アートなこと
2014年11月03日
重森三玲氏のお庭
先日の定休日、松尾大社に出かけてきました。作庭家、重森三玲氏のお庭が素晴らしく、私が京都で一番好きかもしれない場所です。
もともと一人でふらりと出かけるのが好きなのですが、店を始めてからはぱったり。時間ができたら、まず出かけたいと思っていたのが松尾大社でした。時間ができたわけではないのですが、これから忙しくなる季節、その前にと、思い切って出かけたのでした。開店以来やっとの「ふらり」です。
松尾大社を初めて訪れたのは数年前、三玲氏のお庭を前にした時の衝撃は今も忘れることができません。空に向かって巨石がそそり立つ様はエネルギーがほとばしっているよう。無造作に突き立てられているようでいて、計算されたように美しい造形。よくある寺院の庭園に佇むときの心休まる感覚とは全く違い、なにか突き動かされるような感動に、飽かず眺めていたことを覚えています。
「しののめ寺町」開店間もない頃、偶然にお立ち寄りくださった旅行中の熟年のご夫婦がいらっしゃいました。お話しするうちに奥様が重森三玲氏のお孫さん、重森千青氏の講座を受けられるほどの三玲氏ファンとわかり、大盛り上がりしたことがあります。お隣のご主人様を置き去りにして(笑)。
「三玲氏のお庭は、自分が元気な時じゃないと向き合えないのよね。エネルギーに負けそうで」とお客様。「自分がブレていないか試したい時に、向き合ってみるといいでしょうね」なんて、偉そうに私。今も忘れ難いお客様のひとりです。
開店して2年と7カ月。どこまでいっても経験のないことが目の前に現れます。大小さまざま、常に判断し、決断し続けなければいけない毎日。それは商売に限ったことではなく、人生もまた然りかもしれません。
そのときどきの判断は正しかったか、決断は間違っていなかったか。ふと不安に駆られ、後悔がよぎることがあります。けれど、そもそも、正しいか間違っているか、誰が決めるのでしょう。どこかに審判がいて、○×の札でも上げてくれるのでしょうか。
実は、三玲氏のお庭にちゃんと向き合えるか、ここらで一度、自分を試してみたい。そう思って出かけたのでした。ブレていたら、心が動揺するかも。うしろめたいことがあったら、目を背けてしまうかも。勝負です!
しっかり向き合えました。
自分が決めて進んできたことには、正しいも間違っているもなく、それが全て。
そんなことを思いながらお庭を眺めていると、ひとりの青年と一緒になりました。気さくに挨拶してくれたのがきっかけで会話が始まるや、庭師を目指しているという彼、熱く語る語る。八百万(やおよろず)の神様のこと、宇宙のこと、前衛アート、人生論…。どれも私の興味ある話題です。しかも、ふだんは怪しいひとと思われそうで、おいそれとは口にしないよう用心していることばかり(笑)。
紅葉前の静かな時期、ほかに誰もいません。三玲氏のお庭を前にして、庭師を目指すとはこういうことかと納得しながら、彼の話を思いっきり聞いて、思いっきり相づちを打ったひととき。心をいっぱい遊ばせられた、心地いい時間でした。
話は尽きませんでしたが、秋のこと、夕方になると急に冷え始め、「きっとまたどこかで再会できますね」と言い合って別れました。不思議な巡り合わせ、これも場の持つ力、三玲氏のお庭のエネルギーがが引き寄せてくれた出会いだったかもしれません。
家に帰れば、その日済ますはずだった用事は山積みのまま。けれど、それを補って余りある山盛りのおみやげを持ち帰った秋の一日でした。