私が苦手だったもの 春
季節のこと
2013年02月27日
私、春が苦手です。
冬の終わりかけ、春の近づく気配のし始める頃、私は妙に落ち着かなくなります。ちょうど今頃ですね。大多数の人は春が待ち遠しいらしく、こう言うと、大抵不思議がられます。
春といえば、植物は芽吹き、開花し、土中の虫たちは蠢きだす、生命力に溢れた季節です。人間も進級、進学、なにかと新しいことの始まる節目の季節です。それは喜ばしいことなのでしょう、世の中が希望に満ち、誰もが心浮きたっているように思えます。
ひるがえって、私はというと…。
春が来たからといって、なにが変わるわけでなし、
ましてや希望に満ちたことなどあろうはずもなく、
私一人が世の中から取り残されていくような焦燥感に駆られます。
いつからか春が苦手になりました。
そんな思いの時、寒の戻りや名残の雪は大歓迎で、いっそのこと、ずっとこのまま冬であってほしい、なんて思うくらいです。かなりの天邪鬼かもしれません(笑)。しつこい寒さの続く今年の冬など、うれしい限り、のはずなのですが…。
厳しい寒さの日、お客様が店に入ってこられると、冷気まで店内に付いてくるようです。お客様の息遣いや紅潮した頬に外の寒さが察せられ、申し訳ない思いになることも。いい陽気のなか、気持ちよさそうな表情で店に立ち寄ってくださる、そんな季節が早く来ないかと思ってしまいます。 これって、春を心待ちにしているんじゃないか、そんな自分に気づき、驚いているところです。
毎年、春に感じていた焦燥感ってなんだったんでしょう。私はいったい何に取り残される気がしていたのでしょう。
もしかして、あるであろう理想のペースのようなものを一人で勝手に描いていたのかもしれません。理想の人生、こうありたいと思う自分…。取り残されると感じていたのは、世の中にではなく、そうはならない自分自身に、だったのかも。
同じように見えて、人それぞれの春があるはずです。 理想の人生を手に入れられたわけでも、ありたい自分になれたわけでもありません。ただ、今年は今年の、私は私の春を味わえればそれでいい、そう思えるようになりました。
店を始めて、苦手だったはずのことが苦手でなくなっていた。むしろ好きかも、なんてことがいくつかあります。なにがそうさせたのか、よくはわかりませんが、うれしいことです。
そんなことを、これからも書き留めていきたいと思います。
クリスマスだから考える
季節のこと
2012年12月24日
クリスマスだから考える
どうして どうして どうして
苦しんでいる人のこと
悲しんでいる人のこと
うちの子供たちは、幼い頃、近くの教会の付属幼稚園に通っていました。これはクリスマスに園児たちが歌っていた歌です。保護者も参加しての礼拝で、初めて聞いたときの心震える感覚は今でも忘れられません。
ずいぶん昔のこと、記憶違いをしているかもしれませんが、私の心にはこの歌詞が刻みつけられています。有名なクリスマスソングはたくさんありますが、私が一番に浮かべるのはこの歌です。
クリスマスといえばイルミネーション、きらびやかな光は心浮き立つものです。けれど私は、光がきらびやかであればあるほど心落ち着かない。何故だか切なくなってしまうのです。自分がスポットライトを浴びる場所に縁がなかったせいでしょうか。根っからの貧乏性なのでしょうか。光の向こうの闇が気になります。
光のただ中にいると、どこまでも光が広がっているように思います。闇のただ中にいるとどこまでも闇に閉ざされているように思います。けれど光と闇は隣り合わせ。なのに、なかなか、そのことに気づけない。どちら側にいても…。
世の中が幸せに満ちて見えるクリスマス。せめて、この日一日くらいは、きらびやかな光が誰の上にもあまねく照らされたらどんなにいいでしょう。
光の中にあっても、すぐそばに闇がたたずむこと、
闇の中にあっても、すぐそばに光が差していること、
そのことに気づきながら暮らしたいと思っています。