タンザニアのお友達
心と体のこと
2016年01月31日
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店を始めて、さまざまな方と出会う機会に恵まれるようになりました。世の中には多彩な方がいらっしゃるもんだなぁ、と感心することしばしばです。
そういう方たちの考えられること、行動力は、私などからすると型破りに思えて驚くばかり。同時に、驚いている自分がまだまだ小っちゃいんだなぁと気づかされます。
なかでも、最近とりわけ驚いた出来事が…。知人のご家族が、まだ幼い子供さんを連れて、アフリカのタンザニアに引っ越されたのです。日本の支援で、教育機会に恵まれない女子のための学校が開校されたとのこと。ご主人は理科教師として、奥様は文化交流担当として勤められるようです。
特に親しい間柄というわけではないのですが、私が恐る恐る書いたブログ「紅葉の頃 思うこと」(紅葉の頃 思うこと)にご主人が温かいメッセージをくださったのが印象的でした。希少難病患者支援事務局主催のイベントに出店した折に顔を見せてくださったのも嬉しいことでした(ブログ希少難病患者支援事務局SORD(ソルド)、ブログ希少難病支援事務局SORD(ソルド)2)。失礼ながら、私と感性の近い方なんじゃないかと、勝手に親しみを感じていました。
二年近く前になるでしょうか、ご家族で来店くださったことがあります。当時生まれて間もないお子さん、ねねちゃんを「人見知りが始まって」と言いながら、いきなり手渡されました。赤ちゃんを抱くなんて久し振りの私、ぎこちなく抱っこし、いつ大泣きされるかと内心ひやひや。
ところが、ねねちゃん、私を見つめて満面の笑み。私もつられて笑みがこぼれます。その様子を見たパパさん、「ねねが泣かなかったのは、木村さん(私)とタンザニア人の友人だけです」って。えぇ~!! 以来、私のなかでは、私とねねちゃんとタンザニア人はひと続きのものになりました(笑)。
その後もフェイスブックを通じて、ねねちゃんの成長とご家族の睦まじさを、遠い親戚のように楽しませていただいていました。そんななかタンザニア行きのお知らせが。ご主人は青年海外協力隊のご経験があり、奥様も国際的なお仕事に携わっておられる由、なるほどと思うものの、やはり驚きです。
実は私、20代はじめの頃、青年海外協力隊の説明会に出かけたことがあります。当時、安定した会社員生活を送っていたのですが、なにか飽き足りないものを感じていたのでしょう。あれこれ模索していた時期でした。
たまたま見かけた案内のポスターにつられ出かけたものの、そんな甘い考えは開始数分で打ち砕かれました。私はその地で役立つ技術も資格もなにひとつ持ち合わせていませんでした。自分の無力さと甘さを痛感し、その場にいることすら恥ずかしかったことを覚えています。
その後も電車の中などでポスターをを見かけるたびに、あの時の情けなさが蘇ります。そして、いつからか目につくようになったのが、青年海外協力隊と共に併記されるシニア海外ボランティアの募集案内でした。
結婚後、二人の子供が小学校に上がったのを機に服飾の専門学校に通い、卒業後はささやかながらニットのお仕事をさせてもらうようになっていました(ブログ杉本先生から教わったこと)。今なら、現地の女性に編み物の技術を伝えられるんじゃないか。木綿の糸などで日用品や簡単な衣料を作れたら、女性の自立の助けになるかもしれない。そんな夢を描くことも。
けれど今の自分の置かれた状況では、とうてい叶わない夢だと諦め、それもまた体のいい言い訳に過ぎないと、覚悟も行動力もない自分がやっぱり恥ずかしくなり。
そんな私をよそに、この間どれだけの若者やシニアの方たちが各国に赴き、活躍してこられたのでしょう。そうした若者のお一人が、家庭を持ち、今度はご家族で新たな夢を追いかけられる。本当に素晴らしいことだと思います。
現地到着後、フェイスブックに初めてアップされた投稿には、ねねちゃんが黒人の男の子と仲良く手をつなぎ、楽しげな表情で立つ写真が添えられていました。京都弁でコミュニケーションを取っているとのこと。たくましい!(笑)
タンザニアで暮らすこと。その地で新しいものを根付かせること。大変なことだと思います。ましてや小さな子供さんを連れての赴任には、数々の不安もおありだったでしょう。その一つ一つを超える意義を感じての決断だったのだろうと推察します。
