マーク・ロスコの闇

アートなこと

2013年10月15日

すっかり陽が短くなってきました。6時に店を閉め、帰る頃にはもう真っ暗です。秋の始め、うす暗がりのなか一人歩く道は、とてもさみしいものでした。いっそ真っ暗になると諦めがつくのか、さみしさにも慣れてきました。

前回のブログポテトなじかん」で、私はセンター向きじゃないと書きました。それと関連して、私は陽の当たる場所向きじゃないなぁ、と思うこのごろです。

ブログ「イサム・ノグチの輪っ!で書きましたが、近代アートというのか前衛アートというのかそういうのが好きで、絵画ではマーク・ロスコが好きです。

マーク・ロスコと聞いて「?」と思われ方が多いでしょうか。ご存知の方はご存知の方で、違った意味で「?」と思われるかもしれません。絵の具を塗りたくっただけのような、しかも黒が多くて、とても暗い絵を描く画家です。

数年前、滋賀の美術館で彼の絵を観た時のこと…。黒い絵の具の部分を見ていて、見入ってしまい、ぐいぐい引き込まれ、引き込まれ引き込まれ、そうして突き抜けて、パーンと解放されるような、そんな感覚に陥りました。不思議な感覚でしたが、とても爽快だったことを覚えています。

戒壇巡りというのをご存知でしょうか? お寺の床下を巡るもので真の闇を体験できます。時々やっている寺院があり、清水寺で体験した時は、観光地のこと前後に人の気配があり、アトラクション気分でした。滋賀の木之本地蔵院というお寺では、全くの一人でしたので、それはそれは怖かったです。ならば、しなければいいのですが、なんか好きなんです。(笑)

原始以来、人間は闇は怖いものなのでしょう。真の闇は怖いものですが、真の闇に至るまでには様々なうす闇があり、それぞれに趣が変わるように思います。

マーク・ロスコの描く黒はやはり闇を連想させます。ただ、暗いけれどほの明るい。なにか温かみが感じられ、ゆっくりなら進んでいけそうな気配。かすかに希望を包み込んでいて、どこかにつながっていると思わせる闇…。私のまったくの主観ですが。 引き込まれたのは、そのせいだったのでしょう。

陽の当たる場所を全力で颯爽と駆け抜けるのは素敵なことですが、私には晴れがまし過ぎて、とても出来そうにありません。

うす闇で全力疾走は難しく、自然と歩みは遅くなります。うす闇に目が慣れてくると、いろいろなものが見え出すことがあります。陽の当たる場所に慣れた目では見えなかったものが。そうしたものを見つけながら、ゆっくり歩いていくのが、私には向いているように思います。

それでも、やっぱり闇は不安で怖くて、さみしいものです。「この道でいいんだよ」と、足元にそっと明かりを差し出してくれる手が欲しいと思うことも。

そんなあれこれを思いながら、秋が深まっていきます。

かもめ食堂

アートなこと

2013年09月14日

店を始める前はよく映画館に行きました。大スクリーンで超大作、というよりは、小さな映画館で上映される作品を好んで観ていました。なかでも荻上直子監督の「かもめ食堂」は大好きな作品です。

小林聡美さん演じるサチエが、フィンランドで日本食の食堂を始めるお話。どこまでが小林聡美さんの素で、どこからがヒロインのサチエなのか判別つかないくらい自然な演技で、つい惹き込まれ、随所で笑ってしまいます。映画館に二度足を運んだのも、DVDを買ったのも、この作品が初めてです。

サチエは華やかではないけれど、透明感のある可愛らしい女性です。オープンキッチンの店は狭いながら小ざっぱりとして、磨き上げたステンレスのお鍋やお洒落な北欧雑貨など、いたる所にセンスが光ります。そこに立つサチエが店に似合うこと似合うこと。料理をする立ち姿、コーヒーを淹れる所作、日常のなんでもない様が、とても美しいんです。

