心の旅
店のこと
2013年04月29日

ゴールデンウィークただ中、皆様、どのようにお過ごしでしょうか。「しののめ寺町」は通常通り営業しています!
店を始めて変わったことはたくさんありますが、時間の自由がきかなくなったことは大きな変化の一つです。旅好きな私でしたが、出かけることが難しくなりました。そんななか、お客様のお話を伺うことは、なによりの楽しみです。
桜が咲けば桜の様子を、紅葉すれば紅葉の様子を、ご覧になってきたばかりの興奮と共に、口々にお話しくださいます。美しさと共に、その場の賑わいまで伝わってくるようです。お話は京都各地、あるいは他府県にまで及ぶこともあり、店に居ながらにして、行ってきたかのような、見てきたかのような気分を味わわせていただいています。時に、一日ではとうてい回りきれない名所を巡る日も。(笑)
昨日のこと、長野県松本から日帰り旅行の男性のお客様が来られました。レンタサイクルであれこれお買い物の様子です。4月27日、上高地では開山祭が行われたそうです。山開きしたばかりの穂高連峰に、明日、登る際に持参するのだと、じゃこ山椒と塩昆布をご購入くださいました。おにぎりのお供に、山仲間へのサプライズとのことでした。京都でのお買い物の目的がしのばれ、遊び心満載の登山、お話を伺うだけでゾクゾクしてしまいました。
2012年10月18日のブログ「もう一度 立ちたい場所」で書きましたが、穂高は、時間が出来たら是非もう一度行きたい場所、眺めたい光景です。といっても私の場合、ロープウェイで登るのですが。
最近も雪が降ったとのことで、完全冬装備で登ると話されていました。うちのじゃこ山椒と塩昆布は、今日、どんな光景に出会っているのでしょう。今朝から、想像しては、ワクワクしていました。私が行けるのはまだ先ですが、一足先に行った気分を味わえました。しかも実際には登れそうもない高みまで、しかも私の知らない楽しい仲間と。
うちのじゃこ山椒と塩昆布、ご近所はもとより、全国各地に持ち帰られます。時に海外にご持参いただくことも。お客様からは、その先々での様子をお聞きかせいただきます。私自身がその場に居合わせるわけではありませんが、目の当たりにしているような不思議な感覚に陥ります。
心は自由だなと思います。
体はなかなか自由に動けない毎日ですが、心は自由に旅してくれています。これからも様々なお客様のお話を伺いながら、一人の人生では行き切れないくらい、いろいろな場所に出向きたいと思っています。
見えぬけれども あるんだよ
店のこと
2013年03月28日

まだまだ修行が足りないなぁ、そう思うことはしょっちゅうですが、なかでも、このところ連日「ああ、またぁ」と思うことが 一つ。
自宅から店へは地下鉄で通っています。「丸太町」で降り、竹屋町通りを東へ。突き当りに西国三十三ヵ所巡りの19番札所「行願寺」があります。遠くに見える山門を目指して歩くのはすがすがしい気分です。
本堂には美しい観音様がいらっしゃいます。もちろん通りからは見えませんが、山門の向こうに「観音」と書かれた赤い提灯が覗きます。これを見ると、あぁ、観音様がいらっしゃるのだなぁと思い、心でそっと手を合わせます。開店以来の毎朝の習慣です。
もう数週間前になるでしょうか、屋根の修復のため、山門が白いシートで覆われてしまいました。毎朝、欠かさずやってきた習慣ですが、以来、すっかり忘れがちになっています。うつむきがちに歩いていて、無意識に角を曲がり、気づけば店の前。シートに覆われた行願寺を振り返り、「あぁ、また忘れたぁ…」とため息をつく毎日です。
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
金子みすずの詩「星とたんぽぽ」の有名な一節です。
かんじんなことは、目に見えないんだよ
星の王子様も言っています。
シート一枚のこと、その向こうの観音様はなんら変わりありません。なのに、見えなくなったとたん、ないものになってしまっている。
まだまだ修行が足りないなぁ。
古来より、こんな民衆のために、時の権力者は寺院を建立させ、仏像を彫らせたのかもしれません。形あるものを作り、拝むことを忘れないようにと…。歴史が苦手な私の勝手な想像ですが。(笑)
店を開いていると様々なお客様が来てくださいます。通りかかりにたまたま入ってくださる方、うちを目指して来てくださる方、何十年も会っていなかった知人、ちょっとした縁で知り合った方…。まるで目に見えない糸が張り巡らされていて、見えない力で手繰り寄せられたのではと思うことも。見えないものが見える瞬間です。
一方で、そこにあっても見逃しているもの、見たくなくて見過ごしていることもあるような。思えば人の見え方は千差万別で、同じものを見ていても、実は全く違うものを見ているのかもしれません。
まだまだ修行の足りない私ですが、見えるもの、見えないもの、自分の眼でしかと見ていきたいと思います。
一周年
店のこと
2013年03月15日

