この夏のこと

心と体のこと

2013年08月31日

8月も今日で最後となりました。今年の夏はとても長かったように思います。暑くなるのが早かったせいでしょうか。それだけでもないような。昨日から、いろいろなことを思い返しています。

 

8月11日のブログで「私の中の女の子」を書きました。思いのほか多くの反響をいただきました。意識するしないにかかわらず、こうした存在が確かにあること。彼女を大切にすることが、とりもなおさず自分の幸せにつながること。そう教えてくださる方もあり、改めて心強く思った次第です。自分でもしっかり実感できたのが、この夏のことでした。それは、この夏の、というより人生のとても大きな出来事でした。

 

ブログで、私の中の女の子がいつも笑っていられますように、と書きました。現実はそうとばかりはいきません。日々の暮らしの中、いろいろなことが起こって、喜怒哀楽、いろいろな感情が起こります。そうした自分の感情に向き合うのが、時にしんどくなることがあります。どんな出来事も、そんなものさ…と受け流し、自分の感情に気づかない振りをする方が楽に感じることも。

 

けれど、それは心の底に封じ込めているだけで、さらにしんどい思いをすることになっていたようです。なんと長い年月、そんなことを繰り返していたでしょう。気付かせてくれたのが、私の中の女の子でした。

 

うれしい時、彼女はきゃっきゃと声をたてて笑うようになりました。悲しい時、びぇーんと声を上げて泣くようになりました。笑うのはまあいいとして、泣くのははばかられると思っていましたが、泣きたいほど悲しければ泣いてもいいんだよと、彼女は平気な顔で言い放ちます。心はもっとしなやかだと。

 

感情むき出しはみっともないけれど、持て余した感情を少し放出するくらいのわがままはあってもいいのかも。ほとばしる思いを解き放つ自由があってもいいのかも。それを受けとめてもらえそうな人がいれば、甘えてしまってもいいのかも。そう思うと、ずいぶん楽になります。

 

女の子はそんなことが許される年齢ですが、私はというと…。年齢に逆行するようですが、この際、女の子に乗っかって許されてしまおうかと思っています(笑)。

 

こうした変化がなぜ起こったのかな、と考えます。

 

「しののめ寺町」開店以来、多くの方と出会い、触れ合うようになりました。魅力いっぱいの皆さんが、あちこちから私の心をつんつん、つついてくださって、凝り固まっていた私の心がほぐれ、なりをひそめていた女の子が伸び伸び動けるようになったんだと思います。

 

バカンスも花火も、大きなイベントは取り立ててなかったけれど、忘れ難い夏でした。

メロンパンナちゃん

心と体のこと

2013年08月18日

前回はちょっとばかりディープな(?)話題でしたので、今回は小ネタを。

 

少し前のこと、常連の男性のお客様が帰り際、私に向かって「メロンパン…に似てるね」と言って出て行かれました。

 

私「???」

 

メロンパンって…、丸顔はいいとしても、表面デコボコやし、砂糖でザラザラやし、そもそもパンやし…。でもまあ、甘くて美味しいし、ええか、と思っていました(笑)。

 

先日、そのお客様に確認したところ、メロンパンならぬメロンパンナちゃんだったことが判明しました。アンパンマンに出てくるキャラクターです。そういえばその時、神戸にできたアンパンマンミュージアムの話をしていました。私、アンパンマンの登場人物に詳しくないもので、知らなかったんです。

 

調べてみると、メロンパンナちゃん、なかなかチャーミングな女の子らしく、メロメロパンチで人を虜にするとか。似ているとしたら、光栄の限りです! さっそくミニぬいぐるみを購入したところ、その可愛らしさに私もたちまちメロメロに。

 

これって接客の鑑ではありませんか。是非ともメロンパンナちゃんの魅力にあやかりたい。ということで、毎日「しののめ寺町」に同行してもらっています。仕事の合間、チラ見しては心に余裕を、笑顔に磨きを。目下、メロンパンナちゃんをお手本に修行中です。

 

