Jupiter 2

心と体のこと

2014年01月30日

私事で恐縮ですが、1月は私の生まれ月でした。誕生日がうれしい年齢などとうに過ぎていますが、それでも誕生日の朝はなにか特別な気がするものです。元日の朝とはまた違った、すがしい気分というのでしょうか。

店に出かける前、家事をしながらの慌ただしい時間ではありますが、ちょっと音楽でも聴いてみようかと、平原綾香さんのCDをかけてみました。

昨年のブログJupiterでも書いていますが、開店以来、地下鉄を降り店まで歩く道すがら、よく口ずさんできた歌です。押しつぶされそうな不安にさいなまれる時、幾度となく励まされてきました。

この歌、そのときどきで解釈が微妙に変わるのですが、この朝、これまでにないとても新鮮な感覚に打たれました。私が歌っているつもりだったこの歌、実は誰かが私のために歌ってくれていたんじゃないかと…。

それは天上にいるもう一人の自分に思えました。地上に遣わされた私をいつも見守り、愛し、寄り添ってくれている、大いなるもう一人の自分。そんなもう一人の私からの歌声に聞こえたんです。

またまた怪しいことを書いてしまいました(笑)。歌詞を紹介します。

 

Jupiter          作詞 吉元由美 

 

   Everyday I listen to my heart

   ひとりじゃない

   深い胸の奥で つながってる

   果てしない時を越えて 輝く星が

   出会えた奇跡 教えてくれる

   Everyday I listen to my heart

   ひとりじゃない

   この宇宙(そら)の御胸(みむね)に 抱かれて

 

   私のこの両手で 何ができるの

   痛みに触れさせて そっと目を閉じて

   夢を失うよりも 悲しいことは

   自分を信じてあげられないこと

   愛を学ぶために 孤独があるなら

   意味のないことなど 起こりはしない

 

   心の静寂(しじま)に 耳をすまして

 

   私を呼んだなら どこへでも行くわ

   あなたのその涙 私のものに

 

   今は自分を 抱きしめて

   命のぬくもり 感じて

 

   私たちは誰も ひとりじゃない

   ありのままでずっと 愛されてる

   望むように生きて 輝く未来を

   いつまでも歌うわ あなたのために

 

不安にさいなまれる時、誰かに手を差しのべてほしくなります。心細さに怯える時、誰かに自分を認めてほしくなります。でも、こんなこと、ひとに求めたら身勝手なわがままになりかねません。叶えるのは、とても難しいことです。

でも、天上にもう一人の自分がいるとしたら…。気づいていないだけで、実はいつでも叶えられているのかもしれません。ひとに求めずとも自分自身によって。ちょっと痛くはありますが(笑)。

いつまでも甘ったれていないで、自立した大人の女性になりなさい。そんな天からのメッセージでしょうか。気づけたことは幸いです。なによりの誕生日プレゼントでした。

 

   今は自分を 抱きしめて

   命のぬくもり 感じて

 

これまで生きてきた自分を、自分自身が祝えなくてどうする。誕生日の朝、また生きようとしている自分を、まず自分が称えられなくてどうする。何歳になっても、誕生日はおめでたい! そんなことを思い心震えた1月でした。

オランダの女の子

心と体のこと

2014年01月21日

ここ寺町界隈は外国の方にも人気のようです。古美術店巡り、御所への道すがらと、毎日たくさんの方がそぞろ歩かれています。

 

ブログジョー岡田さんのことでも紹介していますが、通訳ガイドのジョーさん率いるツアーでは、毎回多くの外国人観光客の方が「しののめ寺町」にお立ち寄りくださいます。小さな子供さんづれのファミリーも珍しくありません。そんなとき私はある家族の姿を探している自分に気づきます。

 

4、5年前、まだ「しののめ寺町」開店前のことです。お盆の休暇に夫婦で旅行に出かけた帰り、京都の地下鉄で外国人のグループと一緒になることがありました。席を譲り合ったのがきっかけで会話が始まりました。

 

