季節のこと
2013年12月23日
マッチ売りの少女
クリスマス間近、各地でイルミネーションがきらめきます。年の瀬の賑わいと共に、心踊る季節です。
なんて、常套句を書いてしまいましたが、天邪鬼な私はちょっと違った思いでこの季節を過ごしています。去年12月のブログ「クリスマスだから考える」でも書きましたが、イルミネーションがきらびやかであればあるほど、その向こうの闇が気になります。
「しののめ寺町」開店前、夜にウォーキングをしていたことがあります。自宅は賀茂川の上流、北山橋の西側の住宅街ですが、橋を東に渡ると大通りをはさんでお洒落な店が立ち並びます。
夜でも明るく、ウィンドウを眺めながら歩くのはいい気分転換になります。朝のような爽やかさはありませんが、陽焼けの心配もなく、一日に溜まった澱(おり)を流せる爽快感も気に入っていました。
ファストフードから高級そうなフレンチまで様々な飲食店が並び、いい匂いと共に窓越しに楽しそうに食事する人の姿が見えます。ブティックのショウウィンドウではカラフルな洋服を着たマネキンがポーズをとり、雑貨屋さんでは夢いっぱいの部屋が設えられています。ウェディングホールがいくつかあり、披露宴を終えたばかりの新郎新婦がお客様を見送る場面に遭遇することも。
このあたり、クリスマスの時期になると競うようにイルミネーションが施され、まばゆいばかりの通りを、カップルや家族連れなど多くの人が行き交います。
そんななかをウォーキングしていると、不思議な感覚に陥ることがありました。この世の中、皆が皆、とっても幸せな人ばかりなんじゃないか。私一人、ひととは違う次元にいて、まわりからは私の姿は見えていないんじゃないか、なんて。不安になって、まわりの人の反応を伺ってみたりして。
ふと思い出されるのが、幼い日に呼んだ童話「マッチ売りの少女」でした。クリスマスの夜、マッチ売りの少女はこんな気持ちで街を歩いていたのかなと、ちょっと悲劇のヒロイン気分に浸ったり。
そんな妄想も、ウォーキングを終えればおしまい。自宅に帰ると、いつもの日常に戻り、お風呂につかり、あたたかい布団で休みます。マッチ売りの少女とは相当違う結末です(笑)。
毎年、不思議に思うのですが、クリスマスの時期、イルミネーションがきらめく中すれ違う人は誰もが幸せそうに見えるのはなぜでしょう。
それが本当なら、それはそれで素敵なことです。けれど残念ながら、世の中の人が皆が皆、幸せでいるのは難しいことです。幸せな人の隣で、悲しんでいる人がいるかもしれません。
華やかなことが苦手な私、派手なイルミネーションは要らないけれど、、足元をそっと照らしてくれるキャンドルがほしいなぁ、「だいじょうぶだよ」と励ましてくれる灯りがほしいなぁ。冬、寒さと共にさみしさや心細さが身に沁みる帰り道、そんなことを思うこのごろです。
幸せな人はそのまま幸せで。悲しんでいる人は束の間幸せに。クリスマスがそんな一日であればいいなと思います。