100人!

店のこと

2013年02月22日

一年生になったらぁ

一年生になったらぁ

友達100人でっきるかなぁ

 

しののめ寺町のフェイスブックで、「いいね」を押してくださった方が、きのうで100人になりました。「いいね」を頂戴したお一人お一人の皆様、ありがとうございます。

 

今さら語るまでもないことですが、インターネット上の情報の広がる速さ、届く範囲の広さは、想像を絶するものがあります。ネット販売であっという間にヒット商品が生まれ、一人のちょっとしたつぶやきが大騒動を巻き起こし、芸能人のブログが炎上し…。そんなニュースに驚くこともなくなったこのごろです。

 

けれど、しののめ寺町の開店にあたり、この一年、インターネットの世界と親密に付き合うなかで気づいたのは、そうしたことはほんの一握りの出来事に過ぎないということでした。

 

この思い、この情報が、広く、早く、広まって欲しい。そう願いながらホームページやフェイスブックで発信をするも、現実は遅々とした歩みです。次の日も、また次の日も、同じことを願いながら発信を続ける。なかなかに地道な作業です。現実は、そういう人やお店が大多数なのではないでしょうか。

 

時に歯がゆさを感じながらも、それくらいの方が、伝えるべき人に正しく伝わっていくのかもと気を取り直し、こうした作業を私自身が楽しんでいることに気づき、またパソコンに向かう毎日です。

 

100という数もインターネットの世界では取るに足らない数字かもしれません。けれど私にはとても大きな数字です。

 

ちなみに100人目に「いいね」を押してくださったのは、フェイスブックのマニュアルとして、いつも手元に置いていた本の著者、鬼追 善久氏です。きのう「フェイスブック活用講座」を受講した際の講師が、偶然にも鬼追氏でした。とてもわかりやすい内容のうえに、個別に親身なアドバイスまでいただきました。

 

頑張ってきたご褒美に「はなまる」をいただいたような鬼追氏からの「いいね」100人目。私の持論「本物のIT関係のひとびとは人情深い」を実感する出会いでした。

 

101人、102人とお一人お一人増えていっていただけるよう、地道に発信を続けていきます。これからも、どうぞよろしくお願いします。

イサム・ノグチの輪っ!

アートなこと

2013年02月11日

私、アートが好きです。なかでも現代アートというんでしょうか、前衛アートというんでしょうか、専門的な分類はよくわかりませんが、そういうのが好きです。

見ていてとても気持ちがいいんです。もちろん気持ちがよくないものもありますが、好きな作品はもう本当に気持ちがいい。 隣で「なにこれ?!」っていう声を聞くこともありますが、好みは人それぞれ、ということでしょう。

なかでもイサム・ノグチの彫刻が好きです。数年前、滋賀県の美術館で初めて観て魅了されました。「真夜中の太陽」という有名な作品があります。直径2メートルほどの石の円環です。ドーナツ状の大きな石なのですが、不思議なことにすっくと立っています。まわりのどの方向からも眺められるように展示されていて、四方から眺めているうちに、とても不思議な感覚に陥っていった時のことを、今でもよく覚えています。

手前で眺めていると、 こちら側はこちら側、向こう側は向こう側。けれどひとたび向こうに回って眺めると、さっきまでのこちら側は向こう側で、向こう側がこちら側に。

円環の手前から向こうをのぞくと、まるで未来が広がっているように見えます。果てしなく見える未来も、向こうに回ればたちまち過去に。

円環の上と下。くるりと回せば、上が下に、下が上に。円環の右と左。ひょいと回せば、右が左に、左が右に。

終わりのない問答を繰り返すように、私は何度も行ったり来たりして、飽かず眺めていました。禅問答って、こんな感じでしょうか。

以来、私の胸の中にはイサム・ノグチの輪がペンダントのようにぶら下がっています。なにかに囚われそうな時、くるくる回していると、いつのまにやら開放されて、自由になれる気がします。ちょっと無理からではありますが。(苦笑)

