季節のこと
2018年04月12日
桜 2
今年の京都は、春の訪れを感じるや、暑いまでに気温の高い晴天続き。桜の季節も、例年にない早さで過ぎていってしまいました。皆様のお住まいの地域ではいかがでしょうか?
店に来てくださるご旅行のお客様のなかにも、花見のつもりじゃなかったのに、思いがけずラッキーだったわ、とお喜びの方。一方で、お花見目当てで来たのに、もう散っちゃっていたわ、とお嘆きの方。と、さまざま。
紅葉の季節にも思うことですが、なにぶん自然相手のこと。予想が当たったり、外れたり。そうしたことも一興かな、なんて思ったりします。外れたお客様には申し訳ないのですが。
そういう私はと言いますと…。
これまでのブログでも何度か書いていますが、春がとても苦手でして(ブログ私が苦手だったもの 春 天狗おじいさん)。春が近づくや、土中の虫や、芽吹く前の植物のうごめく気配に、心がざわざわと落ち着かなくなってしまいます。
いよいよ春本番となるや、満開の桜のあまりの見事さに、そうまで美しさを誇らなくってもいいじゃない。なんて、天邪鬼なことを思ったり。美しい余りの痛々しさに、胸苦しくなったり。しまいには桜のことを考えただけで、涙なんか出てくる始末。若い娘じゃあるまいし、と漫才ばりのツッコミを自分に入れるも、相方はボケきれず、すべるすべる(笑)。いやはや、私にとって春は困った季節です。
そんな苦手意識も、店を始めてから少しずつ解消されてきたように思うのですが…(ブログ桜)。今年は新年から行動力に欠けたまま足踏み状態が続く私でありまして(ブログ堀文子さんの言葉3)。裏腹に、例年にない早さで開花していく桜の、段取りのいいこと。毎年感じる「置いてきぼり感」は、いつも以上となってしまいました。
そんななかでも、私なりの春の楽しみ方、桜の愛で方を身につけつつあるのかも、と思うことも。上の写真は、店の近くの御所南小学校の桜です。仕事帰り、地下鉄丸太町駅まで歩く道すがらの夜桜見物が、恒例の楽しみとなりました。校舎からの明かりでライトアップ。この日は枝の合間から月が覗いて、風流をひとり占め。これはこれで贅沢、かな? と、一人、悦に入ったりなんかして。
店を始める前はよく美術館に出かけたものですが、地下鉄から近道となる川沿いの小道を通るのがお気に入りのコースでした。どの季節も風情があるのですが、春、川面に枝をせり出させて、水面につかんばかりに咲く桜が、それはそれは綺麗でした。ふと思い出して、仕事帰り、夜の散歩と洒落こんでみることにしました。
お花見のピークを過ぎた平日。ふだんでも穴場のような小道。静かです。少し散った花びらが川面で花いかだとなっていましたが、幸運にもまだ満開の木もありました。照明といっても、近くの住居から漏れる明かりがあるばかり。それでも桜は自らが灯りとなって、自らを浮かび上がらせるようです。薄明りの中で見る桜は、ひときわ美しいものでした。
急ぎ足で去っていくかに思えた春が、ここではゆったり進んでいるような。名残を惜しんでいるような。置いてきぼりを食らったと思っていた春の背中に、辛うじて指先でタッチできた気がしました。
見惚れ過ぎたのでしょうか、写真を撮ることをすっかり忘れていました。記憶の中の映像を、自分のイメージを膨らませて思い出すのも、またいいものかもしれません。その年の、その時の、自分の気持ちを重ね合わせながら。
桜の楽しみ方は様々あるものなのだなぁ。名所じゃなくても、お日様の下じゃなくても、ライトアップされていなくても、自分流の楽しみ方を見つければいい。そんなことに気づいた今年の春でした。
来年の春、私は、どこで、どんな風に、桜を見上げているんだろう。そんなことを想像してみると、早くも来年の桜が楽しみに思えてきます。桜の枝の上で、鬼が笑っているでしょうか(笑)。
春はミステリアスな季節です。