このブログを読んでくださっている方のなかに、メロンパンナちゃんのファンがいらっしゃるかもしれません。私が似ているなぞ、大ブーイングかと存じますが、常連のお客様と私の大人のジョーク、ということでご容赦を。

 

今回のブログ、これはこれでディープな話題だったような(笑)。いつもお付き合いくださっている方、ありがとうございます。

 

さて「しののめ寺町」は明日、8月19日(月)~23日(金)夏季休業をいただきます。休み明け、ひときわ元気に明るく店に立てるよう、メロンパンナちゃんと有意義な休暇を過ごしたいと思っています。何卒よろしくお願いします。

私の中の女の子

心と体のこと

2013年08月11日

笑われるのを承知で書きます。

女性はいくつになっても、心の中に小さな女の子がいます。

私が言うのも失礼ですが、高齢でなお美しく魅力的な女性は、皆さんどこか少女のような可愛らしさを残しておられるように感じます。

私は韓国ドラマを一度も観たことがないのですが、年齢を問わず熱烈なファンがたくさんいらっしゃるとか。ジャニーズの追っかけをしている母子の話もよく聞きます。そうした方の話しぶりや表情は、皆、まるで恋する乙女のよう。

あぁ、皆さん、心の中に女の子がいるんだなぁと思います。

私は男っぽい性格と自分で思うし、人からも言われます。ひらひらとした可愛いものは苦手で、どちらかというとシンプルなものが好き。そんな私ですが、そんな私の中にも、それはそれなりに、やっぱり小さな女の子がいます。

心理学的にはインナーチャイルドというのでしょうか。難しいことはわかりません。ただ、とても大切な存在です。気味が悪いと思われる方は、ここで読むのをやめていただいた方がいいかもしれません。(笑)

この女の子、私が悲しんでいると、しょんぼりとうなだれます。

私が喜んでいると、あどけない顔を上げてにっこり笑います。

でも私、いつも自分のことでいっぱいいっぱいで、彼女のことを思いやる余裕がありません。それでも健気にいつも私の中にいてくれる彼女。

自分を大切に、とはよく言われることですが、なかなか難しいもの。慌ただしい毎日の中で、自分のことはないがしろにしがちです。その「自分」を「女の子」に置き換えてみると、案外やさしいことに気づきました。

私の中の女の子がいつも笑っていられますように、そう願っているだけで、自然に自分も笑っていられる気がします。

自分にご褒美、なんて言葉を最近よく耳にします。自分にと思うと二の足を踏むような贅沢なことも、もう一人の自分にと思うと、気前よくなれる。まさに同じ感覚ではないでしょうか。大切な間(ま)です。

写真は奈良に古くから続くお店「遊 中川」さんのタオルハンカチです。先日、奈良に出かけた折に見かけ、魅了されてしまいました。生のままの糸の優しい手触り、無垢な色合い、バンビの繊細な刺繍…、華美ではないけれど、えもいわれぬ可愛らしさが、私の中の女の子の感性にぴったり合ったよう。手にとって飛び切り喜ぶ彼女の姿に、幸せいっぱいの自分を実感した次第です。

彼女が喜ぶことをいっぱい体験できるよう、彼女が喜ぶものを惜しみなく与えられるよう、そんな自分でいたいなぁ。というか…、ただただ一緒に幸せに暮らしていきたいなぁと、可愛いタオルハンカチを眺めながら思ったこのごろでした。

化粧

心と体のこと

2013年07月31日

私、もともと化粧に手間を掛けない方です。朝、出かける前、ぱぱっと塗って、ちょちょっと仕上げ、ものの5分ほどで終了です。

 

店を始めてお客様の前に出るようになり、もう少しきちんとしないといけないなぁと常々思っていました。けれど、慌ただしさに紛れ、ずっとそのまま。毎日の習慣というのはなかなか変えられないものです。

 

