寮母さん
店のこと
2014年01月20日
昨年のクリスマスに、お客様からこんなプレゼントをいただきました。ご自身が出版されたご本です。
大学生活の迷い方 女子寮ドタバタ日記
蒔田直子 編著 岩波ジュニア新書
蒔田さんは開店当初からごひいきいただいているお客様です。物腰がとても柔らかく、口角の上がった口元は、いつも笑顔でいらっしゃる様子が伺え、素敵な方だなぁと常々思っていました。お話しするうちに同志社大学の女子寮の寮母さんとわかり、びっくり。
寮母さんってドラマか小説の中のひとと思っていました。「寮母さんみたいに面倒みたわぁ」なんて、冗談半分のたとえに使うことはあっても、本物の寮母さんにお会いするのは初めて。イメージそのままに「これぞ寮母さん!」と腑に落ちたことを覚えています。蒔田さんは、そんな方。
「しののめ寺町」を北へ。御所の東側、新島旧邸の近くに建つ松蔭寮(しょういんりょう)は今年で50周年。25歳で若き寮母さんになられて以来、30年以上になるとのことです。
寮でのお話を伺う時、いつも蒔田さんの向こうに、女子大生たちのエネルギーが躍動するのが見えるよう。何人もの娘さんたちの10代後半から20代前半という多感な時期を見守り、共有されてきた人生ってどんなだろう、と想像してしまいます。
「素敵なお仕事ですね」と、いつも私。
「本当にありがたいことで」と、いつも蒔田さん。
十八歳で親元を離れ、緊張しながら一人で寮のドアを開ける時、新入生たちは生まれ育った場所の空気や匂いをいっぱいまとっている。そのときに立ち込める空気が、私は好き。
冒頭のこの文章で、私はたちまち涙してしまいました。ああ、この方にはこうしたものが見えるんだ。感じ取れるんだ。蒔田さんのことを素敵と感じていた私の感性は間違いでなかったんだ、と。
読み進むとすぐに、女子寮というものに抱いていた甘美なイメージが覆されます。経済的にも精神的にも自立的な寮生の皆さん。多感なお年頃は、危ういお年頃でもあります。「女子大生」として決して一括りで語ることはできない、一人一人のかけがえのない時間がそこにあったこと。その一人一人を丸ごと受けとめて来られた蒔田さん。時に涙ぐみながら、一気に読んでしまいました。
男女雇用機会均等法以降は「寮母」から「寮職員」に置き換えられているとのこと。それでもやっぱり「寮母さん」が通りがいいと、今も「寮母」と名乗っておられる蒔田さんの心意気そのままの素敵なご本です。私の拙い解説よりなにより、ぜひご自身で読まれることをお勧めします。
実は本の感動はもとより、蒔田さんが私にこのご本をくださったということ。お馴染みのお客様とはいえ、親しい間柄というわけでもない私のことを思い出し、お持ちくださったということ。そのことが、私にはまずもって感動でした。
店を開き、そこにお客様が訪ねてきてくださる。せっかくのご縁です。ほんの少しでもお話しさせていただくよう心掛けています。そんななか、ふとお客様の人生に触れたような気がすることがあります。
私の人生は、どうしたって一人分しか生きることができませんが、こうしたお客様のお話の中で、さまざまな経験や思いを味わうことができるような。自分の人生にもふくらみが生まれるような。そんな気がしています。
これからも一人でも多くのお客様とこうした触れ合いができたらいいなぁ。今回、この本を通して、改めてそう思いました。ご迷惑でなかったら、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
ここから見える風景
店のこと
2014年01月10日
新年も早10日が過ぎました。ブログでのご挨拶が遅くなり申し訳ありません。昨年3月に「しののめ」の創業者である夫の母が亡くなり喪中のため、新年のご挨拶を控えさせていただきました。
年末、多くのお客様にご来店いただき忙しい毎日でした。お陰様で店のことで精一杯、自宅の大掃除など全く手つかずの年越しでした。今年は目をつむって、お正月休みくらいのんびり過ごそうと思っていたのですが…。
