宮本浩次さんのこと
アートなこと
2022年11月30日

皆様、お好きな歌手、お気に入りのグループなど、それぞれにいらっしゃることと思います。
私が最近、とても惹かれているのは宮本浩次さんです。あまりテレビを見ない私は、夜、お風呂上りにCDをかけることが多いのですが。最近、よく聴くのが宮本浩次さんの「縦横無尽」です。
彼のことを知るようになったのは、エレファントカシマシからソロ活動を始められてからのこと。なのでまだファン歴は浅く、詳しいことはほとんど知りません。そんな私が彼について語るなんておこがましいのですが。
とにかく好き! なもので…。私なりの思いを書いてみたいと思います。
まず好きなのが詞です。本気で生きている人にしか見えない光景を見せてくれているような。うん、うん、そうだ、そうだ! なんて、詞の中の誰にともなく共感し、エールを送ってしまいます。
そして、声。声に力があるというか、声に心がこもっている感が半端なく。ありきたりの言葉も彼の声に乗ると、胸に迫ってくるような。声は人そのものなんだなぁと思います。
その声で、切なさや愛しさを切々と歌うかと思えば。溢れ出す愛や夢を爆発的に歌ったり。とにかく強気で、ストレートな歌いっぷりが、なんともカッコよく。イカしてる、って形容がぴったりです。
私の拙い感想より、歌詞を紹介するのが一番かもしれません。いくつかの曲から、私が大好きなフレーズを抜粋してみたいと思います。
【sha・la・la・la】
遠い星空に誓った幼き日
俺は絶対勝つってよ
強く 気高く やさしく
でっかい heart で街を行く男なのさ
umh、いつしか時は流れ大人になった俺が
相も変わらず心で叫び続けている
俺は絶対勝つってよ
夜空には今日も星がまたたいていた
夢は
sha・la・la・la sha・la・la・la…
「おまえはどこまで夢を追いかけるるつもりなんだい?」
sha・la・la・la sha・la・la・la…
空にはあの頃と同じ星がまたたいている 今日も空には
……
時は
sha・la・la・la sha・la・la・la
「お前は今どのあたりを歩いているんだい?」
sha・la・la・la sha・la・la・la 時は流れ流れ
ああお前は今どのあたりなのさ? sha・la・la・la
……
さあ行こうぜ
sha・la・la・la sha・la・la・la…
明日も夢を追いかけ続けるのさ sha・la・la・la
この曲を聴くと、いつも自分に問いかけられている気持ちになります。私はどこまで夢を追いかけるつもりなんだろう。今、どのあたりにいるんだろう…。
それがわかれば計画も立てやすいけれど、わからないから夢を追いかけ続けられるのかもしれない。
【rain-愛だけを信じて】
浮わついた日和見のup down に一喜一憂してる
世間という名の party を抜け出して
時に揺さぶられるような想いにかられて
心のすべてを解き放ちたい ああ
だれかの所為(せい)にしたくない わたしの未来を
……
愛を求めてさすらう heart は
体中で感じたい そう 生きてることを
ココロで全てを受け止めるよ
愛だけを信じて明日を抱きしめたい
悲しみけむる rain
心に降りつづける rain uuh rain
大丈夫、わたしはまた笑顔になるから
……
芯から強い女性を歌っているんだなぁ。私もこうありたいと願いつつ、「大丈夫、わたしはまた笑顔になるから」の部分、いつも一緒にシャウトしてしまいます(笑)。
そして、ラストの一曲…。
【P.S .I love you】
例えば若き日の夢が 悲しみと交差するとき
その時から人のナミダが 希望を語り始めるのさ
悲しみの歴史それが 人の歴史だとしても
ああ やっぱ何度でも立ち上がる人の姿は どこかまぶしい
雨の日 傘をさすようにあるいてゆこう
ゆこう ゆこう 大人の本気で さあ 立ち上がろ
I love you I love you 悲しみの向こう
立ち上がれ がんばろぜ バカらしくも愛しき ああこの世界
I love you I love you いつまでも輝きもとめて