当時「ほぼ専業主婦」だった私は、こんな風に家事をこなせたらいいなと、いつもお手本に思ってきました。現実はなかなかこうはいきませんでしたが(笑)。

買ったDVD、何年も置いたままになっていたのですが、先だっての大雨の定休日、やっと観ることが出来ました。店を始めた今観ると、改めて気づく魅力がいっぱいで驚いてしまいました。

サチエは美味しそうにものを食べるひとを見るのが好きと、食堂を思いつくも、フィンランドでとは、あまりに無謀な計画です。けれど、べつに日本でなくちゃいけないこともないと、こともなげに言ってのけるおおらかさ。自分に似合わないことはしない。似合うことはちゃんとやる。シンプルながら固い信念はブレることなく、それでいてちっとも力が入っていない。

閑古鳥の鳴いていた食堂に、少しずつ人が集まるようになり、やがて満席に。食事する客の皆が幸せそうで、客席を見渡すサチエが輪をかけて幸せそう。ビジネス的にいうとサチエの計画は成功ということでしょうが、もうそんなことを越えちゃっている世界のように思えます。

原作の帯に書かれた言葉

毎日ふつうで、おいしくて、

小さいけれど堂々としていました。

これや! って思いました。

杉本先生から教わったこと

アートなこと

2013年06月30日

個展の案内が届き、出かけてきました。

杉本晋一展

『重力都市14シリーズ 2007-2013の仕事』

2013/6/25~07/06

galerie 16

不思議な次元を描いた素晴らしい大作です。

私、30代の半ばの2年間、服飾の専門学校に通った経験があります。家事と学業の両立は大変でしたが、私には密かな夢がありました。ニットデザイナーになれたらいいな、と。気恥ずかしくて一度も口にしたことはありませんが。その学校に講師として来られていたのが杉本先生です。私には、学友より年齢の近い先生でした。

デッサンと色彩学の担当で、鉛筆一本でプラスチックや木綿などの質感を描き分けたり、色のイメージから一着の服をデザインしたり。毎回、難しくも楽しい授業でした。

「ファッション雑誌は見ないほうがいい」

先生から言われた言葉です。既成概念にとらわれるな、ということでしょうか。自ら創作することの楽しさを教わりました。

卒業後しばらくして、ささやかながら、ニット業界で仕事をさせていただくようになりました。学んできたことが、実を結んだといえば結んだような。

ところが数年であっけなくやめてしまいました。やりがいのある仕事ではありましたが、なにか、そこが、自分の居場所ではないような気がしたのです。お世話になった方には申し訳ないことでした。学んできたことが、無駄に終わったといえば終わったような。

そうこうするうちに、今回の起業となりました。開店に当たっては決めなければならないことがたくさん出てきます。それぞれ専門の方にずいぶん助けていただきましたが、最後は自分たちで決めなければいけません。経験のない私は途方に暮れることもたびたびでした。

そんななか、包装の袋やロゴマークのデザインを考えたり、店内のしつらえの配色を決めたりといった作業は、とても楽しいものでした。緊張を伴うものでしたが、ものづくりが好きな私にとっては、またとない創作のチャンスです。嬉々として取り組んでいたように思います。学んできたことが役立ったといえば役立ったような。完成度はともかくですが。

人生に無駄はない、とはよく言われることですが、すぐに実感できるものではありません。焦ったり、悔やんだりの連続です。そうしたなか、巡り巡って、ああ、そういうことだったのかと気づくことも。自分流のこじつけだったりする場合もありますが…。いずれにせよ、忘れた頃にやっと実感できるというのは、かなり忍耐の要ることです。

最近、これまでに経験してきたうれしかったこと、辛かったこと、そんなこんなが全て今につながっているんだなと思うことがあります。そんなことを実感できるくらい、私もそこそこ長く生きてきたということかもしれません。(笑)

既成概念にとらわれない、あまりに自由な杉本先生の作品を鑑賞しながら、そんなことを思ったことでした。

雨降れば雨降るままに

アートなこと

2013年06月05日

写真家 土門拳が好きです。初めて展覧会に行ったのは、15年ほど前でしょうか。「筑豊のこどもたち」に特に胸打たれたのを覚えています。

土門拳の故郷、山形県酒田市に記念館があると知り、5年前、初めて一人旅を計画した時、行き先を迷わずここに決めました。

念願の叶った日、記念館に入ると、中には見慣れない写真が飾られていました。山里のなんでもない花や生き物、古民家…。土門拳の写真はどれも、被写体に向けられたカメラの向こうの鋭い眼差しに射すくめられるような気がします。これらの作品には、そうしたものが全く感じられず、不思議な気がしました。

