バグダッドカフェ
アートなこと
2025年03月17日

お正月休みのことになりますが、素敵な映画を観ました。1989年公開の名作「バグダッドカフェ」。ご覧になったことがある方も多いかと思います。
もう10年以上前に知人のジャズライブに出かけた時のこと(ブログ 明日に架ける橋)。彼女が歌ったなかに、鳥肌が立つほどの衝撃を受けた曲がありました。
「コーリング・ユー」です。
透き通るような高音で繰り返し出てくる「I am calling you…」のフレーズが胸に迫り…。
私は誰かに呼ばれているような。
私が誰かを呼んでいるような。
祇園のライブハウスで味わった、霊的とも思える不思議な体験でした。
映画「バグダッドカフェ」の主題歌と知り、いつか観てみたいと思いながら、ずいぶん年数が経ち。
それが今年の元日、何気なく見た新聞の映画案内で上映中と知り、矢も楯もたまらず出かけて行った次第です。
ドイツ人夫婦がアメリカ旅行中、ディズニーランドからラスベガスへ向かうレンタカーの中で喧嘩。妻、ヤスミンが車を降り、砂漠の乾いた風の中、大きなスーツケースを引きずりながらあてもなく歩き出すシーンから始まります。
ようやく辿り着いたのが寂れたモーテル「バグダッドカフェ」。オーナーはいつも不機嫌で、場違いな宿泊客に敵意すら露わにし。おまけにスーツケースの中身は、詰め間違えた夫の荷物という始末…。
それでも行く当てのないヤスミン。男物のシャツをうまく着こなし、暇に飽かしてモーテルの掃除をしたり、オーナー家族の世話をしたり、スーツケースに入っていたディズニーランド土産の手品セットで腕を磨いたり…。
次第に彼女の柔和な人柄が周りを巻き込み。やがて彼女の見せるマジックで「バグダッドカフェ」は連日、客で賑わう人気店になっていきます。
外に広がる青い空と広大な砂漠の光景。そこで繰り広げられる人間模様…。まるで大人のファンタジーのよう。
多彩な登場人物について特段の説明はなく、それぞれに自ずと想像が膨らみます。なかでも私はヒロイン、ヤスミンに強く惹きつけられました。
何不自由なく長年暮らしてきたであろう専業主婦が、こともあろうに砂漠のただ中でこと切れた「なにか」…。
おそらくは彼女の尊厳にかかわる許し難いものだったに違いないと想像します。
期せずして、そこから自分の足で歩き出し、見知らぬ世界に飛び込み、ありのままの自分を晒すことで自分自身に目覚め、そして真実の愛に出会っていく…。
はじめは決して美しいとは思えなかった彼女が、みるみる魅力的になっていく過程は目をみはるばかりでした。
その変化に気づいた常連客の老画家からモデルになることを乞われ。はじめは緊張していた表情が、回を重ねるごとに和らぎ、最後には胸を露わに…。
その姿態は神々しいばかりに輝いていて、まるでビーナスのように思えました。
一人の女性の再生を目の当たりにした思いのする素晴らしい映画…。というのは、あくまでも私の視点での感想です。
10年前、祇園のライブハウスで味わった霊的な体験と符合し、改めて不思議な思いがしています。
機会がありましたら、皆様もそれぞれの視点で味わってみられてはいかがでしょう。
「ある一つの事」2
アートなこと
2025年02月05日

店の模様替えをしたことを前回のブログで書きました(ブログ 彩(いろどり))。どの箇所も思い入れのある作業でしたが、一番重きを置いたのは飾り窓だったと思います。
飾り窓は外を通る人からも見える格好の発信場所。必要な情報をお知らせしつつ、楽しい演出もしたい。ということで、最初の一年は民芸品店やデパートに出掛けては、なにを置こうかと探し回ったものです。
和風の額を掛け、その前に四季折々のちりめん細工の小さな飾り物…。
京都のおじゃこ屋さんといえばこんなイメージかなぁ、なんて感じで設えていたように思います。
通りがかりに眺めては楽しんでくださる方もあるようで、私も楽しい経験でした。
けれど、飾り窓といえば、その店を印象付ける大切な場所。これでは京都の街中どこにでもありそうで、個性を表現できていないんじゃないか。そんな思いが頭をもたげるようになってきました。
ほかのどこにもない、うちならではの飾り窓にしたい。それはどんなものなんだろう…。
考えあぐねるなか、ある日、閃くものが。
あの陶板を掛けたい!
