私が苦手だったもの 兄

心と体のこと

2015年03月18日

私が苦手だったものシリーズ(ブログ私が苦手だったもの春 私が苦手だったもの京都 私が苦手だったもの花今回は兄です。またまたひんしゅくを買いそうな(笑)。

私は三歳年上の兄と二人きょうだいです。この兄というのが子供の頃から勉強がよく出来て、スポーツでもなんでも難なくこなす優秀なひとでした。学校に行けば、どこからともなく兄の評判が聞こえてくる。親戚が集まれば兄は皆から褒められヒーローのよう。

かたや妹の私はというと、なにをやってもドンくさい。兄にひきかえ影の薄い存在でした。母にとって兄は自慢の息子。私はどうもパッとしない娘だったように思います。どうしたって兄には敵わないという思いが、私にはずっとありました。兄に甘えるなんてことは一度も思ったことがなく、邪魔をしちゃあいけないとさえ幼心に気を遣っていたように思います。

日本では身内のことは謙遜することになっているようですが、兄は私にとって、身内であって身内でないような。自慢も謙遜もできない、近くて遠い存在でした。

やがて兄は大学進学と共に家を出て下宿生活を始め、就職後は国内はもとより、海外も転々とする生活に。お互い結婚もし、文字通り遠い存在になってしまいました。

そんな兄との距離が少し近くなったのは、10年ほど前でしょうか。実家近くに暮らす私が、遠方で暮らす兄に、老いていく両親の近況を伝えたり、相談したりといった必要に迫られ、パソコンでメールをやり取りするようになった時です。

本題のあと、話題はときに幼い日の思い出話に及ぶことも。互いの記憶を突き合わせ、そうやった、そうやったと納得することもあれば、へぇ、そうやったん? と意外に思うこともあったり。他人行儀な言葉を使う距離感でしたが、暗くなりがちな時期のささやかな楽しみだったことを覚えています。

そんなやり取りも一段落。実家は今はもうなく、私も店を始め忙しくなり、また遠い存在になってしまいました。兄は今は名古屋に単身赴任中。実際は京都からは新幹線を使えばあっという間、会おうと思えばいつでも会える近さですが…。

開店を機に初めて商売に携わった私、大変ではありましたが、怖いもの知らずの強みもあったように思います。いろいろなことがわかってくるにつれ、怖さを感じるようになってきました。3周年の節目を前に、この漠とした不安を誰かに聞いてほしい。聞いてもらうだけでいいから…。そう思った時、浮かんだのは兄の顔でした。年度末で忙しいかと案じながらも連絡をしてみました。

定休日の3月11日、仕事の段取りをつけてくれた兄と、夕刻、名古屋駅で待ち合わせをすることに。方向音痴の妹が迷子にならないよう、宿泊予定のホテルからも、駅からもわかりやすいビルを食事場所に選んでくれました。

食事の席に着き「どうした?」と聞かれた途端、急にこみあげるものが。張りつめていたものが緩んだのでしょうか。店のこと、家族のこと、これまでのこと、これからのこと、せきを切ったように話しました。「冷めないうちに食べなさいよ」と食事を勧める兄の言うことも聞かずに(笑)。

聡明なうえに、長年企業の最前線で働いてきた兄。理路整然と明瞭、的確に話してくれる内容は、私の混沌を一気に整理してくれました。最後に会議の議長のように結論を取りまとめ、翌朝の朝食のアドバイスをし、ホテルの前の信号まで私を送り、足早に駅へと消えていきました。

やっぱり兄には敵わない。

信号が青に変わるのを待ちながら、その見事さに笑ってしまいそうなくらい、私の心は軽くなっていました。そして横断歩道を渡り終えたところで、兄にお土産を渡すのを忘れていることに気づきました。長い信号待ちのあとのことです。雑踏の中でとうてい追いつける自信もなく、そうしてまで渡すほどのお土産でもなし。そのまま持ち帰ることに決めました。

