いまわの言葉
店のこと
2012年05月16日
開店して今日でちょうど2ヶ月が経ちました。一軒の店を軌道に乗せることの難しさを痛感しています。当たり前といえば当たり前のことですが。
「自分で自分をほめたい…」
と言ったのは、マラソン選手の有森祐子さんでしたっけ。
42,195kmを走り終え、メダルを獲得したのですから、日本中が納得の喝采を送ったものでした。
「私、結構、頑張ってるんやけどなぁ」
と思うこともありますが、仕事もプライベートも、なにぶん結果が出ないことには自分をほめるわけにいきません。叱咤激励ばかりの毎日です。自分をほめられるような日が、いつになったら来るのやら。
それでも人生最後の日には、結果はどうあれ、自分をほめようと決めています。
渾身の力を振り絞り、「ようやった!」と自分に声をかけてやりたい。
その日まで、不本意な途中棄権をしないよう、時には歩いたり、給水したりしながら、ゴール目指して邁進していく所存です。
贈り物日和
店のこと
2012年05月10日
子供の日が終わって、次は母の日でしょうか。
デパートやテレビコマーシャルでは、母の日、母の日と賑やかです。
お母さんのいない子供もいるだろうに、子供のいない女性だっているだろうにと、この時期なんだか気分が悪くなるのは、私が天邪鬼のせいでしょうか。
そんな私も店を開き、やっぱり「母の日企画」をしています。(~_~;)
店頭で商品を選ばれるお客様、袋入りを一つ手に取り、
「ああ、○さんにも」
と言って、もう一つ。
「そうそう、△さんにも」
と言って、さらにもう一つ。
なんてことが、ままあります。
人って、物を贈ることが好きなんだなと思います。
喜んでくれる人の顔を思い浮かべるのは、贈る側にとっても楽しいことです。
思えば一年365日、毎日が贈り物日和かもしれません。
5月13日、母の日にかかわりのある人も、ない人も、それなりの一日を。
食卓の記憶
店のこと
2012年05月05日
今日は子供の日。
地下鉄を降りて店に向かう途中に、京都市の子育て支援総合施設「こどもみらい館」があります。いいネーミングだなと、いつも思うのですが、今、大きな鯉のぼりが掲げられ、ますますいい感じです。
じゃこ山椒って、子供さんは苦手かと思いきや、意外にも好評です。
「もっと、ちょうだーい」
と、ベビーカーから試食用のじゃこ山椒をリクエストするお子さんも。
「子供たちが大好きで」
と、たびたび買いに来てくださる若いお母さんもいらっしゃり、賑やかな食卓が目に浮かぶようです。
私は子供の頃、食が細く、好き嫌いも多くて、自宅でも学校の給食でもいつも居残り組でした。そんな記憶は、今もトラウマとなって残っています。
彼ら、彼女らの幼い日の楽しい食卓の記憶に、うちのじゃこ山椒がわずかでも花を添えることができたなら、こんなうれしいことはありません。
私がおばあさんになり、
彼ら、彼女らが大きくなって、
「わたしゃ、あんたたちが、こんなちっちゃい頃から知っているんだよ」
(突然、ちびまるこちゃんのおばあちゃんの口調になる)
なんて言っている光景を妄想して、一人、ほくそえんでいます。
フェイスブック デビュー
お友達のこと
2012年05月02日
「フェイスブック、やってる?」
最近、よく聞かれます。
先延ばしにしていましたが、ついに登録しました。
状況のつかめないまま手順を進むと、いつのまにやら回りの扉という扉が開いていたという感じでしょうか。その向こうで多くの人が笑顔で待っていてくれる。一歩踏み出せば友達になれるし、待っていても友達が訪ねてきてくれる。不思議な世界です。
この感覚、実は開店以来抱いていた感覚と似ています。
何年来、会っていない知人が訪ねてきてくださる。
紹介されたといって、知人の家族や友人の方が来てくださる。
偶然来てくださったお客様が、遠い親戚に当たることが判明したことも。
開店によって、なにか扉が開け放たれたような。
友達の友達は皆友達、世界は一家、人類皆兄弟、みたいな。
人づきあいは難しいなと思うこともありますが、やっぱりおもしろい。
「フェイスブック、やってる?」
これからは、私の方が聞いているかもしれません。
廃屋
素敵な女性
2012年04月25日
店にいる時間の方が長くなり、どうしても家のことは後回しになります。
今日は定休日、でもやっぱり、店のことで一日過ぎていきました。
辛うじて午前中、家の用事をしたのですが…。
あれあれ、拭けば取れていたはずの汚れがこびりついて取れないは、強いはずのサボテンがぐじゅぐじゅになっているは、家中がなんだか不機嫌です。
愛人宅に入り浸って、久々に本宅に帰ると、家族がみんなそっぽを向いている。
「どちらも愛しているんだよ」と言い訳にならない本音を漏らす男性の気持ちがわかるような…。
そんななか、ほったらかしにしていた鉢植えからこんな見事な花が。
少し救われました。
家事労働は世の中に全く認知されていませんが、まさに真剣勝負、隙を見せたらたちまち、やられます。
前回に続き、私の好きな茨木のり子の詩を一つ。タイトルは「廃屋」です。
人が
棲まなくなると
家は
たちまちに蚕食される
何者かの手によって
待ってました! とばかりに
つるばらは伸び放題
樹々はふてくされて いやらしく繁茂
ふしぎなことに柱さえ はや投げの表情だ
頑丈そうにみえた木戸 ひきちぎられ
あっというまに草ぼうぼう 温気にむれ
魑魅魍魎をひきつれて
何者かの手荒く占拠する気配
戸さえなく
吹きさらしの
囲炉裏の在りかのみ それと知られる
山中の廃居
ゆくりなく ゆきあたり 寒気だつ
波の底にかつての関所跡を見てしまったときのように
人が
家に
棲む
それは絶えず何者かと
果敢に闘っていることかもしれぬ
家事労働を侮るなかれ。