ああ 愛してるぜ日々を P.S. I love you
愛って何だかわかった日が きっと新たな誕生日
出会いと別れ ああ 人生を経て 宝物を手に入れたのさ
悲しみの歴史それが 人の歴史だとしても
ああ ひとつぶのナミダのその向こうに きみの笑顔を見つけた
晴れた日 自然に足どり軽くなるように
ゆこう ゆこう 大人の旅路は着の身着のままがいい
愛してる 愛してる 悲しみの向こう
立ち上がれ がんばろぜ 果敢(はか)なくもうるわしき ああこの世界
I love you I love you いつの日も喜びもとめて
ああ 愛してるぜ日々を P.S .I love you
……
世界では愚かしいことが性懲りもなく繰り返され。日本でも、私のまわりでも、困ったこと、心配なことの山積みで。
それでも愛しきこの世界。私も愛と夢を胸に、着の身着のまま、大人の本気で生きていこう。なんて思いつつ…。
ラストの「ああ 愛してるぜ日々を P.S .I love you」の部分、ここでもまた一緒にシャウトすると、なんだか気持ちスッキリ。
余計な不安や怖れはさて置いて、明日からまたがんばろう! そんな気持ちになって、あとは眠りに就くばかり。
いやはや、好き勝手に、熱く語ってしまいました(笑)。
宮本浩次さん、この先、年齢を重ね、どんな詞を聴かせてくれるんだろう。そして、それをどんな風に感じる私がいるんだろう。これからがまたスリリングで楽しみです。
「ある一つの事」
アートなこと
2022年10月20日

前回のブログで、陶器のオブジェ「月23」がうちにやって来てくれた顛末を書きました(ブログ月23)。そのご縁を結んでくださった陶芸家 I さんのことを、もう少し書いてみたくなりました。
改めてご紹介します。陶芸家、伊藤均さん。前衛的なオブジェを得意とされ、その尖がった作風が私は大好きで。個展の案内をいただくと、今回はどんな作品だろうと出かけて行くのが楽しみでした。
なかでも上記の写真のシリーズは、私が一番好きなものです。えもいわれぬ造形と色。眺めるほどに深い世界に引き込まれるようで、飽かず眺めていたのを覚えています。
数年前に突然、天国に旅立ってしまわれたのは本当に残念なことでした。けれど今回、教え子さんの作品「月23」と出逢わせていただき。ひとは亡くなったあとも、なにかしらの形でこの世にあり続けるものなのだ。そう実感した次第です。
その展覧会でのこと。伊藤さんが生前、陶芸の雑誌に寄稿されていた文章が壁に掲げられていました。
なんとはなしに読み始めたのですが、この言葉を読み流してはいけない。そんな思いに駆られ、奥様の了解を得て写メに納めさせていただきました。以下、書き出してみます。
ただ森羅万象の内に「ある一つの事」に非常に興味を持ち始めると、その事をテーマに作品を創る。他人が何を言おうと、世間がどう動いていようと、作家という当人においては、ただ黙々と「つくる」という行為をくり返すだけなのだ。
仮に、「ある一つの事」が、どんなにつまらない事であっても、当人には、今非常に重大なテーマなのだ。
そして作品が出来る事は、彼の宇宙に新しい空間が生まれることを意味する。そこから又次の作品への足がかりが出現する。
とはいっても、そう次から次へと、新しい出会いが表出する訳でもなく、行きつ、戻りつの様である。作品を見て「心を悩まし」、新しい出会いに「思い焦がれる」のである。
作者は、きっと、己の次の作品をつくる為に、今の作品をつくっているのではないかと思う。
伊藤 均「おもう」(陶説1988年9月号に掲載)より抜粋
まるで哲学者のよう。こんなことを思いながら、伊藤さんは作品と対峙されていたんだなぁ。これまでの作品の数々を思い浮かべると、納得がいく気がしました。
何度も読み返していると、ふと、これは必ずしも芸術の世界に限ったことではないんじゃないか。ビジネスや人生そのものにも置き換えることができる。そう思えてきました。
お蔭様で「しののめ寺町」は今年で10周年(ブログ10周年)。この間、たくさんの経営者の方に出会う機会に恵まれました。代々続く家業を継がれた方。一念発起、自ら起業された方…。