 

   雨降れば雨降るままに 、

  晴れてあればやっぱり晴れてあるままに、

  風景はそこにあるより仕様がないのである

 

説明によると、撮影旅行に向かう道すがら撮られたものとのこと。添えられた氏自身のこの言葉に、腑に落ちた気がしました。私の心にストンと落ちた言葉を心で唱えながら、館内の写真を何周も観て回りました。 なんでもない花や生き物が、そのままで愛おしく感じられました。

誰しも問題が起これば解決したい、困難があれば克服したい、そう思うものではないでしょうか。私もそうしてきたように思います。前向きに立ち向かっていくことは大事なことです。

だけれども…、

どうしたって解決しないこと、克服できないこともあるものです。もしかしたら、どうしても解決しないこと、どうやっても克服できないことの方が多いものかもしれません。結果、疲れ果て、無力感にさいなまれることに。

 

   雨降れば雨降るままに 、

  晴れてあればやっぱり晴れてあるままに、

  風景はそこにあるより仕様がないのである

 

これを本物の諦観というのでしょうか。 ただの諦めとは違う、おおらかな受容のような。こんな境地で生きていけたら、そう願い、心で繰り返し唱えてきました。 が、この境地、ちょっとやそっとで到達できるものではありません。(笑)

親族経営から独立、一年余りが過ぎました。無我夢中でやってきました。この間、出来たこと、出来なかったこと。この先、出来そうなこと、出来そうもないこと。少しずつ見えてきたような、まだ見えないような。

最近、この言葉がしきりに心に浮かびます。先に向けて、引き続き力強く立ち向かっていく一方で、こんなしなやかな心持ちも大切なんじゃないか、そんな示唆を与えてくれているように思います。

めぐる季節のなかで

アートなこと

2013年03月09日

春です。

季節ごとに架け替えている壁の3枚の写真も、高野山の雪景色から、桜に変わりました。

 

【店舗のご案内】のミニミニギャラリーでも紹介していますが、和歌山在住の友人が撮ってくれているものです。アマチュアながら相当の実力者で、私と同い年ですが、そうは見えない若々しくて可愛い女性です。感性溢れる彼女の作品が大好きで 、「しののめ寺町」の開店に当たり、是非、店に飾りたいと思っていました。

 

3月の開店に合わせて持参してくれたのが桜の写真3枚、ちょうど一年経ちました。開店時はお祝いにいただいた生花が店内に溢れ、写真の桜は少し遠慮がちだったよう。私も落ち着かない日々でした。一年経って再会した桜の写真に、改めて見入っているところです。

 

写真撮影には光や空気、自然の諸々の条件が重要な問題らしく、彼女のセンサーは常に敏感、一緒にいると、普段気づかない発見がたくさんあります。

数年前、当時、佐賀県に住んでいた彼女を訪ね、一緒に博多の太宰府天満宮に出かけた時のこと。

「あの雲の形おもしろい!」と突然、空を見上げる彼女。

「ほんまや!」と、私。

 

参道で空を見上げるいい年(?)の女性二人…、知らない人からは、さぞや変に見えたことでしょう。変でもいい。おばあさんになっても、二人でこうして空を見上げ、雲の形をおもしろがっていたい。そう思ったのを覚えています。

 

思えばこの一年、店で繰り広げられる日々のあれこれを、壁に飾った写真はいつも見守ってくれていたように思います。桜の花びらの形を模したハンコがありますが、この写真、桜の花びらの中に「よくがんばりました」という文字が見え隠れするような。彼女からのエールでしょうか。

 

二巡目の季節が始まります。めぐる季節と共に写真を、そして「しののめ寺町」をこれからもよろしくお願いします。

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