アジアの仲間
店のこと
2012年08月17日
ある日のこと、首からカメラを下げた青年が店頭のポスターをしげしげと眺めています。お味見だけでもと勧めると、理解不能の掛け声とともに数人の青年が集合。台湾からの観光の方のようです。
「コレハナンデスカ?」と、一人が懸命の日本語で質問と思いきや、日本人の通訳さんでした。見た目は区別がつきません。自称、勝手親善大使の私はさっそく店内にご案内。
外国人観光客の多い寺町ですが、お国によっては、ちりめんじゃこの見た目だけで「ノーサンキュー」という方も。台湾の方は違和感はないようです。
そのうちのお一人は、台湾でおにぎりの屋台をされているとのこと。私の拙い英語の説明にも興味津々です。
お味見の後はお茶のサービス、「しののめ寺町」では下御霊神社の名水でいれたお茶をご用意しています。またまた拙い英語で説明をするも、「これは神の水です」なんて怪しげな商法のうたい文句のように。
「彼らは漢字がわかりますから、その説明書きを見せたら通じますよ」と通訳さん。半信半疑で説明書きを差し出すと、「おぉ~」と一斉に納得の声が上がりました。
印籠をかざす黄門さんの気分です。
「日本茶、口に合いますかね?」と通訳さんに聞くと、
「彼らもお茶を飲む習慣がありますから大丈夫です」とのこと。
反応はビミョーでしたが、味わいながら飲み干してくださいました。
じゃこ山椒をいくつかご購入、店内外の写真をたくさん撮って、「ありがとう」と帰って行かれる後姿を見送りながら、「異文化交流やなぁ~」と一人、悦に入る私。
けれど異文化というより共通点の多かった彼ら、思えば同じアジアの仲間やん、と気づいたことでした。
心に小旗を携えて
店のこと
2012年08月11日
ロンドンオリンピック、ずいぶん盛り上がっているようです。
選手の活躍と共に、観客席から声援を送るご家族の姿がまた感動を呼ぶんでしょうね。
スポーツ選手の親ならではの気苦労も多いでしょうが、成人を過ぎた我が子になりふり構わず声援を送れるというのは、やはり幸せなことだなぁと思います。
スポーツ選手の親でない私が、我が子になりふり構わぬ声援を送ったのは、確か小学校の運動会が最後だったのではないでしょうか。中学ともなるともう思春期の入り口、疎まれそうで自粛していたように思います。
声に出さずとも、我が子への力のこもった応援は、ときに逆効果になることもあるようです。いっそ応援なんかしない方がいいのでは、なんて思ったことも。
「しののめ寺町」は家族四人でやっています。
農業なら三ちゃん農業。
とうちゃん、かあちゃん、にいちゃん、でしたっけ???
小学校の社会で習いましたね。
漁業なら親子船、兄弟船。
なんだか演歌の世界みたいです。
かあちゃんとしては大漁旗でも振って声援を送りたいところですが、この至近距離。バッサバッサとうるさくて仕方ないことでしょう。やっぱり自粛するのが賢明です。
お子様ランチ並みの小旗を心に携え、目立たぬように時々振ってみる、なんてくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
ユルスナールの靴
素敵な女性
2012年08月07日
きっちり足に合った靴さえあれば、
じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
そう心のどこかで思い続け、
完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。
須賀敦子 「ユルスナールの靴」より
今日は立秋、暦の上では秋とはいえ厳しい暑さが続きます。
地下鉄「丸太町」から地上に上がると、真夏の太陽が照りつけます。
セミがシャーシャーと鳴く道を、昼のお弁当やらを詰め込んだ重いスーツケースを引きながら、東に向かって歩くのは、結構、こたえます。
私は夏が苦手で、食欲は激減。ほうほうのていで夏をやり過ごす、なんてことがもう何年も続いています。
起業に当たって不安なことは山ほどありましたが、体力がもつかどうかもその一つでした。