主婦の哀しい性(さが)でしょうか。家の中を動いた先々、あっちでゴシゴシ、こっちでがさごそ、気になるところを見つけては掃除や整理を始める始末。お正月からなにやってんだか、と呆れながらも、長年見慣れた風景のなかでの手馴れた作業は、かえって落ち着くものだなぁと思ったり。店では緊張して過ごしている自分を再認識した次第です。
話は飛びますが、私が車の運転免許を取ったのは40歳の時でした。ドン臭いことを自認している私、下手な運転で人様を傷つけることがあっては大変と、生涯、免許は取らないと決めていました。
それが、ある時、ふと思ったんです。例えばですが、人身事故を起こす確率が5%として、その5%の危険を恐れるあまり、残り95%の可能性を棒に振っているのはもったいない、と。さっそく教習所通いを始め、遅まきながらのドライバーデビューを果たしました。
当時、我が家の車はパジェロという大きな4WD車でした。よく人から「小さい体で大きい車を運転してんにゃなぁ」と驚かれたものです。人力で動かす訳ちゃうし、と心でツッコミを入れながらも、カーブにしろ車庫入れにしろ、身に余る大きさに四苦八苦していたのは事実です(笑)。そしてそんな自分に一番驚いていたのは他ならぬ私自身だったかもしれません。
それまでの私の指定席は助手席でした。わずか数十センチ右に移動しただけですが、前を走る車のうしろ姿、センターラインの角度…、似ているようで全く違って見えました。運転席からしか見ることの出来ない風景、免許を取らなければ出会えなかった風景…。運転するたびにいつも不思議で、ちょっと緊張して、そしてワクワクしていました。
こんなことなら、もっと早く免許を取ればよかったとも思いましたが、それまではきっと私の中の機が熟していなかったのでしょう。何事も用意されたタイミングというものがあるように思います。
「しののめ寺町」開店と同時に「ほぼ専業主婦」から「にわか女将」になって1年10ヶ月、起きている時間の大半を店で過ごすようになりました。レジあたりに立ち、店の中をぼんやり眺めながら、この風景を見て過ごしている自分を今でも不思議に思います。ちょうど免許取りたての頃と似た感覚です。
起業には100%約束された成功など有り得ません。何割かの確率の失敗を恐れて踏み出せずにいたら、この風景に出会うことはありませんでした。見慣れた風景は落ち着くものですが、一歩踏み出すことでしか見えてこない風景もまたいいものだなぁと思います。今では愛しい愛しい風景です。
「しののめ寺町」という店、免許取りたての頃のパジェロ同様、にわか女将には身に余る大きさです。ドン臭い私はまだまだうまく運転できずにいます。それでも日々、緊張感やワクワク感を楽しみながら、これからもやっていきたいな。そんなことを思う年明けでした。
ふ る さ と
店のこと
2013年12月31日
大晦日です。「しののめ寺町」はきのうで一年の営業を終了させていただきました。
年末に向かうにつれ、帰省の手土産にとお買い求めいただくお客様が増えていきました。家族のたってのリクエストで、と仰る方も多く、ありがたいことでした。帰られる先は、皆さん西へ東へと様々ですが、表情は一様にうれしそう。心は早、ふるさとに飛んでいるようです。
私はというと、もう実家はなく、親戚が集まる習慣もなくなってしまいました。皆さんを見送りながら、帰られた先々の様子を想像しては急に泣きたくなったりして。どうも人恋しくなる季節です。
京都に生まれ、学校も、就職も、結婚も地元で済ませてしまった(笑)私、「帰省」というものにとても憧れがあるようです。お盆や年末になると決まって、帰省客で混み合う駅の光景が報じられます。今でも見るたびに、大変そうと思う反面、一度でいいから経験してみたいとも思います。
