アートなこと
2023年04月27日
人生は舞台 人はみな役者
先月のことになりますが、祇園にある現代美術館、何必館で開催の「エリオット・アーウィット展」に出かけてきました。
何必館のことはこのブログでも何度も書いています。私の大好きな美術館。なくてはならない場所です。(ブログ何必館の時間 何必館の時間2)
エリオット・アーウィット…。私は知らなかったのですが、フォトジャーナリストとして著名人や歴史的社会情勢を捉えた写真を多数、世に送り出したカメラマンです。
マリリンモンローが地下鉄の通気口の風で舞い上がるスカートを押さえる、かの有名な写真が彼のものというのは驚きでした。
一方で自らを「天職はアマチュア写真家」と呼び、なにげない日常を撮影するのがとても好きだったそうです。今回、記録的写真と共に、そうした作品が多数展示されていました。
ふらりと出掛けた街なかで、たまたま出会った一般の人たちが織り成す光景。そんななんでもない一瞬が、とても偶然とは思えない完璧な構図、思わず知らずストーリーが立ち上がってくるようなドラマ性をまとって、芸術的な一枚の写真に仕上がってしまう…。
名カメラマンとはなんと素晴らしいんでしょう!
これまでにこのブログで書いたロベール・ドアノー然り(ブログ 写真家ロベール・ドアノー)。ソール・ライター然りです(ブログ 写真家ソール ライター)。
毎回、作品と共に掲げられている何必館館長、梶川芳友氏の解説文がまた素晴らしく。さらに深く作品を味わえる一助になっています。
今回、シェイクスピアの「人生は舞台、人はみな役者である」という言葉を引用し、一人一人が自分の人生という舞台の中に生きているということ。そうしたものに対するエリオット・アーウィットの眼差しについて語られていて、とても感銘を受けました。
人生は舞台、人はみな役者である
まさにその通りだなぁと思います。そして最近つくづく思うのが、役者であると同時に、そんな自分にとっての演出家でもあるんだということです。
この役者の持ち味はなになのか? それをいかんなく引き出し、表現させるにはどうしたらいいのか? 一番輝いて見える立ち位置はどこなのか?
演出家としての力量が、役者を生かしも殺しもするんじゃないかと思えてならないのです。
才能を見出された若い俳優の卵が、各分野のプロの手によって磨き上げられ、やがて、はまり役、当たり役というものを得ていかれる…。よく目の当たりにすることです。
一般人の私たちは、この作業を全て自らがしていかなくてはいけません。そのためにはまずは自分ととことん向き合うことが必要です。長所も短所もさらけ出し、自分の中の原石に突き当たるまで妥協なく掘り進むこと。
その一方で、自分を俯瞰できる遠い視点も必要で。
いやはや難しい。ああでもない、こうでもない、と模索の毎日です。時に、自分の舞台がとても心もとないものに思え、まわりの舞台から漏れ聞こえてくる喝采ばかりが気になることも。
いけない、いけない。誰もがそうであるように、私は私のこの舞台に立つほかありません。そうであるならば、この舞台でしか演じられない、私ならではの舞台を作り上げたいものです。千秋楽の幕が下りる、その日まで…。
私自身が、自分にとっての最良の演出家たれ!
そんなことを思うこのごろ。まだまだ拙い舞台ですが、どうか温かく見守ってくださいますよう、これからもよろしくお願い申し上げます。