完成したイメージが頭に浮かぶや、もうそれ以外は考えられず。寸法だけ確認すると、早速、所有者の方に連絡し、後先も考えずに購入してしまいました。
それが上記の写真。陶芸家、伊藤均さんの作品です。個展やご自宅で何度も目にした、私が大好きなシリーズの中から選んだ一枚です。
伊藤さんのことは以前のブログで書いたことがあります(ブログ「ある一つの事」)。近所にお住まいで懇意にしていただいていたのですが、数年前に天国へ旅立ってしまわれました。
ブログの中で紹介した伊藤さんの文章を改めて引用させていただきます。
ただ森羅万象の内に「ある一つの事」に非常に興味を持ち始めると、その事をテーマに作品を創る。他人が何を言おうと、世間がどう動いていようと、作家という当人においては、ただ黙々と「つくる」という行為をくり返すだけなのだ。
仮に、「ある一つの事」が、どんなにつまらない事であっても、当人には、今非常に重大なテーマなのだ。
そして作品が出来る事は、彼の宇宙に新しい空間が生まれることを意味する。そこから又次の作品への足がかりが出現する。
とはいっても、そう次から次へと、新しい出会いが表出する訳でもなく、行きつ、戻りつの様である。作品を見て「心を悩まし」、新しい出会いに「思い焦がれる」のである。
作者は、きっと、己の次の作品をつくる為に、今の作品をつくっているのではないかと思う。
伊藤 均「おもう」(陶説1988年9月号に掲載)より抜粋
初めて読んだ時から「ある一つの事」という言葉がとても気になり、何度読み返したことでしょう。
模様替えを考えるなかで、店と向き合い、自分と向き合い、その中でふっと湧いてきたのがこの「ある一つの事」という言葉でした。
私の中にも存在するであろう「ある一つの事」。とても個人的で、とても根源的な、なにか…。
まだ明確ではないけれど、この陶板を掲げることで、私は一心に「ある一つの事」に向かっていける。それが取りも直さず魅力ある店づくりにつながっていく。
そう直感したのだと思います。
まさにそれを暗示してくれるようなデザインではないでしょうか。
朝、店に着いて飾り窓を見ると、身が引き締まる思いがします。そして、帰り際、最後に飾り窓に目をやり、今日の自分を振り返っている私がいます。
毅然と立ち、厳しくも温かく見守ってくれる陶板。ほかのどこにもない、うちならではの飾り窓の完成です!
写真はガラスに私が映り込むため、斜めからの撮影となりました。ご来店の際は、ぜひ正面に立ち、ご覧になってみてください。
みうらじゅんさんのこと
アートなこと
2024年11月14日

このところ心の中で蠢いている言葉があります。
「心のストッパーをはずせ!」
それも男性の野太い声…。
キャー!
いえいえサスペンスではありません(笑)。声の主はみうらじゅんさん。ことのはじまりは8月の終わりに京都伊勢丹で観た展覧会「みうらじゅんFES 」でした。
みうらじゅんさんのこと、皆様はどれくらいご存知でしょうか?
ブログに書くからにはと、改めて調べてみました。イラストレーター、漫画家、「ゆるキャラ」「マイブーム」の生みの親。そこまではお伝えできるのですが…。
わかる方にはわかるでしょうか(笑)。多才で、多彩で、とても私の持てる語彙と表現力ではお伝えし切れません。興味ある方は是非ご自身でお調べいただきたいと思います。
そんなみうらじゅんさんの展覧会、ご本人の「マイブーム」の展示など、それはそれは独特の世界観でした。
まずは意表をつかれ。観ているうちに、どうでもいいことにこんなにも打ち込める、その熱量に感動し。やがて、ミョーに爽やかな境地にいざなわれ…。
って、説明になっていますでしょうか?(笑) こちらもまた、機会がありましたらご自身で体感していただくしかありません。
幸いなことに、展覧会には珍しく、肖像権の影響がある一部エリア以外は全て撮影OKでした。今時のこと、あちこちでスマホを向ける姿が。SNSで広く拡散されたことと思います。
そんななか、みうら氏の書斎を模した一角にみうら氏の等身大パネル、その横に椅子が一脚。という絶好の撮影ポイントがありました。
ここは是非とも押さえたい。一人で出掛けていたもので、シャッターを押してもらえそうな人を求めてあたりをキョロキョロ。決して嫌な顔をされそうになく、しかもスマホの撮影に慣れていそうな人…。
みうらじゅんワールドをとても楽しんでいる様子の若い男子3人組が目につきました。ノリよく、いい構図で撮ってくれるんじゃないかと頼んでみると、案の定、快く応じてくれました。
お返しに彼らのスリーショットを撮ったところで、一人の男子が「こっちでもどうですか? 足を組んで…」と指さす先を見ると。
隣の一角に大きな籐椅子があり、「エマニエル婦人の椅子」のタイトル。
おぉ~
若い彼らがエマニエル婦人を知っていることが驚きでしたが、願ってもないこと。と、座ってみました。
ここはもちろんエマニエル婦人よろしく深く腰掛け、両手を肘掛けに乗せ、けだるげに足を組む。はずが…。
できない。
彼らのお母さんより年上であろう私。彼らは洒落で言っただけで、ほいほいとその気になって座った私を、心の中では呆れているかもしれない。
いやいや、そんな意地悪なことはないだろう。ここは提案通り、なりきりポーズで決めよう。そう思うも…。
できない。
結局、つつましやかに(笑)浅く腰かけ、手を揃えて、足を揃えて、ハイチーズ!