明日、開店一周年を迎えます。写真はちょうど一年前の今日、2012年3月15日のブログに載せた写真です。毎日愛飲(?)していた強力ドリンク剤の空き瓶を撮っています。
とにかく開店ありきで設定された開店日、あまりに短い準備期間のなか、心身ともに極限まで疲れていました。店は開いたは死んでもた…、なんてことになるのではと不安に思いながら、一方で、たとえ死んでも店は開けねばと強迫観念に駆られ…。思考はもう錯乱状態、開店前日のブログを読むと、もう泣きが入って、悲鳴が聞こえそうです。
そうはいっても、この写真、瓶の並び具合といい、色調といい、なんかいい感じではないでしょうか。追い込まれている割には「あそび」があって、今見ると笑ってしまいます。
ともあれ、死んでまうことなく生き永らえ、健康で今日の日を迎えることができたのは、神様のご加護でしょうか。至らないことばかりだった店も、多くの方のご支援のお蔭で、少しずつではありますが、店らしくなってきたように思います。
一周年というと、皆さん、「もう一年? 早いねぇ」と仰います。私にはとても長い一年でした。目まぐるしい変化と、あまりにたくさんのことがある毎日、思い返すのも追いつかないくらいです。
歳をとると、よく昔話をするようになるといいます。同じ話を何度もするとか。私がおばあさんになるまで生きていたとしたら、この一年のことを繰り返し思い出すのではないでしょうか。幸い、思い出しても思い出しても飽きないくらい、たくさんのエピソードがあります。しかも大変だったはずの出来事も、この写真と同じく、なんか笑ってしまう出来事にすり替わっています。思い返すのはおばあさんになってからの楽しみに取っておき、今しばらくは先に向かって邁進することにしましょう。
ゼロからのスタートも、一年という礎が出来ました。おばあさんになったときに思い出すのが楽しくって仕方がないような、そんな毎日をこれからも積み重ねていきたいと思います。
皆様、今後ともよろしくお願いします。
100人!
店のこと
2013年02月22日

