アートなこと
2025年02月05日
「ある一つの事」2
店の模様替えをしたことを前回のブログで書きました(ブログ 彩(いろどり))。どの箇所も思い入れのある作業でしたが、一番重きを置いたのは飾り窓だったと思います。
飾り窓は外を通る人からも見える格好の発信場所。必要な情報をお知らせしつつ、楽しい演出もしたい。ということで、最初の一年は民芸品店やデパートに出掛けては、なにを置こうかと探し回ったものです。
和風の額を掛け、その前に四季折々のちりめん細工の小さな飾り物…。
京都のおじゃこ屋さんといえばこんなイメージかなぁ、なんて感じで設えていたように思います。
通りがかりに眺めては楽しんでくださる方もあるようで、私も楽しい経験でした。
けれど、飾り窓といえば、その店を印象付ける大切な場所。これでは京都の街中どこにでもありそうで、個性を表現できていないんじゃないか。そんな思いが頭をもたげるようになってきました。
ほかのどこにもない、うちならではの飾り窓にしたい。それはどんなものなんだろう…。
考えあぐねるなか、ある日、閃くものが。
あの陶板を掛けたい!
完成したイメージが頭に浮かぶや、もうそれ以外は考えられず。寸法だけ確認すると、早速、所有者の方に連絡し、後先も考えずに購入してしまいました。
それが上記の写真。陶芸家、伊藤均さんの作品です。個展やご自宅で何度も目にした、私が大好きなシリーズの中から選んだ一枚です。
伊藤さんのことは以前のブログで書いたことがあります(ブログ「ある一つの事」)。近所にお住まいで懇意にしていただいていたのですが、数年前に天国へ旅立ってしまわれました。
ブログの中で紹介した伊藤さんの文章を改めて引用させていただきます。
ただ森羅万象の内に「ある一つの事」に非常に興味を持ち始めると、その事をテーマに作品を創る。他人が何を言おうと、世間がどう動いていようと、作家という当人においては、ただ黙々と「つくる」という行為をくり返すだけなのだ。
仮に、「ある一つの事」が、どんなにつまらない事であっても、当人には、今非常に重大なテーマなのだ。
そして作品が出来る事は、彼の宇宙に新しい空間が生まれることを意味する。そこから又次の作品への足がかりが出現する。
とはいっても、そう次から次へと、新しい出会いが表出する訳でもなく、行きつ、戻りつの様である。作品を見て「心を悩まし」、新しい出会いに「思い焦がれる」のである。
作者は、きっと、己の次の作品をつくる為に、今の作品をつくっているのではないかと思う。
伊藤 均「おもう」(陶説1988年9月号に掲載)より抜粋
初めて読んだ時から「ある一つの事」という言葉がとても気になり、何度読み返したことでしょう。
模様替えを考えるなかで、店と向き合い、自分と向き合い、その中でふっと湧いてきたのがこの「ある一つの事」という言葉でした。
私の中にも存在するであろう「ある一つの事」。とても個人的で、とても根源的な、なにか…。
まだ明確ではないけれど、この陶板を掲げることで、私は一心に「ある一つの事」に向かっていける。それが取りも直さず魅力ある店づくりにつながっていく。
そう直感したのだと思います。
まさにそれを暗示してくれるようなデザインではないでしょうか。
朝、店に着いて飾り窓を見ると、身が引き締まる思いがします。そして、帰り際、最後に飾り窓に目をやり、今日の自分を振り返っている私がいます。
毅然と立ち、厳しくも温かく見守ってくれる陶板。ほかのどこにもない、うちならではの飾り窓の完成です!
写真はガラスに私が映り込むため、斜めからの撮影となりました。ご来店の際は、ぜひ正面に立ち、ご覧になってみてください。