やっぱりドンくさい妹やぁ。

兄の前ではいくつになっても妹だったなぁと思います。ちょっと違っていたのは、一度も甘えたことのない兄に、初めて甘えられたこと。やっと気づきました。兄に敵う必要なんてどこにもなかったんだと。兄に妹が甘えるのは、ちっとも悪いことではないんだと。

3年前の開店の朝、兄から花と共にこんなメールが届きました。「寺町という最高の場所を与えられたということは、神様が味方してくださっているんだよ」。その言葉はいつも私の心の支えでした。

これから、ますますがんばっていかないといけないけれど、しんどくなったらまた兄に甘えてしまおうかなぁ。ただし手厳しい兄は、必要以上の甘えは許してくれないはず。そのへんを見極めながら、うまく甘えていけたらいいなぁ。そんなことを思いながら、やっと妹らしくなれた自分を感じています。

名古屋に出かけた3月11日は、花を買うと決めている連休の初日、奇しくも東北の震災からちょうど四年目でした。写真はその日選んだ花です。ピンポンマムという名の可愛らしい菊。白い色、まん丸の形。哀悼のお思いと共に、幼い日の無垢な思いが蘇ったのではと思います。

お陰様で3月16日、3周年を迎えることができました。ひとえに皆様のご愛顧のお陰です。こんな私でありますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

私が苦手だったもの 花

心と体のこと

2015年02月27日

ブログ花

私が苦手だったものシリーズ(ブログ私が苦手だったもの春 私が苦手だったもの京都)今回は花です。私、花が苦手です。なんて、またまた引かれることを書いてしまいました。

自然の造形やアートが大好きな私。美しいものにはとても興味がある方だと思います。花といえば美しさの代表格のようなもの。なぜ? と不思議がられそうですが、花の美しさを愛でる感性だけ欠如しているのかも、としか答えようがありません。

女性は誰でも花を贈ると喜ぶとお思いの男性がいらしたら、今頃、ひっくり返っておられるでしょうか。多分、私が例外中の例外だと思いますのでご安心ください。

しいて言うなら高山植物は好きかもしれません。華やかではないけれど力強い美しさを秘めていて、誰に見られていなくても健気に咲く様は、気高さすら感じます。といっても旅先でのトレッキングの折に見かけるくらい。愛でようにも日常では無理なことです。

たぶん花屋さんに並ぶ花が苦手なのだと思います。色とりどり、華やかで、艶やかで、まさに百花繚乱。我こそは一番美しいとばかりに咲き競う感じが、どうも…。そんな私に変化が…。

「しののめ寺町」は毎週水曜日と第二木曜日にお休みをいただいております。第二週は月に一度の貴重な連休です。が、たまった用事を片づけバタバタしてる間に終わり、なんてことの繰り返し。それでは味気ない。ささやかでも気分転換になるものはないかと考え、思いついたのが花でした。自宅に花を飾ってみよう。いつもは素通りの花屋さんを覗いてみました。

自分のために花を選ぶって、なんて贅沢なことでしょう。たぶん初めてのことだと思います。色とりどりの花の前に立つだけで、心華やぐ気分に。花って、こんなにきれいだったっけ。うれしい戸惑いを感じながら、花を一巡、また一巡。あれこれ迷うのも楽しい時間です。

そんななか、なにかしら心魅かれる花が。ほかの花に目をやっても、やっぱりそこに帰ってくる。気持ちにしっくりくる色と形。数本、購入してみました。たいそうな花瓶では似合わず、ワインの空き瓶に挿してみると、思いのほかいい感じに。華道の心得のない私、自由気ままな自分流です。

ダイニングテーブルに置いてみると、いくら眺めていても飽きることがありません。微妙な色合い、はかなげな形…、見るほどに見入ってしまいます。なにか用事をしていても、ふと目がいき、そのたびに、うふっとしてしまう。私、花を愛でてるやん。

以来、毎月第二週の水曜の朝には花を買うことが習慣に。それがひとつのスイッチとなって、たとえ特別なことがなくても、貴重な連休を特別なものとして味わえるようになりました。