そんな不安をよそに、ねねちゃんはねねちゃんなりの役割をしっかり果たしている様子。どんな女の子に、女性に成長していくのでしょう。ねねちゃんと似た波長を持っているであろう私は、とても楽しみに思っています。
お陰様で、私もようやくがんばれる場所が見つかりました。海外の途上国ではなく、ここ寺町に。「しののめ寺町」も新体制で新年をスタートしたばかり。緊張して過ごした一ヶ月でした。どこからやって来たのか、こんな言葉がしきりに浮かぶ一ヶ月でもありました。
不安は希望を孕(はら)んでいる。
店に立ちながら、時々タンザニアに思いを馳せています。タンザニアに友達がいる。空を見上げれば、空はひと続き。まずは健康第一に、地道に進んでいかれることを祈るばかりです。
参考までに関連のリンクを貼らせていただきます。ぜひご覧ください。
https://www.facebook.com/mitsuru.goshozono/posts/723893977710327?pnref=story
美しいということ
素敵な女性
2016年01月12日
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ウィンタースポーツの季節到来。昨年末よりフィギュアスケートのニュースをよく目にするようになりました。特別ファンというわけではないのですが、浅田真央選手にはなにか心魅かれるものがあり、普段テレビを見ない私も見たりして。
真央ちゃんといえば、十代の頃から、神様から選ばれしひとは、こういうものかと思うばかり。なにもかも兼ね備えたひとのように私には思えました。こぼれんばかりの笑顔には、誰もが魅了されたのではないでしょうか。
選手としてキャリアを重ねるごとに、絶えない苦悩もあった様子。演技後のインタビューでは、時にしゃくりあげながら、時に表情を曇らせながら、それでも真摯に答える姿には、いつも感心させられました。短い受け答えの一つ一つはシンプルでありながら、経験した者のみが語れる言葉の重みがあり、胸打たれることも。
休養から復帰後初めての今シーズン。なかなか調子が上がらず苦戦が続いていたようですが、昨年末の全日本選手権大会のフリーの「蝶々夫人」の演技は、本当に素晴らしかった。転倒しながらも繰り広げられる渾身の演技は、息を呑む迫力。演技後、小さく頷く表情に、今の彼女のすべてが表現し尽くされたのだと、見ている私まで胸すく思いでした。もはや評価など超越していたような。
若い選手が台頭するなか、25歳で最年長と言われるスポーツの世界。決して本調子ではないなか、あの大きなスケートリンクに一人立つ孤独。不安を抱えながら、それでも果敢に挑む姿…。無垢な頃の真央ちゃんも美しかったけれど、苦悩を湛えた真央ちゃんはさらに美しい。
美しいということは、経験すること…。
苦しい経験に心が澱んでしまうこともあるものです。が、それを超えた時、また新たな美しさが生まれる。一つ一つの経験が、その向き合い方が、そのひとが本来持っていた美しさにさらに磨きをかけていく。真央ちゃんの姿を見ていて、そんなことを思いました。
女性が年齢を重ねることは、決して悲観的なことではなく、むしろ素敵なことなんじゃないか。経験を重ね、折り重ねられていく心のひだ。そうしたものが若い頃にはなかった深い美しさを生むんじゃないか。そんなことを思ったり。そうであることを願ったり。そういうものが評価される世の中であってほしいと思います。
年齢を重ね、経験を重ね、澱みながら、澄みながら。また澱みながら、澄みながら。最期に本当の「透き通る瞬間」があるのかも(ブログ透き通る瞬間)。
多忙だった12月。ダウンしたお盆休みの二の舞はすまいと、仕事と休養に専念した年末年始でした。新年のご挨拶がすっかり遅れてしまい申し訳ありません。お陰様で元気に新しい年をスタートすることが出来ました。
今年もまた、さまざまな経験をすることになりそうな気配です。好ましい経験も、好ましくない経験も、恐れずに向き合ってみよう。真央ちゃんの演技を思い出しながら、そんなことを思うこのごろ。どうぞ今年もよろしくお願いします。
ペトロフピアノ
アートなこと
2015年12月16日