グループと思ったのは、両親と子供5人のファミリーでした。オランダの方でイギリス在住とのこと。2週間近くかけて日本を旅しているのだと、正面に座る父親が話してくれました。その傍らに末っ子らしい7歳くらいの女の子が寄り添っていました。白い肌に青い目、金髪のおかっぱ頭にカラフルなキャップをかぶり、映画の子役に出てきそうな可愛い子。目が合うと、はにかんだ笑顔を見せてくれました。まもなく私たちの降りる駅になり、いい旅をと告げて別れました。

 

翌日8月16日は「五山の送り火」の日、私たちは自宅近くの賀茂川に架かる橋、北山橋から見るのが恒例です。8時点火の「大文字」を見た後、15分後に灯る「船」を見るため橋を渡っていると、驚いたことにきのうのファミリーとばったり出会いました。大変な雑踏の中、奇跡のような再会です。さっそく彼らを「船」の見えるベストポジッションに案内しました。

 

亡くなった家族が「お盆」と言われるこの季節にあの世から帰ってくること、この火に送られてまた戻っていくこと、私は精一杯の単語を並べて説明し、火に向かって手を合わせてみせました。どこまで通じたかわかりませんが、火を見上げる彼らの横顔は厳かでした。

 

そんな合間に末っ子の女の子がよく話しかけてきました。彼女の早口を聞き取れずにいると、父親がゆっくり話すよう注意してくれました。

「I like your hair」

思いがけない言葉にポカンとしていると、聞き取れなかったと思ったのか、もう一度ゆっくり言ってくれました。

あなたの髪が好き…、

金髪の彼女の目に、栗色に染めた私のショートヘアはどう映ったのでしょう。小さくても女の子、そんなことが気になるのかと、おしゃまな彼女がまた可愛く思えました。

 

火も消えかかるころ、私たちは橋の上で別れました。握手をしようと差し出した手を、両親は両手で握ってくれました。彼女にもさよならを言おうと腰をかがめると、彼女は両手を私の首に回して抱きついてきました。

 

遠い海の向こうイギリスに帰って、彼女は今日のことをどんな風に思い出すのだろう。素敵なレディに成長するに違いない彼女、果たして今日のことを憶えていてくれるだろうか。小さな体を抱きながら、私は時空を超えてそんなことを思い巡らせていました。

 

幼い子供のこと、日々の暮らしに紛れて今日のことなどきっと忘れてしまうだろう。記憶なんてそんなもの。でも私は憶えているよ。あなたを忘れないよ。そう心で囁きながら、彼女の背中をそっと撫ぜました。

 

あまりに年の離れた私たち、なにがそんなにと不思議ですが、今でも繰り返し思い出される珠玉のような記憶です。

 

橋の上の奇跡のような再会は、二度とはないでしょう。それでも、いつ会っても彼女に恥ずかしくないひとでいたいなぁ、そんなことが一つの目安になっている私です。

寮母さん

店のこと

2014年01月20日

昨年のクリスマスに、お客様からこんなプレゼントをいただきました。ご自身が出版されたご本です。

 

大学生活の迷い方 女子寮ドタバタ日記  

              蒔田直子 編著     岩波ジュニア新書

 

蒔田さんは開店当初からごひいきいただいているお客様です。物腰がとても柔らかく、口角の上がった口元は、いつも笑顔でいらっしゃる様子が伺え、素敵な方だなぁと常々思っていました。お話しするうちに同志社大学の女子寮の寮母さんとわかり、びっくり。

 

寮母さんってドラマか小説の中のひとと思っていました。「寮母さんみたいに面倒みたわぁ」なんて、冗談半分のたとえに使うことはあっても、本物の寮母さんにお会いするのは初めて。イメージそのままに「これぞ寮母さん!」と腑に落ちたことを覚えています。蒔田さんは、そんな方。

 

「しののめ寺町」を北へ。御所の東側、新島旧邸の近くに建つ松蔭寮(しょういんりょう)は今年で50周年。25歳で若き寮母さんになられて以来、30年以上になるとのことです。

寮でのお話を伺う時、いつも蒔田さんの向こうに、女子大生たちのエネルギーが躍動するのが見えるよう。何人もの娘さんたちの10代後半から20代前半という多感な時期を見守り、共有されてきた人生ってどんなだろう、と想像してしまいます。

 

