店のこと
2019年01月26日
なんくるないさー
新年のご挨拶がすっかり遅くなってしまいました。皆様、どのようなお正月を過ごされましたでしょう? 九州地方では新年早々に地震があったもよう。被害に遭われたお客様はなかったでしょうか? 今年こそ災害のない一年になることを祈るばかりです。
私はと言いますと、ちょっと長めのお休みをいただいたお蔭で、ゆっくりとした時間を過ごすことができました。ありがとうございます。といって優雅なことなどなにもなく、元日から家の整理なぞ始めてしまいました。「しののめ寺町」開店と共にライフスタイルが変わったのに、家の中の収納は「ほぼ専業主婦」時代と変わらぬまま。時間のない身には、使い勝手が悪くなってきていました。ああでもない、こうでもないと、1階と2階を何度も往復しては、引き出しの中の物をあちらへ、こちらへ…。
お正月からなにやってるんだかと呆れながらも、ぬくぬくとした幸せな気持ち…。気ままに過ごせる時間と空間というのは、それだけで、なんとありがたいものでしょう。一日の大半を店で過ごす生活になり、身に沁みて思うようになったことです。そんな自分の一年の労をねぎらいつつ、心からの安息を味わう贅沢な時間となりました。
毎年のことながら、昨年もいろんなことがありました。店をやっていくには、まずは心身の健康が第一です。が、生身の体、いつもいつも万全というわけにはいきません。時に、明日、店を開けられるだろうかと不安になることも。健康面のみならず、次々出てくる課題に途方に暮れてしまうことも。そんな時、決まって口をついて出てくる言葉があります。
「なんくるないさー」。
店を始める前、沖縄の宮古島に一人出かけたことがあります(ブログ宮古島 農家民宿 津嘉山荘)。以来、宮古島を第二の故郷のように思っている私(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)。しんどいなぁと思う時、宮古島の美しい海を思い出します。こんな時、おおらかな沖縄の人は、どんな風に声を掛けてくれるだろう。なんて想像しているうちに、いつからか自分を励ます言葉になりました。
なんとかなるさ、って感じでしょうか。心の中で唱えるだけでは飽き足らず、聞きかじりの沖縄のイントネーションで、声に出して言うこともあります。「なんくるないさー」。しんどければしんどいほど、大きな声で「なんくるないさー」。空に向かって「なんくるないさー」。知らない人が見たら、かなり怪しい光景です(笑)。
昨年は何度「なんくるないさー」と口にしたことでしょう。繰り返し言っているうちに、本当になんとかなるような気がして、そうして一日、一日をやり過ごし、気づけば最終日にたどり着いていた…。そんな一年でした。
なんとかなったのかどうかはわかりませんが、とにもかくにも無事に一年を終えられたこと。お正月から家の整理などしながらも、幸せな気持ちの自分がいたこと。それが私なりの「なんくるないさー」だったのだと思います。
ブログを書くにあたり、念のため「なんくるないさー」の意味を調べてみました。そこには辛苦を経験された沖縄の方たちの歴史があること。命があることに感謝し、たとえ報われなくても希望を持って前に進んでいこう。そんな思いのこもった言葉であることを知りました。
私は言葉には魂が宿っていると信じています。言霊(ことだま)です。「なんくるないさー」と口にする時に、体の中から湧いてくるエネルギー。それは辛苦を経験された沖縄の方たちの、魂のこもった言葉だからこそだったのだと、改めて思い知った次第です。
最終日、仕事を終えたあと、心からの安堵と解放感をかみしめながら、ちょっと街中に出てみました。立ち寄った店で、たまたまビートルズの「Let it be (レットイットビー)」が流れていました。「なすがまま、あるがまま」という意味でしょうか。「Let it be Let it be Let it be Let it be…」。お馴染みのリフレインに聴き入りながら、ふと、英語版「なんくるないさー」じゃないかと思いました。
そういえばフランスでは「ケセラセラ」なんて歌もあります。微妙なニュアンスは違うのかもしれませんが、いずれも底流には同じものがある気がします。困難に真摯に向き合い、努力を続けながらも、最後は目に見えない大きな力に委ねてみよう…って感じでしょうか。軽やかな音(おん)のリズムが心地いいのも共通しています。洋の東西を問わず、古来より人は、こうした言葉を口にしながら、人を励まし、自分を励まし、そうして生きてきたのだなぁ、なんて思いに耽ってしまいました。
今年は元号が変わったり、消費税の値上げもあったり、また大変な年になりそうです。まずは自力でがんばれる限りがんばって、あとはやっぱり「なんくるないさー」。そんなことを思う1月です。
今年も何卒よろしくお願い申し上げます。