店のこと
2020年04月28日
新型コロナウィルスのこと
このたびの新型コロナウィルスに伴う騒動。皆様のなかで、ご家族のなかで、罹患されている方はないでしょうか? 罹患されないまでも、それに伴うあれこれで心身の調子を崩しておられる方はないでしょうか?
早くなにか書かなければと思いながら、あまりに衝撃的過ぎて、とても書けずにおりました。が、やはり書かないわけにはいかない。うまく表現することなど到底できませんが、それでも今の思いを書ける限り書いてみようと思います。
新型コロナウィルス、なんて言葉を初めて耳にしたのは一体いつだったか。つい最近のことのはずなのに、もはや思い出すことができません。少なくとも今年のお正月には、こんな事態になることなど誰も想像していなかったはず。2月、3月、4月。この短期間で、世界がこんな激変するなんて…。
驚きとか、恐怖とか、そんな既存の言葉ではとても表し切れない。これまでに味わったことのない未知の感情に、今も途惑ったままでいます。
当初は、他国の惨状を見聞きしながらも、どこか他人事に思っていたというのが正直なところです。その油断が日本をここまでひどい状況に追い込んだこと。悔やんでも悔やみきれない思いは、皆さんも同じなのではないでしょうか?
外出自粛や休校の要請が出されるたびに変貌してく京都の街。世界各国からの観光客で溢れかえっていた名所や繁華街が、人っ子一人いないのではと思うほどの静けさに。
こうした事態を伝えるニュースも、映画の中のワンシーンを見ているような現実離れした感覚でした。それも、来る日も来る日も繰り返し見ているうちに、これが紛れもない現実なのだと認識せざるをえない状況になっていきました。
「しののめ寺町」に来てくださるお客様は、他府県からのご観光の方と地元の方が半々くらいでしょうか。ご旅行の方が来られなくなり、近隣の方も外出を控えられるようになり、日に日に寂しくなっていくのは当然のことです。
飲食店はじめ、まわりのお店が次々に休業していかれる様子を見ながら、うちは開けていていいものやら。いっそ閉めた方が気が楽かも。あれこれ思案の毎日でした。
そしてついに発令された全国への緊急事態宣言。動転してしまい、これは休まなきゃと、4月19日から5月6日まで休業することに決めました。不本意な休業ですが、少し立ち止まってみるのもいい機会かも、という思いも少し。
初日の19日はバタバタと片づけに追われ。翌20日は、溜まりに溜まったコロナ疲れとでもいうのでしょうか、一日眠り続け。そんななか、湧き上がってくる思いがありました。
のんびり屋さんの「しののめ寺町」、そもそも三密に当たることはなく(汗、笑)。換気と衛生に気をつけつつ、お客様との楽しいお喋りはしばし自粛して、ほそぼそとでもいいから開けていきたい!
ということで、たった二日で休業を撤回。21日にはまた店を開けた次第です。なんとも優柔不断なことで、混乱されたお客様には、この場を借りてお詫び申し上げます。
毎日、少しずつ(!)炊いたじゃこ山椒を、発送と店頭販売で振り分け、その日の分が売り切れたら閉店。そんなゆるい感じで営業させていただいています。
まわりを見渡すと、本当に厳しい経済環境のなか、皆さん、文字通り、必死の思いで生きておられます。飲食業の方がテイクアウトに力を入れられたり、助成金や融資に駆けずり回られたり。
一方で、新たな助け合いやネットワークが生まれたり。新しい働き方やシステムが普及していったり。大きな変革が起こっているという現実も。
見えないウィルスの前で、人間の非力さを痛感しながらも、同時に、人間の持つ底力に胸震える思いがしています。
創造の前には、破壊が必要なのでしょうか。この騒動が収束したその先には、新たな価値が生まれ、新しい世界が拓けている。そんな気がしてなりません。それにしては、あまりに、あまりに、犠牲が大き過ぎますが…。
収束した時に、ようがんばった! と自分に声を掛けられるよう、今はただ、私にできることを考えながら進んでいこう。そう思う毎日です。
写真は、数年前のものですが、私が京都で一番好きな円山公園の桜です。ことのほか長く楽しませてくれた今年の桜。自宅近くや通勤途中で眺めるばかりでしたが、なんだか哀れな人間を慰めてくれているようで、美しければ美しいほどに、切ない思いがしました。
来年は晴れやかな思いで眺められますように。そのためには、今しばらく出来る限りの我慢をして、がんばってまいりましょう。医療をはじめ過酷な現場で働いてくださっている方たちに感謝しつつ。
今はこれだけしか書けません。皆様、くれぐれも気をつけてお過ごしください。