一年生になったらぁ
一年生になったらぁ
友達100人でっきるかなぁ
しののめ寺町のフェイスブックで、「いいね」を押してくださった方が、きのうで100人になりました。「いいね」を頂戴したお一人お一人の皆様、ありがとうございます。
今さら語るまでもないことですが、インターネット上の情報の広がる速さ、届く範囲の広さは、想像を絶するものがあります。ネット販売であっという間にヒット商品が生まれ、一人のちょっとしたつぶやきが大騒動を巻き起こし、芸能人のブログが炎上し…。そんなニュースに驚くこともなくなったこのごろです。
けれど、しののめ寺町の開店にあたり、この一年、インターネットの世界と親密に付き合うなかで気づいたのは、そうしたことはほんの一握りの出来事に過ぎないということでした。
この思い、この情報が、広く、早く、広まって欲しい。そう願いながらホームページやフェイスブックで発信をするも、現実は遅々とした歩みです。次の日も、また次の日も、同じことを願いながら発信を続ける。なかなかに地道な作業です。現実は、そういう人やお店が大多数なのではないでしょうか。
時に歯がゆさを感じながらも、それくらいの方が、伝えるべき人に正しく伝わっていくのかもと気を取り直し、こうした作業を私自身が楽しんでいることに気づき、またパソコンに向かう毎日です。
100という数もインターネットの世界では取るに足らない数字かもしれません。けれど私にはとても大きな数字です。
ちなみに100人目に「いいね」を押してくださったのは、フェイスブックのマニュアルとして、いつも手元に置いていた本の著者、鬼追 善久氏です。きのう「フェイスブック活用講座」を受講した際の講師が、偶然にも鬼追氏でした。とてもわかりやすい内容のうえに、個別に親身なアドバイスまでいただきました。
頑張ってきたご褒美に「はなまる」をいただいたような鬼追氏からの「いいね」100人目。私の持論「本物のIT関係のひとびとは人情深い」を実感する出会いでした。
101人、102人とお一人お一人増えていっていただけるよう、地道に発信を続けていきます。これからも、どうぞよろしくお願いします。
あなたは なにを けんきゅうしていますか?
店のこと
2013年01月30日

三年ほど前になるでしょうか、京都の地下鉄で偶然一緒になったトルコ人青年の事を、今でも印象深く思い出します。
京都駅のホームで国際会館に行くにはこちらでいいかと聞かれたのが始まりです。スーツ姿でとても礼儀正しい青年でした。自宅に帰る私と同じ方向、電車に乗り込んだあとも並んで座り、七駅ほどをお喋りをして過ごしました。
大学時代を金沢で過ごし、今は大学で勉強したことを生かして故国で仕事をされているよう。日本語が堪能なはずです。これから国際会議場で発表をするとのことでした。内容を聞きましたが、なにやら難しくて忘れてしまいました。(笑)
「よく勉強されたんですね」と言うと
「はい、一所懸命勉強しました」と彼。
いらぬ謙遜などしない姿に好感が持てました。
「あなたは なにを けんきゅうしていますか?」
彼から突然の質問です。
「け、けんきゅう?」
けんきゅうっていったら、やっぱり研究? ひたすら勉強をし続けてきた彼は、誰でもなにか研究をしているものだと思っているのでしょうか?
私はただの主婦で、ああ、近所の医院で受付の仕事はしています。といっても、ほんの少しの時間ですけど…。私はしどろもどろで答えていました。自分はなにかの研究に打ち込んでいるような人間ではなくて、といって、ただぼうっとしているわけでもないんだと懸命に言い訳をしていたように思います。
よく考えると、彼が日本語の使い方を微妙に取り違えていて、仕事はなんですか? とか、趣味はなんですか? 程度のニュアンスだったのかもしれません。私のあたふたとした答えぶりに、彼も少し途惑っていたようにも見えました。
そうこうするうちに私の降りる駅になりました。彼は慌てて大きなスーツケースの中を探ると、小さな袋を取り出しました。レモンの香りのするオリーブオイルで、トルコではなんにでもかけて食べるとのこと。これを食べるとき自分のことを思い出してくださいと言って、プレゼントしてくれました。
結構長くなってしまった私の人生、それなりに色々なことに打ち込んできました。けれど、いつもなにかしっくりいかないものを感じて退いてしまう、そんなことの繰り返しでした。自分にしっくり合ったものに出会いたい。そう願い、模索することだけは絶えることなく続けてきたように思います。
あなたは なにを けんきゅうしていますか?
そんな私の心に、彼の言葉は強く響きました。私は一体なにをけんきゅうしたいのか…。
もらったオリーブオイルは使うのがもったいなくて、賞味期限ぎりぎりまで置いておき、見るたびに彼の言葉を思い出していました。
あなたは なにを けんきゅうしていますか?
オリーブオイルはほのかにレモンの香りがし、サラダにかけて美味しくいただきました。
不思議な青年だったなぁと、今でも時々思い出します。またもし彼に会ったなら、今度は堂々と答えられそうな、そんな気がしています。