古い日本家屋、襖を取り払った座敷に長いお膳を二つほどつなぎ、その上には鉢や大皿に盛られた手料理がずらり。そのまわりで親戚一同が酒を酌み交わし、子供たちは走り回っては叱られて…。なんて妄想を何度したことでしょう。
今でもあるのでしょうか、「レンタル家族」というサービスが話題になったことがあります。事情や希望に合わせて、無名の役者さんが家族を演じてくれるとか。どこか田舎の古民家を借りて、この光景を再現してほしい、なんて考えたことも。突拍子もない夢ですが(笑)。
実のところ、私がほしいと思っているのは「ふるさと」そのものというより、こうしたイメージに象徴される「心のふるさと」なのかもしれません。ここでは安心して羽を休められる、この人の前では素の自分でいられる、子供のように…。そうした場所や人がほしいのかも。
生まれながらの「ふるさと」をもつことはもう叶いませんが、私なりの「ふるさと」を見つけることは今からでも出来るかもしれません。地縁血縁を越えた「第三のふるさと」…。大それたことでなくてもいいから、馴染みのごはん屋さんを探してみるとか、新しいネットワークに顔を出してみるとか、そんなことから始めてみようか。そんなことを思う年の瀬です。
「ふるさと」探しに心を砕く私を尻目に、うちのじゃこ山椒と塩昆布たちは、今頃、各地の「ふるさと」に着いた頃でしょうか。たくさんの「おかえり」の声に迎えられている頃でしょうか。私になり代わり、「ふるさと」の温かい空気をたっぷり味わってきて、いっぱい愛されてきて、と願うばかりです
一年間、私たち家族、ケガなく、病気せず、無事に過ごすことができました。「しののめ寺町」を滞ることなく開けることが出来ました。ひとえに多くの皆様の、ご愛顧ご支援のお陰です。本当にありがとうございました。
どうぞ良いお年を、そして来年も何卒よろしくお願いします。
マッチ売りの少女
季節のこと
2013年12月23日
クリスマス間近、各地でイルミネーションがきらめきます。年の瀬の賑わいと共に、心踊る季節です。
なんて、常套句を書いてしまいましたが、天邪鬼な私はちょっと違った思いでこの季節を過ごしています。去年12月のブログ「クリスマスだから考える」でも書きましたが、イルミネーションがきらびやかであればあるほど、その向こうの闇が気になります。
「しののめ寺町」開店前、夜にウォーキングをしていたことがあります。自宅は賀茂川の上流、北山橋の西側の住宅街ですが、橋を東に渡ると大通りをはさんでお洒落な店が立ち並びます。
夜でも明るく、ウィンドウを眺めながら歩くのはいい気分転換になります。朝のような爽やかさはありませんが、陽焼けの心配もなく、一日に溜まった澱(おり)を流せる爽快感も気に入っていました。
ファストフードから高級そうなフレンチまで様々な飲食店が並び、いい匂いと共に窓越しに楽しそうに食事する人の姿が見えます。ブティックのショウウィンドウではカラフルな洋服を着たマネキンがポーズをとり、雑貨屋さんでは夢いっぱいの部屋が設えられています。ウェディングホールがいくつかあり、披露宴を終えたばかりの新郎新婦がお客様を見送る場面に遭遇することも。
このあたり、クリスマスの時期になると競うようにイルミネーションが施され、まばゆいばかりの通りを、カップルや家族連れなど多くの人が行き交います。
そんななかをウォーキングしていると、不思議な感覚に陥ることがありました。この世の中、皆が皆、とっても幸せな人ばかりなんじゃないか。私一人、ひととは違う次元にいて、まわりからは私の姿は見えていないんじゃないか、なんて。不安になって、まわりの人の反応を伺ってみたりして。
ふと思い出されるのが、幼い日に呼んだ童話「マッチ売りの少女」でした。クリスマスの夜、マッチ売りの少女はこんな気持ちで街を歩いていたのかなと、ちょっと悲劇のヒロイン気分に浸ったり。
そんな妄想も、ウォーキングを終えればおしまい。自宅に帰ると、いつもの日常に戻り、お風呂につかり、あたたかい布団で休みます。マッチ売りの少女とは相当違う結末です(笑)。