皆さん、それぞれに確固たる理念と覚悟を持って事業に邁進されていることが、自信に満ちた風貌、言動から感じられます。
私はというと…。ご縁と成り行きで、気づけばおじゃこ屋さんになっていた。気づけば代表なんて立場になっていた。というのが正直なところです。
負い目、引け目のようなものがついてまわり。いつまでたっても覚悟が定まらないまま。一昨年、作成した経営理念も、まだまだ実践できずにいます。(ブログ経営理念)
それでもこれまで続けてこられたのは、私の中に「なにかしら思うもの」があったからだと思います。まさしく、伊藤さんの語るところの「ある一つの事」です。
けれど、その時々の状況により揺れたり、迷ったり。自分でも明確にできないまま、変遷を繰り返し今日まで過ごしてきました。
10年を過ぎ、最近、ようやく明確になりつつあるように感じています。けれど、まだ確信を持てない。
伊藤さんの言葉は、そんな私へのメッセージに思えてなりません。なかでも「他人が何を言おうと、世間がどう動いていようと…」というくだりは、とてもリアルに心に迫ります。
確かに、今の私の思いなど、人に話したら呆れられるんじゃないかとビビッている自分がいます。そんなちっぽけな不安を、見事に蹴散らしてくれるよう。
仮に、「ある一つの事」が、どんなにつまらない事であっても、当人には、今非常に重大なテーマなのだ。
身をもって実践してこられた伊藤さん。それが決して間違いでなかったことを、素晴らしい作品たちがなにより雄弁に証明してくれています。
なかなかに困難なことだと思います。けれど、私の中に芽生える「ある一つの事」を大切に、店も、人生も進んでいきたいという思いが募るこのごろ。これからも温かく見守ってくださいますよう、よろしくお願いします。
月23
アートなこと
2022年09月14日

今年の春のことになりますが、素敵なオブジェがうちにやって来てくれました。長さ15㎝ほどの三日月を象った磁器の焼き物です。タイトルは「月23」。どうやってうちに来てくれたのか。その顛末を書いてみたいと思います。
自宅の近くに陶芸家の I さんご夫婦がお住まいで、古くから親しくさせていただいています。
ご主人のHさんは芸術家肌。前衛的なオブジェを得意とされ、私はその尖がった作風の大ファンで。個展をされると聞くと出かけて行き、心掻き立てられる作品を飽かず眺めていたものです。
一方の奥様Nさんは癒し系。コーヒーカップやお鉢など日常使いできる作品も多く。その優しいフォルムと色合いは、手に触れるだけで心休まるよう。うちの食器棚にもいくつかしまわれています。
服装もお洒落で、どんな服もお二人にかかると先端ファッションに。道で出会うと「ファンキーですねぇ」なんて言いながら、ファッションチェックを始めてしまう私です。そんな大好きな I さんご夫婦。それが…数年前にご主人が突然、天国へ旅立ってしまわれました。
生憎、私はお通夜も葬儀も伺えず。気になっていたところ、しばらくして自宅内に併設のギャラリーをオープンしたとの案内状が届きました。ご主人存命中に進められていた計画らしく。哀しい出来事をはさみながらも、完成に漕ぎつかれたようです。
早速訪ねてみると、ご主人の気配がそこかしこに漂う素敵なギャラリー。すぐ横に設えらえた仏壇にお参りし、ようやくホッとした思いでした。
ご主人は美術系の学校で長く教鞭も取られていました。教え子たちの展覧会を、このギャラリーで。というのがご主人Hさんのたっての夢だったよう。ようやくそれが実現したとの案内状が届いたのが、今年の春のことでした。
個性的な作品が並ぶ中で、私は一つの作品がとても気になりました。外国の絵本に出てきそうな顔のある三日月。えもいわれぬ表情としぐさに、眺めているだけで心が穏やかになっていくよう。上記の写真がそれです。
実は私、月、なかでも三日月が大好きで。このブログでもよく月のことを書いています。(ブログ三日月)(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)
帰り際、奥様のNさんに「これ、好き!」と思わず伝えてしまいました。それが運命のひと言に…。