おもしろいことに花屋さんに出かける前から、その日自分が買うであろう花のイメージがはっきりとあります。気持ちが安定している日、疲れている日、苛ついている日…、ときどきの思いが選ぶ花に如実に表れ、予想を外すことはありません。まるで自分で自分の心を占うよう。

自分が選んだ花を眺めていると、幸せな思いは増幅し、不穏な思いは静められていくから不思議です。花の持つ力に驚きながら、正直に反応する心って素敵だなぁ、大切にしないといけないなぁ、なんて思ったり。

そんな花を、私はなぜ今まで苦手に思っていたのでしょう…。

店を始め、いろいろな交流会に参加させていただく機会が増えました。参加者のなかには、一線で活躍されている女性も多く、自身で起業された方も少なくありません。皆さん、華やかで美しく、才気に溢れておられます。まさに百花繚乱。

そんな花々を遠巻きに眺めながら、壁の花になっているのが居心地いいタイプだった私。商売を始めた今、それではせっかくの交流会に参加した意味がありません。気持ちを奮い立てて、花々の近くへ一歩二歩。

高嶺(たかね)の花と思っていた方たちが、皆さん気さくに迎えてくださることは大きな驚きでした。華やかな美しさに気後れし敬遠していたのは、私の勝手な思いこみだったのかもしれません。花も人も…。

鮮やか色の大輪の花も、淡色の小花も、どれも等しく美しい。なんていうと、どこかのグループの歌のようですが、本当にそうだなぁと思うこのごろ、切に願うことがあります。今さらですが…。辛辣なツッコミ覚悟で書きます。

私は私の花を咲かせたい!

失礼しました(笑)。

 

透き通る瞬間

素敵な女性

2015年02月15日

三度豆

透き通る瞬間…。

なぜか最近、しきりにこの言葉が心に浮かびます。このブログでも何度か紹介している佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと佐藤初女のこと2)の言葉です。

初女さんは青森県の岩木山の麓に建つ宿舎を拠点に、食を通してひとの心に寄り添う活動をしておられる女性です。私も数年前に訪れ、大きな力をいただいた一人です。もう90歳を超えられたかと思いますが、ひとになにかをしてもらうより、自分がひとのために出来ることをひたすらに実践されている。そのお姿は神々しいばかりです。

乞われれば全国、あるいは海外でも講演に出かけられます。私も二度、拝聴する機会がありました。弘前弁のとつとつとした語りは耳に心地よく、その内容はいたってシンプルで明快。まさに初女さんの作られるお料理と同じです。滋養ある食物が体に深く染み入るように、心が数段元気になって帰ってきたのを覚えています。そんななか出てきたお話です。

野菜の適切な茹で時間はどうしたらわかりますか、という質問をよく受けますが、それは簡単なんですよ。観察していたら、野菜が透き通る瞬間があるんです。その瞬間を見逃さず引き上げると、ちょうどいい茹で具合になっています。と、こともなげに初女さん。この瞬間を「命の移し替えが行われた」と仰っていたような。

確かに、ブロッコリーやほうれん草など、お湯の中で緑が鮮やかに透き通る瞬間があります。その絶妙の茹で加減で上げたものは、歯の当たりに無理がなく、野菜本来の甘みが生きています。透き通る瞬間というのは、まさに瞬間。早過ぎると、なにかまだ抵抗がある。タイミングを逃すと、もはやだれてしまっている。この瞬間を的確に捉えるのは、案外難しいことです。

野菜のみならず、自然界では大切な瞬間に透き通ることがよくあるそうです。学者さんから聞かれたという、いくつかの例を挙げて話してくださいました。残念ながら詳しいことは忘れてしまいましたが、自ら体得された知恵に、学術的な裏付けを得られたことに深く感銘を受けておられるご様子でした。

透き通る瞬間…。

初女さんには珠玉の言葉がたくさんありますが、私の中で最近になって輝きを放ち始めたこの言葉。今の私に必要な大切な教えが含まれている気がしてなりません。

生きていれば、日々、様々なことが起こります。いいこともあれば、よくないことも。一人で生きているわけでなく、様々な人との関わりの中で生きています。やっぱり、いいこともあれば、よくないことも。