しっかり朝ごはんを食べ、最低限ながら家事を済ませ、店に向かって歩く自分に、私自身が一番驚いています。
ゆっくりながら歩を進める自分の足元を見つめ、ふと心に浮かんだのが冒頭の一節です。 イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子は、とても魅力的な文章を書く人で、大好きな作家の一人です。
これまでの私…、あれこれ模索しながらも、なにかしっくりいかないものを感じて生きてきたように思います。 わがままなだけかもしれませんが。
やっと私の足に合った靴が見つかったのかな。
まだ歩き出したばかり、先のことはわかりません。
今はただ一歩一歩、この靴で行けるところまで行ってみよう。
そんな風に思っています。
水瓶の 金魚に憩う 日暮れかな
店のこと
2012年08月03日
8月に入り、厳しい暑さが続いています。外を歩いている人もまばらなような。無理もありません。
せめて少しでも涼を感じていただけたらと、店先に水瓶を置きました。数年前、滋賀県信楽の陶器市で購入したものです。
たっぷりの水を張り、ホテイアオイを浮かせ、金魚を泳がせ…、といきたいところですが、金魚は無粋ながらプラスチックの作り物です。
店の中から通りを見ていると、通りかかった方が珍しそうに覗き込んでおられたりします。思惑が当たったようで嬉しいような、本物と間違われていたら申し訳ないような…。
私もついつい外に出ては、金魚は元気に泳いでいるかと覗き込んだりしています。
狭い水瓶の中で泳ぐ「なんちゃって金魚」を眺めながら、心は某老舗和菓子屋さんの立派な日本庭園の池で悠々と泳ぐ鯉を思い描いていたりして。
作り物とわかっていても、金魚の姿に憩っている自分に可笑しくなります。
開いている人、閉じている人
店のこと
2012年07月23日
起業以来、ずいぶん生活が変わりましたが、なかでも変わったことといえば、多くの人との出会いのチャンスが増えたことでしょうか。
大小様々の「異業種交流会」なるものがあり、誘われると出かけていくようにしています。業種は軟らかいのから、お堅いのまで。ただし大企業の方はおられません。一人で、あるいは数人規模の企業の方がほとんどでしょうか。毎回、多彩な方たちに出会えます。
初対面の方と手当たり次第に名刺交換…、こういうのって私は苦手だと思っていました。なにしろ趣味がひとり旅。できるなら秘境の地に籠って日がな一日、読書をして暮らしたい、そんなことを夢見ているような人間ですから。
そんな私ですが、今は宣伝が命。「しののめ寺町」のためと、出かけていたつもりでした。ところが、これ、結構、楽しいんです。
常々感じていたことなのですが、人には大別して、「開いている人」と「閉じている人」がいるように思います。
例えば、道で人に会って挨拶を交わすとして…。
「開いている人」は、たとえ名前は知らなくても、顔見知りというだけで笑顔で挨拶をしてくれて、たちまち互いの心が共鳴するのを感じます。
「閉じている人」は、よくよく知っている仲でも、互いの挨拶が届き合わないようなもどかしさを感じ、心がカクカク軋みます。
異業種交流会で出会う方たちは、一人残らず「開いている人」です。
パチンコはずいぶん昔に数回しかしたことがありませんが、チューリップと言うんでしょうか、玉が入ると、受け皿が開いて、玉がじゃんじゃん引き込まれていきますよね。皆さん、そんな感じ。至近距離に近づいただけで、両手を広げて受け止めてくださるような懐の広さ、ウェルカムな雰囲気を持っておられます。
ビジネスのため、と言えば、もちろんそれもあるでしょう。けれど、決してそれだけじゃないと思うんです。なぜって、心地良く感じるんですから。
商売は決して一人では出来ない…、皆さんがよく口にされる言葉です。
商売は厳しく孤独なものですが、だからこそ人の情けもよくわかる。
そんな経験をしてこられた方たちですから、新参者の私のことも優しく受け入れてくださるのでしょう。
私も目下、全開です!