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先月のことになりますが、素敵なピアノリサイタルに出かけてきました。会場は今は廃校になった明倫小学校(現京都芸術センター)の講堂。建物に入った途端、油引きの廊下の匂いがして、たちまちノスタルジックな気分になりました。
ピアノはオーストリア・ハンガリー帝国時代にプラハで製造されたというペトロフ社の伝説のピアノ。篤志家から子供たちのために寄贈されたものの、その後、放置され傷みが激しかったとのこと。有志により修復され、かつての音色がよみがえったのを機にコンサートが開かれるようになったようです。
今回の演奏者はロシアのピアニスト、イリーナ・メジューエワさん。「しののめ寺町」開店当初より、日本人のご主人様と共にご贔屓いただいている素敵なお客様です。(ブログイリーナ・メジューエワさんのこと イリーナ・メジューエワさんのこと2)。
清楚で美しいイリーナさん。華奢な姿からは想像できない力強い演奏。彼女のリサイタルに出かけるのは3度目ですが、いつもながらその魅力にたちまち惹きこまれてしまいました。さらに今回は、時を超え、国を超え、出会ったピアノと演奏者と聴衆、そしてその場に私がいるということ…。不思議なストーリーにいつにない感動が加わりました。
人も物も、出会うべきものは出会うように用意されている。
演奏を聴きながら、そう思わずにいられなかった私。外は寒い寒い夜でしたが、温かな思いに包まれたひとときでした。
店を始めて以来、一日のほとんどを店で過ごしています。定休日とて遊びに出かけることもままならない状況。体は一つ、一日は24時間。正直、不自由だなぁと思うことも。
けれど毎日お客様と接し、いろいろなお話を伺うなかで、私はここに居ながらにして途方もない時間と距離を行き来しているんじゃないかと思うことがあります。
「しののめ寺町」のじゃこ山椒と塩昆布。店奥の厨房で自分たちで手作りするこれらの商品は、私たちにとって、もはやただの物ではありません。私たちの思いが込められています。こういう話、重かったら申し訳ありません(笑)。
日本各地からご来店くださるお客様が持ち帰られる土地。それぞれのご家庭の食卓、さまざまな集いの場。時には山登りのお供に連れられ、素晴らしい眺望の中に置かれることも(ブログ心の旅)。その先々に私たちの思いも一緒に出かけている気がしています。
その先は日本にとどまりません。私にはとうてい行けそうもない国々へ、海を越え、空を飛び、うちのおじゃこたちは出かけて行きます。そこはどんな気候、言語、文化の国でしょう。どんな器に入れられるのかと想像するだけで楽しくなります。
亡くなられた方が、うちのおじゃこが大好きだったからと、法事の粗供養に使っていただくことがあります。あの世で喜んでくださっているかなぁと想像しますが、そこはまだ私にはちょっと未知の世界です(笑)。
忘れられないエピソードもあります。幼子を残して亡くなられた女性。そのお友達が、成人した忘れ形見の娘さんを連れてご来店くださいました。「あなたたちのお母さんは手土産といえば、いつもこちらのおじゃこだったのよ」と涙ながらに語られたのには、私も思わずもらい泣き。その娘さんが後日、恋人の実家を初めて訪問する手土産にと、彼と一緒に来てくださったのには驚きました。何十年の時がつながった瞬間を見る思いでした。
一人の人生ではとうてい出会えない多くの方たちに、おじゃこを介して直接、間接に出会っている気がしています。ひとは不自由なようで、実はとても自由なのかもしれない。それに気づけるか気づけないか、その違いで人生の楽しみがずいぶん変わる気がします。
私は寺町のこの場所に立ちながら、自由に時空を駆け巡っていたい。
そんなことに気づくきっかけとなったリサイタル。ペトロフピアノとの出会いもやはり、出会うべくして出会うように用意されていたものだったかもしれません。
今年も残すところあと半月となりました。帰省の手土産を求めるお客様が多くご来店くださる年末。いつにも増して、私の心も西へ東へ飛び交う距離が伸びそうです(ブログふるさと)。
今年は30日(水)の定休日を返上、大晦日の午前まで営業です。たくさんの出会いを楽しみに、いつにも増して健康に留意しなければと思うこのごろです。