それに伴い様々な感情が湧きます。喜怒哀楽、それだけでは表し切れない微妙な心の揺れ…。修行の足りない私は、その都度、一喜一憂。泣いたり、笑ったり、怒ったり。そんな自分に、結局は自分が一番疲れさせられているジレンマ。

自分にも、ひとにも、物事にも、あらゆることに、きっと適切な瞬間があるのでしょう。焦るあまりに勇み足をしてしまったり、注意力散漫で見逃してしまっていたり。そんなことを繰り返しているんだなぁと思います。その瞬間を捉えるには集中力のみならず、あらゆる感性や心配りが必要なような。初女さんのようにこともなげに捉えられるようになったら、何事ももっとうまく進むようになるでしょうか。

透き通る瞬間…。

まだ漠然としてよくわかりませんが、この言葉をいつも心に留めて、意味を考えながら、目指しながら、これから暮らしていくんだろうな。そんな予感がしています。

大きなテーマを与えられたようでもあり、一つの指針を与えられたようでもあり。たぶん一生かけての作業になると思います。片鱗でもつかめましたらお伝えしていきますので、気長にお付き合いくださるようお願いします。

三日月

心と体のこと

2015年01月31日

今の季節、店からの帰り道は真っ暗。なんとなく見上げた夜空に月が、ということがよくあります。形や大きさ、光の具合など、日ごとに違う月は、見つけるたびにささやかな驚きがあり、私のお気に入りの時間です。

元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く…

とは雑誌「青鞜」の平塚らいちょうの言葉です。明治の時代、女性の不遇を月に例えて書かれた有名な一節、確か教科書で習ったような。

偉い方にたてつく気は毛頭ありませんが(笑)、華やかなものが苦手な私は、太陽より月が好きです。燦々と照りつける太陽の光より、煌々と照る月明かりに魅かれます。

人の体は月の満ち欠けと連動していると言われます。なかでも女性の体との関わりは深いとか。さらに心のありようが月に左右されるという話も。真偽はともかく、月を眺めていると神秘的なパワーを感じるのは確かです。月に魅かれるのは、そんな力のせいかもしれません。

なかでも私は三日月が好き。鋭利に尖った先で指を切りそうな三日月は、シルエットがいかにもアートっぽい。絵本では三日月が人の横顔になっていたり、メルヘンな雰囲気もいいですね。うさぎがお餅つきしている満月もいいけれど、やっぱり私は三日月が好き。

実のところ、三日月が好きな理由は別にあります。あれも出来ない、これも出来ない。ひとが持っていて、私が持っていないものが山ほど…。そんな欠落感をいっぱい抱えた私は、三日月に自分の姿を投影してしまうのです。欠けた部分が多ければ多いほど親近感が湧くのです。満ち足りた満月はなにやら落ち着かない。

先日のこと、見上げた夜空に私好みの三日月が。あぁ、これこれと愛でながら、ふと思いました。三日月はそういう形の月だと思って見ていたけれど、本当にえぐられているわけじゃないんだ。欠けているように見えるところも、ちゃんと月で、月はいつも変わらず、まん丸なんだ、って。

目からウロコ、とはこのこと。大発見した感動に、ひとり興奮してしまいました。相当な馬鹿でしょうか。確かに理科は小学校以来、大の苦手です(笑)。

思えば私が自分に欠けていると思っているところも、実は欠けているわけじゃないんじゃないか。苦手だったり、持ち合わせていなかったり、それはそうに違いないけれど、それは欠けているのとはまた違っていて、それも私。そういう私。だからこそ私…、なのかもしれない。

欠けた三日月と思っていた私、本当はまん丸お月様だったのかもしれない。

「しののめ寺町」を始めて、もうすぐ三年になります。この間に出会った多くの方々に四方八方から手を差し伸べていただきました。それはまさに光でした。私が欠けていると思っていたところにも、あまねく光を当てていただき、そうして気づいたことです。