思いがけず楽しい撮影になり、お礼を言って別れるも、私の中になにか忸怩たる思いが残っていました。
「心のストッパーをはずせ!」
その時です。心の中でみうら氏の声が。
この展覧会の趣旨はこれだったんだ! 身をもって気付かされた瞬間、まさに天の声でした。
スマホを見てみると、ただフツーに椅子に座っている、フツーの写真。この撮影ポイントが設けられた意図が微塵も伝わってきません。
私は本当は思いっきりはじけて、エマニエル夫人なり切り写真を撮りたかったんだ!
なのに、年齢とか、容姿とか、常識とか、そうしたもので自分の思いを押し留めてしまった…。
「心のストッパーをはずせ!」
以来、折に触れ、私の中に降りてくる声。と同時に、重い留め金を人差し指でポーンとはじき上げる絵が浮かびます。
するとたちまちなにかから解き放たれ、今までとは少し違った自分が立ち現れるような。
自分にストッパーをかけているのは自分自身。ストッパーをはずした先には、もっとたくさんの可能性、豊かな世界が広がっているのかもしれない。
みうら氏自身が、先頭に立って、あらゆるストッパーをはずし、彼ならではの表現でそれを証明して見せてくれた。それが今回の「みうらじゅんFES」というスタイルになったのではないのかな。
なんて、生意気にも私なりの解釈です。
ふざけているようで、大真面目な展覧会。そこでの不思議体験…。みうら氏と、写真を撮ってくれた男子たちに改めまして感謝です。
恥ずかしながら、自戒のために、ストッパーをはずせなかった写真を掲載します。
ここから変わっていきたい!
これからも温かく見守ってくださいますようよろしくお願いします。
名刺入れ
アートなこと
2024年09月21日

少し前のことになりますが、名刺入れを新調しました。
といいましても、これまで使っていたのは簡易なもので。きちんとした名刺入れを持つのは、恥ずかしながら初めてのことです。
作っていただいたのはNasila leather craftさん。
以前にこのブログで書いたことがあるご近所のギャラリー(ブログ月23 ブログある一つの事)で行われた個展がきっかけです。
いただいた案内状を手に訪ねると、若い男性が在廊されていて、その方が革作家の尹亮二さんでした。
作品にまつわる思いや工夫を聞かせていただきながら楽しく鑑賞するなか、私の目に留まったのが、カラフルな色が並んだ名刺入れでした。
小さいながらも各色がそれぞれに存在感を放っています。
かねてからきちんとした名刺入れがほしいと思っていた私は、やっと出会えた、という思いで購入を決めました。
そこにある色の中から選べばすぐに持ち帰れたのですが、他の作品であったオレンジ色がとても気に入ってしまった私。
オレンジはビタミンカラーと呼ばれるように元気が出る色。名刺入れにぴったりです。
色を大切に思う私としては外せないところ(ブログ 色)。時間が掛かっても、ということでオーダーさせていただいた次第です。
それから数か月、手元に届いた名刺入れはイメージしていた通りの仕上がりでした。
心待ちに過ごす時間、包みを解くワクワク感、なにより自分のために作られたという特別感…。
オーダーメイドってこういうことなんだぁ。ささやかながら、またひとつ、大人な楽しみを知った思いでした。
そもそも…。
自分が名刺を持つなんて、かつては想像もしないことでした。
なんの資格もなく、履歴書に書けるとしたら、今ではペーパードライバーとなった運転免許くらい。
まったくもって何者でもない私…。
それがご縁と成り行きで、店を構え、名刺を携帯する身に。以来、さまざまな方と出会う機会に恵まれるようになりました。
正しい作法も知らないまま、たどたどしく差し出す名刺。それでも、皆さん一様に優しく受け取ってくださり、名刺一枚で話が弾み…。
そうして開店から12年、これまでに何人の方と名刺交換させていただいたでしょう。改めまして、お一人お一人に感謝の思いです。