毎年、不思議に思うのですが、クリスマスの時期、イルミネーションがきらめく中すれ違う人は誰もが幸せそうに見えるのはなぜでしょう。
それが本当なら、それはそれで素敵なことです。けれど残念ながら、世の中の人が皆が皆、幸せでいるのは難しいことです。幸せな人の隣で、悲しんでいる人がいるかもしれません。
華やかなことが苦手な私、派手なイルミネーションは要らないけれど、、足元をそっと照らしてくれるキャンドルがほしいなぁ、「だいじょうぶだよ」と励ましてくれる灯りがほしいなぁ。冬、寒さと共にさみしさや心細さが身に沁みる帰り道、そんなことを思うこのごろです。
幸せな人はそのまま幸せで。悲しんでいる人は束の間幸せに。クリスマスがそんな一日であればいいなと思います。
主婦が旅をするということ
店のこと
2013年12月16日
ここ寺町通りは、最近、静かな観光スポットとして人気のよう。「しののめ寺町」にも毎日、全国各地から旅行で来られたお客様が立ち寄ってくださいます。
熟年ご夫婦、ご家族連れ、若いカップル…。皆さん、楽しそうですが、とりわけ楽しそうなのが主婦の方らしきグループ旅行の皆さん。年に何回も、という旅慣れた方もおられますが、やっと来られた、という方も。そうしたお客様の楽しそうな様子は格別です。
お一人がなにか言ったといっては皆で笑い、お一人がなにかしたといっては皆でまた笑い…。若い女の子のことを、箸がこけてもおかしい年頃、なんて言いますが、まさにそんな感じです。私が言うのもなんですが、女性ってかわいいものだなぁと思います。(笑)
私も主婦の身、手に取るようにわかります。帰宅時間を気にすることも、今晩の献立を考えることも必要ない。ただそれだけのことが、どんなに大きな解放感か。そんな貴重な時間を、気の置けない友達と過ごせることが、どんなに大きな喜びか。
皆さんの楽しそうな様子を見ていると、人恋しくなって、私も友達を誘って旅行に行きたいなぁ、なんて思います。すると急に泣きたくなったりして…。私は私で、いくつになっても多感なお年頃です。(笑)
なかでも印象深いのは、今年の桜の頃にお見えになった妙齢のお二人連れ。伺うと、福島から夜行バスで今朝、京都に着かれ、今夜にはまた夜行バスで帰られるとのこと。ニュースでよく耳にする地域の方でした。
早朝から清水寺などを回られ、夕方うちに来られた時には、さすがにお疲れの様子。椅子に腰かけてほっこりされながら、先々での出来事をうれしそうに話してくださいました。強行スケジュール、大変ではあったでしょうが、思い切らなければ味わえなかった経験をたくさんされたご様子でした。
「京都ではおかずとご飯が一緒に出ないんですね」と、お昼に召し上がった京料理のスタイルをとても珍しがられていました。うちの薄味に炊いた塩昆布を気に入ってくださり、「帰ったら、食事の最後にご飯と一緒に出そうと思って、京都風にね」とお買い上げ。「家族はびっくりするでしょうね」と悪戯っぽく笑われていました。
家事は賽の河原で石を積むようなもの、なんて文章を読んだことがあります。家事にはキリもなければ終わりもなく、主婦が家事から解放されるには、物理的に家から離れるしかありません。主婦にとっての旅は、どこかへ行く楽しさとともに、家から離れる気楽さでもあります。
そんな主婦の旅も、最後には家族のためにお土産を買い、食卓に思いを馳せられる。あぁ愛おしきかな、主婦…。皆さん、お幸せなんだなぁと思いながら、いつもお見送りする私であります。
旅好きな私も、開店以来すっかりご無沙汰です。写真のスーツケースも今では店への通勤かばんとなり、行きは店での昼食を詰めて、帰りはスーパーで買った食材を詰めての往復です。(笑)
そろそろ一度「ひろみちゃん」に戻れる時間を作ってあげなければ、箸がこけたと言っては友達と笑い合う女の子に戻してあげなければ、そんなことを思うこのごろです。