このブログでも何度も書いていますが、この一年少しの間に私の状況は一変しました。「ほぼ専業主婦」から「自称にわか女将」へ。活動のフィールドが家の内から外へ。交流の範囲が自分の周辺から大きな広がりへ。考えるべきことの内容も多岐にわたり様変わり…。

確かに大きな変化です。けれど変わっているようで、実は大して変わっていないようにも思います。今さら私に大それたことが出来るわけはなし。出来るとしたら、これまで生きてきたなかで培ってきたことを、ただ精一杯形に表していくこと。過去を未来に。この先に待ち構えていることに真摯に向かっていくこと。未来はたちまち、また過去になるでしょう。

開店からもうすぐ一年を迎えます。それを前にして、そんなことに気づいたこのごろです。

あなたは なにを けんきゅうしていますか?

店のこと

2013年01月30日

三年ほど前になるでしょうか、京都の地下鉄で偶然一緒になったトルコ人青年の事を、今でも印象深く思い出します。

 

京都駅のホームで国際会館に行くにはこちらでいいかと聞かれたのが始まりです。スーツ姿でとても礼儀正しい青年でした。自宅に帰る私と同じ方向、電車に乗り込んだあとも並んで座り、七駅ほどをお喋りをして過ごしました。

 

大学時代を金沢で過ごし、今は大学で勉強したことを生かして故国で仕事をされているよう。日本語が堪能なはずです。これから国際会議場で発表をするとのことでした。内容を聞きましたが、なにやら難しくて忘れてしまいました。(笑)

「よく勉強されたんですね」と言うと

「はい、一所懸命勉強しました」と彼。

いらぬ謙遜などしない姿に好感が持てました。

 

「あなたは なにを けんきゅうしていますか?」

彼から突然の質問です。

 

「け、けんきゅう?」 

 

けんきゅうっていったら、やっぱり研究? ひたすら勉強をし続けてきた彼は、誰でもなにか研究をしているものだと思っているのでしょうか?

 

私はただの主婦で、ああ、近所の医院で受付の仕事はしています。といっても、ほんの少しの時間ですけど…。私はしどろもどろで答えていました。自分はなにかの研究に打ち込んでいるような人間ではなくて、といって、ただぼうっとしているわけでもないんだと懸命に言い訳をしていたように思います。

 

よく考えると、彼が日本語の使い方を微妙に取り違えていて、仕事はなんですか? とか、趣味はなんですか? 程度のニュアンスだったのかもしれません。私のあたふたとした答えぶりに、彼も少し途惑っていたようにも見えました。

 

そうこうするうちに私の降りる駅になりました。彼は慌てて大きなスーツケースの中を探ると、小さな袋を取り出しました。レモンの香りのするオリーブオイルで、トルコではなんにでもかけて食べるとのこと。これを食べるとき自分のことを思い出してくださいと言って、プレゼントしてくれました。

 

結構長くなってしまった私の人生、それなりに色々なことに打ち込んできました。けれど、いつもなにかしっくりいかないものを感じて退いてしまう、そんなことの繰り返しでした。自分にしっくり合ったものに出会いたい。そう願い、模索することだけは絶えることなく続けてきたように思います。

 

あなたは なにを けんきゅうしていますか?

 

そんな私の心に、彼の言葉は強く響きました。私は一体なにをけんきゅうしたいのか…。

 

もらったオリーブオイルは使うのがもったいなくて、賞味期限ぎりぎりまで置いておき、見るたびに彼の言葉を思い出していました。

 

あなたは なにを けんきゅうしていますか?