余裕が出来たというわけでもないのですが、これまでにも、たまには立ち寄っていたデパートの化粧品売り場を、ちょいちょい覗くようになりました。流行のメイクをした若いスタッフさんは、まさしく花のように美しい。近寄るといい香りです。気になっていることをあれこれ相談してみると、あれよあれよという間に鏡の前に。手馴れた技でメイクを施してくれます。

 

キラキラしたアイシャドウや、プルプルしたグロスなど、自分ではしたことのないものを塗ってもらい、新鮮なような落ち着かないような。それでも「お綺麗ですよ、お似合いですよ」と褒められると、まんざらでもない気に。マニュアルどおりの声掛けとわかっていても、褒められるのはやっぱり気分がいいものです。つい一つ二つ買ってみたり。

 

あとは自宅に帰るだけでも、道中なんだかウキウキ。そんな自分に、まだまだ可愛いところがあるやん、と一人突っ込み(笑)。人から見てわかるほどの変化でもないのに、おかしなものです。

 

なにがそんなに気分いいのかと考えると、化粧そのものというより、自分を大切に扱われたということなんじゃないかと思います。大事なものを扱うように優しく触れられ、丁寧に仕上げられていく。しかも褒め言葉を添えながら。わずかの時間でも、自分が愛おしい存在なんだと再認識できた気がするのです。、

 

これって、本来は自分が自分にしてやらなければいけないことなのかもしれません。いつも自分のことを気に掛けて、大切なものとして扱う。それって本当はとても大事なことなんじゃないかと思います。なのに、自分に対してはどこかぞんざいで、なにかしら無理を強いて、いつも後回しにしがち。これじゃあ、自分も浮かばれない…。

 

ほんの少し丁寧に化粧をする時間を持つことで、こうした思いもほんの少し持ちたいものだと思います。

 

化粧ひとつで、そんなことを思ったこのごろでした。

記憶

心と体のこと

2013年01月19日

幼い頃の記憶というのは、おぼろげなものです。そんななか、鮮明に残っている、ある日、ある場面の記憶というものがあります。

 

私は京都のまん中あたりで生まれました。近所に二軒のお菓子屋さんがあり、一軒は量り売りから、ちょっとした進物用まで取り揃えたお菓子屋さん。昭和30~40年代当時、一般的だったお菓子屋さんです。おじさんとおばさんのご夫婦でやっておられました。もう一軒は昔ながらの駄菓子屋さん。こちらは小母さんが一人で店番をしておられました。

 

親からわずかばかりのおこずかいをもらうと、友達の動向やその日の気分で、子供ながらに二軒の店を使い分けていたように思います。そんなある日のこと…。

 

私は幼稚園から小学校に上がったばかり。学校から帰ってきて、さて今日はどちらのお菓子屋さんに行こうかと考えています。並んだお菓子と、その日食べたいお菓子を思い浮かべながら、駄菓子屋さんの小母さんは「学校行ってきたんか?」と声をかけてくれることを思い出します。

 

駄菓子屋さんにしよう! そう決めると、私は駄菓子屋さんに駆け出します。

 

その時の心模様を、今でも手に取るように思い出すことが出来ます。記憶というものは、年数を経るほどに組み替えられているともいいます。自分流に組み替えられた記憶というものに、また意味があるように思います。

 

慣れない学校、毎日きっと緊張して過ごしていたはずです。下校後、ほっとして出かけた駄菓子屋さんで小母さんに掛けられた言葉は、「頑張ってきたなぁ」とも「えらいなぁ」とも聞こえたのでしょう。そんな言葉をまた聞きたくて、私は駄菓子屋さんに出かけます。よほどうれしかったのでしょう。その時のうれしさが、記憶を今に繋いでいるのでしょう。

 

過去は未来

 

駄菓子屋さんの小母さんの言葉は、さりげないようでいて、接客の極意です。店を持った今の私に、時空を超えて大切なことを伝えてくれます。

 

幼い日の私は、今の私よりずっと純度が高くて、感度が鋭かったように思います。あの頃うれしいと感じたこと、嫌だと感じたこと、それらの記憶は闇夜に瞬くキラ星のように、私の進む道を照らしてくれます。

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