私にとって名刺は、気後れする背中をポンと押し出してくれる魔法の手のような。
外の世界とつながらせてくれるパスポートのような。
小さな紙一枚なのに、とても不思議な力を持った存在です。
そんな大切な名刺、ようやくふさわしい居場所を作ってあげることができました。
尹さんが心を込めて作ってくださった名刺入れ。仕事の大切なパートナーとして、末永く共に過ごしていきたいと思います。
これからも素敵な方たちと、たくさんの出会いがありますように。そんなことを改めて思うこのごろ。引き続きよろしくお願いします。
Woman‘‘Wの悲劇‘‘より
アートなこと
2024年07月04日

前回のブログで薬師丸ひろ子さんのファンになったことを書きました。(ブログ薬師丸ひろ子さんのこと)
改めてCDを聴いてみると、聴き覚えのある曲ばかり。これも? これも?という感じで驚いてしまいます。演技と歌、まさに二刀流で第一線を駆け抜けてこられた方だったんですね。
なかでもひときわ心惹かれる曲があります。
「Woman‘‘Wの悲劇‘‘より」
松本隆さん作詞、松任谷由実さん作曲による、映画「Wの悲劇」のテーマ曲です。まずは歌詞を紹介します。
もう行かないで そばにいて
窓のそばで腕を組んで
雪のような星が降るわ
素敵ね
もう愛せないと言うのなら
友だちでもかまわないわ
強がってもふるえるのよ
声が…
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に
降りつもるわ星の破片(かけら)
もう一瞬で燃え尽きて
あとは灰になってもいい
わがままだと叱らないで
今は…
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
やさしい眼で見つめ返す
二人きりの星降る町
行かないで そばにいて
おとなしくしてるから
せめて朝の陽が射すまで
ここにいて 眠り顔を
見ていたいの
美しくも怖い情景がありありと浮かびます。
女性としてはなかなかに切ない状況ながら、惨めさがまったく感じられず。もはや愛憎を超越したかのような、静かな精神世界…。
聴くほどにに引き込まれていきます。
ここは地上なのか、天上なのか。
女性は聖女なのか、悪女なのか。
女性が朝の陽が射すまで見ていたいと願う男性の顔は、本当にただ眠っているだけなのか。
もしや…。
女性は雪か氷の化身だったりして。
いろんな想像が膨らみます。
なかでも驚いてしまった一節があります。
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
諦観、というのでしょうか。まるで悟りの境地のよう。
私はいつもオールを両手でしっかと握りしめ、流れに乗ったり、抗ったり。非力ながらも自分なりに懸命にオールをさばきながら生きてきたと思っていました。
そのオールがない、って。
愕然としながらも、改めて振り返ってみると…。
握りしめていたと思っていたオールは、実は私の手の中になどなく。
自分で操作していたと思っていた河の流れに、ただ流されていただけだったのかも。
なんて思えてきたりして。
私もそろそろ幻のオールを投げ捨てて、潔く流れに身を任せてみようかな。
この短い一節で、いろんな思いが巡ります。
薬師丸ひろ子さん自身、何度歌っても、納得のいくことのない難しい曲と話されています。その時々の解釈で真摯に向き合われてきたのでしょう。
さらに年齢を重ねるごとに、どんな風に歌っていかれるのか。70歳になられた薬師丸ひろ子さんが歌われる「Womann"Wの悲劇”より」を聴いてみたいものです。
そしてそれを聴いた私はまたどんな風に思うのか。自分のことながら興味深い…。
作詞家、作曲家、歌手、お三人の才能が結集した名曲。皆様も改めてお聴きになられてはいかがでしょう。