 

オリーブオイルはほのかにレモンの香りがし、サラダにかけて美味しくいただきました。

 

不思議な青年だったなぁと、今でも時々思い出します。またもし彼に会ったなら、今度は堂々と答えられそうな、そんな気がしています。

記憶

心と体のこと

2013年01月19日

幼い頃の記憶というのは、おぼろげなものです。そんななか、鮮明に残っている、ある日、ある場面の記憶というものがあります。

 

私は京都のまん中あたりで生まれました。近所に二軒のお菓子屋さんがあり、一軒は量り売りから、ちょっとした進物用まで取り揃えたお菓子屋さん。昭和30~40年代当時、一般的だったお菓子屋さんです。おじさんとおばさんのご夫婦でやっておられました。もう一軒は昔ながらの駄菓子屋さん。こちらは小母さんが一人で店番をしておられました。

 

親からわずかばかりのおこずかいをもらうと、友達の動向やその日の気分で、子供ながらに二軒の店を使い分けていたように思います。そんなある日のこと…。

 

私は幼稚園から小学校に上がったばかり。学校から帰ってきて、さて今日はどちらのお菓子屋さんに行こうかと考えています。並んだお菓子と、その日食べたいお菓子を思い浮かべながら、駄菓子屋さんの小母さんは「学校行ってきたんか?」と声をかけてくれることを思い出します。

 

駄菓子屋さんにしよう! そう決めると、私は駄菓子屋さんに駆け出します。

 

その時の心模様を、今でも手に取るように思い出すことが出来ます。記憶というものは、年数を経るほどに組み替えられているともいいます。自分流に組み替えられた記憶というものに、また意味があるように思います。

 

慣れない学校、毎日きっと緊張して過ごしていたはずです。下校後、ほっとして出かけた駄菓子屋さんで小母さんに掛けられた言葉は、「頑張ってきたなぁ」とも「えらいなぁ」とも聞こえたのでしょう。そんな言葉をまた聞きたくて、私は駄菓子屋さんに出かけます。よほどうれしかったのでしょう。その時のうれしさが、記憶を今に繋いでいるのでしょう。

 

過去は未来

 

駄菓子屋さんの小母さんの言葉は、さりげないようでいて、接客の極意です。店を持った今の私に、時空を超えて大切なことを伝えてくれます。

 

幼い日の私は、今の私よりずっと純度が高くて、感度が鋭かったように思います。あの頃うれしいと感じたこと、嫌だと感じたこと、それらの記憶は闇夜に瞬くキラ星のように、私の進む道を照らしてくれます。

鏡よ 鏡…

店のこと

2013年01月04日

あけましておめでとうございます。しののめ寺町は明日、1月5日(土)から営業させていただきます。本年もよろしくお願いします。

 

左枠のニュースでも書いていますが、このホームページはJimdoみんなのビジネスオンラインというサイトで自作しています。開設したのが、ちょうど一年前の1月4日です。ホームページ作成など到底、無理と思っていたのですが、このサイトなら大丈夫と、知人からアドバイスされたのがきっかけです。

 

このサイト、素人にもわかりやすい仕組みになっていますが、なにぶん初めてのこと。幼子が積み木を積み上げていくような、たどたどしさでした。にもかかわらず、お付き合いくださった皆様、ありがとうございます。

 

仕事を終え、夕食の片づけを終え、それからパソコンを開くのはきついこともありましたが、かけがえのない時間でもありました。自作のホームページは鏡のようなもの。今の自分が映り、その向こうになりたい自分が浮かび上がります。 厳しくはありますが、向き合うことは大切です。

 

起業後、様々な業種の方と知り合う機会が増え、店のコンサルティングやホームページ作成など、起業や起業後のサポートをする職業の方がたくさんいらっしゃることに驚いています。お話をさせていただくと、やはり餅は餅屋、その道のプロとして、素人には思いもつかないノウハウをお持ちなんだと感心することしきりです。

 

プロの方のように、なににつけ上手く事は運びません。遠回りだったり、ときに真逆のことをしていたり。振り返ってみると滑稽に思えることもたくさんしてきました。そうした至らなさに気づけるのも、自分の手で積み木を積んできたからではないか、鏡と向き合ってきたからではないかとと、無理からではありますがそう思い、また自分を励ましているところです。 これからも様々な方のご指導を仰ぎながら、自分たちなりにやっていこうと思っています。

 

最後に、この一年、無料でサポートしてくださったJimdoチームの皆様、本当にありがとうございました。これからはちゃんと料金をお支払いします。今後ともよろしくお願いします。

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