聞けばこの作家さん、今は小さな子供さんを抱え、ママとして大忙しの毎日とのこと。滋賀の陶芸工房で働かれるも、ご自身の創作活動からは遠ざかっておられるもよう。この作品はまだお若い頃のものとのことでした。
他の方の作品は販売されているものもありましたが、こちらは非売品。ご自身にとっては貴重な宝物。手放されることはないだろうと思いながら帰ってきました。
それが、それが、私が気に入ったことを作家さんに伝えてくださったところ、譲ってくださることに。お代は、おじゃこが大好きなので、おじゃこを送ってもらえればうれしい。なんてお返事で。
いやいや、それはきちんと対価をお払いしたいと伝えたうえで、展覧会終了と同時にもらいうけてきた次第です。
結局、奥様のNさんが、作品としての適正価格を割り出してくださり。その金額分のおじゃこをお送りするということに相成りました。
「お互いの大切なものを物々交換したみたいで、こういうのもいいね!」ってNさん。
いやはや、技術と魂の籠もった唯一無二の作品に、うちのおじゃこが見合うものだったのかどうか、はなはだ疑問です。が、後日、作家さんから心のこもったお手紙をいただき、これはこれでよかったのだと納得しました。
なんでも、自分の作品を気に入ってくれる人がいたということ。そのことがまずうれしく、とても励みになったとのこと。おじゃこを召し上がりながら、その思いをまた新たにかみしめてくださったもようです。
私のありのままの思いが、なにかしらお役に立ったのなら、こんなうれしいことはありません。
こうして思いがけずやってきてくれた「月23」。いつでも眺められるようにと、自宅のダイニングテーブル横の壁に掛けました。
時間がなくてバタバタしている時も、気持ちの沈む時も、ちらっと見るだけで不思議と心が落ち着きます。
「心の声を聴いてごらん」
なんだか、そう言われているような。
「月23」はほんと自分の心の声を聴いているみたい。自分の心の声に耳を傾け、静かに自分と向き合っているよう。
試しに同じポーズをとってみると、両の掌がちょうど胸に当たります。うん、うん、ここに心があるんだ。次に目を閉じて、静かに心の声に耳を傾けます。
listen to my heart…
私がいつも心に留めているキーワードです(ブログべネシアさんのこと)(ブログjupiter 2)。それが、日々の出来事に右往左往し、すっかり忘れてしまっていました。
たとえわずかの時間でも、自分の心と向き合うこと。その奥底にくぐもった自分の心の声に耳を傾けること。「月23」は私にそれを思い出させるために、うちにやって来てくれたんだ。
作家さんと私、確かに、お互いが今、必要としているものを交換し合ったようです。
こんな素敵なご縁をつないでくださった I さんご夫婦。やっぱりお洒落で粋だなぁ。Hさん、これからもこんな私たち二人を、天国から見守っていてくださいね。
ライフイズビューティフル
アートなこと
2022年01月06日

あけましておめでとうございます。
新しい年が始まりましたが、皆様にとって昨年はどんな一年でしたでしょうか? 長引くコロナ禍にあって、ご苦労された方も多かったことと思います。私にとりましても、公私にわたり、なかなかに厳しい一年でありました。
そんななか秋以降の京都の急な賑わい。たくさんの懐かしいお顔との再会、そして新しいお客様との出会いに恵まれましたことは、なによりうれしいことでした。
一方で整わない体制のなか、行き届かない点も多くありましたこと、改めましてお詫び申し上げます。
バタバタと最終の営業日を終えたあとは、もはや余力なく。ほとんど腑抜け状態で大晦日を迎える、というのが恥ずかしながら例年のこととなりました。
それでも年越しそばを食べ終わる頃には、そんな疲れも吹っ飛び、残るのはとにもかくにも無事に一年を終えられたという安堵と感謝の思いのみ。
そして見るともなしに見るNHKの紅白歌合戦。なんやかや用事をしつつ、好きな歌手の出番では手を止めて。宮本浩次さんの「夜明けのうた」にトキメキ、鈴木雅之さんの「め組のひと」では一緒に踊った今年。ハイ、好きなんです!