「素敵なお仕事ですね」と、いつも私。

「本当にありがたいことで」と、いつも蒔田さん。

十八歳で親元を離れ、緊張しながら一人で寮のドアを開ける時、新入生たちは生まれ育った場所の空気や匂いをいっぱいまとっている。そのときに立ち込める空気が、私は好き。

 

冒頭のこの文章で、私はたちまち涙してしまいました。ああ、この方にはこうしたものが見えるんだ。感じ取れるんだ。蒔田さんのことを素敵と感じていた私の感性は間違いでなかったんだ、と。

 

 読み進むとすぐに、女子寮というものに抱いていた甘美なイメージが覆されます。経済的にも精神的にも自立的な寮生の皆さん。多感なお年頃は、危ういお年頃でもあります。「女子大生」として決して一括りで語ることはできない、一人一人のかけがえのない時間がそこにあったこと。その一人一人を丸ごと受けとめて来られた蒔田さん。時に涙ぐみながら、一気に読んでしまいました。

 

男女雇用機会均等法以降は「寮母」から「寮職員」に置き換えられているとのこと。それでもやっぱり「寮母さん」が通りがいいと、今も「寮母」と名乗っておられる蒔田さんの心意気そのままの素敵なご本です。私の拙い解説よりなにより、ぜひご自身で読まれることをお勧めします。

実は本の感動はもとより、蒔田さんが私にこのご本をくださったということ。お馴染みのお客様とはいえ、親しい間柄というわけでもない私のことを思い出し、お持ちくださったということ。そのことが、私にはまずもって感動でした。

 

店を開き、そこにお客様が訪ねてきてくださる。せっかくのご縁です。ほんの少しでもお話しさせていただくよう心掛けています。そんななか、ふとお客様の人生に触れたような気がすることがあります。

 

私の人生は、どうしたって一人分しか生きることができませんが、こうしたお客様のお話の中で、さまざまな経験や思いを味わうことができるような。自分の人生にもふくらみが生まれるような。そんな気がしています。

 

これからも一人でも多くのお客様とこうした触れ合いができたらいいなぁ。今回、この本を通して、改めてそう思いました。ご迷惑でなかったら、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

ここから見える風景

店のこと

2014年01月10日

新年も早10日が過ぎました。ブログでのご挨拶が遅くなり申し訳ありません。昨年3月に「しののめ」の創業者である夫の母が亡くなり喪中のため、新年のご挨拶を控えさせていただきました。

 

年末、多くのお客様にご来店いただき忙しい毎日でした。お陰様で店のことで精一杯、自宅の大掃除など全く手つかずの年越しでした。今年は目をつむって、お正月休みくらいのんびり過ごそうと思っていたのですが…。

 

主婦の哀しい性(さが)でしょうか。家の中を動いた先々、あっちでゴシゴシ、こっちでがさごそ、気になるところを見つけては掃除や整理を始める始末。お正月からなにやってんだか、と呆れながらも、長年見慣れた風景のなかでの手馴れた作業は、かえって落ち着くものだなぁと思ったり。店では緊張して過ごしている自分を再認識した次第です。

 

話は飛びますが、私が車の運転免許を取ったのは40歳の時でした。ドン臭いことを自認している私、下手な運転で人様を傷つけることがあっては大変と、生涯、免許は取らないと決めていました。

 

それが、ある時、ふと思ったんです。例えばですが、人身事故を起こす確率が5%として、その5%の危険を恐れるあまり、残り95%の可能性を棒に振っているのはもったいない、と。さっそく教習所通いを始め、遅まきながらのドライバーデビューを果たしました。

 

当時、我が家の車はパジェロという大きな4WD車でした。よく人から「小さい体で大きい車を運転してんにゃなぁ」と驚かれたものです。人力で動かす訳ちゃうし、と心でツッコミを入れながらも、カーブにしろ車庫入れにしろ、身に余る大きさに四苦八苦していたのは事実です(笑)。そしてそんな自分に一番驚いていたのは他ならぬ私自身だったかもしれません。

 

それまでの私の指定席は助手席でした。わずか数十センチ右に移動しただけですが、前を走る車のうしろ姿、センターラインの角度…、似ているようで全く違って見えました。運転席からしか見ることの出来ない風景、免許を取らなければ出会えなかった風景…。運転するたびにいつも不思議で、ちょっと緊張して、そしてワクワクしていました。

