アートなこと
2021年05月13日
写真家 ソールライター
3月のことになりますが、かねてから観たいと思っていた写真家ソールライターの展覧会に出かけてきました。
スナップ写真というのでしょうか、彼の住むニューヨークの街中の風景。そこで繰り広げられる普通の人々の日常の姿。なんでもない場面なのに、その構図や色彩のバランスが絶妙で、まるで絵画のよう。
被写体となった人物は、まっすぐこちらを見据えているものもあれば、うしろ姿だったり、なかには足首から下だけなんてものも。見え方は様々ですが、その佇まいにそのひととなりが如実に現れています。
一瞬を切り取った一枚一枚の写真に、一人一人のストーリーが込められているよう。あれこれ想像を掻き立てられる、とてもドラマチックな展覧会でした。
普通の人が絵になる写真といえば、ドアノーもそうでした(ブログ写真家 ロベール・ドアノー)。こちらはパリが舞台。それぞれの街の持つにおいと相まって、どちらも素敵です。
こうした作品を観るにつけ、人の佇まいってほんと不思議だなぁと思います。なにも語らずとも、その人を雄弁に語ってしまう。
それは姿形の美醜や、身に着けているものの価値に左右されるものでは決してなく、その人そのものから醸し出されるもの。これまでの日々の過ごし方やあり方が、そのまま現れてしまうもの。
写真家の技術と感性がアートにまで引き上げてしまうのですから、奥深いものなのだと思います。
何年か前に、ラジオのパーソナリティ佐藤弘樹さんの講演を拝聴したことがあります。関西の方は一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。それはそれは素敵なお声で、紳士的な話しっぷりとダンディな佇まいが印象的な方。生放送の番組を長年、担当されていたようです。
その講演のなかで、こんなお話をされていたのが印象的でした。
ちょっとした失言で放送界を去る人があるなか、なぜ佐藤さんはそうしたことがなく、今日まで続けてこられたのかと尋ねられることがあるのだとか。
そのお答えが…。そもそも失言につながるようなことを思っていない、とのことでした。つまりはマイクの前に立つその時だけでなく、普段が大事。普段思っていること、していることが、そのまま生放送に表れるのだと。
なるほど、と唸る思いでした。
店での接客も同じことだなぁと、耳の痛い思いで聞いていましたが、それからほどなくのこと、佐藤さんの訃報が新聞に…。信じられない思いでした。
あの講演の時は、既に闘病中だったと想像されます。けれど、そんなことを全く感じさせない、いつもと変わらない語り口と立ち居振る舞い。
普段が大事…。まさに話されていたことを身をもって実証されていたんだと、改めて胸打たれる思いがしました。
またある時、たまたま見ていたテレビの情報番組でのこと。女性の下着がテーマのコーナーに、東京の老舗デパートの下着売り場を勤め上げたという女性が登場。ご高齢ながら、しゃんとした美しさに、思わず画面に見入ってしまいました。
なんでも自分の体にぴったり合った、自分が素敵と思える下着を常に身に着けて暮らすことが大切とのこと。それが自信となって、思わず知らず外見に表れるのだと、熱く語っておられました。
普段なにげなく着けている下着がそこまで影響力を持つものかと、ちょっと信じ難い思いも。けれど、その女性のオーラさえ発せられるエレガントな佇まいに、納得せずにはいられなかったことを覚えています。
ソールライターの写真を眺めながら、ふと思い出した二つのエピソード。唐突なようですが、普段の有り様が、そのまま素敵な佇まいとなって表れたお手本として記憶していたのだと思います。
まさに絵になるお二人。ソールライターなら、どんなふうに撮ったでしょう。素敵な写真が目に浮かぶようです。
京都は緊急事態宣言が5月末まで延長となりました。厳しい状況がまだまだ続きますが、今ある普段を大切に、一日一日を過ごしていくしかありません。それが未来の私の佇まいとなっていく。そう肝に銘じて…。
皆様もどうぞお気をつけてお過ごしください。