私はきっと、自ら光を放つ太陽タイプではなく、光を当てられて輝く月タイプなのでしょう。平塚らいちょうさんに知れたら、どやされそうですが(笑)。

今日は早、一月最後の日。年明けから反省ばかりの一ヶ月でしたが、そんな自分も責め過ぎずにおこうかな。今年はそんな自分であれたらいいなと思っています。

三朝温泉 梶川理髪館

店のこと

2015年01月12日

新年のご挨拶が遅くなりました。皆様、どのようなお正月を過ごされましたでしょうか? 今年は各地で大荒れの天候だったもよう。雪下ろしなど御苦労の多い地域の方もいらっしゃるかと思います。京都も一日の午後から雪が降り始め、思いもよらない積雪となりました。

 

そんな雪のお正月を過ごしながら、しきりに思い出されることがありました。ちょうど四年前、店を始める前年、お正月を山陰の温泉で過ごそうと夫婦で旅行に出かけた時のことです。大晦日に出発、一日目は鳥取の三朝(みささ)温泉、二日目は島根県の出雲に足を伸ばす予定でした。

 

どうせなら鳥取砂丘を見たいと途中下車したのが運のつき。砂丘に着いた時にはすでに猛吹雪で、まともに立っていることもできない状況でした。結局、レストハウスで次のバスまで時間をつぶすはめに。

 

そしていざ三朝温泉に向かおうと電車に乗ったところが、雪のための倒木で電車がストップしてしまいました。はじめは不満たらたらでしたが、長引くにつれ不安に。乗客同士にもなにやら一体感が生まれ、私たちも見ず知らずのお隣さんとお喋りをして気を紛らわし、あとは祈るばかり。

 

電車の中で年越しかと案じましたが、約四時間後に動き出し、その際には車内からは一斉に拍手が! 大変な目に遭いながらも、最後は感謝の念というか、喜びすら感じるという一連の心理状態を体現しました。二度とはこりごりですが、思い出深い貴重な体験でした。

 

大騒動の大晦日でしたが、一夜明けると雪はやみ、快晴の清々しい元日。見渡す限り雪景色の、のどかな温泉街をぶらぶら散歩に出かけました。と、通りに面した出窓に可愛らしい陶人形を飾った店を見つけました。「かわいい!」と声を上げると、「見ていきますか?」とうしろで声が。驚いて振り向くとお洒落な手編みのカウチンセーターを召した男性が立っておられました。

 

招かれるまま中に入ると、たちまち古い外国映画の中にタイムスリップしたようような気分に。そこは主に18世紀から20世紀の理容器具を収集、展示しておられる史料館だったのです。驚いたことに正真正銘の散髪屋さんで、このお宝器具を使って実際にお仕事をされているとのこと。お正月休みのところを、ご親切にも見学させてくださったのでした。

 

「お仕事をされていても楽しいでしょうね?」と思わず私。

「楽しいです! 忙しくても楽しい。暇でも楽しい」とご満悦な表情のご主人。

 

そういう働き方ってあるんだと、意外なような、納得のような、不思議な思いでご主人のお顔をしげしげと眺めたことを、今も印象深く覚えています。その時には想像もしなかったことですが、ほどなく店を始めることになった私たち…。

 

「忙しくても大変。暇でも大変」

 

こんな言葉がつい口をついて出てしまいます。そのたびにあの時のご主人の満ち足りた表情と、歯切れのいい言葉を思い出します。

 

あんな素晴らしい器具を揃えた店づくりはとうてい真似できませんが、ちょっとした工夫、ちょっとした心持ちひとつで、私もこんな風に仕事ができるんじゃないか。どうせなら、楽しく、気持ちよく、仕事をしたい。

 

あの年とよく似た雪景色を眺めながら、改めてそんなことを思った今年のお正月でした。

 

「次、来られた時は、ぜひお顔剃りとパックをしていってください。お肌ツルツルになりますよ」と仰るご主人の横で、やはり素敵な奥様のお肌はツルツルでした。いつか訪ねた折にはぜひお願いしたいと思っています。ただし、今度は雪の季節は避けて(笑)。

 

忙しくても楽しい。暇でも楽しい。

 

そう心で呟きながら、毎日、仕事をしたいと思っています。皆様、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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