 

こんなことなら、もっと早く免許を取ればよかったとも思いましたが、それまではきっと私の中の機が熟していなかったのでしょう。何事も用意されたタイミングというものがあるように思います。

 

「しののめ寺町」開店と同時に「ほぼ専業主婦」から「にわか女将」になって1年10ヶ月、起きている時間の大半を店で過ごすようになりました。レジあたりに立ち、店の中をぼんやり眺めながら、この風景を見て過ごしている自分を今でも不思議に思います。ちょうど免許取りたての頃と似た感覚です。

 

起業には100%約束された成功など有り得ません。何割かの確率の失敗を恐れて踏み出せずにいたら、この風景に出会うことはありませんでした。見慣れた風景は落ち着くものですが、一歩踏み出すことでしか見えてこない風景もまたいいものだなぁと思います。今では愛しい愛しい風景です。

 

「しののめ寺町」という店、免許取りたての頃のパジェロ同様、にわか女将には身に余る大きさです。ドン臭い私はまだまだうまく運転できずにいます。それでも日々、緊張感やワクワク感を楽しみながら、これからもやっていきたいな。そんなことを思う年明けでした。

ふ る さ と

店のこと

2013年12月31日

大晦日です。「しののめ寺町」はきのうで一年の営業を終了させていただきました。

 

年末に向かうにつれ、帰省の手土産にとお買い求めいただくお客様が増えていきました。家族のたってのリクエストで、と仰る方も多く、ありがたいことでした。帰られる先は、皆さん西へ東へと様々ですが、表情は一様にうれしそう。心は早、ふるさとに飛んでいるようです。

 

私はというと、もう実家はなく、親戚が集まる習慣もなくなってしまいました。皆さんを見送りながら、帰られた先々の様子を想像しては急に泣きたくなったりして。どうも人恋しくなる季節です。

 

京都に生まれ、学校も、就職も、結婚も地元で済ませてしまった(笑)私、「帰省」というものにとても憧れがあるようです。お盆や年末になると決まって、帰省客で混み合う駅の光景が報じられます。今でも見るたびに、大変そうと思う反面、一度でいいから経験してみたいとも思います。

 

古い日本家屋、襖を取り払った座敷に長いお膳を二つほどつなぎ、その上には鉢や大皿に盛られた手料理がずらり。そのまわりで親戚一同が酒を酌み交わし、子供たちは走り回っては叱られて…。なんて妄想を何度したことでしょう。

 

今でもあるのでしょうか、「レンタル家族」というサービスが話題になったことがあります。事情や希望に合わせて、無名の役者さんが家族を演じてくれるとか。どこか田舎の古民家を借りて、この光景を再現してほしい、なんて考えたことも。突拍子もない夢ですが(笑)。

 

実のところ、私がほしいと思っているのは「ふるさと」そのものというより、こうしたイメージに象徴される「心のふるさと」なのかもしれません。ここでは安心して羽を休められる、この人の前では素の自分でいられる、子供のように…。そうした場所や人がほしいのかも。

 

生まれながらの「ふるさと」をもつことはもう叶いませんが、私なりの「ふるさと」を見つけることは今からでも出来るかもしれません。地縁血縁を越えた「第三のふるさと」…。大それたことでなくてもいいから、馴染みのごはん屋さんを探してみるとか、新しいネットワークに顔を出してみるとか、そんなことから始めてみようか。そんなことを思う年の瀬です。

 

「ふるさと」探しに心を砕く私を尻目に、うちのじゃこ山椒と塩昆布たちは、今頃、各地の「ふるさと」に着いた頃でしょうか。たくさんの「おかえり」の声に迎えられている頃でしょうか。私になり代わり、「ふるさと」の温かい空気をたっぷり味わってきて、いっぱい愛されてきて、と願うばかりです

 

一年間、私たち家族、ケガなく、病気せず、無事に過ごすことができました。「しののめ寺町」を滞ることなく開けることが出来ました。ひとえに多くの皆様の、ご愛顧ご支援のお陰です。本当にありがとうございました。

 

どうぞ良いお年を、そして来年も何卒よろしくお願いします。

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