それにしても年々、知らない歌手が増えていくなぁ。なんて、お年寄りのセリフと思っていたことを口走る自分におかしくなったり。
演歌歌手がめっきり少なくなったなぁ。なんて、演歌好きでもないのに、北島三郎さんの「まつり」の紙吹雪舞うなかの熱唱が懐かしく思い出されたり。
なんてこともないことをあれこれ思いながら過ごす、一年の残り数時間。この日、この時のために、一年間がんばってきたのかも。と思うくらい、私にとって、ささやかにして、最大の、至福のひとときです。日本人ですねぇ(笑)。
そんななか、こんな出だしで始まる曲に、思わず画面にくぎ付けになってしまいました。
君が流した涙が いつか花を育て咲かせて
君の目の前に 広がるはずだから
君が乗り越えた壁は いつか君を守る盾となって
君をそばで いつまでも支えるだろう
ケツメイシの「ライフイズビューティフル」。皆様の中にもファンの方がいらっしゃるのではないでしょうか。私は初めて聴く曲でした。
乗り越えなければいけない壁なんてない方がいいに決まっている。なんでこんな壁があるんだよぉ。なんて常々悪態をついている私(笑)。その壁が、いつか盾となって私を守ってくれる、って…。ちょっと驚きの発想でした。
さっそく翌日、元日から営業している近所の大型商業施設でCDを購入。予想もしなかったケツメイシ三昧のお正月休みとなりました。続きはこんな歌詞です。
顔で笑って 心では泣いて
「楽しく生きる」どころでは無いって?
心配すんじゃねぇ 今はちょっと運がねぇだけ
だから皆同じ もう少し踏ん張れ
君が倒れりゃ 肩も貸すし
もう歩けないなら 足にもなるし
困ったならば手を借り 時には手を貸す
そうやって人は「人生」という絵を描く
土砂降りの日もあれば 晴れの日もある
でも今日というこの日は いくら待てど二度無く
「泣き」「笑い」抱え 今君が生きてる
それだけの事で 誰か幸せに満ちてく
だからこそ言うんだよ 「生きるって素晴らしい」
悩んでる君に 捧ぐならばこんな歌がいい
泣きたい日には泣け 笑いたい日は笑え
美しき人生 君のままで
苦労 苦悩 超えた自分に
おはようハロー もう辛くないよ
泣いたり 悩んだりするから 人生は美しい
ボディーブロー 耐えた自分に
おはようハロー もう辛くないよ
泣いたり 悩んだりする 君だからこそ美しいから
思い通りに行くこと少ない世の中
目的 夢もよく見えない ここから
だが時は経って 過去は去ってく
今日も新しい日々が待ってる
時に投げ出す 自分を隠さず
誰しも同じ思いがあるはず
不安な心 抱えた悩み
それは神様が君に与えた課題
現実と理想を彷徨う前に
立ち止まる勇気 見失う前に
もう振り返りたくない 過去でも
これからの幸せの数 数えよう
今を急がず その身を任せ
ありのまま気負わず 君らしくあれ
窓からの朝日 その目を覚まして
君しかできない 笑顔を咲かして
……
些細な願いも 小さな幸せも
消えてしまいそうな 君へ
「目の前にある物 信じられなくなった」と
「もう嫌になったよ」と
呟いた君の言葉 聞こえたから
僕らは 君のそばで歌うよ
君が 笑顔になるのなら
素晴らしい人生の 途中から
また 再び笑えるのなら
美しき人生の 友だから
ラップ調のノリのいい曲。なにも飾らないシンプルでストレートな言葉が、まっすぐ心に迫ります。
いやはや、これ以上、ああだこうだ書くのはやめておきます。今年最初のブログは、この歌で決まり! すべてを語ってくれました。
泣きたい日には泣け 笑いたい日は笑え
美しき人生 君のままで
よし!
皆様にとっても、私にとっても、必ずや良き一年となりますことを祈って。
ライフイズビューティフル!
