれ、この味!」

 

と手を打ってお買い求めくださる方がほとんどでしたが、必ずしも皆さんがそうだったわけではありません。古くからお馴染みのお客様のなかには、味が「濃い」「薄い」、ちりめんじゃこが「かたい」「柔らかい」とひとによって正反対の感想を仰る方も。どうとは説明できないけれど、どこか違う。といったお声も。正直、戸惑いました。

 

あれこれ思いあぐねましたが、結果わかったことは、味覚はとてもデリケートなもの、プライベートなものだということです。味の感じ方、好みはまさに十人十色。さらにそれぞれの記憶やストーリーといったものに、文字通り味付けされた、その方ならではの味覚というものがあるような。これはもう万人に受け入れられる味を追求するのは無理なことと思い至りました。

 

ちりめんじゃこ自体が自然のものですので、毎回100パーセント同じ見た目、同じ味というのも実は有り得ないことです。そこを加味しながら、出来る限り同じ仕上がりになるよう炊きあげるのも、また腕のみせどころ。それでも補い切れないブレは、手作りならではの味わいとお許しいただく。精一杯やったうえで、あとはそう申し上げるしかないというのが正直な思いです。

 

「しののめ寺町」のじゃこ山椒、私はいつも「おいしい!」と思いながらいただいております。ごはんをついついもう一口、気づけば一膳分になっていた、なんてことも。自画自賛、承知で書きます。「ホンマにおいしい!」(笑)。自分がおいしいと思えるものを販売して、お客様においしいと言っていただける。こんな幸せな仕事はありません。

 

長男が厨房で炊く姿も、すっかり板についてきました。全幅の信頼を寄せている業者さんから仕入れているちりめんじゃこ、そのまま食べてもおいしい最高級のものです。そのちりめんじゃこ、触れて、食べてみて、そのときどきに応じて、レシピでは表しきれない手加減をしながら炊いているようです。なかなかのこだわりを持っている様子。職人気質でこの仕事が合っているなと、母は秘かに思っています。

 

長年「ほぼ専業主婦」でしたので、家族の健康を守るのが仕事と、三度の食事作りには心を砕いてきました。昆布、煮干しでだしを取り、京風の薄味で、と心掛けてきました。そうしたものを食べて育ってきた長男の味覚、なかなかいい舌を持っているように思います。あくまでひいき目に見て、ですが(笑)。

 

味が主役! 

その味を伝えるのが私の使命だと思っています。なにかとしゃしゃり出ている感のある私でありますが(笑)ひとえにこの味を一人でも多くの方に知っていただきたいと願ってのことです。私はあくまで脇役!

 

「しののめ寺町」のじゃこ山椒を召し上がったお客様の記憶の中に、新たなストーリーを持った味覚が生まれる…。そんなロマンを夢見ながら、今日も店を開けております。

 

いつかはきちんと書きたいと思っていた「味」のこと。やっと書けました。改めましての決意表明です。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

願えば、叶う?

店のこと

2014年07月21日

スポーツ選手や成功をおさめたひとが、願い続ければ夢は叶う、と話されることがあります。優勝後のインタビューや雑誌の対談などでしょうか。影響力のある方の言葉は説得力があり、たちまち世の中に流布します。

天邪鬼な私、いつも本当にそうかなぁと思います。夢が叶ったひとが語れば、そりゃあそうでしょう、って突っ込みたくなります(笑)。ひと握りのそうしたひとの向こうには、どんなに願い続けても叶わなかった無数のひとがいるはず。夢が叶わなかったひとには、語る場も与えられないんだよぉ、なんて悪態をついたりして(笑)。

常々そんなことを思っている私がひっくり返るような出来事がありました。

開店以来、日々のあれこれをブログやfacebookで発信していますが、最近、起業間もない女性からよく連絡をいただくようになりました。正直過ぎるくらい正直に書いている内容に親近感を抱いてくださるようで、私が参加している交流会に連れて行ってほしいと頼まれることも。

お世話になるばかりだった私が、少しでもお役に立てることがあるなら、こんなうれしいことはありません。さっそくご一緒することに。初めての場に緊張されている姿に、かつての自分が重なります。「いい方ばかりなので大丈夫ですよ」なんて声を掛けながら、私、先輩面してる、っておかしくなったりして。開店から2年と少し、拙いながらも確かな時間を重ねてきたんだなぁと実感するこのごろです。

先日、そうした女性の一人からからいただいたお礼のメッセージが、こんな言葉で締めくくられていました。

「なりたいと思っていたら、なれますよ!」とおっしゃった言葉がうれしかったです。

不安や希望を語る彼女に、私が掛けた言葉のようです。えぇ、私、そんなこと言いましたっけ? 記憶をたどれば、あぁ、言った、言った、確かに言いました。ひぇ~、私がそんなことを言うようになったとは。悪態をついていたこの私が…。気恥ずかしくて、ひっくり返った次第です。

私が彼女に掛けたという言葉、思わず知らず口をついて出たものですが、決して口から出まかせを言ったわけではありません。そのとき、間違いなく思ったことです。

振り返れば、起業を決めてから今まで、その時々に願ったことは確かに叶ってきたように思います。望んだものが手に入り、困ったところに手が差し伸べられ、描いたイメージが形となっていく…。なにもなかったところから、気づけば、こうして店を営んでいる今があります。

願えば、叶う? 上っ面だけで願ってもダメだったと思います。心の底から願うこと。実現した時のイメージが自然に浮かぶくらい強く強く願うこと。そこまで強く願うのは案外難しく、エネルギーの要ることです。きっと切羽詰まっていたからできたのでしょう。なにしろ、あとがありませんでしたから。そうした経験が、先の言葉になったと思われます。

願いは結晶のように小さなかけらの集まりかもしれません。ひとつひとつ叶えながら、絶え間なく進んでいくのかも。これからも、どうしたら強く願い続けられるだろうと考えます。

信じること。実現するにふさわしい自分であるとひたすらに信じること。

自分を信じられなければ、心が揺らぎます。心が揺らげば、強く願うことはできません。自分を信じること、それが今の私に一番必要なことだと感じています。とても難しいことですが。

全力で自分を信じてみよう!

そう心に誓つた今日、京都は梅雨明け。いよいよ夏本番です。

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