アートなこと

2025年09月17日

マイケル・ケンナ 旅路の記憶

ケンナ

7月のことになりますが、何必館・京都現代美術館で開催の「マイケル・ケンナ旅路の記憶 MICHAEL KENNA展」に出掛けてきました。

何必館のことはこのブログでも何度も書いています。私にとってなくてはならない大切な場所です。(ブログ何必館の時間2

大地、海、空、樹木、建造物…。

世界を旅しながら撮影されたモノクロの写真は、「水墨画の精神性に近く、視覚的な俳句のようなもの」と写真家自ら語られる通り、とても静謐で、絵画のようにも、心象風景のようにも見えます。

なかでも印象的だったのは、北海道の屈斜路湖畔に立つミズナラの老木を、伐採されるまでの7年間にわたり、繰り返し撮影されたという写真でした。

その木はいつしか地域住民から「ケンナの木」と呼ばれ親しまれるようになったとのこと。

毎回、初めて会ったが如く木と対峙し、シャッターを切るというケンナ氏。それは自然に限らず、器などの静物に対しても同じだというから驚きです。

同じように見えて、同じであり続けるものはなく。先のことは誰にもわからない。刻々と変わり行くその一瞬一瞬を、どんなに大切にされているかが窺えるエピソードです。

まさに一期一会。

タイトルの通り、写真の一枚一枚がケンナ氏の旅路の記憶であり、とりもなおさず人生の記憶なんだと腑に落ちていく思いがしました。

ふと…。

人生は、その時々の記憶が焼き付けられた写真の連続体でできているんじゃないか。

そんな思いが湧きました。

そういえば死の間際、人生の来し方が走馬灯のように浮かんでくる、とはよく聞く話です。実際に見たという人に会ったことはありませんが(笑)。

さながら走馬灯は、これらの中から厳選された写真のダイジェスト版というところでしょうか。

この展覧会を観て以来、ここぞという場面に出会うと「これ、いただき!」とばかりに頭の中でシャッターをカシャ。

なんてことが、新たな習慣となりました(笑)。

不遜にも写真家の眼差しになってみると、なんでもない日常が、これまでと少し違って見える気がします。

またとない一瞬を大切に、私ならではの写真を連ねながら、これからの人生を送っていきたいものだなぁ。

そんな風に思わせてもらえた展覧会でした。

さてさて、最後にどんな走馬灯を見られるか。ぶっつけ本番のお楽しみです(笑)。

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