風の笛
アートなこと
2021年12月15日

長引いたコロナ禍も、少し落ち着きを見せるこのごろ。なにもかも自粛を余儀なくされた昨年と変わり、今年は12月らしい賑わいとなっているようです。
街の飾りつけはクリスマス一色。あちこちでクリスマスソングが流れ、華やぐ季節を演出してくれています。毎年この時期を心待ちにしている方たちには、やっとの思いかもしれません。
心まで華やぐはずの季節ですが…。実のところ、天邪鬼な私には、毎年なにかしら心ざわつく季節でもあり。そんな今、しきりに心に浮かぶ歌があります。
中島みゆきさんの「風の笛」です。
これまでにもこのブログを読んでくださっている方には、またぁ~って感じでしょうか。彼女の歌には、その時々に、強く心を揺さぶられてきました。(ブログ ファイト ブログ 時代 ブログ 誕生)
とにもかくにも歌詞の紹介を。
つらいことをつらいと言わず イヤなことをイヤとは言わず
呑み込んで隠して押さえ込んで 黙って泣く人へ
ええかげんにせえよ たいがいにせえよ
あけっぴろげだったお前は 何処へ消えた
ええかげんにせえよ たいがいにせえよ
目一杯だったお前が 気にかかる
言いたいことを言えば傷つく 大切な総てが傷つく
だから黙る だから耐える それを誰もが知らない
ならば
言葉に出せない思いのために お前に渡そう風の笛
言葉に出せない思いの代わりに ささやかに吹け風の笛
言葉に出せば通じることもある
言葉に出せばこじれることもある
目を上げてみな アゴを上げてみな
言えないこと呑んで溺れかけている
黙るより他思いつかず 決めたんならそれもいいだろう
そして黙る そして耐える それを誰もが知らない
ならば
言葉に出せない思いのために お前に渡そう風の笛
言葉に出せない思いの代わりに ささやかに吹け風の笛
12月はクリスマスの持つイメージのせいでしょうか。街中が幸せ一色に包まれているように見えます。
道行く人も、誰も彼も幸せそう。前を行く人も、右を歩く人も、左を歩く人も、おそらく後ろにいるであろう人までも誰も彼も、皆…。
実際はそんなわけはないのでしょうが、そう思えて仕方なく、ふと自分だけちょっとずれた時空にいて、遠い世界を見ているような。そんな錯覚に陥ることがあります。
この幸せそうな世界からこぼれた人もいるはず。生きにくさを抱えた人。さまざまな困難の中にいる人…。
そうした人ほど寡黙で、気づかれないまま埋もれてしまっているんじゃないか。なんて思ってしまうのです。まさに「風の笛」の歌詞のよう。
曲中の最後、文字通り「風の笛」が吹かれます。とても哀しくて、とても澄んだ音色に、胸が締めつけられる気がします。あまりにささやかな音(ね)は、12月の喧騒にたちまちかき消されてしまいそう。
けれど、腹の底から吹かれているような渾身の響きは力強く、希望を孕んでいるようにも思えます。誰に届かなくても、こんな力があれば、きっと、きっと、よくなる、と…。
自分のことで精一杯で、なんの力もない私だけれど。「風の笛」に耳を澄ます人でありたい。喧騒の中にあっても、「風の笛」を聴き分けられる人でありたい。12月になると、そんなことを思います。
そして、たまには、私も、風の笛を吹いてみたいな。
なんて思ったりもして…。
中島みゆきさんは、この地上に生きるあまねく人の声をすくい取り、歌にしてしまう天才なんだなぁ。その歌声に救われている人が、たくさんおられるんだろうなぁ。
中島みゆきさんは、神様が地上に遣わされた使者に違いない! そう信じて疑わない私です。
この季節を心待ちにし、楽しんでおられる方には水を差すような今回のブログ。失礼しました。
でも、一度書いてみたかった思い。中島みゆきさんの「風の笛」に乗じて書いてみました。ご容赦ください。
とは言いつつも、それぞれの12月を、それぞれに楽しく過ごしたいものです。どうか今年は穏やかな年の瀬となりますよう祈りながら。