おぉきに
店のこと
2015年12月02日
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開店以来ずっと、心に引っかかっていたことがあります。「おぉきに」が言えない。
京都に生まれ育った私、ふつうに京都弁を話します。ただその京都弁、一般人の私たちが日常的に使うのと、伝統や格式ある世界、例えば花街や老舗のお店の方の使われるのとは少し違います。世代によっても少し違います。一口に京都弁といっても実はさまざまです。
テレビなどで、京都といえば「○○どすえ~」みたいな使われ方をするのをよく見かけます。他府県の方がイメージされる京都弁というのは、たぶん舞妓さんが話される言葉なのではないでしょうか。イメージを壊しては申し訳ないのですが、そんな言葉を使う人は、私のまわりで未だかつて一人もいません(笑)。
もしかしたら京都弁とは別に、京言葉というものがあるのかもしれません。リアルな話し言葉とは少し違う、京都をイメージして作り上げられた、理想の京都の言葉のような。詳しいわけではないので、よくわかりませんが…。間違っていたら、かんにんどすえ~(笑)。
じゃこ山椒といえば、今では京土産の一つに数えられるようになりました。「しののめ寺町」も内装や商品の包装など、常に京都らしさをイメージして考えています。おもてなしも京都らしく、ということで「ありがとうございました」より「おぉきに」がふさわしいとアドバイスされることも何度かありました。
「おぉきに」という言葉、私より少し年長の方は自然に使われますが、私自身はこれまでの人生で一度も使ったことがありません。たぶん私と同年代、それ以下の方は同じではないかと思います。
正直なところが、時に正直過ぎるところが長所であり短所でもある私。京都らしさ演出のために一度も使ったことのない言葉を口にするのには、どうしても抵抗がありました。考え過ぎだと思うのですが、「おぉきに」と言う自分は、本当の自分じゃないような、なにかしら違和感があって、どうしても口に出来ないのです。
他府県から移り住まれた方が、くったくなく「おぉきに」と言われるのを聞くことがあります。京都の言葉を自分の中に取り入れ、京都の暮らしを心から楽しんでおられる様子に、京都に生まれ育った私が言えなくてどうする、と思います。でも、やっぱり言えない。
お客様の方が「おぉきに」と言って帰って行かれることもよくあります。京都らしいなぁと思いながらお見送りしている自分に、こちらこそ「おぉきに」でしょう、とツッコミを入れます。でも、やっぱり言えない。
そのうちそのうちと思いながら、いつまでたっても言えない。それがやがてストレスに。そんなことにこだわっているくらいなら、いっそ言わないと決めた方が潔いんじゃないかと思うに至り、私は私流、一生「ありがとうございました」で通そうと決めました。開き直りです(笑)。
そんな私に劇的ビフォアー・アフターが…。
少し前からアルバイトさんを募集していましたが、10月末からこんな可愛いお嬢さんが来てくれています。近くの同志社大学の女子寮の学生、さなさん。お客様でもある、こちらの寮母さんのご紹介です。(ブログ寮母さん)
静岡出身の彼女ですが、店に立つや一日目から、明るく大きな声で「おぉきに~」とお客様をお見送り。その声に、お客様も思わずにっこり。店の空気が一気に京都らしくなったような。これには本当に驚いてしまいました。聞けば祇園のお寿司屋さんや割烹でアルバイト経験があるとのこと。場所柄、そういう挨拶を教えられたのでしょう。
京都の言葉でお迎えすることは、京都らしさを求めて来られるお客様への大切なサービスの一つなのだと、心から納得しました。
私よりずっと若く、他府県出身のアルバイトさんがこんなにも見事に「おぉきに」と言っているのに、自称「にわか女将」の私が言わへんわけにいかへんや~ん! ここは素直に見習わなぁ、と一大決心。さなさんの声に合わせてハモる練習開始です。
さなさんの大きな声に遅れながら、恐る恐る「おぉきに」と言ってみました。次はもう少し大きな声で…。練習を重ね、今ではさなさんがお休みの日も、一人でちゃんと言えるようになりました。どちらがアルバイトなんだか(笑)。
「おぉきに」という言葉、口にしてみると、とても心地いいことに気づきます。音(おん)の持つ抑揚、響きが柔らかく、こういうのを「はんなり」というのでしょうか。まさに京都らしい、美しい言葉だなと思います。
そしてなにより、あんなにも抵抗のあったことを、こんなにもあっけなく出来てしまった自分に驚いています。しかもこんな若い人に学んで。今では「おぉきに」と言っている自分が、結構好きだったりして(笑)。ひとはいくつになっても変われるもののようです。
「しののめ寺町」の店内に「おぉきに」という二人の女性の声が響くなんて、思ってもみないことでした。店も私たちも、いろいろな方に出会いながら、育てていただきながら、成長し、進化し続けていく。時に予想をはるかに超えて…。そう実感した出来事でした。
そんな素敵なサプライズを起こしてくれたさなさん、春には静岡に帰り社会人になられます。短い期間ではありますが、それまで一緒に楽しく働いていきたいと思っています。ぜひ、さなさんの「おぉきに」を聞きにご来店ください。
一日中「おぉきに」の声の絶えない店になっていけるよう、一緒にがんばってくださる方を引き続き募集中しています。ぜひともお力を貸していただきたく思います。どうぞ気軽にお問い合わせください!
そんなことを切に願う12月。忙しい師走のこのごろです。
どうせなら楽しく
店のこと
2015年11月06日
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店を始めると決めてから今日まで、どういう店でありたいか、そのためにはどうしたらいいか、絶えず考えてきたように思います。家族でも何度となく話し合ってきましたが、答えは決して一つでなく、迷走することもしばしばでした。そんな時、私が最後にいつも口にしていた言葉があります。
どうせなら楽しくやりたい。
それぞれの糸がからみ合い、もつれ合うほどに、この言葉がいつも出てきました。なんの答えにもなっていないけれど、なにか大きなヒントのような気がして、最後に出るのは必ずこの言葉でした。
今年3月、開店から3周年を迎えました。3年も経てば、基礎が出来、あとは自ずと落ち着いていくものだと思っていました。現実は決してそうではなく、3年経ってようやくわかってくることが、たくさんあるのだと知りました。そうして見えてきた課題に、改めて向き合っていくスタートラインに立った気がする今年。3年というのは、やはり大きな節目です。
「しののめ寺町」は一体、どんな店でありたいのか。そのためにはどうしたらいいのか。新たな模索の始まりでした。店について考えることは、自分について考えることでもあります。考えるほどにに混乱することも。そんな時、心に浮かぶ言葉はやっぱり…。
どうせなら楽しくやりたい。
考えるばかりではなにも始まらないと、気づいたところから行動してみたりもしました。うまくいくこともあれば、時に頭を打つことも。やってみなければわからなかったことが、わかっただけでもよかったのだと納得しつつ、自信を失ったりもして。
それでも毎日、店を開けようと思ったら、今日の自分に落ち込んでいる暇などありません。自信があってもなくても、なくてもなくても、前に進んでいかなくちゃと、明日の自分を励ましながらやってきました。
そんな私の力となったものの一つが、店を始めてから出会った様々な業種で働く方たちの姿でした。仕事も人生も楽しいことばかりのはずはありません。それでも、仕事も人生も全力で楽しんでおられる方がたくさんいらっしゃることに、とても驚きました。そんなお一人お一人が放たれるエネルギーに触発され、私もまたがんばってこられたのだと思います。
「楽しめる」というのは才能なんだなぁ。
逆にどんな恵まれた環境であっても、楽しめない人というのもあるのかも。人って大きく分けると、この二通りなんじゃないかと思ったりします。
私はやっぱり、楽しくやりたい!
早くも11月。模索は続いています。年内に完結とは到底いきません。それでも、今年最後の日、きつかったけれど、いい一年だったと振り返れるよう、残りの一日一日を大切に過ごしていきたいと思うこのごろです。
私にも楽しめる才能がありそうな(笑)。
まだまだ至らないことばかりの「しののめ寺町」ですが、気長に見守ってくださいますよう、よろしくお願いします。